一柳氏(越智氏)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、一柳氏(越智氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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一柳氏(播磨国小野藩主)の略系図

一柳氏の略系図

1 宣高一柳宣高~末礼・直澄~直里の系図
3-A 直重一柳直重・直興・直照~直郷の系図

7 直昌一柳直昌~末栄の系図
10 末英一柳末英~末徳の系図

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一柳宣高~末礼・直澄~直里の系図

一柳宣高~末礼・直澄~直里の系図

  一柳宣高(のぶたか)

祖父 通宣 通直河野通義~通直の系図


  一柳直高(なおたか)【1529-1580】
 直末(なおすえ)【1546-1590】
 直道(なおみち)【?-1590】


  一柳直盛(なおもり)【1564-1636】
 伊勢国神戸藩主・伊予国西条藩主。
 直重 直興 直照一柳直重・直興・直照~直郷の系図
 直頼 直治一柳直頼~頼邦の系図
子の夫 本多忠朝本多忠勝・忠朝~勝行の系図


  一柳直家(なおいえ)【1599-1642】
 播磨国小野藩主。
 高倉永慶の娘
妻の父 高倉永慶高倉永孝~永俊の系図
 直家の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。


  一柳直次(なおつぐ)【1623-1658】
 小野藩主。実は小出吉親(→小出吉親の系図)の子。末期養子を認められず、減封された。
 一柳直家の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 直昌〔養父:一柳末礼〕→一柳直昌~末栄の系図
 小出吉忠〔養父:小出吉親〕→小出吉忠の系図
子の夫 板倉重種板倉重昌~重種の系図


  一柳末礼(すえひろ)/直好(なおよし)/末朝(すえとも)【1649-1712】
 小野藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 太田資宗の娘
妻の父 太田資宗太田康資~資宗の系図
子の夫 中坊秀久→中坊秀久の系図

 直昌 末昆一柳直昌~末栄の系図
 末礼の娘
 竹中重誠に嫁ぐ予定であった。
子の夫 井上正清井上重成~正直の系図


  一柳直澄(なおずみ)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)


  一柳直正(なおまさ)【?-1759】
 実は春田次房(→春田次房の系図)の子。
 阿倍重旧の娘
妻の父 阿倍重旧→阿倍重旧の系図

 井上正朝の娘
妻の父 井上正朝→井上正朝の系図

 池田重富の娘
妻の父 池田重富→池田重富の系図
 直清(なおきよ)【1725-1757】
子の妻 安藤直規の娘
子の妻の父 安藤直規安藤直利~直温の系図

 加藤正胤〔養父:加藤正名〕→加藤正胤の系図
子の夫 安部信久→安部信久の系図
子の夫 小笠原義章→小笠原義章の系図
子の夫 植村政庸植村政明~政敦・正澄~正養の系図


  一柳直義(なおよし)/邦高(くにたか)【1738-1779】
 実は一柳頼邦(→一柳直頼~頼邦の系図)の子。
 安藤直規の娘
妻の父 安藤直規安藤直利~直温の系図

 酒井政道〔養父:酒井政共〕→酒井政道の系図


  一柳直里(なおさと)
 間部詮長の娘
妻の父 間部詮長→間部詮長の系図

 一柳頼寿の娘
妻の父 一柳頼寿一柳頼寿~頼明の系図

 猪俣則温の娘
 実は衣笠氏の娘。
妻の父 猪俣則温→猪俣則温の系図

一柳直重・直興・直照~直郷の系図

一柳直重・直興・直照~直郷の系図

  一柳直重(なおしげ)【1598-1645】
 西条藩主。

祖父 直高 直盛一柳宣高~末礼・直澄~直里の系図


  一柳直興(なおおき)【1624-1702】
 西条藩主。領地を没収された。
 松平重直の娘
妻の父 松平重直→松平重直の系図
子の夫 竹腰正晴大原綱高~竹腰正映の系図


  一柳直照(なおてる)【1626-1667】
 水谷勝隆の娘
妻の父 水谷勝隆→水谷勝隆の系図

子の夫 土屋朝直土屋之直~業直の系図


  一柳直増(なおます)【1654-1727】
 三枝守全の娘
妻の父 三枝守全→三枝守全の系図

 杉浦正綱の娘
妻の父 杉浦正綱→杉浦正綱の系図

子の夫 杉浦正職→杉浦正職の系図


  一柳直長(なおなが)【1678-1759】
 土屋朝直の娘
妻の父 土屋朝直土屋之直~業直の系図

 伊東祐春の娘
妻の父 伊東祐春伊東祐春~祐膺・祐恵・祐程の系図
 畠山基祐→畠山基祐の系図

子の夫 一柳末昆一柳直昌~末栄の系図


  一柳直僖(なおよし)/邦仙(くにのり)【1698-1745】
 実は一柳治良(→一柳直頼~頼邦の系図)の子。


  一柳寛直(ひろなお)/直救(なおひろ)【1729-?】
 水野忠昭の娘
妻の父 水野忠昭水野重上~忠実の系図

 井上正房の娘
妻の父 井上正房井上正義~正矩の系図

 寛直の娘〔養父:一柳直住〕
子の夫 朽木栄綱朽木友綱~賢綱の系図
子の夫 脇坂安崇→脇坂安崇の系図


  一柳直住(なおずみ)/光延(みつのぶ)【1747-1773】
 実は戸田光雄(→戸田光雄~光和の系図)の子。
 脇坂登代
 脇坂安興(→脇坂安興の系図)の娘。
 片桐貞芳→片桐貞芳の系図


  一柳直郷(なおさと)【1756-?】
 一柳直住の娘
 一柳寛直の娘。

 〓次郎
 〓は「金」+「サ」+「双」。

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一柳直昌~末栄の系図

一柳直昌~末栄の系図

  一柳直昌(なおまさ)【1657-1701】
 実は一柳直次(→一柳宣高~末礼・直澄~直里の系図)の子。

祖父 直次 末礼一柳宣高~末礼・直澄~直里の系図

 清閑寺煕定の娘
妻の父 清閑寺煕定清閑寺煕房~秀定の系図
 直昌の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。藤堂長照に嫁いだ。


  一柳末昆(すえひで)【1699-1737】
 小野藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 一柳直長の娘
妻の父 一柳直長一柳直重・直興・直照~直郷の系図

子の夫 朽木紀綱朽木則綱~綱弘の系図
子の夫 山口弘長→山口弘長の系図


  一柳末栄(すえなが)【1725-1799】
 小野藩主。藩財政の再建に尽力した。
 稲葉董通の娘
妻の父 稲葉董通稲葉董通~久通の系図
子の夫 織田信浮→織田信浮の系図
子の夫 秋田季済→秋田季済の系図

 真田信弘の娘
妻の父 真田信弘→真田信弘の系図
 末英 末昭一柳末英~末徳の系図

 座光寺為礥〔養父:座光寺為忠〕→座光寺為礥の系図
 石尾氏紹〔養父:石尾氏封〕→石尾氏紹の系図
子の夫 山口弘道→山口弘道の系図
子の夫 吉川経倫→吉川経倫の系図
子の夫 松平康盛松平忠充~康豊の系図
子の夫 一柳頼欽一柳頼寿~頼明の系図
子の夫 久世広孝久世広当~広孝の系図

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一柳末英~末徳の系図

一柳末英~末徳の系図

  一柳末英(すえふさ)【1758-1810】
 小野藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。

祖父 末昆 末栄一柳直昌~末栄の系図
祖父 真田信弘→真田信弘の系図

 板倉勝任の娘
 実は板倉勝承(→板倉重寛~勝行の系図)の娘。
妻の父 板倉勝任板倉重寛~勝行の系図
 隼人
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 末周〔養父:一柳末昭〕
子の夫 皆川重寿(『一柳家譜(播磨小野)』による。)


  一柳末昭(すえあきら)【1790-1812】
 小野藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。


  一柳末周(すえちか)/英同(ふさとし)【1791-1852】
 小野藩主。実は一柳末英の子。
 藤堂高嶷の娘
妻の父 藤堂高嶷藤堂高悠・高嶷の系図

 末清〔養父:金森近典〕(『一柳家譜(播磨小野)』による。)
 末周の息子(2人)(『一柳家譜(播磨小野)』による。)


  一柳末延(すえのぶ)【1814-1855】
 小野藩主。
 秋月種任の娘
妻の父 秋月種任→秋月種任の系図

子の夫 高木正坦→高木正坦の系図
子の夫 朽木之綱(『一柳家譜(播磨小野)』による。)
子の夫 斯波喜氏(『華族系譜』による。)


  一柳末彦(すえよし)【1843-1881】
 小野藩主。


  一柳末徳(すえのり)【1850-1922】(以下、『華族系譜』による。)
 小野藩主。実は九鬼隆都(→九鬼隆貞~隆備の系図)の子。
 一柳栄
 一柳頼紹(→一柳頼寿~頼明の系図)の娘。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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