このページでは、『源氏物語』のうち、第9帖「葵」の登場人物系図とあらすじを紹介します。
「葵」の系図
桐壺帝の譲位
「葵」帖から天皇が代替わりします。東宮が即位し(朱雀帝)、弘徽殿女御は皇太后となりました。新たな東宮には、桐壺帝と藤壺中宮の間の若宮(のちの冷泉帝)がなりました。
右大臣は晴れて天皇の外祖父となって勢いづく一方、左大臣家は朱雀帝との姻戚関係がありません。
葵の上と六条御息所の境遇
「葵」帖では、『源氏物語』屈指の名場面の一つである車争いがあります。この場面で争う葵の上と六条御息所は、ともに大臣の娘でどちらも高貴な身分に属します。
六条御息所の夫は皇太子でしたが、即位することなく亡くなっており、父の大臣も既に故人です。一方の葵の上は、現役の左大臣を父に持ち、今をときめく源氏の正妻です。
六条御息所の父の大臣は、物怪の正体として候補に挙げられたことから、政争に敗れ去っていたのかもしれません。
両者のこの境遇の差が六条御息所の精神を蝕む一因となりました。
夕霧誕生
源氏と葵の上との子である夕霧が誕生します。父を同じくする東宮とは、目元や口元が似るのでした。
「葵」のあらすじ
桐壺帝の譲位
源氏22歳の年の夏、桐壺帝は既に天皇の位を東宮(朱雀帝)に譲っていました。弘徽殿女御は皇太后となり、右大臣家は権勢を振います。源氏は、右大将に昇進したものの、鬱屈した日々を過ごしていました。
代替わりに伴い、伊勢の斎宮も交代します。新たに斎宮となったのは、前坊と六条御息所の間の姫君でした。桐壺院は、源氏と御息所の噂を聞き、源氏を嗜めます。朝顔の姫君もまた、噂を知って源氏と距離を置くのでした。
葵の上と六条御息所の車争い
賀茂の斎院には、朱雀帝の妹である女三宮がなりました。賀茂祭の御禊の日には、源氏も供奉することになり、一条大路は見物する人々で大賑わいとなりました。
懐妊して体調の優れない葵の上は、日が高くなってから見物に向かいました。大路は既に車で溢れていたため、順次立ち退かせていくと、人目を忍んでいる様子の車が2両ありました。
その車の従者は、頑なに場所を譲ろうとしませんでしたが、その車が六条御息所の車と知った葵の上の従者たちは、酒に酔った勢いもあってか、強引にその車を追いやってしまいました。
屈辱を味わった六条御息所は、遠くから源氏の姿を見て、もし見にこなければどんなに残念なことだったかと涙するのでした。
物思いを募らせる六条御息所
車争いの後、六条御息所は物思いを募らせていきました。斎宮に付き添って伊勢に下向することも考えますが、世間の物笑いになってしまうと思い悩むのでした。
一方、葵の上も物怪に思い悩まされ、物怪の正体は六条御息所か二条院の姫君(紫上)かと噂されます。源氏は、葵の上のために加持祈祷を行わせ、桐壺院からもお見舞いがあります。この待遇の差に、六条御息所はさらに物思いを深めます。
源氏は六条御息所の元を訪れ、御息所の様子をいたわしく思いますが、二人が打ち解けることはありませんでした。
六条御息所は、葵の上を乱暴に引き回す夢を何度も見るようになりました。
葵の上の出産
秋、加持祈祷を受ける葵の上から、申し上げたいことがあると訴えられた源氏は、葵の上と対面します。ところが、そこで目にした声や気配や面影は、六条御息所のものでした。源氏は呆然としながらも、物怪の正体を知るのでした。
その後、葵の上は無事に男児(夕霧)を出産しました。源氏は、産後も弱りきったままの葵の上をいたわります。
一方、六条御息所は、調伏の際に用いられる芥子の香りが着物や髪に染み付いていることから、自身の所行に震えました。
葵の上の死
秋の司召の日、左大臣邸は人が出払っており、ひっそりとしていました。葵の上は、俄かに苦しみ、そのまま亡くなってしまいました。あまりの突然のことに、源氏や左大臣家の人々は悲しみに暮れました。やがて源氏が左大臣邸を退出すると、邸はさらに寂しくなってしまいました。
紫上との新枕
桐壺院の院御所に参上した後、二条院に帰った源氏は、紫上の成長ぶりに驚きます。とある朝、源氏は早くに起きて紫上がなかなか起きないことがありました。源氏は不機嫌になった紫上を慰め、惟光に三日の夜の餅を準備させます。二人は正式に結婚したのでした。
おすすめ書籍など
『源氏物語』を影印で楽しみたい場合、「e国宝」のページに保坂本の影印があります。
『源氏物語』を原文で楽しみたい場合、岩波文庫と新潮日本古典集成がコンパクトでおすすめです。
『源氏物語』の現代語訳は、瀬戸内寂聴さんによる全訳など、たくさん出版されています。
青空文庫のサイトにも、『源氏物語』の現代語訳があります。
『源氏物語』を漫画で楽しみたい場合、『あさきゆめみし』『まろ、ん』などがあります。
前後の帖の記事
次の帖は「賢木」(さかき)です(準備中)。
前の帖は「花宴」(はなのえん)です。