このページでは、田村氏(坂上氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
田村氏(陸奥国一関藩主)の略系図
1 古哲→田村古哲~宗良・顕寛~顕詩の系図
28 建顕→田村建顕~村隆の系図
32 村資→田村村資~崇顕の系図
田村古哲~宗良・顕寛~顕詩の系図
田村古哲(こてつ)
陸奥国田村庄に住み、田村を称したという。
祖父 内野・父 顕麿→霊帝~坂上顕麿の系図
田村顕谷(あきたに)
田村平顕(ひらあき)
田村友顕(ともあき)
田村忠顕(ただあき)
田村吉顕(よしあき)
田村家顕(いえあき)
田村実顕(さねあき)
田村長顕(ながあき)
田村朝顕(ともあき)
田村行資(ゆきすけ)
田村兼顕(かねあき)
田村政顕(まさあき)
田村則顕(のりあき)
田村光顕(みつあき)
田村綱顕(つなあき)
田村輝定(てるさだ)/輝顕(てるあき)【?-1362】
田村家吉(いえよし)【?-1396】
田村満顕(みつあき)【?-1431】
田村持顕(もちあき)【?-1451】
田村直顕(なおあき)【?-1474】
田村盛顕(もりあき)【?-1487】
田村義顕(よしあき)【?-1561】
妻 岩城常隆の娘
妻の父 岩城常隆→岩城常隆の系図
田村隆顕(たかあき)【?-1574】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 伊達稙宗の娘
妻の父 伊達稙宗→伊達尚宗・稙宗の系図
子 氏顕(うじあき)【?-1585】
孫 宗顕〔養父:田村清顕〕
田村清顕(きよあき)【?-1586】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 相馬顕胤の娘
妻の父 相馬顕胤→相馬顕胤の系図
子 愛姫→伊達政宗の系図
孫 伊達忠宗→伊達忠宗の系図
田村宗顕(むねあき)【1574-1590】
実は田村氏顕の子。
田村宗良(むねよし)【1637-1678】〔養父:鈴木元信〕
陸奥国岩村藩主。実は伊達忠宗(→伊達忠宗の系図)の子。伊達綱村の後見を務めた。伊達騒動で閉門となったが、許された。
子 建顕・孫 誠顕→田村建顕~村隆の系図
子 顕始〔養父:田村顕寛〕
子 顕普〔養父:田村顕始〕
子 松之助・宗常・他人之助
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 豊→永井直清~直英の系図
子 宗良の娘(4人)(『寛政重修諸家譜』による。)
田村顕寛(あきひろ)/宗辰(むねとし)【1659-1696】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子 茂登〔養父:田村建顕〕→田村建顕~村隆の系図
田村顕始(あきはる)/宗国(むねくに)【1662-1706】
実は田村宗良の子。
田村顕普(あきみつ)/宗定(むねさだ)【1674-1733】
実は田村宗良の子。
子 泰顕〔養父:田村誠顕〕→田村建顕~村隆の系図
田村村房(むらふさ)【1723-1777】
妻 設楽貞根の娘
妻の父 設楽貞根→設楽貞根の系図
田村顕詩(あきのぶ)【1748-?】
実は多羅尾光豊(→多羅尾光豊の系図)の子。
妻 松波隆起の娘
妻の父 松波隆起→松波隆起の系図
子 顕承〔養子:田村顕彰(→田村村資~崇顕の系図)〕
実は多羅尾光雄(→多羅尾光雄の系図)の子。
妻 田村顕詩の娘
実は鈴木次庸の娘。
子の夫 安部信成→安部信成の系図
田村建顕~村隆の系図
田村建顕(たけあき)/宗永(むねなが)【1656-1708】
岩沼藩主・陸奥国一関藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。刃傷事件を起こした浅野長矩を預けられた。
祖父 宗顕・父 宗良→田村古哲~宗良・顕寛~顕詩の系図
妻 松平半子
松平近栄(→松平近栄~近朝の系図)の娘。
子 経千代
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 春千代【1674-1691】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 万→板倉重宣~昌信の系図
子 源→松平信治の系図
子 茂登
実は田村顕寛(→田村古哲~宗良・顕寛~顕詩の系図)の娘。永井尚品に嫁ぐ予定であった。
田村誠顕(のぶあき)/長信(ながのぶ)【1670-1727】
一関藩主。実は田村顕当(→田村顕当の系図)の子。
妻 田村熊
母は『寛政重修諸家譜』による。
夫 伊達宗保→伊達宗純~村信の系図
子 与婦→分部光忠の系図
子 誠顕の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 竹内惟庸の娘
妻の父 竹内惟庸→竹内惟庸の系図
子 誠顕の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 泰顕(やすあき)【1703-1725】
実は田村顕普(→田村古哲~宗良・顕寛~顕詩の系図)の子。
田村村顕(むらあき)/典顕(のりあき)【1707-1755】
一関藩主。実は伊達宗贇(→伊達宗利・宗贇の系図)の子。
妻 田村伊津
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 喜尾
母は『寛政重修諸家譜』による。大田原友清に嫁ぐ予定であった。
子 村顕の娘(2人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 村顕の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
田村村隆(むらたか)/村候(むらよし)/村勝(むらかつ)【1737-1782】〔養父:伊達村倫〕
一関藩主。実は伊達吉村(→伊達吉村の系図)の子。
子 村資・孫 宗顕→田村村資~崇顕の系図
子 原→土方雄年の系図
田村村資~崇顕の系図
田村村資(むらすけ)【1763-1808】
一関藩主。実は伊達村良(→伊達吉村の系図)の子。藩校教成館を創設させた。
祖父 村顕・父 村隆→田村建顕~村隆の系図
妻 脇坂美知
脇坂安親(→脇坂安親の系図)の娘。
子 伊達斉義〔養父:伊達斉宗〕→伊達重村~宗基の系図
子 顕彰〔養父:田村顕承(→田村古哲~宗良・顕寛~顕詩の系図)〕
母は『田村家譜』による。
子 政五郎・哲也・子 静・村資の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 亀五郎
母は『田村家譜』による。
子 村顕の娘(3人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子 村資の娘〔養父:春日竜顕(→春日竜顕の系図)〕(『田村家譜』による。)
子 富之助・舎人・子 村資の娘(『田村家譜』による。)
田村宗顕(むねあき)/敬顕(のりあき)【1784-1827】(以下、『田村家譜』による。)
一関藩主。実は堀田正敦(→堀田正敦の系図)の子。
妻 田村〓
〓は「金」+「靡」。母は『寛政重修諸家譜』による。
子 邦行〔養父:田村邦顕〕
子 顕泰〔養父:鈴木顕元〕
田村邦顕(くにあき)【1816-1840】
一関藩主。
妻 松平信行の娘
妻の父 松平信行→松平信亨~信安の系図
田村邦行(くにみち)【1820-1857】
一関藩主。実は田村宗顕の子。教成館を再興し、医学校の慎済館を創設した。
妻 成瀬正寿の娘
妻の父 成瀬正寿→成瀬正寿の系図
子 通顕(ゆきあき・みちあき)/茂村【1850-1867】〔養父:伊達慶邦(→伊達重村~宗基の系図)〕
一関藩主。後に伊達慶邦の養子となったが、跡を継ぐ前に亡くなった。
田村邦栄(くによし)【1852-1887】
一関藩主。実は石川義光の子。奥羽越列藩同盟に加わったが、秋田で新政府軍に敗れた。
子 〓(かね)【1880-?】(『華族系譜』による。)
〓は「金」+「靡」。
田村崇顕(たかあき)【1858-1922】
一関藩主。実は石川義光の子。
妻 土岐鈴子
土岐頼之(→土岐定経~頼知の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。