このページでは、中御門家(藤原氏北家・高藤流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
中御門家(名家)の略系図
1 経継→中御門経継~宣豊の系図
8 宣胤→中御門宣胤~宣政の系図
12 資胤→中御門資胤~宣基の系図
17 宣顕→中御門宣顕~宣猷の系図
中御門経継~宣豊の系図
中御門経継(つねつぐ)【1258-?】
権大納言。中御門家の祖。
祖父 資経→吉田資経の系図
父 経俊→坊城経俊・俊定の系図
子 経季/高継【1299-1346】
参議。
子 経兼【?-1375】
孫 宣方〔養父:中御門宣明〕
子 高野知貞→高野知貞の系図
子の夫 甘露寺隆長→甘露寺隆長~兼長の系図
子の夫 冷泉頼隆→吉田為経の系図
中御門経宣(つねのぶ)【1279-1340】
参議。
妻 進藤長成の娘
妻の父 進藤長成→進藤長成の系図
子の夫 一条実材→一条公有~清水谷公栄の系図
中御門宣明(のぶあき)【1302-1365】
権大納言。
中御門宣方(のぶかた)【1350-?】
権中納言。実は中御門経兼の子。
中御門宣俊(のぶとし)【1371-1414】
権中納言。
子の夫 一条兼良→一条経通~兼良の系図
孫 教房→一条教房の系図
中御門宣輔/宣資/俊輔(としすけ)【1392-1439】
権大納言。
中御門宣豊/明豊【1414-1459】
権大納言。
子 宣胤・孫 宣秀→中御門宣胤~宣政の系図
中御門宣胤~宣政の系図
中御門宣胤(のぶたね)【1442-1525】
権大納言。朝儀の復興を志し、一条兼良らにまなんだ。日記は『宣胤卿記』。
祖父 宣輔・父 宣豊→中御門経継~宣豊の系図
妻 甘露寺朝子
甘露寺親長(→甘露寺房長~伊長の系図)の娘。
子 四条隆永〔養父:四条隆量〕→四条隆郷~隆永の系図
子の夫 山科言綱→山科顕言~言総の系図
子の夫 今川氏親→今川範忠~義元の系図
中御門宣秀(のぶひで)【1469-1531】
権大納言。日記は『宣秀卿記』。
妻 吉田兼倶の娘
妻の父 吉田兼倶→吉田兼倶の系図
子 宣綱【1511-1569】
権中納言。
子の夫 葉室頼継→葉室長隆~頼継の系図
孫 頼房→葉室頼房~頼隆の系図
中御門宣忠/宣治【1517-1555】
権大納言。
妻 富小路氏直の娘
妻の父 富小路氏直→富小路俊通~貞維の系図
子 宣経【1541-1543】
子 東坊城種長〔養父:東坊城長淳〕→東坊城益長~長維の系図
子 宣持【1545-1565】〔養父:菅原季長〕(『系図纂要』による。)
妻 今川氏親の娘
妻の父 今川氏親→今川範忠~義元の系図
子 甘露寺俊長〔養父:甘露寺伊長〕→甘露寺房長~伊長の系図
中御門宣政/宣教【1543-1578】
子・子の夫 資胤・孫 尚良→中御門資胤~宣基の系図
子の夫 皆川広照→皆川広照の系図
中御門資胤~宣基の系図
中御門資胤/宣光/資康【1569-1626】(以下、『系図纂要』による。)
権大納言。実は庭田重保(→庭田雅行~重保の系図)の子。
祖父 宣忠・父 宣政→中御門宣胤~宣政の系図
子 清閑寺共房〔養父:清閑寺家幸〕→清閑寺資房~共綱の系図
子の夫 山科言総→山科顕言~言総の系図
子の夫 庭田重秀→庭田重具~重秀の系図
中御門尚良/宣隆/宣衡/成良【1590-1641】
権大納言。
子 岡崎宣持・孫 国久→岡崎宣持~国有の系図
子の夫 園基福→園基福~基香の系図
子の夫 山科言総→山科顕言~言総の系図
孫 言行→山科言行~尭言の系図
中御門宣順/宣繁【1613-1664】
権大納言。
妻 阿野実顕の娘
妻の父 阿野実顕→阿野季継~実顕の系図
中御門資煕(すけひろ)【1635-1707】
権大納言。霊元上皇に信任された。
子 岡崎国久〔養父:岡崎宣持〕→岡崎宣持~国有の系図
子 柳原秀光〔養父:柳原資廉〕→柳原資定~資尭の系図
子 宣顕〔養父:中御門宣基〕→中御門宣顕~宣猷の系図
中御門宣基【1659-1680】
子 宣顕・孫 経康→中御門宣顕~宣猷の系図
中御門宣顕~宣猷の系図
中御門宣顕【1662-1740】
権大納言。実は中御門資煕(→中御門資胤~宣基の系図)の子。
祖父 資煕・父 宣基→中御門資胤~宣基の系図
妻 坊城俊広の娘
妻の父 坊城俊広→坊城俊国~俊広の系図
子 烏丸光胤〔養父:烏丸光栄〕→烏丸光栄~光徳の系図
子の夫 林忠和(『寛政重修諸家譜』による。)→林吉忠~忠勝の系図
中御門経康【1697-1707】
中御門宣誠/忠雄【1691-1730】
実は烏丸宣定(→烏丸資慶~宣定の系図)の子。
妻 尭庸の娘
妻の父 尭庸→尭庸の系図
中御門宣時【1727-1745】
妻 朽木衆綱の娘
妻の父 朽木衆綱→朽木智綱~綱泰の系図
中御門俊臣【1740-1771】
権中納言。実は坊城俊将(→坊城俊清~俊親の系図)の子。
中御門宣家【1765-1790】
中御門経定【1779-1817】
実は堤栄長(→中川貞長~堤功長の系図)の子。
妻 藪保季の娘
妻の父 藪保季→藪保季~実方の系図
妻 慈光寺尚仲の娘
妻の父 慈光寺尚仲→慈光寺明郷~右仲の系図
子 俊賢・明覚・温明・宏宝・子 周琳(『中御門家譜』による。)
子 俊子→中園季遠~実受の系図
中御門資文【1794-?】
子 経徳【1817-1822】
中御門経之(つねゆき)【1820-1891】
権大納言。実は坊城俊明(→坊城俊明~俊章の系図)の子。
妻 堀河康親の娘
妻の父 堀河康親→堀河康暁~康隆の系図
子 経明(『中御門家譜』による。)
子の妻 坊城俊政の娘
子の妻の父 坊城俊政→坊城俊明~俊章の系図
子 寛麿・子 良子・斉子・義子(『中御門家譜』による。)
中御門宣猷【1849-1861】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。