このページでは、久松松平家(菅原氏)・定勝流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
久松松平家・定勝流(伊予国松山藩主)の略系図
1 定勝→松平定勝の系図
1-A1 定実→松平定実の系図
1-A2 定之→松平定之・久松定代~定敞の系図
1-A3 定寛→松平定寛~定堅の系図
1-A4 定由→松平定由~定朝の系図
1-B1 定政→松平定政~定節の系図
1-B2 定澄→松平定澄~定謐の系図
2 定行→松平定行・定頼の系図
4 定長→松平定長~定功・定章の系図
9 定静→松平定静~定昭の系図
松平定勝の系図
松平定勝(さだかつ)【1560-1624】
遠江国掛川藩主・伊勢国桑名藩主。徳川家康の異父兄弟として松平姓を許された。
祖父 定義→久松道定~定義の系図
父 俊勝→久松俊勝・定員の系図
祖父 水野忠政→水野忠政の系図
妻 奥平貞友の娘
妻の父 奥平貞友→奥平貞俊~貞勝の系図
子 定友(さだとも)/定吉(さだよし)【1585-1603】
子 定行・孫 定頼→松平定行・定頼の系図
子 定綱・孫 定良→松平定綱・定良の系図
子 定実→松平定実の系図
孫 定之→松平定之・久松定代~定敞の系図
孫 定寛→松平定寛~定堅の系図
子 定房・孫 定時→松平定房・定時の系図
子 定政・孫 定知→松平定政~定節の系図
孫 定澄→松平定澄~定謐の系図
子 阿姫→山内忠義の系図
子 万→中川重清~久盛の系図
孫 中川久清→中川久清~久慶の系図
子の夫 服部正就→服部正就の系図
子の夫 酒井忠行→酒井忠世~忠清の系図
孫 忠能→酒井忠能~忠善の系図
子の夫 阿部重次→阿部重次~正邦・正容~正利の系図
孫 正春→阿部正春~正実・正長~正保の系図
妻 村治氏
子の夫 池田恒元→池田利隆・恒元~恒行・輝興~清勝の系図
松平定実の系図
松平定実(さだざね)/定国(さだくに)【1597-1632】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 俊勝→久松俊勝・定員の系図
父 定勝→松平定勝の系図
祖父 奥平貞友→奥平貞俊~貞勝の系図
子 定之→松平定之・久松定代~定敞の系図
孫 定由→松平定由~定朝の系図
子 定寛・孫 定隆→松平定寛~定堅の系図
子 一玄/一忠〔養父:水野一元、養子:水野忠恒〕
子の夫 久留島通清→久留島通清・通政の系図
松平定之・久松定代~定敞の系図
松平定之(さだゆき)【1620-1699】
子 定由・孫 定相→松平定由~定朝の系図
子 内藤忠昆〔養父:内藤忠広〕→内藤忠吉~忠孝の系図
子 小笠原胤次〔養父:小笠原胤治〕→小笠原胤次の系図
子 忠恒〔養父:水野一玄〕
子 政定〔養父:松平政房〕→松平政定の系図
子の夫 駒井親行→駒井親行の系図
子の夫 水野忠国→水野忠久~忠朋の系図
孫 土屋知庸〔養父:土屋知治〕→土屋知庸の系図
孫 定蔵〔養父:松平定相〕→松平定由~定朝の系図
角倉玄仲〔養父:角倉玄方〕→角倉玄仲の系図
久松定代(さだよ)【?-1736】
久松定賢(さだやす)【1719-1757】
妻 三浦直輝の娘
妻の父 三浦直輝→三浦直輝の系図
妻 太田重秀の娘
妻の父 太田重秀→太田重秀の系図
夫 三橋信復→三橋信復の系図
久松敞芳(たかよし)【1741-1777】
実は土屋知庸(→土屋知庸の系図)の子。
子 斎藤正直〔養父:斎藤正明〕→斎藤正直の系図
久松定敞(さだたか)【1761-?】
松平定由~定朝の系図
松平定由(さだよし)/定周(さだちか)【1650-1720】
祖父 定実→松平定実の系図
父 定之→松平定之・久松定代~定敞の系図
妻 浅野長直の娘
実は大石良重の娘。
妻の父 浅野長直→浅野長重~長矩の系図
子 小出英方〔養父:小出英輝〕→小出英方の系図
子の夫 松平重矩→松平重良~勘満の系図
子の夫 青木直宥→青木可直~直諒の系図
松平定相(さだすけ)【1675-1722】
妻 小笠原胤次の娘
妻の父 小笠原胤次→小笠原胤次の系図
松平定蔵(さだもち)【1704-1771】
実は松平定員(→松平定之・久松定代~定敞の系図)の子。
妻 平野長喜の娘
実は毛利匡広(→毛利匡広の系図)の娘。
妻の父 平野長喜→平野長喜の系図
子 定栄(さだなが)【1725-1752】
子 小菅正方〔養父:小菅武第〕→小菅正方の系図
子 榊原職邑〔養父:榊原職永〕→榊原職邑の系図
子 定蔵の娘〔養父:土屋知庸〕→土屋知庸の系図
子 定蔵の娘〔養父:鈴木信行〕
子の夫 堀正房→堀正房の系図
子の夫 斎藤正明→斎藤正明の系図
松平定寅(さだとら)/定浄(さだもと)/定虎(さだとら)【1742-1796】
妻 森俊春の娘
実は森可敦(→森可敦の系図)の娘。
妻の父 森俊春→森俊春の系図
夫 滝川利広→滝川利広の系図
子の夫 大島守典→大島守典の系図
子の夫 小倉正方→小倉正方の系図
松平定朝(さだとも)【1773-?】
妻 伊沢方守の娘
妻の父 伊沢方守→伊沢方守の系図
松平定寛~定堅の系図
松平定寛(さだひろ)【1626-1709】
妻 松平定綱の娘
妻の父 松平定綱→松平定綱・定良の系図
子 山高信富〔養父:山高信澄〕→山高信富の系図
子 小出英連〔養父:小出英勝〕→小出英連の系図
子の夫 本多政法→本多政朝~政房の系図
孫 定為〔養父:松平定隆〕
孫 山高信峯〔養父:山高信富〕→山高信峯の系図
孫 山高信相〔養父:山高信峯〕→山高信相の系図
松平定隆(さだたか)【1653-1725】
妻 戸田氏豊の娘
実は戸田氏方(→戸田氏信・氏西・氏広~氏昌の系図)の娘。
妻の父 戸田氏豊→戸田氏豊の系図
子の夫 石谷栄清→石谷栄清の系図
松平定為(さだため)【1686-1762】
実は松平定冬の子。
妻 松平定知の娘
妻の父 松平定知→松平定政~定節の系図
子の夫 新見正仲→新見正仲の系図
子の夫 本田正鋪→本田正鋪の系図
子の夫 松平定得→松平定政~定節の系図
松平定岡(さだおか)【1717-1771】
妻 青木直宥の娘
妻の父 青木直宥→青木可直~直諒の系図
子の夫 水谷勝盈→水谷勝盈の系図
子の夫 毛利元甫→毛利元甫の系図
子の夫 松平定慮→松平定政~定節の系図
松平定堅(さだかた)【1747-?】
妻 渥美友将の娘
妻の父 渥美友将→渥美友将の系図
松平定政~定節の系図
松平定政(さだまさ)/定次【1610-1672】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 俊勝→久松俊勝・定員の系図
父 定勝→松平定勝の系図
祖父 奥平貞友→奥平貞俊~貞勝の系図
妻 永井尚政の娘
妻の父 永井尚政→永井尚政の系図
子 定澄・孫 定員→松平定澄~定謐の系図
子 定清(さだきよ)/景澄(かげすみ)【1647-1689】
子 定政の娘〔養父:松平定澄〕→松平定澄~定謐の系図
松平定知(さだとも)/定主(さだぬし)【1645-1708】
子の夫 松平定為→松平定寛~定堅の系図
松平定盈(さだみち)【1665-1725】
実は永井尚庸(→永井尚庸・尚附~尚賢の系図)の子。
子の夫 永井直矩→永井直元・直又~直陟の系図
松平定賢(さだかた)【1709-1757】
妻 永井寿昌の娘
妻の父 永井寿昌→永井元孝~尚昉の系図
子の夫 永井元般→永井元孝~尚昉の系図
松平定得(さだのり)/定旧(さだひさ)【1732-1785】
妻 松平定為の娘
妻の父 松平定為→松平定寛~定堅の系図
子 定得の娘
実は永井元般(→永井元孝~尚昉の系図)の娘。
松平定慮(さだのぶ)【1759-1795】
実は増山正贇(→増山正武・正贇の系図)の子。
妻 永見為貞の娘
妻の父 永見為貞→永見為貞の系図
妻 松平定岡の娘
妻の父 松平定岡→松平定寛~定堅の系図
松平定節(さだとき)【1781-?】
松平定澄~定謐の系図
松平定澄(さだずみ)【?-1705】
祖父 定勝→松平定勝の系図
父 定政→松平定政~定節の系図
祖父 永井尚政→永井尚政の系図
妻 三条公富の娘
妻の父 三条公富→三条実秀~公充の系図
松平定員(さだかず)【1662-1745】
実は松平康尚(→松平忠良・康尚の系図)の子。
妻 松平定澄の娘
実は松平定政(→松平定政~定節の系図)の娘。
妻 島田氏
子 直好〔養父:松平直之〕→松平直堅~直好の系図
子 久敦〔養父:中川久良、養子:中川定明〕
子の夫 酒井忠真→酒井忠垠~忠迢の系図
子の夫 岡野成常→岡野成常の系図
松平定卓(さだたか)【1711-1767】
妻 大岡忠利の娘
妻の父 大岡忠利→大岡忠房~忠利の系図
子 定広(さだひろ)
子の妻 依田守庸の娘
子の妻の父 依田守庸→依田守庸の系図
子 頼郷〔養父:諏訪頼都〕
子 定明〔養父:中川久敦〕
子 酒井忠房〔養父:酒井忠周〕→酒井忠房の系図
子 鳥居忠紀〔養父:鳥居忠重〕→鳥居忠春~忠英・忠辰~忠紀の系図
子 定卓の娘〔養父:天野雄佐〕→天野雄佐の系図
子の夫 村上正恒→村上正恒の系図
子の夫 阿倍正方→阿倍正方の系図
子の夫 村上清儔→村上清儔の系図
松平定胤(さだたね)/定将(さだまさ)【1745-?】
妻 間部詮方の娘
妻の父 間部詮方→間部詮方・詮央の系図
子 定経(さだつね)【1771-1786】
子の夫 堀田正名→堀田正名の系図
子の夫 間部詮邦→西田清貞~間部詮言・詮之~詮邦・詮衡~詮芳の系図
松平定謐(さだあつ)【1769-?】
実は増山正贇(→増山正武・正贇の系図)の子。
妻 松平定胤の娘
夫 三井良逵→三井良逵の系図
松平定行・定頼の系図
松平定行(さだゆき)/定重(さだしげ)【1587-1668】
遠江国掛川藩主・伊勢国桑名藩主・伊予国松山藩主。
祖父 俊勝→久松俊勝・定員の系図
父 定勝→松平定勝の系図
祖父 奥平貞友→奥平貞俊~貞勝の系図
妻 島津家久の娘
実は島津朝久の娘。
妻の父 島津家久→島津家久の系図
子 定行の娘(『久松家譜(伊予松山)』による。)
子の夫 酒井忠朝→酒井忠朝~忠盈の系図
妻 島津家久の娘
実は伊集院忠真の娘。
子の夫 松平昌勝→松平忠昌の系図
妻 村尾氏
子の夫 堀田正信→堀田正信の系図
子の夫 松平忠倶→松平忠倶の系図
松平定頼(さだより)【1607-1662】
松山藩主。
妻 京極高広の娘
妻の父 京極高広→京極高広・高勝~高平の系図
子 定盛(さだもり)/定治(さだはる)【1638-1674】
孫 定安→松平定長~定功・定章の系図
実は酒井忠朝(→酒井忠朝~忠盈の系図)の子。松平定直の養弟となった。
子 定長・孫 定直→松平定長~定功・定章の系図
子 定重〔養父:松平定良〕→松平定重の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 島津綱久→島津綱久の系図
子の夫 酒井忠直→酒井忠直の系図
孫 忠隆→酒井忠隆~忠用の系図
孫 忠稠→酒井忠稠の系図
子の夫 阿部定高→阿部重次~正邦・正容~正利の系図
子の夫 山内豊昌→山内豊昌の系図
子 仙→松平直良~直純の系図
松平定長~定功・定章の系図
松平定長(さだなが)【1640-1674】
松山藩主。
祖父 定行・父 定頼→松平定行・定頼の系図
祖父 京極高広→京極高広・高勝~高平の系図
妻 小笠原姫松
実は小笠原長安(→小笠原忠真の系図)の娘。
妻の父 小笠原忠真→小笠原忠真の系図
妻 京極高勝の娘
妻の父 京極高勝→京極高広・高勝~高平の系図
子 定安(さだやす)【1662-1687】〔養父:松平定盛(→松平定行・定頼の系図)〕
実は酒井忠朝(→酒井忠朝~忠盈の系図)の子。
子 定長の娘(2人)(『久松家譜(伊予松山)』による。)
松平定直(さだなお)【1660-1720】
松山藩主。実は松平定時(→松平定房・定時の系図)の子。高内親昌を登用し、藩政改革を行った。学問を好み、俳諧会を盛んにした。
妻 稲葉正往の娘
妻の父 稲葉正往→稲葉正往~正恒の系図
子 定仲(さだなか)【?-1691】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 星野氏
子 鍋之助【?-1698】
母は『久松家譜(伊予松山)』による。
妻 小原氏
子 善三郎
母は『久松家譜(伊予松山)』による。
子 定直の娘(『久松家譜(伊予松山)』による。)
子の夫 阿部正福→阿部正福・正右の系図
松平定英(さだひで)【1696-1733】
松山藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。弟の定章に1万石を分知した。享保の飢饉への対応を咎められ、幕府から出仕を停止された。
妻 島津菟/栄
島津綱貴(→島津綱貴の系図)の娘。
妻 赤松氏
子 定功〔養父:松平定喬〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
松平定喬(さだたか)【1716-1763】
松山藩主。
妻 佐竹義峯の娘
妻の父 佐竹義峯→佐竹義峯の系図
妻 園部氏
子 定喬の娘〔養父:松平定功、松平定静〕→松平定静~定昭の系図
松平定功(さだなり)【1733-1765】
松山藩主。実は松平定英の子。
妻 浅野宗恒の娘
妻の父 浅野宗恒→浅野宗恒の系図
夫 本庄資承→本庄資承の系図
子 定静・孫 定国→松平定静~定昭の系図
子 定功の娘〔養父:松平定静〕→松平定静~定昭の系図
実は松平定喬の娘。
松平定章(さだあきら)【1700-1747】
伊予国松山新田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
子 定静〔養父:松平定功〕→松平定静~定昭の系図
子 定紀(さだとし)【?-1761】
子 定章の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 水野忠寛→水野忠増~忠定の系図
子の夫 酒井忠雄→酒井忠正~忠求の系図
子の夫 溝口直寛→溝口直寛の系図
松平定静~定昭の系図
松平定静(さだきよ)【1729-1779】
松山新田藩主・松山藩主。実は松平定章(→松平定長~定功・定章の系図)の子。定功に嗣子がなかったため、宗家を継いだ。
祖父 定喬・父 定功→松平定長~定功・定章の系図
妻 織田吉子
織田信方(→織田信方の系図)の娘。
子 定保【?-1762】
子 熊太郎【1763-1766】
子 伊勢松・駒丸・子 定静の娘(3人)(『久松家譜(伊予松山)』による。)
子の夫 松平定休→松平定休の系図
子の夫 松平信道→松平信直~信彰の系図
子の夫 太田資武→太田資俊~資順の系図
子の夫 秋元修朝→秋元修朝の系図
松平定国(さだくに)【1757-1804】(以下、『久松家譜(伊予松山)』による。)
松山藩主。実は田安宗武(→田安宗武の系図)の子。
妻 松平定静の娘〔養父:松平定功(→松平定長~定功・定章の系図)〕
実は松平定喬(→松平定長~定功・定章の系図)の娘。
妻 村賀氏
子 元之丞【?-1786】
妻 藤田氏
子の夫 酒井忠順→酒井忠与~忠氏の系図
妻 林氏
子 定通〔養父:松平定則〕
子の夫 堀田正民→堀田正民の系図
松平定則(さだのり)【1793-1809】
松山藩主。
松平定通(さだみち)【1804-1835】
松山藩主。実は松平定国の子。藩校明教館を創設した。
妻 田安鑅姫
田安斉匡(→田安治察~亀之助の系図)の娘。
妻 北川氏
子 定通の娘〔養父:松平勝善〕
松平勝善(かつよし)/定穀(さだよし)【1817-1856】
松山藩主。実は島津斉宣(→島津斉宣の系図)の子。
妻 松平猶
実は酒井忠器(→酒井忠器の系図)の娘。
妻 酒井忠器の娘
妻の父 酒井忠器→酒井忠器の系図
妻 中田氏
子 邦〔養父:松平勝成〕
松平勝成(かつしげ)/定成【1832-1912】
松山藩主。実は松平頼恕(→松平頼恕~頼聡の系図)の子。家督を定昭に譲ったが、再度藩主を務めた。
妻 松平勝善の娘
実は松平定通の娘。
妻 酒井忠学の娘
妻の父 酒井忠学→酒井忠学~忠邦の系図
松平定昭(さだあき)【1845-1872】
老中・松山藩主。実は藤堂高猷(→藤堂高兌~高潔の系図)の子。
妻 松平邦【1843-?】
実は松平勝善の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。