このページでは、黒田氏(丹治氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
黒田氏(上総国久留里藩主)の略系図
1 直邦→黒田直邦・直純の系図
3 直亨→黒田直亨~直温の系図
6 直方→黒田直方~直養の系図
黒田直邦・直純の系図
黒田直邦(なおくに)/直重(なおしげ)【1666-1735】
常陸国下館藩主・上野国沼田藩主。祖父黒田用綱に養育され、黒田を称した。
祖父 直定→中山家勝・家範・照守・直定の系図
父 直張→中山直張・直道~直通の系図
祖父 黒田用綱→黒田用綱の系図
妻 柳沢土佐子(とさこ)【1682-1758】
実は折井正利(→折井正利の系図)の娘。
妻の父 柳沢吉保→柳沢吉保の系図
子 直邦の娘(2人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 松平忠暁→松平忠尚~忠恒の系図
子の夫 九鬼隆寛→九鬼隆季~隆寛の系図
子 直基(なおもと)/永保(ながやす)【1701-1721】
実は滝川元長(→滝川元長の系図)の子。
孫 直基の娘〔養父:黒田直純〕
子 直亨〔養父:黒田直純〕→黒田直亨~直温の系図
子の夫 内藤政醇→遠山政亮~内藤政業の系図
黒田直純(なおずみ)【1705-1775】
沼田藩主・上総国久留里藩主。実は本多正矩(→本多正直~正矩の系図)の子。
妻 黒田三千子【1702-1759】
子 ヨシ→松平信復・信礼の系図
子の夫 京極高慶→京極高通~高典の系図
子の夫 津軽著高→津軽信英~承叙の系図
子の夫 上田義陳→上田義陳の系図
子の夫 勝田元忠→勝田元忠の系図
子の夫 杉浦正勝→杉浦正勝の系図
子 直亨・孫 直英→黒田直亨~直温の系図
子 直弘〔養父:黒田直亨〕→黒田直亨~直温の系図
子 直純の娘
杉浦正勝に嫁ぐ予定であった。
子 直純の娘〔養父:遠藤常儀〕(『黒田家譜(上総久留里)』による。)
子 直純の娘(2人)〔養父:白井順応〕(『黒田家譜(上総久留里)』による。)
子 直純の娘〔養父:大森親誠〕(『黒田家譜(上総久留里)』による。)
子 直純の娘(2人)〔養父:水沼泰貫〕(『黒田家譜(上総久留里)』による。)
子 直純の娘〔養父:岸盛克〕(『黒田家譜(上総久留里)』による。)
子 直純の娘(『黒田家譜(上総久留里)』による。)
子の夫 本多忠栄→本多忠栄~忠鵬の系図
子の夫 三枝守富→三枝守富の系図
子の夫 森光嶢・大森親俊(『黒田家譜(上総久留里)』による。)
黒田直亨~直温の系図
黒田直亨(なおゆき)【1729-1784】
久留里藩主。実は黒田直邦(→黒田直邦・直純の系図)の子。
祖父 直邦・父 直純→黒田直邦・直純の系図
妻 有馬為子【1728-1758】
有馬氏久(→有馬頼次~氏弘の系図)の娘。
夫 有馬光隆→有馬頼次~氏弘の系図
子 直亨の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 直弘(なおひろ)【1743-1787】
実は黒田直純(→黒田直邦・直純の系図)の子。
孫 直弘の娘(『黒田家譜(上総久留里)』による。)
子 直方〔養父:黒田直温〕→黒田直方~直養の系図
子 津軽親足〔養父:津軽典暁〕→津軽信英~承叙の系図
子 泉七郎・中山九十郎(『黒田家譜(上総久留里)』による。)
子の夫 鳥居成純→鳥居成勝~成純の系図
子の夫 水野忠慎→水野忠見~忠順の系図
子の夫 堀直皓→堀直皓~直明の系図
黒田直英(なおひで)【1758-1786】
久留里藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平品子【1765-1784】
松平信礼(→松平信復・信礼の系図)の娘。
子 三五郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
黒田直温(なおあつ)/直義(なおよし)【1784-1801】
久留里藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
子 直方・孫 直侯→黒田直方~直養の系図
黒田直方~直養の系図
黒田直方(なおかた)/直服【1778-1832】
久留里藩主。実は黒田直亨(→黒田直亨~直温の系図)の子。
祖父 直英・父 直温→黒田直亨~直温の系図
妻 牧野久子【1787-1803】
牧野宣成(→牧野宣成の系図)の娘。
妻 京極悦子
京極高備(→京極高長~高陳の系図)の娘。
夫 山口弘致→山口弘致の系図
子 直明【1805-1811】
子 直静〔養父:黒田直侯〕
子 直端/景耀〔養父:曲淵景山〕
子 直古【?-1864】
子 直生/将之〔養父:神田将純〕
子 クマ→板倉勝政~勝弼の系図・鍋島直孝の系図
子 直方の娘〔養父:新庄茂之丞〕(『黒田家譜(上総久留里)』による。)
子 直方の娘〔養父:高山平左衛門〕(『黒田家譜(上総久留里)』による。)
子 直方の娘(『黒田家譜(上総久留里)』による。)
黒田直侯(なおよし)【1793-1850】
久留里藩主。実は酒井忠徳(→酒井忠徳の系図)の子。
妻 松浦参子【?-1840】
松浦清(→松浦清~詮の系図)の娘。
夫 樋口寿康→樋口宜康~静康の系図
子 直和〔養父:黒田直静〕
子 直挙/国昌〔養父:徳永昌吉〕
子の夫 松平輝承→松平輝和~輝声の系図
黒田直静(なおちか)【1810-1854】(以下、『黒田家譜(上総久留里)』による。)
久留里藩主。実は黒田直方の子。藩校三近塾を創設した。
妻 秋田鎮子【?-1866】
秋田孝季(→秋田孝季の系図)の娘。
子 加納久恒〔養父:加納久徴〕→加納久恒の系図
黒田直和(なおやす)/直質【1819-1876】
久留里藩主。実は黒田直侯の子。
妻 太田矩子
太田資始(→太田資言~資美の系図)の娘。
妻 板倉楽子【?-1857】
板倉勝明(→板倉勝暁~勝殷の系図)の娘。
黒田直養(なおたか)【1849-1919】
久留里藩主。母は『華族系譜』による。実は黒田直方の孫とも。
妻 堀清子
堀直央(→堀直方~直弘の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。