このページでは、『源氏物語』のうち、第1帖「桐壺」の登場人物系図とあらすじを紹介します。
「桐壺」の系図
桐壺帝の後宮
『源氏物語』の最初の帖である「桐壺」では、桐壺帝の御代の人物関係の大枠が提示されます。
時の帝である桐壺帝の後宮では、弘徽殿女御が皇子を生み、力を持ちました。女御の父は現役の右大臣で、身分も申し分ありません。一方、桐壺更衣の父は、右大臣に次ぐポストの大納言ですが、既にこの世にありません。この差が桐壺更衣の後宮内の立場を弱いものとしました。
「桐壺」では、先帝の第四皇女である藤壺宮が入内します。藤壺宮の父が帝で、母が后である以上、弘徽殿女御をはじめとする他の妃たちは手出しできません。
左大臣VS右大臣
時の政権は、左大臣と右大臣が激しく争っていました。「桐壺」では、皇位継承争いも絡んでいきます。
右大臣は、娘の弘徽殿女御が生んだ皇子が東宮となり、いずれは帝の祖父となる立場を得ます。一方の左大臣は、桐壺帝の妹を正室に迎えています。そして、東宮への入内の話もあった娘(葵の上)を源氏に嫁がせます。こうして「左大臣・源氏」VS「右大臣・東宮」の構図ができました。
また「桐壺」では、左大臣の息子(蔵人少将)と右大臣の娘(四の君)が、政略結婚をさせられます。
「桐壺」のあらすじ
皇子の誕生と母の死
いつの帝の御代でしたか、たくさんの妃がいる中で、帝(桐壺帝)が溺愛する更衣(桐壺更衣)がいました。身分が高くはない桐壺更衣は周囲から妬まれ、嫌がらせを受けてしまいます。そんな中、桐壺更衣は玉のように美しい皇子を生みました。のちの源氏の誕生です。
皇子が3歳になった年、盛大に袴着が行われました。一方、様々な嫌がらせを受けて弱っていた桐壺更衣は、病気が重くなり亡くなってしまいました。桐壺帝は、政が手に付かないほど悲しみに暮れました。
第一皇子は東宮に、第二皇子は源氏に
皇子が6歳になった年、第一皇子が東宮(皇太子)に決まりました。東宮の母である弘徽殿女御や女御の父である右大臣は一安心です。一方、桐壺更衣の母は、皇子が東宮になれず、悲観して亡くなってしまいました。
その頃、高麗の相人が来朝したので、桐壺帝は皇子を観てもらうことにしました。相人からは、天皇になれば国が乱れるが、臣下で終わる相でもないと占われました。桐壺帝は、皇子の将来を考え、源氏の姓を与えることにしました。
藤壺入内
桐壺更衣のことを忘れられない桐壺帝は、先帝の第四皇女が桐壺更衣とよく似ていると聞き、興味を持ちました。皇女の母や兄は悩んだ末に、皇女を入内させることにしました。皇女は藤壺に住むことになりました。
桐壺帝は、藤壺を寵愛し、源氏と引き合わせました。源氏は藤壺を慕うようになりました。源氏と藤壺は、世間の人から「光君」「輝く妃の宮」と称されました。
元服
源氏12歳の年、源氏は元服を迎えました。儀式は東宮の元服の時に引けを取らない盛大なものとなりました。桐壺帝は、引き入れ役の左大臣に対し、東宮への入内の話があった娘(葵の上)と源氏の結婚を勧め、左大臣はそれを承諾しました。また、左大臣の息子の蔵人少将は、政敵である右大臣の娘の四の君と結婚しました。
それでも源氏は、元服したことで、以前のようには気軽に会えなくなった藤壺を慕うのでした。
おすすめ書籍など
『源氏物語』を影印で楽しみたい場合、「e国宝」のページに保坂本の影印があります。
『源氏物語』を原文で楽しみたい場合、岩波文庫と新潮日本古典集成がコンパクトでおすすめです。
『源氏物語』の現代語訳は、瀬戸内寂聴さんによる全訳など、たくさん出版されています。
青空文庫のサイトにも、『源氏物語』の現代語訳があります。
『源氏物語』を漫画で楽しみたい場合、『あさきゆめみし』『まろ、ん』などがあります。
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