このページでは、中山氏(丹治氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
中山氏(常陸国松岡藩主)の略系図
1 家勝→中山家勝・家範・照守・直定の系図
2-A1 直範→中山直範~直温の系図
2-A2 重良→中山重良~信珉の系図
2-A3 直守→中山直守~直有・直温~内蔵丞の系図
2-A4 直張→中山直張・直道~直通の系図
2-A5 直好→中山直好~直経の系図
3 信吉→中山信吉・信政・吉勝~信泰の系図
5 信治→中山信治~信順の系図
10 信昌→中山信昌・政信の系図
12 信敬→中山信敬~信徴の系図
中山家勝・家範・照守・直定の系図
中山家勝(いえかつ)【1515-1573】
武蔵国高麗郡中山村に住んだ。
祖父 季国・父 氏季→丹治元房の系図
中山家範(いえのり)/吉範(よしのり)【1548-1590】
子 信吉・孫 信政・吉勝→中山信吉・信政・吉勝~信泰の系図
中山照守(てるもり)/家守(いえもり)【1570-1634】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 遠山利景の娘
妻の父 遠山利景→遠山利景の系図
子 直範・孫 直照→中山直範~直温の系図
子 重良・孫 信定→中山重良~信珉の系図
子の夫 堀田一純→堀田一純の系図
中山直定(なおさだ)【1599-1645】
子 直守・孫 直房・直温→中山直守~直有・直温~内蔵丞の系図
子 直張・孫 直道→中山直張・直道~直通の系図
孫 直好→中山直好~直経の系図
孫 黒田直邦→黒田直邦・直純の系図
子 直次(なおつぐ)【?-1672】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 屋代忠正の娘
子の妻の父 屋代忠正→屋代忠正の系図
子 室賀正信〔養父:室賀正俊〕→室賀正信の系図
子の夫 山田重恒→山田重恒の系図
子の夫 石谷清亮→石谷清亮の系図
子の夫 安藤定勝→安藤定勝~定意の系図
中山直守~直有・直温~内蔵丞の系図
中山直守(なおもり)【1633-1687】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 照守・父 直定→中山家勝・家範・照守・直定の系図
妻 大久保教隆の娘
妻の父 大久保教隆→大久保教隆の系図
子 直安(なおやす)【?-1689】
子 飯河直大〔養父:飯河信順〕→飯河直大の系図
子の夫 滝川元長→滝川元長の系図
中山直房(なおふさ)【1657-1706】
妻 中山信治の娘
妻の父 中山信治→中山信治~信順の系図
子 直勝〔養父:中山直温〕
子の夫 向井正員→向井正員の系図
中山直正(なおまさ)【1676-1714】
妻 戸川安成の娘
妻の父 戸川安成→戸川安成の系図
子の夫 小川保関→小川保関の系図
中山直看(なおもと)【1698-1728】
妻 伊丹勝友の娘
妻の父 伊丹勝友→伊丹勝友の系図
子 房明〔養父:中山直秀〕
子 直彰〔養父:中山直武〕→中山直好~直経の系図
子の夫 岡野成路→岡野成路の系図
中山直秀(なおひで)【1712-1742】
妻 中山信昌の娘
妻の父 中山信昌→中山信昌・政信の系図
夫 大久保忠肥→大久保忠肥の系図
中山房明(ふさあきら)/直輝(なおてる)【1715-1757】
実は中山直看の子。
妻 池田政方の娘
実は池田由道(→池田由道の系図)の娘。
妻の父 池田政方→池田政方・政香の系図
夫 京極高亶→京極高三~高盛・高門~高貞の系図
中山直寛(なおひろ)【1745-1783】
妻 神保茂清の娘
妻の父 神保茂清→神保茂清の系図
妻 安藤信尹の娘
妻の父 安藤信尹→安藤信尹~信馨の系図
中山直隆(なおたか)【1766-1791】
実は中山直彰(→中山直好~直経の系図)の子。
妻 鈴木重期の娘
妻の父 鈴木重期→鈴木重期の系図
中山直有(なおあり)【1785-?】
中山直温(なおあつ)【?-1695】
中山直勝(なおかつ)【?-1706】
実は中山直房の子。
子 直勝の娘〔養父:中山直正〕
中山内蔵丞【1701-1703】
中山直張・直道~直通の系図
中山直張(なおはる)【1634-1680】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 照守・父 直定→中山家勝・家範・照守・直定の系図
妻 黒田用綱の娘
妻の父 黒田用綱→黒田用綱の系図
子 直好・孫 直兼→中山直好~直経の系図
子 黒田直邦・孫 直純→黒田直邦・直純の系図
子 都筑延貞〔養父:都筑為基〕→都筑延貞の系図
子 黒田直清〔養父:黒田直常〕→黒田直清の系図
子の夫 富永政茂→富永政茂の系図
子の夫 滝川元長→滝川元長の系図
中山直道(なおみち)【?-1700】
子の夫 広戸正信→広戸正信の系図
中山直春(なおはる)【1684-1752】
実は中山信定(→中山重良~信珉の系図)の子。
妻 岡田由重の娘
妻の父 岡田由重→岡田由重の系図
子 信明〔養父:中山信興〕→中山重良~信珉の系図
中山直武(なおたけ)【1716-1753】
実は室賀正次(→室賀正次の系図)の子。
中山直供(なおとも)【1737-?】
妻 岩松純睦の娘
妻の父 岩松純睦→岩松純睦の系図
子の夫 飯塚忠紀→飯塚忠紀の系図
中山直通(なおとお)【1766-?】
妻 山名義厚の娘
妻の父 山名義厚→山名義厚の系図
中山直好~直経の系図
中山直好(なおよし)【1661-1728】
祖父 直定→中山家勝・家範・照守・直定の系図
父 直張→中山直張・直道~直通の系図
祖父 黒田用綱→黒田用綱の系図
妻 室賀正信の娘
妻の父 室賀正信→室賀正信の系図
子 直武〔養父:中山直兼〕
子の夫 植村政広→植村政春~政広の系図
子の夫 土岐朝直→土岐治頼~朝治・朝直~朝旨の系図
子の夫 松田貞居→松田貞居の系図
子の夫 荻原乗秀→荻原乗秀の系図
中山直兼(なおかね)/直延(なおのぶ)【1696-1728】
中山直武(なおたけ)【1711-1733】
実は中山直好の子。
中山直彰(なおあきら)/直広(なおひろ)【1716-?】
実は中山直看(→中山直守~直有・直温~内蔵丞の系図)の子。
妻 中山直武の娘
実は松田貞居(→松田貞居の系図)の娘。
子 直隆〔養父:中山直寛〕→中山直守~直有・直温~内蔵丞の系図
子の夫 岡野成韶→岡野成韶の系図
子の夫 吉川従行→吉川従行の系図
中山直遷(なおゆき)【1755-1796】
妻 吉川従弼の娘
妻の父 吉川従弼→吉川従弼の系図
子 直与(なおとも)【1782-?】
子の夫 石川成次→石川成次~源三郎・成重~成次の系図
子の夫 長谷川安計→長谷川安計の系図
中山直経(なおつね)【1773-1798】
妻 森川俊輝の娘
妻の父 森川俊輝→森川重頼~俊懌の系図
妻 赤井直盈の娘
妻の父 赤井直盈→赤井直盈の系図
中山直範~直温の系図
中山直範(なおのり)【1619-1693】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 家範・父 照守→中山家勝・家範・照守・直定の系図
祖父 遠山利景→遠山利景の系図
妻 本郷勝吉の娘
妻の父 本郷勝吉→本郷勝吉の系図
子 直勝〔養父:中山直照〕
中山直照(なおてる)【?-1710】
子 直勝
実は中山直範の子。
子 五左衛門【?-1700】
中山直安(なおやす)【?-1716】
実は中山守重(→中山守重の系図)の子。
中山直方(なおかた)【1698-1740】
実は中山喜大夫の子。
妻 曽我助理の娘
妻の父 曽我助理→曽我助理の系図
妻 曽我助勝の娘
妻の父 曽我助勝→曽我助勝の系図
子の夫 堀秀興→堀秀興の系図
中山直平(なおひら)【1705-1751】
実は中山喜大夫の子。
妻 曽我孝助の娘
妻の父 曽我孝助→曽我孝助の系図
子の夫 室賀正朋→室賀正朋の系図
中山直敷(なおのぶ)【1737-1782】
妻 万年頼芳の娘
妻の父 万年頼芳→万年頼芳の系図
中山直温(なおよし)【1766-?】
妻 曽根次明の娘
妻の父 曽根次明→曽根次明の系図
子 直温の娘
実は窪田正扶(→窪田正扶の系図)の娘。
中山重良~信珉の系図
中山重良(しげよし)/信良(のぶよし)【1600-1652】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
実は長繁由の子。
祖父 家範・父 照守→中山家勝・家範・照守・直定の系図
妻 植村正次の娘
妻の父 植村正次→植村正次の系図
子の夫 向坂吉久→向坂吉久の系図
中山信定(のぶさだ)【1645-1725】
妻 植村正信の娘
妻の父 植村正信→植村正信の系図
妻 内藤正総の娘
妻の父 内藤正総→内藤正総の系図
子 直春〔養父:中山直道〕→中山直張・直道~直通の系図
中山信興(のぶおき)【1667-1717】
妻 北条氏英の娘
実は鈴木長頼(→鈴木長頼の系図)の娘。
妻の父 北条氏英→北条氏平~氏征の系図
妻 向坂吉久の娘
妻の父 向坂吉久→向坂吉久の系図
子の夫 村上正方→村上正方の系図
中山信明(のぶあきら)【1708-1771】
実は中山直春(→中山直張・直道~直通の系図)の子。
妻 井関政甫の娘
妻の父 井関政甫→井関政甫の系図
子の夫 杉田忠孝→杉田忠孝の系図
中山信勝(のぶかつ)/知義(ともよし)【1747-?】
実は土方雄端(→土方雄端の系図)の子。
妻 中山信明の娘
実は毛受吉永の娘。
子の夫 富松広光→富松広光の系図
中山信珉(のぶたま)【1773-?】
妻 桑原盛倫の娘
妻の父 桑原盛倫→桑原盛倫の系図
中山信吉・信政・吉勝~信泰の系図
中山信吉(のぶよし)【1578-1642】
母は『寛政重修諸家譜』による。水戸藩の付家老となった。
祖父 家勝・父 家範→中山家勝・家範・照守・直定の系図
子 信治〔養父:中山信政〕→中山信治~信順の系図
子 信吉の娘
浅野光晟に嫁ぐ予定であった。
子 信吉の娘
那須資重に嫁ぐ予定であった。
中山信政(のぶまさ)【1594-1677】
妻 向井正綱の娘
妻の父 向井正綱→向井正綱の系図
子 信治・孫 信行→中山信治~信順の系図
中山吉勝(よしかつ)/信久(のぶひさ)【1618-1699】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 松平清須の娘
妻の父 松平清須→松平清須の系図
子 信守(のぶもり)【?-1674】
子 松平信実〔養父:松平清須〕→松平信実の系図
子の夫 中山信行→中山信治~信順の系図
中山信庸(のぶつね)【1662-1728】
実は中山信治(→中山信治~信順の系図)の子。
中山信敬(のぶゆき)【1715-1737】
妻 堀長政の娘
実は堀利雄(→堀利雄の系図)の娘。
妻の父 堀長政→堀長政の系図
夫 曽我祐弘→曽我祐弘の系図
中山信将(のぶまさ)【1731-1789】
実は堀田一仲(→堀田一仲の系図)の子。
子の夫 川村忠功→川村忠功の系図
子の夫 松下之喬→松下之喬の系図
中山信泰(のぶやす)【1752-?】
妻 松下之郷の娘
妻の父 松下之郷→松下之郷の系図
夫 柴田康智→柴田康智の系図
中山信治~信順の系図
中山信治(のぶはる)【1628-1689】
実は中山信吉(→中山信吉・信政・吉勝~信泰の系図)の子。
祖父 信吉・父 信政→中山信吉・信政・吉勝~信泰の系図
妻 向井忠勝の娘
妻の父 向井忠勝→向井忠勝の系図
子 信興(のぶおき)【1654-1684】
子 信成〔養父:中山信行〕
妻 大森氏
子 信敏〔養父:中山信成〕
子 信庸〔養父:中山吉勝〕→中山信吉・信政・吉勝~信泰の系図
子の夫 中山直房→中山直守~直有・直温~内蔵丞の系図
中山信行(のぶゆき)【1648-1682】
母は『中山家譜(常陸松岡)』による。
妻 中山吉勝の娘
妻の父 中山吉勝→中山信吉・信政・吉勝~信泰の系図
妻 板倉重郷の娘
実は松平典信(→松平康信~信利の系図)の娘。
妻の父 板倉重郷→板倉重郷~重治の系図
夫 内藤忠次→内藤忠重~忠勝・忠知~忠温の系図
子 信行の娘〔養父:中山信成〕
中山信成(のぶなり)【1655-1703】
実は中山信治の子。
子 信順〔養父:中山信敏〕
子 信成の娘
実は中山信行の娘。堀田一徳に嫁ぐ予定であった。
中山信敏(のぶとし)【1679-1711】
実は中山信治の子。
妻 鍋島糸
実は浄覚の娘。
妻の父 鍋島直能→鍋島直能の系図
子 信敏の娘〔養父:中山信順〕→中山信昌・政信の系図
中山信順(のぶのり)【1697-1712】
実は中山信成の子。
子・子の夫 信昌・孫 政信→中山信昌・政信の系図
中山信昌・政信の系図
中山信昌(のぶまさ)【1699-1743】
実は堀田一幸(→堀田一幸の系図)の子。
祖父 信敏・父 信順→中山信治~信順の系図
妻 中山信順の娘
実は中山信敏(→中山信治~信順の系図)の娘。父は中山信成とも。
妻の父 中山信順→中山信治~信順の系図
子 常信(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
孫 本多光寛〔養父:本多信美〕→本多光寛の系図
孫の夫 松平保福→徳川宗翰の系図
孫の夫 深尾元隆→深尾元隆の系図
孫の夫 辻守眉→辻守眉の系図
子 信昌の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 中山直秀→中山直守~直有・直温~内蔵丞の系図
子の夫 大久保忠肥→大久保忠肥の系図
子の夫 鈴木直賢→鈴木直賢の系図
子の夫 竹中元長→竹中元長の系図
子の夫 須田盛庸→須田盛庸の系図
子の夫 筑紫安門→筑紫安門の系図
中山政信(まさのぶ)【1734-1771】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平信岑の娘
実は松平庸倫(→松平信庸・信岑・庸倫・庸孝の系図)の娘。
妻の父 松平信岑→松平信庸・信岑・庸倫・庸孝の系図
子・子の夫 信敬・孫 信情→中山信敬~信徴の系図
中山信敬~信徴の系図
中山信敬(のぶたか)/信徳(のぶたか)【1764-1819】(以下、『中山家譜(常陸松岡)』による。)
実は徳川宗翰(→徳川宗翰の系図)の子。
祖父 信昌・父 政信→中山信昌・政信の系図
妻 中山政信の娘
妻の父 中山政信→中山信昌・政信の系図
子の夫 米津政懿→米津政懿の系図
子の夫 角倉玄匡→角倉玄匡の系図
中山信情【?-1828】
妻 松平丞姫
実は松平保福(→徳川宗翰の系図)の娘。
妻の父 松平頼慎→松平頼寛~頼之の系図
中山信守/頼容【?-1857】
実は松平頼説(→松平頼永~頼策の系図)の子。
妻 加藤明允の娘
妻の父 加藤明允→加藤明允の系図
妻 小熊氏
子 信徴〔養父:中山信宝〕
子 景子【?-1883】(『華族系譜』による。)
中山信宝【?-1861】
中山信徴(のぶあき)/信和【1846-1917】
常陸国松岡藩主。実は中山信守の子。
妻 内藤鶴
内藤政成(→内藤学文~文成の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。