このページでは、中川氏(清和源氏・頼光流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
中川氏(豊後国岡藩主)の略系図

1 清深→中川清深~清村の系図
9 重清→中川重清~久盛の系図
13 久清→中川久清~久慶の系図
18 久貞→中川久貞~久成の系図
中川清深~清村の系図
中川清深/秀国【1291-1366】(以下、『中川家譜(豊後岡)』による。)
『中川家譜(豊後岡)』では、父重国までの系譜を「行綱─明綱─重綱─長重─重国」とする。『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』では、清深~政清の部分は記載されていない。娘は畠山家国・細川頼元に嫁いだという。
祖父 長重・父 重国→多田明国の系図
中川秀綱【1318-1383】
中川清国【1358-1414】
実は足利義詮の子という。娘は畠山満国・馬場頼連に嫁いだという。
中川満綱/清綱【1383-1430】
娘は畠山持富に嫁いだという。
中川教清/宗歓【1402-1477】
孫 清顕の娘〔養父:中川清長〕
中川清長【1440-1492】
子 清長の娘
畠山尚順に嫁いだという。
中川政清【1462-1494】
中川清村【1481-?】(以下、『系図纂要』による。)
子 重清・孫 清秀→中川重清~久盛の系図
中川重清~久盛の系図
中川重清(しげきよ)
実は高山利次の子。
祖父 政清・父 清村→中川清深~清村の系図
子 重継〔養父:中川重晶〕
子の夫 西洞院時当(『中川家譜(豊後岡)』による。)→西洞院行時~時慶の系図
中川清秀(きよひで)【1542-1583】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 秀政(ひでまさ)【1569-1593】
母は『寛政重修諸家譜』による。朝鮮出兵で戦死した。
子の妻 織田鶴
織田信長(→織田信長の系図)の娘。
孫 小長(『寛政重修諸家譜』による。)
子 糸子→池田輝政の系図
孫 池田利隆→池田利隆・恒元~恒行・輝興~清勝の系図
子 チボ→森忠政の系図
中川秀成(ひでなり)【1570-1612】
豊後国岡藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 新庄虎
実は佐久間盛政(→佐久間盛政の系図)の娘。
妻の父 新庄直頼→新庄直頼の系図
子 内記〔養父:佐久間勝之(→佐久間勝之の系図)〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 スケ→水野分長~元貞の系図
子 小吉・大蔵・子 稍・小石
母は『寛政重修諸家譜』による。
中川久盛(ひさもり)/秀征(ひでゆき)【1594-1653】
岡藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平万
松平定勝(→松平定勝の系図)の娘。
子 久清・孫 久恒→中川久清~久慶の系図
子 仙→水野忠清・忠職の系図
孫 水野忠直→水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図
子の夫 久留島通清→久留島通清・通政の系図
中川久清~久慶の系図
中川久清(ひさきよ)/久秀【1615-1681】
岡藩主。熊沢蕃山を招き、用水路の整備などにあたった。
祖父 秀成・父 久盛→中川重清~久盛の系図
祖父 松平定勝→松平定勝の系図
妻 石川種
石川忠総(→石川忠総~義孝の系図)の娘。
子 夏→前田利次~利隆の系図
孫 清〔養父:中川久忠〕
曾孫 久〔養父:中川久慶〕→中川久貞~久成の系図
中川久恒(ひさつね)/久成【1641-1695】
岡藩主。
妻 池田佐阿
池田光政(→池田光政の系図)の娘。
子 鍋千代
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 佐津→仙石政明の系図
子 采女
『寛政重修諸家譜』によれば、母は池田佐阿。
中川久通(ひさみち)【1663-1710】
岡藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 酒井紀伊
酒井忠清(→酒井忠世~忠清の系図)の娘。
子 主膳・亀次郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 幸→藤堂高次~高敏の系図
子 槌→加藤泰統の系図
子 菊→秋月種政~種美の系図
子 久通の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
中川久忠(ひさただ)【1697-1742】
岡藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 正親町久〔養父:松平頼豊(→松平頼豊~頼恭の系図)〕
正親町実豊(→正親町実彦~実豊の系図)の娘。
中川久慶(ひさよし)/重員【1708-1743】
岡藩主。実は浅野綱長(→浅野綱長・吉長の系図)の子。
妻 中川清
実は中川久周の娘。
子 久慶の息子(『中川家譜(豊後岡)』による。)
子 久貞・子 久・孫 久持→中川久貞~久成の系図
中川久貞~久成の系図
中川久貞(ひささだ)/信安【1724-1790】
岡藩主。実は松平信祝(→松平信祝の系図)の子。藩札を発行したほか、藩校由学館を整備した。
祖父 久忠・父 久慶→中川久清~久慶の系図
妻 中川久/琢
実は中川久虎(→中川久清~久慶の系図)の娘。
妻の父 中川久慶→中川久清~久慶の系図
子 岩→藤堂高悠・高嶷の系図
子 恒
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 充→大久保忠顕の系図・小笠原信辰~長守の系図
妻 小池氏
子 水野勝剛〔養父:水野勝起〕→水野勝前~勝寛の系図
子 久徳(ひさのり)【1747-1811】
子の妻 丹羽高/貴
丹羽高庸(→丹羽高庸の系図)の娘。
孫 宣→松平正升~正質の系図
孫 斐(『中川家譜(豊後岡)』による。)
孫 久遠〔養父:中川久貞〕
孫 久持〔養父:中川久貞〕
孫 芳菊・光・孫 興(『中川家譜(豊後岡)』による。)
子 松平忠明〔養父:松平忠常〕→松平忠周・忠容~忠明の系図
子 久遠(ひさとお)【1774-1786】
実は中川久徳の子。
子 貞→伊東祐隆~祐帰の系図
子 巻→森忠賛の系図
子 久貞の息子・子 昌・愛(『中川家譜(豊後岡)』による。)
中川久持(ひさもち)【1776-1798】
岡藩主。実は中川久徳の子。
中川久貴(ひさたか)【1787-1824】(以下、『中川家譜(豊後岡)』による。)
岡藩主。実は柳沢保光(→柳沢保光~保申の系図)の子。
妻 松平満
実は松平正直(→松平信復・信礼の系図)の娘。
妻の父 松平信明→松平信明~信古の系図
子 貴→岡部長慎~長職の系図
中川久教(ひさのり)/直教/久道【1800-1840】
岡藩主。実は井伊直中(→井伊直中~直憲の系図)の子。
中川久昭(ひさあき)/高亮【1820-1889】
岡藩主。実は藤堂高兌(→藤堂高兌~高潔の系図)の子。
妻 加藤豊/安弥
加藤泰済(→加藤泰済の系図)の娘。
子 栄→細川立之~行真の系図
子 芳→稲葉正員~正善の系図
子 久知(ひさとも)【1859-1921】
維新後、農商務省農事試験場技師などを務めた。
中川久成(ひさなり)【1850-1897】
岡藩主。
妻 押小路潔
押小路実潔(→押小路公音~実潔の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。