このページでは、日本史のうち、中世の社会経済を中心に流れをまとめました。
基本的に、政権の動きは左の欄・青色、政権以外の動きは右の欄・黄色、政変・戦乱等は赤色にしています。
社会経済史
前の時代
荘園公領制
- 後三条天皇が荘園整理令を出した結果、荘園と国衙領の区分が明確になりました。
- 律令の俸禄制は有名無実化し、荘園の集積が進められ、知行国制が広がりました。
- 1069延久の荘園整理令
記録荘園券契所を設置し、1045年以降の新立荘園・券契不明の荘園を停止
- 1072延久の宣旨枡を作成
➡度量衡が統一される
荘園公領制
延久の荘園整理令により、公領と荘園の区分けが明確になり、各国は荘・郡・郷・保の単位に再編され、大田文が作成された
公領では、勢力を伸ばした開発領主らを郡司・郷司・保司に任命し、徴税を請け負わせた
名主(かつての田堵)は、名を請け負う立場から成長し、作人・下人に耕作させ、年貢・公事・夫役を取りまとめて領主に納めた
一部の名主は、荘官や武士となった
- 年貢:米・絹など
- 公事:手工業製品・特産品
- 夫役:労役
この頃、律令制度の位禄などが有名無実化し、知行国制が拡大
院・大寺院は、荘園を集積
- 八条院領:鳥羽上皇が皇女八条院に与えた(のちに大覚寺統が継承)
- 長講堂領:後白河上皇が持仏堂の長講堂に寄進(のちに持明院統が継承)
平氏政権の経済基盤
- 全国約半分の知行国
- 約500箇所の荘園
- 日宋貿易
- 1181養和の大飢饉
鎌倉幕府の成立
- 守護・地頭が設置され、国司・荘園領主と併存するようになりました。
- 1185源頼朝、守護・地頭を設置
荘官の多くが御家人となり、地頭に任じられた
地頭は、段別5升の兵粮米を徴収し、得分とした(翌年廃止)
封建制度
将軍は御家人に対し本領安堵・新恩給与をし、御家人は将軍に対し奉公(番役・軍役など)をした
鎌倉幕府の経済基盤
- 関東御領:将軍家の荘園(平家没官領など)
- 関東御分国:将軍家の知行国
- 関東進止所領:将軍が地頭などの任命権を持つ荘園・公領
幕府勢力の強大化
- 承久の乱の結果、幕府の支配が全国に及ぶようになりました。
- 幕府勢力の強大化に伴い、併存する地頭・荘園領主間の紛争が増えるようになりました。
- 農業生産力は向上し、貨幣経済が浸透しました。
1205~ 北条義時
- 1221承久の乱
➡幕府方が勝利、上皇方は敗北
上皇方の所領を没収し、戦功をあげた御家人を地頭に任命
幕府勢力の強大化を背景に、地頭と荘園領主の紛争が増加
- 1223新補率法
新補地頭の給与を規定
- 田畠11町につき1町の年貢
- 段別5升の加徴米
- 山野河海からの収益の半分
- 1232御成敗式目
地頭の支配権の拡大
- 地頭請:荘園領主が地頭に荘園の管理を任せ、年貢納入を請け負わせる
- 下地中分:土地自体を折半し、地頭・荘園領主が相互の支配権を認め合う
鎌倉時代の武士の暮らし
- 高台に館を構え、周囲に堀・塀などをめぐらす
- 館の周辺に直営地(佃・門田・正作などと称する)
- 分割相続、女性にも分与
- 惣領制
- 騎射三物(犬追物・笠懸・流鏑馬)
鎌倉時代の民衆の暮らし
- 二毛作(畿内・西日本、裏作は麦)、草木灰・刈敷、牛馬耕、大唐米の普及
➡農業生産力の増大 - 商品作物(荏胡麻・楮・藍など)を栽培
- 手工業の発達
➡座の結成、三斎市の開催、見世棚・問の出現 - 大量に流入した宋銭の流通
➡年貢の銭納、為替の使用、借上の出現
鎌倉幕府の滅亡
- 蒙古襲来で奮戦した御家人は、十分な恩賞を受けられず、窮乏・没落する者も現れました。
- 悪党が台頭し、討幕の動きにも影響を与えました。
- 1274文永の役
- 1275紀伊国阿氐河荘民、地頭の非法を訴える
- 1281弘安の役
➡恩賞が不十分で御家人は窮乏、幕府への不満増大
鎌倉時代後期、分割相続から単独相続に転換
女性の相続は一期分が増加
御家人の窮乏
分割相続により、土地が細分化して収入減少
出費の増大で借上から借金、担保にした所領を失う
- 1297永仁の徳政令
御家人に関する金銭訴訟の不受理、御家人の所領の質入れ・売却の禁止、御家人が質入れ・売却した所領(相手が御家人の場合20年以内のもののみ)の返却
➡翌年、訴訟の不受理、質入れ・売却の禁止を撤回
畿内等で荘園領主らに抵抗し、年貢納入を拒否する新興武士(悪党)が台頭
建武の親政
- 後醍醐天皇は、天皇中心の政治を目指しましたが、これまでの慣習を無視したものであったため、武士の離反を招き、失敗に終わりました。
- 1333個別安堵法
土地の所有権の確認を綸旨で行う
➡武士の不満が高まる
- 1334後醍醐天皇、大内裏造営のため、諸国に課税
- 1334後醍醐天皇、紙幣の発行・銅銭の鋳造を計画
室町幕府の成立
- 室町幕府は、警察・軍事権のみを有した守護の権限を拡大しました。
- 農民らによる自立的・自治的な惣村が形成されました。
- 農業・商工業が発達し、貨幣経済の浸透が進みました。
1338~ 足利尊氏
- 1346守護の権限に刈田狼藉の取り締まり・使節遵行権を加える
- 1352半済令
守護が荘園・公領の年貢の半分を兵粮米として徴収
近江・美濃・尾張で1年限り
➡のちに全国的・永続的に
この頃、荘園領主が年貢の徴収を守護に請け負わせる守護請が増加
守護は荘園への支配を強め、公領にも進出し、一国全体に及ぶ地域支配権を確立(守護領国制)
惣村の形成
この頃から、畿内を中心に、農民らが自立的・自治的な村(惣村)を形成
惣百姓(名主層・新興の小農民ら)の会議(寄合)に従い、村の指導者(おとな・長・乙名・沙汰人・番頭)が村政を運営
村の祭礼を運営した宮座を中心に、村民は結合を強めた
惣掟を定め、警察権は村民自身が行使(地下検断)
入会地の確保・灌漑用水の管理を行い、年貢納入を村全体で請け負った(地下請)
- 1371諸国に段銭を、京都の酒屋・土倉に酒屋役・土倉役を賦課
室町幕府の財源
- 御料所:将軍家の荘園
- 酒屋役・土倉役
- 五山禅院への課税
- 関銭:関所で徴収
- 津料:港などで徴収
- 段銭:守護を通じて田地に賦課
- 棟別銭:守護を通じて家屋に賦課
- 抽分銭:日明貿易の利益に賦課(10分の1)
- 分一銭:徳政令による債務破棄の際に徴収
室町時代の農業
- 二毛作の拡大、15世紀前半の畿内では三毛作(米・麦・ソバ)が始まる
- 水稲(早稲・中稲・晩稲)の品種改良、水車(一部では竜骨車も)の使用
- 刈敷・草木灰に加え、下肥・厩肥の普及
- 商品作物(苧・桑・楮・藍・茶)を栽培
- 農村加工業の発達、年貢の銭納の普及
➡農村への貨幣経済の浸透
室町時代の商工業
- 農村加工業の発達により、手工業者の増加
- 座(手工業者・商人らの同業者組合)の増加
朝廷・寺社に一定の製品・税を納めることで、関銭の免除・市場での独占販売権を認められた座もあった - 地方の特色を生かした特産品を生産
- 製塩業は、従来の揚浜法に加え、入浜法が普及
- 応仁の乱以降、六斎市が一般化
- 行商人(連雀商人・振売・大原女・桂女)の増加
- 廻船の発達、酒屋・土倉・馬借・車借の活躍
- 宋銭に加え、明銭(永楽通宝・洪武通宝・宣徳通宝)の流通
徳政一揆の頻発
- 惣村で強い連帯意識を持った農民らが、困窮した武士らとともに徳政一揆を行うようになりました。
- 幕府は嘉吉の徳政一揆で徳政令を出し、やがて徳政令を濫発するようになりました。
- 1428正長の徳政一揆
足利義教の将軍就任に際し徳政を要求
- 1441嘉吉の徳政一揆
足利義勝の将軍就任に際し徳政を要求
➡幕府、徳政令を公布
- 1454分一徳政令
幕府、分一銭の納入者を保護
戦国大名の活躍
- 戦国大名により城下町が形成されたほか、門前町・寺内町などが各地で形成されました。
- 戦国大名は、指出検地・鉱山の開発・治水事業など自身の領地で様々な施策を行いました。
- 堺・博多などでは、豪商らによる自治が行われました。
- 1467応仁の乱
➡幕府権威は失墜、荘園制の解体が進む
粗悪な私鋳銭が流通し、撰銭の風潮が強まる
- 1485大内政弘、撰銭令を発布
- 1500撰銭令
各地で城下町、門前町、寺内町、港町、宿場町が発達
堺では36人の会合衆、博多では12人の年行司による自治
京都では町衆が町を構成し月行事による自治的運営が行われた
各地の戦国大名、指出検地・鉱山開発・治水事業(武田信玄の信玄堤など)・関所の廃止などを実施
木綿の需要増加、三河などで栽培が広がる