大原家(宇多源氏)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、大原家(宇多源氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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大原栄顕~重実の系図

大原栄顕~重実の系図

  大原栄顕【1696-1723】
 実は葛岡宣慶(→庭田重具~重秀の系図)の子。

祖父 雅秀 重条庭田雅純~重孝の系図

 重度〔養父:大原栄敦〕


  大原栄敦【1704-1758】
 正三位。実は葛岡宣易(→庭田重具~重秀の系図)の子。
 富小路貞維の娘
妻の父 富小路貞維富小路俊通~貞維の系図
 秀麿(『大原家譜』による。)

 倉橋栄久〔養父:倉橋泰章〕→倉橋栄久の系図
 賞興【?-1777】(『大原家譜』による。)
 慈光寺敦仲慈光寺明郷~右仲の系図
 宣子
 実は五辻盛仲(→五辻俊仲~継仲の系図)の娘。


  大原重度【1725-1793】
 権中納言。実は大原栄顕の子。
 唐橋説子
 唐橋在秀(→唐橋在通~在秀の系図)の娘。
 初重子伊楚子(『大原家譜』による。)
 寿子【?-1794】(『大原家譜』による。)

 嘉枝子【?-1770】(『大原家譜』による。)
 重度の娘(『大原家譜』による。)


  大原重尹【1757-1805】
 権中納言。
 唐橋千万子
 唐橋在家(→唐橋在家~在光の系図)の娘。
 重和【1782-1794】
 『大原家譜』によれば妾腹。
 尭道【?-1805】(『大原家譜』による。)
 富貴子建子(『大原家譜』による。)
 信子【?-1825】(『大原家譜』による。)

 正麿辰麿 左畳子重尹の娘(『大原家譜』による。)


  大原重成【1783-1838】
 正三位。実は富小路貞直(→富小路重直~敬直の系図)の子。
 岩倉具慶〔養父:岩倉具集〕→岩倉恒具~具視の系図
 五辻継仲〔養父:五辻高仲〕→五辻俊仲~継仲の系図
 秀麿演護菊麿(『大原家譜』による。)


  大原重徳【1801-1879】
 権中納言。実は大原重尹の子。尊攘派の公家として活躍し、維新後は議定などを務めた。
 祥麿重克 千万子元子亀子(『大原家譜』による。)
 忠麿孝麿(『大原家譜』による。)
 双子。
 閑子(『大原家譜』による。)→長谷忠康~信成の系図


  大原重実【1833-1877】〔養父:綾小路有長(→綾小路俊宗~有良の系図)〕
 松平頼胤の娘
妻の父 松平頼胤松平頼恕~頼聡の系図

 宗義和の娘
妻の父 宗義和宗義暢~重正の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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