このページでは、稲葉氏(越智氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
稲葉氏(豊後国臼杵藩主)の略系図

1 通貞→稲葉通貞・通則の系図
3 良通→稲葉良通の系図
3-A 重通→稲葉重通~紀通の系図
4 貞通→稲葉貞通~一通の系図
4-A 通孝→稲葉通孝~通利・通政~彦七郎の系図
6-A 通任→稲葉通任~通碩の系図
7 信通→稲葉信通~恒通の系図
11 董通→稲葉董通~久通の系図
稲葉通貞・通則の系図
稲葉通貞(みちさだ)/通高(みちたか)【1447-1538】
父は『寛政重修諸家譜』による。『系図纂要』では、河野通春(→河野通之~盛政・照長~照辰の系図)─通兼─通祐─通以─通貞とする。
祖父 通久・父 通直→河野通義~通直の系図
妻 土岐成頼の娘
妻の父 土岐成頼→土岐頼忠~成頼の系図
曾孫 透通【?-1611】
曾孫 通貞【?-1616】
稲葉通則(みちのり)/通利/通朝【1465-1525】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 通勝【?-1525】
子 良通→稲葉良通の系図
孫 重通→稲葉重通~紀通の系図
孫 貞通→稲葉貞通~一通の系図
子の夫 斎藤正利→斎藤正利の系図
孫の夫 斎藤利三→斎藤利三の系図
稲葉良通の系図
稲葉良通(よしみち)/通以(みちもち)/貞通(さだみち)/長通(ながみち)/一鉄(いってつ)【1515-1588】〔養子:土岐良頼(→土岐政房・頼芸の系図)〕
母は『寛政重修諸家譜』による。斎藤道三らに仕えたが、織田信長に内通し、信長の美濃攻略を助けた。
祖父 通貞・父 通則→稲葉通貞・通則の系図
妻 三条西公条の娘
妻の父 三条西公条→三条西公時~公条の系図
子 貞通・孫 典通→稲葉貞通~一通の系図
孫 通孝→稲葉通孝~通利・通政~彦七郎の系図
子 良通の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。堀池半之丞に嫁いだ。
妻 加納兵次の娘
子 重通・孫 道通→稲葉重通~紀通の系図
孫 正成→稲葉正成・正勝・正吉・正休の系図
子 直政〔養父:土井出雲守〕
子 方通(まさみち)【1566-1640】
子の夫 山村良勝→山村良勝の系図
稲葉重通~紀通の系図
稲葉重通(しげみち)【?-1598】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 通則→稲葉通貞・通則の系図
父 良通→稲葉良通の系図
妻 牧村成倫の娘
子 牧村利貞(としさだ)/政吉【?-1593】〔養父:牧村政倫〕
孫 利貞の娘〔養父:前田利長〕→前田利家・利長の系図
妻 吉田浄忠の娘
妻の父 吉田浄忠→吉田浄忠の系図
子 通重(みちしげ)【?-1618】
美濃国清水藩主。
孫 通勝
孫の妻 稲葉政貞の娘
孫の妻の父 稲葉政貞→稲葉正成・正勝・正吉・正休の系図
子 宗甫【?-1684】
子 重通の娘【?-1626】
石河備後守に嫁いだ。
子 重通の娘【?-1629】(以下、『系図纂要』による。)
種田正状に嫁いだ。
孫 亀松【?-1582】
子の夫 林政行→林通種の系図
子の夫 稲葉正成→稲葉正成・正勝・正吉・正休の系図
子 正成・孫 正勝・子 春日局→稲葉正成・正勝・正吉・正休の系図
孫 正次→稲葉正次・正能・正定~正陽の系図
子の夫 牧村政玄(『系図纂要』による。)
稲葉道通(みちとお・つねみち)/重一(しげかつ)【1570-1607】
伊勢国岩出藩主・伊勢国田丸藩主。
妻 日根野重之の娘
妻の父 日根野重之→日根野重之の系図
子 道通の娘【?-1602】
子の夫 船越永景→船越永景の系図
子の夫 阿部忠秋→阿部忠吉~正能の系図
子 通次(以下、『系図纂要』による。)
子 三郎【1595-1612】(『系図纂要』による。)
子 梅松丸【1607-1702】(『系図纂要』による。)
稲葉紀通(のりみち)/通吉(みちよし)【1603-1648】
田丸藩主・摂津国中島藩主・丹波国福知山藩主。乱心により自殺した。
妻 松平通子
松平忠明(→松平忠明の系図)の娘。
夫 四条隆術→四条隆重~隆平の系図
子 竹松【?-1641】
子 岩松【?-1641】
子 大助【1648-1651】
子の夫 松平勝就→松平康俊~勝易の系図
子の夫 稲葉通任→稲葉通任~通碩の系図
稲葉貞通~一通の系図
稲葉貞通(さだみち)【1546-1603】
豊後国臼杵藩主。織田信長・豊臣秀吉に仕え、関ケ原の戦いでは、岐阜城陥落後に東軍に転じた。
祖父 通則→稲葉通貞・通則の系図
父 良通→稲葉良通の系図
祖父 三条西公条→三条西公時~公条の系図
妻 斎藤正利の娘
妻の父 斎藤正利→斎藤正利の系図
子 貞通の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。赤座弥助に嫁いだ。
妻 織田信秀の娘
妻の父 織田信秀→織田信秀の系図
夫 神保氏張→神保氏張の系図
子 通孝・孫 通照→稲葉通孝~通利・通政~彦七郎の系図
子 秀方・大学
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 織田信秀→織田信長の系図
子の夫 柴田勝豊→柴田勝豊の系図
妻 前田玄以の娘
妻の父 前田玄以→前田玄以の系図
子 彦一(『稲葉家譜(豊後臼杵)』による。)
子の夫 中坊秀政→中坊秀政の系図
稲葉典通(のりみち)【1566-1626】
臼杵藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 丹羽長秀の娘
妻の父 丹羽長秀→丹羽長秀の系図
子 吉
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 典通の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。本多貞虎に嫁いだ。
子の夫 諏訪忠恒→諏訪忠恒の系図
子 典通の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 吉田浄元→吉田浄元の系図
稲葉一通(かずみち)【1587-1641】
臼杵藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 細川多羅
細川忠興(→細川頼貞~忠興の系図)の娘。
子 信通・孫 景通→稲葉信通~恒通の系図
子 通綱(みちつな)【1611-1635】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 通広(みちひろ)【1612-1675】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 溝口宣直→溝口宣勝・宣直・宣俊~直旧の系図
妻 青山忠俊の娘
妻の父 青山忠俊→青山忠成・忠俊の系図
子 通任・孫 通久→稲葉通任~通碩の系図
子 一通の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 日根野吉雄→日根野吉雄の系図
子の夫 山崎俊家→山崎家盛~義方・俊家・治頼の系図
子の夫 本多忠隆→本多忠隆・忠吉・忠直~忠篤の系図
子の夫 裏松資清→裏松資清~益光の系図
稲葉通任~通碩の系図
稲葉通任(みちとう)【1626-1710】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 典通・父 一通→稲葉貞通~一通の系図
祖父 青山忠俊→青山忠成・忠俊の系図
妻 稲葉紀通の娘
妻の父 稲葉紀通→稲葉重通~紀通の系図
稲葉通久(みちひさ)【1659-1702】
稲葉通長(みちなが)【1685-1734】
稲葉通大(みちふと)【1703-1738】
実は稲葉知通(→稲葉信通~恒通の系図)の子。
子の夫 稲葉通古→稲葉信通~恒通の系図
稲葉通敦(みちあつ)【1723-1754】
稲葉通済(みちなり)【1735-1792】
実は稲葉通古(→稲葉信通~恒通の系図)の子。
妻 興津忠通の娘
妻の父 興津忠通→興津忠通の系図
子の夫 津田正誠→津田正誠の系図
子の夫 小笠原持齢→小笠原長真~持齢の系図
稲葉通碩(みちあつ)/信武(のぶたけ)【1763-?】
実は安部信允(→安部信允の系図)の子。
妻 稲葉通済の娘
夫 谷衛寿→谷衛勝~衛真の系図
妻 山高信昉の娘
妻の父 山高信昉→山高信昉の系図
子 通碩の娘〔養父:深津正満〕→深津正満の系図
稲葉通孝~通利・通政~彦七郎の系図
稲葉通孝(みちたか)【?-1606】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 良通→稲葉良通の系図
父 貞通→稲葉貞通~一通の系図
祖父 織田信秀→織田信秀の系図
稲葉通照(みちてる)/高通(たかみち)【1605-1656】
子の夫 蒔田定則→蒔田定則の系図
子の夫 山村良好→山村良好の系図
子の夫 土岐頼利→土岐頼久・頼利の系図
孫 頼在→土岐頼在~頼族の系図
稲葉通義(みちよし)【?-1675】
妻 大久保長重の娘
妻の父 大久保長重→大久保長重の系図
子の夫 織田貞則→織田貞則~信往の系図
稲葉安通(やすみち)【1659-1730】
子 種通〔養父:稲葉栄通〕
稲葉栄通(よしみち)【1705-1736】
稲葉種通(たねみち)【1706-1738】
実は稲葉安通の子。
稲葉通泰(みちやす)/春通(はるみち)【1728-1787】
妻 山角親詮の娘
妻の父 山角親詮→山角親詮の系図
夫 溝口良胤→溝口良胤の系図
稲葉通生(みちなり)【1771-?】
稲葉通利(みちとし)
妻 岡部義利の娘
妻の父 岡部義利→岡部義利の系図
稲葉通政(みちまさ)【1632-1691】
妻 阿倍重信の娘
妻の父 阿倍重信→阿倍重信の系図
妻 菅谷範重の娘
妻の父 菅谷範重→菅谷範重の系図
子 菅谷政憲〔養父:菅谷政朝〕→菅谷政憲の系図
子の夫 小泉養正→小泉養正の系図
子の夫 小菅正矩→小菅正矩の系図
稲葉通倫(みちとも)【1666-1708】
稲葉信通~恒通の系図
稲葉信通(のぶみち)【1608-1673】
臼杵藩主。
祖父 典通・父 一通→稲葉貞通~一通の系図
祖父 細川忠興→細川頼貞~忠興の系図
妻 織田信良の娘(二女)
妻の父 織田信良→織田信雄~信久の系図
子の夫 花山院定誠→花山院定誠~家理の系図
子の夫 織田信久→織田信雄~信久の系図
妻 織田信良の娘(三女)
子 右衛門
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 知通〔養父:稲葉景通〕
妻 宮崎氏
子 通行
母は『寛政重修諸家譜』による。
稲葉景通(かげみち)【1639-1694】
臼杵藩主。
妻 有馬長
有馬忠頼(→有馬忠頼~頼旨の系図)の娘。
稲葉知通(ともみち)/通周(みちちか)【1652-1706】
臼杵藩主。実は稲葉信通の子。
妻 溝口重雄の娘
妻の父 溝口重雄→溝口重雄~直治・逸見元長~長祥の系図
子 知通の息子
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 津屋氏
子 通大〔養父:稲葉通長〕→稲葉通任~通碩の系図
稲葉恒通(つねみち)【1690-1720】
臼杵藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平直明の娘
妻の父 松平直明→松平直良~直純の系図
妻 玉井氏
子 董通・孫 泰通→稲葉董通~久通の系図
妻 三浦氏
子の夫 柳生俊平→柳生俊方~俊郎の系図
子の夫 松平定武→松平定昌~定規の系図
妻 江見田氏
子 通古
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 稲葉通大の娘
子の妻の父 稲葉通大→稲葉通任~通碩の系図
孫 通済〔養父:稲葉通敦〕→稲葉通任~通碩の系図
子 朽木徳綱〔養父:朽木明綱〕→朽木友綱~賢綱の系図
子 山高信昉〔養父:山高信蔵〕→山高信昉の系図
子の夫 勧修寺顕道→勧修寺顕道~経逸の系図
稲葉董通~久通の系図
稲葉董通(まさみち)【1709-1737】
臼杵藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。藩財政の再建に努めた。
祖父 知通・父 恒通→稲葉信通~恒通の系図
妻 岩田氏
子の夫 一柳末栄→一柳直昌~末栄の系図
妻 中原氏
子 市橋長璉〔養父:市橋直挙〕→市橋直挙~長義の系図
稲葉泰通(やすみち)/治通(はるみち)【1730-1768】
臼杵藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 牧野貞通の娘
妻の父 牧野貞通→牧野貞通の系図
稲葉弘通(ひろみち)/副通(すけみち)【1752-1818】
臼杵藩主。『寛政重修諸家譜』によれば、牧野貞長の娘を母とする娘がもう1人挙げられている。
妻 牧野貞長の娘
妻の父 牧野貞長→牧野貞長の系図
子 弘通の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 伊東祐鐘→伊東祐隆~祐帰の系図
妻 津田氏
子 候通(これみち)【1772-1789】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 通臧
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 信求/通度〔養父:山高信行〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 弘通の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。相良義休に嫁ぐ予定であった。
子 弘通の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。一柳正昭に嫁ぐ予定であった。
子の夫 細川利国→細川利寛~利永の系図
子 美佐次・鎌吉(『稲葉家譜(豊後臼杵)』による。)
子の夫 堀直庸→堀直方~直弘の系図
子の夫 新庄直計→新庄直計の系図
稲葉雍通(てるみち)【1776-1847】(以下、『稲葉家譜(豊後臼杵)』による。)
臼杵藩主。財政再建に努めた。
妻 有馬久
有馬頼貴(→有馬頼貴の系図)の娘。
子 幾通〔養父:稲葉尊通〕
子の夫 松平輝茂→松平輝和~輝声の系図
子の夫 松平康爵→松平康定~康載の系図
孫 観通〔養父:稲葉幾通〕
稲葉尊通(もとみち)【1801-1821】
臼杵藩主。
稲葉幾通(いくみち)【1815-1844】
臼杵藩主。実は稲葉雍通の子。藩校学古館を創設した。
妻 奥平昌高の娘
妻の父 奥平昌高→奥平昌高~昌邁の系図
稲葉観通(あきみち)【1837-1862】
臼杵藩主。実は稲葉通孚の子。
妻 山内豊煕の娘
妻の父 山内豊煕→山内豊策~豊範の系図
稲葉久通(ひさみち)【1843-1893】
臼杵藩主。実は岡野知英の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。