このページでは、山本家(藤原氏北家・末茂流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
山本勝忠~実政の系図
山本勝忠【1608-1654】
参議。山本家の祖。
祖父 季時・父 実顕→阿野季継~実顕の系図
祖父 吉田兼治→吉田兼治の系図
山本実富【1645-1703】〔養父:西園寺実晴(→西園寺実晴~致季の系図)〕
権中納言。実は姉小路公景(→姉小路公景~実武の系図)の子。
子 真野正胤〔養父:真野正命〕→真野正胤の系図
子 実富の息子・子 勝子・実富の娘(3人)(『山本家譜』による。)
子の夫 交野時香→交野時貞~時万の系図
山本公尹【1675-1747】〔養子:性幸(→阿部正福・正右の系図)〕
権大納言。
子 高松実逸〔養父:高松重季〕→高松実名~公雄の系図
子 実豪・子 公尹の娘(2人)(『山本家譜』による。)
子の夫 六条有起→六条有起~有義の系図
山本実覩【1719-1788】
権中納言。
妻 分部光忠の娘
妻の父 分部光忠→分部光忠の系図
子 慈光寺具仲〔養父:慈光寺敦仲〕→慈光寺明郷~右仲の系図
子 公恵・公寮・公岳・実覩の息子・子 実覩の娘(『山本家譜』による。)
子の夫 六条有栄→六条有起~有義の系図
山本公逵【1745-1797】
正三位。
妻 橋本実理の娘
妻の父 橋本実理→橋本実理~実梁の系図
子 公逵の息子(2人)・子 逵子・公逵の娘(2人)(『山本家譜』による。)
子の夫 六条有家→六条有起~有義の系図
山本実福【1770-1837】
参議。母は橋本実理の養女(『山本家譜』)とも。
妻 伏原宣光の娘
妻の父 伏原宣光→伏原宣光の系図
子 実城〔養父:山本公弘〕
母は『山本家譜』による。
子 実福の息子・子 実福の娘(『山本家譜』による。)
子 公敏【1789-1804】
母は『山本家譜』による。
子 実福の息子〔養父:西園寺致季(→西園寺実晴~致季の系図)〕(『山本家譜』による。)
子 実福の娘(『山本家譜』による。)
山本公弘【1790-1820】
母は『山本家譜』による。
子 玉松真弘/操(みさお)/毅軒/猶海【1810-1872】(以下、『山本家譜』による。)
醍醐寺に入り大僧都となったが、意見が合わず還俗し、国学者として活躍した。
孫 真幸
実は山本実政の子。
子 公弘の息子(『山本家譜』による。)
山本実城【1807-1856】
実は山本実福の子。
山本実政【1826-1900】
子 石野基将〔養父:石野基佑〕
子の夫 梶野行篤(『山本家譜』による。)→石井行文~行知の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。