このページでは、稲葉氏(越智氏)・正成流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
稲葉氏・正成流(山城国淀藩主)の略系図

1 正成→稲葉正成・正勝・正吉・正休の系図
1-A1 正次→稲葉正次・正能・正定~正陽の系図
1-A2 正篤・正之→稲葉正篤~正順・正之~正方の系図
3 正則→稲葉正則の系図
3-A 正倚・正辰・正直・通周→稲葉正倚・正辰~正芳・正直・通周~通義の系図
4 正往→稲葉正往~正恒の系図
8 正親→稲葉正親~正弘の系図
11 正諶→稲葉正諶~正邦の系図
稲葉正成・正勝・正吉・正休の系図
稲葉正成(まさなり)/通政(みちまさ)/通成(みちなり)/政成(まさなり)【1571-1628】
美濃国十七条藩主・越後国糸魚川藩主・下野国真岡藩主。実は林政秀(→林通種の系図)の子。
祖父 良通→稲葉良通の系図
父 重通→稲葉重通~紀通の系図
妻 稲葉重通の娘
妻の父 稲葉重通→稲葉重通~紀通の系図
夫 林政行→林通種の系図
子 正次・孫 正能・正定→稲葉正次・正能・正定~正陽の系図
子の夫 堀田正吉→堀田正吉の系図
妻 春日局(かすがのつぼね)【1579-1643】
実は斎藤利三(→斎藤利三の系図)の娘。徳川家光の乳母。
子 正利(まさとし)【1604-1676】
子 岩松
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 山内康豊の娘
妻の父 山内康豊→山内貞通~一豊・康豊~一俊の系図
子 午之助・子 正成の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 朽木稙綱→朽木稙綱の系図
妻 永見氏
子 正房(まさふさ)【1607-1650】(以下、『稲葉家譜(山城淀)』による。)
孫 正治/房治
孫の夫 稲葉正定→稲葉正次・正能・正定~正陽の系図
子 政貞(まささだ)(以下、『稲葉家譜(山城淀)』による。)
実は林政行(→林通種の系図)の子。
孫の夫 稲葉通勝→稲葉重通~紀通の系図
子の夫 津田平左衛門(『稲葉家譜(山城淀)』による。)
稲葉正勝(まさかつ)【1597-1634】
老中・常陸国柿岡藩主・真岡藩主・相模国小田原藩主。
妻 山田重利の娘
妻の父 山田重利→山田重利の系図
子 千熊
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 正則→稲葉正則の系図
孫 正往→稲葉正往~正恒の系図
孫 正倚・正辰・正直・通周→稲葉正倚・正辰~正芳・正直・通周~通義の系図
孫 正員→稲葉正員~正善の系図
子の夫 酒井忠能→酒井忠能~忠善の系図
稲葉正吉(まさよし)【1618-1656】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 太田資宗の娘
妻の父 太田資宗→太田康資~資宗の系図
子の夫 永井尚庸→永井尚庸・尚附~尚賢の系図
子の夫 町野幸重→町野幸重の系図
稲葉正休(まさやす)【1640-1684】
美濃国青野藩主。江戸城で堀田正俊を殺害し、大久保忠朝らに殺された。
妻 土屋数直の娘
妻の父 土屋数直→土屋数直・政直の系図
子 正休の娘(『系図纂要』による。)
稲葉正次・正能・正定~正陽の系図
稲葉正次(まさつぐ)【1591-1628】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 重通→稲葉重通~紀通の系図
父 正成→稲葉正成・正勝・正吉・正休の系図
稲葉正能(まさよし)/正重(まさしげ)【1626-1685】
妻 松平正綱の娘
妻の父 松平正綱→松平正綱の系図
子 正篤・正之・孫 正喜・正房→稲葉正篤~正順・正之~正方の系図
子の夫 林正栄→林正栄の系図
稲葉正定(まささだ)/正利(まさとし)【1626-1679】
妻 稲葉正房の娘
妻の父 稲葉正房→稲葉正成・正勝・正吉・正休の系図
子 正羽〔養父:稲葉正忠〕
稲葉正忠(まさただ)【1647-1680】
稲葉正羽(まさのぶ)/正秀(まさひで)【1669-1742】
実は稲葉正定の子。
妻 宮崎重清の娘
妻の父 宮崎重清→宮崎重清の系図
子の夫 酒井忠隆→酒井忠知~忠倪の系図
子の夫 加藤泰和→加藤泰和の系図
稲葉正長(まさなが)/正英(まさひで)【1708-1774】
実は滝川利元(→滝川利元の系図)の子。
子の夫 小出持教→小出持教の系図
子の夫 戸田勝愛→戸田正吉~勝英の系図
稲葉通昆(みちやす)【1733-1798】
妻 川勝隆雄の娘
妻の父 川勝隆雄→川勝隆雄の系図
子 長谷川重寛〔養父:長谷川重満〕→長谷川重寛の系図
子の夫 町野幸行→町野幸行の系図
稲葉正陽(まさあき)【1754-?】
妻 建部行昌の娘
妻の父 建部行昌→建部行昌の系図
夫 野々山兼義→野々山兼義の系図
子 正明/義長
実は松下之郷(→松下之郷の系図)の子。
子 正衡/勝房/正親〔養父:井上正盈(→井上政則~政喜の系図)〕
実は水野勝前(→水野勝前~勝寛の系図)の子。
子の妻 柳沢里之の娘
子の妻の父 柳沢里之→柳沢時睦~徳忠の系図
子の妻の夫 三枝守業→三枝守業の系図
子の妻 井上正盈の娘
子の妻の父 井上正盈→井上政則~政喜の系図
子の妻の夫 井上正求→井上政則~政喜の系図
稲葉正篤~正順・正之~正方の系図
稲葉正篤(まさあつ)【1646-1700】
祖父 正次・父 正能→稲葉正次・正能・正定~正陽の系図
祖父 松平正綱→松平正綱の系図
妻 高木定清の娘
妻の父 高木定清→高木定清の系図
妻 三好長富の娘
妻の父 三好長富→三好長富の系図
子 伊奈忠順→伊奈忠順の系図
子 正寿〔養父:稲葉正房〕
子の夫 鵜殿長義→鵜殿長義の系図
稲葉正喜(まさよし)/正氏(まさうじ)【1695-1717】
妻 渡辺輝の娘
妻の父 渡辺輝→渡辺輝の系図
夫 稲垣昭倫→稲垣昭倫の系図
稲葉正純(まさずみ)/吉政(よしまさ)【1706-1735】
実は三上季明(→三上季明の系図)の子。
妻 伊奈忠逵の娘
実は伊奈忠順(→伊奈忠順の系図)の娘。
妻の父 伊奈忠逵→伊奈忠逵の系図
稲葉正存(まさよし)/正昌(まさよし)/正脩(まさはる)/正村(まさむら)【1729-1789】
妻 林信充の娘
妻の父 林信充→林信充の系図
妻 伊奈忠辰の娘
妻の父 伊奈忠辰→伊奈忠辰の系図
子の夫 皆川重賢→皆川重賢の系図
稲葉正順(まさとし)/正苗(まさみつ)/正広(まさひろ)【1772-?】
妻 黒川盛胤の娘
妻の父 黒川盛胤→黒川盛胤の系図
妻 渡辺寛綱の娘
妻の父 渡辺寛綱→渡辺宗綱~寛綱・与綱・保綱・章綱~直綱の系図
稲葉正之(まさゆき)【?-1697】
妻 浅野氏吉の娘
妻の父 浅野氏吉→浅野氏吉の系図
稲葉正房(まさふさ)【1675-1741】
実は稲葉正信の子。
妻 浅井元忠の娘
妻の父 浅井元忠→浅井元忠の系図
妻 竹本長鮮の娘
実は山越氏の娘。
妻の父 竹本長鮮→竹本長鮮の系図
子 正寿(まさとし)【?-1719】
実は稲葉正篤の子。
子の夫 小菅武第→小菅武第の系図
稲葉正勝(まさかつ)【1696-1734】
実は早川重好(→早川重好の系図)の子。
稲葉正武(まさたけ)【1721-1762】
妻 杉浦勝照の娘
妻の父 杉浦勝照→杉浦勝照の系図
稲葉正朝(まさとも)【1746-?】
妻 佐々政晴の娘
実は岩波延幸(→岩波延幸の系図)の娘。
妻の父 佐々政晴→佐々政晴の系図
子の夫 三浦正興→三浦正興の系図
稲葉正方(まさみち)【1768-?】
稲葉正則の系図
稲葉正則(まさのり)【1623-1696】
老中・小田原藩主。
祖父 正成・父 正勝→稲葉正成・正勝・正吉・正休の系図
祖父 山田重利→山田重利の系図
妻 毛利万菊
毛利秀元(→毛利元清・秀元の系図)の娘。
子 正往・孫 正知→稲葉正往~正恒の系図
子 正倚・正辰・正直・孫 正邑→稲葉正倚・正辰~正芳・正直・通周~通義の系図
子 正員・孫 正方→稲葉正員~正善の系図
子 求馬
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 土井利意〔養父:土井利長〕→土井利長~利信の系図
子の夫 堀田正俊→堀田正俊の系図
妻 堤長貞の娘
子 幾十郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 松浦篤信→松浦篤信・有信の系図
子 通周・孫 通度→稲葉正倚・正辰~正芳・正直・通周~通義の系図
子 正如〔養父:稲葉正員〕→稲葉正員~正善の系図
子 正佐〔養父:稲葉正往〕→稲葉正往~正恒の系図
子 仙姫→伊達綱宗・綱村の系図
子 正則の娘〔養父:稲葉正往〕(『稲葉家譜(山城淀)』による。)→稲葉正往~正恒の系図
子 主殿・子 正則の娘(『稲葉家譜(山城淀)』による。)
子の夫 土井利知→土井利房~利寛の系図
稲葉正倚・正辰~正芳・正直・通周~通義の系図
稲葉正倚(まさより)/正喬(まさたか)【1647-1714】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 正勝→稲葉正成・正勝・正吉・正休の系図
父 正則→稲葉正則の系図
祖父 毛利秀元→毛利元清・秀元の系図
妻 毛利勝
毛利光広(→毛利光広~元矩の系図)の娘。
子 正香(まさか)【1681-1704】
子 正恒〔養父:稲葉正任〕→稲葉正往~正恒の系図
稲葉正辰(まさとき)【1650-1728】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 永井尚房の娘
妻の父 永井尚房→永井尚征の系図
子 正長/清彪
実は小笠原忠雄(→小笠原忠雄~忠総の系図)の子。
稲葉正邑(まさむら)【1713-1783】
妻 武田信胤の娘
妻の父 武田信胤→武田信貞~信親・川窪信慈~信睦の系図
夫 筑紫通門→筑紫通門の系図
妻 秋月種輔の娘
妻の父 秋月種輔→秋月種封~種賀の系図
稲葉正峯(まさみね)/正温(まさあつ)【1743-?】
妻 稲葉正益の娘
妻の父 稲葉正益→稲葉正親~正弘の系図
稲葉正芳(まさよし)【1772-?】
妻 五島盛恭の娘
妻の父 五島盛恭→五島盛清~運竜の系図
稲葉正直(まさなお)/正能(まさよし)【1654-1725】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 五条為庸の娘
妻の父 五条為庸→五条為適~為房の系図
子 正博
実は土井利益(→土井利益~利見の系図)の子。
子・子の夫 正親→稲葉正親~正弘の系図
子の夫 屋代正勝→屋代正勝の系図
稲葉通周(みちちか)/正賀(まさよし)【1666-1736】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 朝岡明時の娘
妻の父 朝岡明時→朝岡明時の系図
子 通明(みちあきら)【1703-1724】
子の夫 山田利延→山田利延の系図
子の夫 松平信成→松平堅綱~信孟の系図
稲葉通度(みちのり)/通純(みちずみ)【1722-1759】
妻 酒井友完の娘
妻の父 酒井友完→酒井友完の系図
稲葉通欽(みちよし)/通延(みちのぶ)【1743-1785】
妻 松平信成の娘
妻の父 松平信成→松平堅綱~信孟の系図
子 松下綱貞〔養父:松下綱紀〕→松下綱貞の系図
子 武藤安正〔養父:武藤安徴〕→武藤安正の系図
子 勝宝〔養父:伊丹有信〕
子の夫 遠山景房→遠山景房の系図
稲葉通義(みちよし)【1765-?】〔養子:織田長義(→織田信浮~寿重丸の系図)〕
妻 山田利寿の娘
妻の父 山田利寿→山田利寿の系図
稲葉正往~正恒の系図
稲葉正往(まさゆき)/義雅(よしまさ)/正通(まさみち)【1640-1716】
老中・小田原藩主・越後国高田藩主・下総国佐倉藩主。
祖父 正勝→稲葉正成・正勝・正吉・正休の系図
父 正則→稲葉正則の系図
祖父 毛利秀元→毛利元清・秀元の系図
妻 保科石姫
保科正之(→保科正之・正経の系図)の娘。
子の夫 松平定直→松平定長~定功・定章の系図
妻 持明院基定の娘
妻の父 持明院基定→持明院基定~基雄の系図
子 鶴千代
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 正佐(まさすけ)【1692-1717】
実は稲葉正則(→稲葉正則の系図)の子。
子の妻 米津田賢の娘
子の妻の父 米津田賢→米津田賢~田張・田和~田昌の系図
子の妻の夫 竹中元敏→竹中元敏の系図
孫 正房(まさふさ)【1715-1721】
実は稲葉正知の子。
子 正往の娘
実は稲葉正則(→稲葉正則の系図)の娘。
子の夫 土井利知→土井利房~利寛の系図
子の夫 小笠原長円→小笠原長勝~長逵の系図
稲葉正知(まさとも)【1685-1729】
佐倉藩主・山城国淀藩主。
妻 小笠原須免
小笠原忠雄(→小笠原忠雄~忠総の系図)の娘。
子 正貞(まささだ)【1705-1739】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 元次郎・子 正知の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 正知の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 今村氏
子 加祢子→有馬清純~孝純の系図
孫 有馬允純→有馬允純~道純の系図
子 正知の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子 正房〔養父:稲葉正佐〕
稲葉正任(まさとう)【1714-1730】
淀藩主。
稲葉正恒(まさつね)【1706-1730】
淀藩主。実は稲葉正倚(→稲葉正倚・正辰~正芳・正直・通周~通義の系図)の子。
妻 毛利元次の娘
妻の父 毛利元次→毛利元次・元尭の系図
子 正親・孫 正益→稲葉正親~正弘の系図
子 正恒の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
稲葉正親~正弘の系図
稲葉正親(まさちか)/正命(まさのぶ)【1692-1734】〔養父:稲葉正直(→稲葉正倚・正辰~正芳・正直・通周~通義の系図)〕
淀藩主。実は大田原晴川(→大田原政清~清信の系図)の子。
祖父 正任・父 正恒→稲葉正往~正恒の系図
妻 稲葉正直の娘
実は柴田氏の娘。
妻の父 稲葉正直→稲葉正倚・正辰~正芳・正直・通周~通義の系図
子 正名(まさな)【1723-1747】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 正福〔養父:稲葉正方〕→稲葉正員~正善の系図
子 正明〔養父:稲葉正福〕→稲葉正員~正善の系図
子 正春(まさはる)【1734-1784】
孫 石川総朋〔養父:石川総詳〕→石川総氏~総朋の系図
子 正親の娘
戸田忠盈に嫁ぐ予定であった。
子 大次郎・子 正親の娘(『稲葉家譜(山城淀)』による。)
稲葉正益(まさよし)/正甫(まさよし)【1718-1771】
淀藩主。
妻 伊達吉村の娘
妻の父 伊達吉村→伊達吉村の系図
妻 丹羽近
丹羽高寛(→丹羽高寛の系図)の娘。
子 正諶〔養父:稲葉正弘〕→稲葉正諶~正邦の系図
子 仙石久功〔養父:仙石久当〕→仙石久功の系図
子 河野智之助・正益の息子(『稲葉家譜(山城淀)』による。)
子の夫 立花種周→立花長煕~種恭の系図
子の夫 稲葉正峯→稲葉正倚・正辰~正芳・正直・通周~通義の系図
稲葉正弘(まさひろ)【1747-1773】
淀藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平員姫
松平容貞(→松平正容~容頌の系図)の娘。
子 正諶・孫 正備→稲葉正諶~正邦の系図
子 鶴子→有馬允純~道純の系図
稲葉正諶~正邦の系図
稲葉正諶(まさのぶ)【1749-1806】
淀藩主。実は稲葉正益(→稲葉正親~正弘の系図)の子。
祖父 正益・父 正弘→稲葉正親~正弘の系図
妻 松平宗衍の娘
妻の父 松平宗衍→松平宣維~定安の系図
子 宇右衛門・子 正諶の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 元通/正僎〔養父:中西元良〕
子 正剛/正臣【1792-1851】
子 正因/通久/通行〔養父:稲葉通恕〕
子 正守〔養父:稲葉正発〕
子 充四郎・数之助・子 正諶の娘(2人)(『稲葉家譜(山城淀)』による。)
子の夫 内藤頼以→内藤清枚~頼直の系図
子の夫 大岡忠固→大岡忠烈~忠貫の系図
稲葉正備(まさなり)【1779-1815】(以下、『稲葉家譜(山城淀)』による。)
淀藩主。
妻 阿部正倫の娘
妻の父 阿部正倫→阿部正倫の系図
子 正備の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
稲葉正発(まさはる・まさのり)【1801-1823】
淀藩主。
妻 山内豊策の娘
妻の父 山内豊策→山内豊策~豊範の系図
稲葉正守(まさもり)【1804-?】
淀藩主。実は稲葉正諶の子。
妻 藤堂高崧の娘
妻の父 藤堂高崧→藤堂高悠・高嶷の系図
子の夫 戸田氏彬→戸田氏正~氏共の系図
稲葉正誼(まさよし・まさのぶ)【1827-1848】
淀藩主。実は榊原政令(→榊原政令の系図)の子。
稲葉正邦(まさくに)【1834-1898】
老中・淀藩主。実は丹羽長富(→丹羽長富の系図)の子。藩校明親館を創設した。
妻 酒井忠発の娘
妻の父 酒井忠発→酒井忠発~忠宝の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。