このページでは、長谷家(桓武平氏・高棟流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
長谷忠康~信成の系図
長谷忠康【1612-1669】
正三位。長谷家の祖。
祖父 時当・父 時慶→西洞院行時~時慶の系図
子 忠福【1639-?】
子 時充〔養父:長谷時茂〕
子 忠能〔養父:長谷時充〕
長谷時茂【1643-1666】
長谷時充【1645-1670】
実は長谷忠康の子。
長谷忠能【1650-1687】
実は長谷忠康の子。
子 忠能の娘〔養父:西洞院時光(→西洞院時直~時光の系図)〕(『西洞院家譜』による。)
子の夫 鷲尾隆長→鷲尾隆長~隆聚の系図
長谷範量/範成【1677-1708】〔養父:西洞院時光(→西洞院時直~時光の系図)〕
実は西洞院時成(→西洞院時直~時光の系図)の子。
子 西洞院範篤→西洞院範篤~信愛の系図
長谷範昌【1695-1748】〔養父:西洞院時成(→西洞院時直~時光の系図)〕
正三位。実は河鰭実陳(→河鰭実陳~公述の系図)の子。
子 交野時永〔養父:交野惟粛〕→交野時貞~時万の系図
長谷範高/範栄【1721-?】
正三位。
長谷時息【1756-1769】
実は平松時行(→平松時行~時厚の系図)の子。
長谷信昌【1762-1824】〔養父:西洞院時名(→西洞院範篤~信愛の系図)〕
参議。実は石井行忠(→石井行豊~行忠の系図)の子。
妻 六角知通の娘
妻の父 六角知通→六角基維~博通の系図
子 信近【1782-1788】
子 信存【1786-1797】
子 信好〔養父:長谷信行〕
長谷信行【1789-1837】
長谷信好【1801-1850】
正三位。実は長谷信昌の子。
長谷信篤【1818-1902】
参議。『系図纂要』によれば、実は高倉永雅(→高倉永範~永祜の系図)の子。
妻 高倉永雅の娘
妻の父 高倉永雅→高倉永範~永祜の系図
長谷信成【1841-1921】
妻 阿野公誠の娘
妻の父 阿野公誠→阿野公縄~実允の系図
妻 四辻光子
四辻公績(→四辻公韶~公賀の系図)の娘。
妻 大原閑子
大原重徳(→大原栄顕~重実の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。