このページでは、六角氏(宇多源氏・扶義流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
六角氏の略系図
1 泰綱→近江泰綱の系図
2 頼綱→近江頼綱~六角満高の系図
6 満綱→六角満綱~佐々木定賢の系図
近江泰綱の系図
近江泰綱(やすつな)【1213-1276】〔養子:近江朝綱〕
六角氏の祖。近江守護。
妻 藤原孝行の娘
妻の父 藤原孝行→藤原孝定の系図
子 頼綱・孫 六角時信→近江頼綱~六角満高の系図
孫 堀部宗綱→堀部宗綱~堀場氏兼の系図
子 西条長綱(ながつな)【1246-1300】
孫 氏綱(うじつな)〔養父:西条貞長〕
孫の妻 二階堂義賢の娘
孫の妻の父 二階堂義賢→二階堂義賢の系図
曾孫 松下高長→松下高長の系図
曾孫 氏綱
実は西条長綱の子。
孫 朝綱〔養父:近江泰綱〕
近江頼綱~六角満高の系図
近江頼綱(よりつな)【1242-1310】
近江守護。
妻 二階堂行章の娘
妻の父 二階堂行章→二階堂行章の系図
子 頼明(よりあきら)
子の妻 二階堂行清の娘
子の妻の父 二階堂行清→二階堂行清の系図
子 宗信(むねのぶ)/宗継(むねつぐ)【?-1292】
子 盛綱/成綱
子 堀部宗綱・孫 宗泰→堀部宗綱~堀場氏兼の系図
六角時信(ときのぶ)【1306-1346】
妻 長井時千の娘
妻の父 長井時千→長井時千の系図
子 山内信詮→山内信詮の系図
子 光綱(みつつな)【?-1347】
子 氏泰【?-1347】(『系図纂要』による。)
六角氏頼(うじより)【1326-1370】
近江守護。足利尊氏・義詮に仕えた。
妻 京極秀宗の娘
妻の父 京極秀宗→京極宗氏~高詮の系図
子 義信(よしのぶ)【1350-1365】
子 多賀氏高・高宮信高(『系図纂要』による。)
六角満高(みつたか)【1369-1416】
近江守護。
子 満綱・孫 久頼→六角満綱~佐々木定賢の系図
孫 鯰江高久→鯰江高久~森高次・吉安~浜之助・吉房~震太郎の系図
子 駒井高郷・池田教経・三上満冬(『系図纂要』による。)
六角満綱~佐々木定賢の系図
六角満綱(みつつな)/満経(みつつね)【?-1445】(以下、『系図纂要』による。)
家督を持綱に継がせたが、その弟の時綱に攻められて自刃した。
祖父 氏頼・父 満高→近江頼綱~六角満高の系図
妻 足利義満の娘
妻の父 足利義満→足利義詮・義満の系図
子 鯰江高久・孫 尚昌→鯰江高久~森高次・吉安~浜之助・吉房~震太郎の系図
六角久頼(ひさより)/政頼【?-1456】
幕府の命で還俗し、家督を継いだ。
曾孫 秀時〔養父:磯野丹波守〕
六角高頼(たかより)/行高【?-1520】
妻 土岐持益の娘
妻の父 土岐持益→土岐頼忠~成頼の系図
子 氏綱(うじつな)/近綱【?-1518】
子 大原高保〔養子:佐々木高定〕
六角定頼(さだより)【1495-1552】
子の夫 土岐頼芸→土岐政房・頼芸の系図
子の夫 光佐→光佐の系図
六角義賢(よしかた)【1521-1598】
妻 土岐政房の娘
妻の父 土岐政房→土岐政房・頼芸の系図
子 義治(よしはる)/義弼(よしすけ)【1545-1612】
重臣後藤賢豊父子を殺害したことで家臣が離反した後、織田信長に攻められ、観音寺城を棄てて流浪した。
子の妻 鯰江定秀の娘
子の妻の父 鯰江定秀→鯰江高久~森高次・吉安~浜之助・吉房~震太郎の系図
孫 高守/定治
佐々木高定(たかさだ)/賢永(かたなが)/義定【1547-1620】〔養父:大原高保〕
子 高賢(たかかた)【?-1601】
子 等定/定好〔養父:青地氏〕
子の夫 伊東時吉→伊東政世~祐泰の系図
佐々木高和(たかかず)【1586-1650】
妻 生駒一正の娘
妻の父 生駒一正→生駒一正の系図
夫 近藤政成→近藤政成の系図
子 高海(こうかい)/幸海(こうかい)【1619-1691】
子 高吉/高慶
子の夫 一色直房→一色直明~直房・直武~平十郎の系図
孫 直政→一色直与~敬直・直政~直美の系図
佐々木高重(たかしげ)/義忠(よしただ)【?-1680】
妻 加藤明利の娘
妻の父 加藤明利→加藤明利の系図
佐々木定賢(さだかた)【1675-1681】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。