このページでは、久留島氏(越智氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
久留島氏(豊後国森藩主)の略系図

1 通康→村上通康~来島長親の系図
4 通春→久留島通春・通貞~通在の系図
5 通清→久留島通清・通政の系図
7 光通→久留島光通・通祐の系図
9 通同→久留島通同~通靖の系図
村上通康~来島長親の系図
村上通康(みちやす)【1519-1567】
祖父 通宣・父 通直→河野通義~通直の系図
妻 河野通直の娘【?-1574】
妻の父 河野通直→河野通義~通直の系図
子 通之〔養父:徳井氏〕
子 吉清(よしきよ)【?-1638】
子 通康の息子【?-1566】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 通康の息子(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 毛利元清→毛利元清・秀元の系図
来島通総(みちふさ)【1561-1595】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 平賀隆宗の娘【?-1656】
子 通則(みちのり)【?-1600】
子の夫 藤波種忠→藤波種忠の系図
来島長親(ながちか)/康親(やすちか)【1582-1612】
豊後国森藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。関ケ原の戦いでは、初め西軍に属した。
妻 福島正則の娘【?-1650】
実は水野忠正の娘。
妻の父 福島正則→福島正則の系図
子 久留島通春・孫 通貞→久留島通春・通貞~通在の系図
孫 通清→久留島通清・通政の系図
子の夫 星合具枚→星合具枚の系図
子の夫 山名矩豊→山名矩豊の系図
久留島通春・通貞~通在の系図
久留島通春(みちはる)/正次(まさつぐ)【1607-1655】
森藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 通総・父 長親→村上通康~来島長親の系図
祖父 福島正則→福島正則の系図
妻 佐久間安政の娘
妻の父 佐久間安政→佐久間安政の系図
子 通清・孫 通政→久留島通清・通政の系図
子 宗盍(『寛政重修諸家譜』による。)
子 通逈(みちとお)【1636-1697】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
孫 通重→久留島通清・通政の系図
孫の夫 山崎尭治→山崎尭治~義苗の系図
子 通方(みちかた)【?-1663】
子 種春/通求/通音〔養父:二神種親〕
子 通徳/通之〔養父:玉井助延〕
久留島通貞(みちさだ)【1633-1718】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 北条氏宗の娘
妻の父 北条氏宗→北条氏信~氏朝の系図
妻 名村氏
子 光通〔養父:久留島通政〕→久留島光通・通祐の系図
子 通英(みちひで)【?-1709】
子の夫 永井尚方→永井直敬・尚平・尚方~尚友の系図
久留島通富(みちとみ)【1679-1754】
妻 皆川広逵の娘
妻の父 皆川広逵→皆川広逵の系図
子 通実(みちざね)【1708-1752】
子の妻 松平義尭の娘
子の妻の父 松平義尭→松平義尭の系図
孫の夫 桜井信穆→桜井信穆の系図
孫の夫 後藤正奉→後藤正奉の系図
孫の夫 石谷清定→石谷清定の系図
久留島通虎(みちとら)【1724-1779】
妻 溝口直行の娘
妻の父 溝口直行→溝口直行~直静の系図
久留島通在(みちあり)【1763-?】
実は大久保忠恕(→大久保忠恕の系図)の子。
妻 久留島光通の娘【1763-?】
妻の父 久留島光通→久留島光通・通祐の系図
久留島通清・通政の系図
久留島通清(みちきよ)/通次(みちつぐ)【1629-1700】
森藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 長親→村上通康~来島長親の系図
父 通春→久留島通春・通貞~通在の系図
祖父 佐久間安政→佐久間安政の系図
妻 中川久盛の娘
実は松平定実(→松平定実の系図)の娘。
妻の父 中川久盛→中川重清~久盛の系図
妻 山内忠義の娘
妻の父 山内忠義→山内忠義~豊房の系図
妻 橋本氏
子 林正栄〔養父:林勝明〕→林正栄の系図
妻 安部氏
子 毛利高久〔養父:毛利高重〕→毛利高政~高久・高定~高逵の系図
子 毛利高慶〔養父:毛利高久〕→毛利高慶・高通の系図
子 通重〔養父:久留島通政、久留島通逈〕
子 村上内記(『寛政重修諸家譜』による。)
子 通清の娘【?-1666】(『華族系譜』による。)
子 通清の娘【?-1673】(『華族系譜』による。)
子の夫 武田信令→武田信貞~信親・川窪信慈~信睦の系図
子の夫 高木守興→高木守興の系図
久留島通政(みちまさ)/通総(みちふさ)/通厚(みちあつ)【1661-1719】
森藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 戸沢霍/千代/久
戸沢正誠(→戸沢政盛・正誠の系図)の娘。
妻 山内豊昌の娘
実は山内一俊(→山内貞通~一豊・康豊~一俊の系図)の娘。
妻の父 山内豊昌→山内忠義~豊房の系図
子 通政の息子【?-1701】(『華族系譜』による。)
子 通用(みちもち)【?-1704】
実は脇坂安照(→脇坂安照の系図)の子。
子 通孝
実は池田光仲(→池田忠継~光仲の系図)の子。
子 通重(みちしげ)【?-1715】〔養父:久留島通逈(→久留島通春・通貞~通在の系図)〕
実は久留島通清の子。
子の妻 榊原喬長の娘
実は後藤実賢の娘。
子の妻の父 榊原喬長→榊原喬長の系図
子 光通・孫 通祐→久留島光通・通祐の系図
子 通政の娘【?-1698】(『華族系譜』による。)
子 通政の娘【?-1703】(『華族系譜』による。)
子 天以→永井直右~尚監の系図
子の夫 山崎尭治→山崎尭治~義苗の系図
久留島光通・通祐の系図
久留島光通(みつみち・てるみち)/通綜(みちつぐ)【1702-1764】
森藩主。実は久留島通貞(→久留島通春・通貞~通在の系図)の子。
祖父 通清・父 通政→久留島通清・通政の系図
妻 木下俊量の娘
妻の父 木下俊量→木下俊量の系図
妻 吉田氏
子 愛次郎・市之助・金三郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 久仁→青木重矩~一新の系図
妻 小沢氏
子 帯刀
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 光通の娘【1748-?】
久留島通高に嫁いだ。
子の夫 高井綽房→高井綽房の系図
子の夫 高井清寅→高井清寅の系図
妻 高野氏
子 山崎義俊〔養父:山崎信盛〕→山崎尭治~義苗の系図
子 利久→渡辺登綱~伊綱の系図
子の夫 青木直美→青木可直~直諒の系図
妻 田宮氏
子 通同〔養父:久留島通祐〕→久留島通同~通靖の系図
子 光通の息子(10人)・子 光通の娘(4人)(『華族系譜』による。)
子の夫 久留島通在(『華族系譜』による。)→久留島通春・通貞~通在の系図
久留島通祐(みちすけ)【1738-1791】
森藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 太田資俊の娘
妻の父 太田資俊→太田資俊~資順の系図
子 通同・孫 通嘉→久留島通同~通靖の系図
子の夫 上林久忠→上林久忠の系図
子の夫 佐野政敷→佐野政敷の系図
久留島通同~通靖の系図
久留島通同(みちとも)【1759-1798】(以下、『華族系譜』による。)
森藩主。実は久留島光通(→久留島光通・通祐の系図)の子。
祖父 光通・父 通祐→久留島光通・通祐の系図
妻 島津久柄の娘
妻の父 島津久柄→島津久柄の系図
久留島通嘉(みちひろ)【1787-1846】
森藩主。
妻 安藤信馨の娘
実は安藤信厚(→安藤信尹~信馨の系図)の娘。
妻の父 安藤信馨→安藤信尹~信馨の系図
夫 永見為寿→永見為寿の系図
子 通胤〔養父:久留島通明〕
子 武津
実は久留島通泰の娘。
子 鋼【1824-?】
子 歳【1830-?】
子 銈【1834-?】
子 夏【1842-?】
子 広【1844-?】
子 修【1846-?】
子の夫 田沼意尊→田沼意知~意斉の系図
久留島通容(みちかた)【1811-1850】
森藩主。
妻 田沼意留の娘
妻の父 田沼意留→田沼意知~意斉の系図
子 通寛【1837-?】
子 鍈【1838-1862】
子 鹿【1851-1866】
久留島通明(みちあき)【1828-1868】
森藩主。
久留島通胤(みちたね)【1828-1859】
森藩主。実は久留島通嘉の子。
子 通簡(みちひろ)【1859-1919】
子 千世【1858-?】
久留島通靖(みちやす)【1851-1879】
森藩主。
妻 黒田毛登
黒田長元(→黒田長邦~長徳の系図)の娘。
夫 錦織教久→錦織教久の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。