このページでは、大河内松平家(清和源氏・頼光流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
大河内松平家(上総国大多喜藩主)の略系図
1 正綱→松平正綱の系図
1-A 正朝→松平正朝~正卜の系図
2 正信→松平正信・正基~正賢の系図
3 正久→松平正久・正佐~正名の系図
4 正貞→松平正貞・正温の系図
6 正升→松平正升~正質の系図
松平正綱の系図
松平正綱(まさつな)/正久(まさひさ)【1576-1648】〔養父:松平正次(→松平親氏・泰親の系図)〕
相模国玉縄藩主。徳川家康の命により、長沢松平家の養子となった。日光東照宮の造営に携わり、杉並木を寄進した。
祖父 信貞・父 秀綱→大河内光将~秀綱の系図
妻 松平正次の娘
妻の父 松平正次→松平親氏・泰親の系図
妻 饗場氏
子 正信・孫 正基→松平正信・正基~正賢の系図
孫 正久→松平正久・正佐~正名の系図
子 正光(まさみつ)【?-1626】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 正朝・孫 為政→松平正朝~正卜の系図
子 信綱→松平信綱の系図
孫 輝綱→松平輝綱・信輝の系図
孫 信定→松平信定の系図
孫 信興→松平信興~輝高の系図
孫 堅綱→松平堅綱~信孟の系図
子 利綱(としつな)/正次(まさつぐ)【1620-1644】
子の妻 松平竹
松平康重(→松平康重の系図)の娘。
子の夫 榊原照清→榊原照清の系図
子の夫 土屋利直→土屋利直・直樹の系図
孫 喬直→土屋喬直~群直の系図
子の夫 神保茂明→神保茂明の系図
子の夫 溝口重雄→溝口重雄の系図
子の夫 稲葉正能→稲葉正能の系図
子の夫 松平重正→松平重正の系図
子の夫 堀直輝→堀直重~直佑の系図
子の夫 本多利長→本多利長~助有の系図
子の夫 三宅康勝→三宅康勝の系図
松平正朝~正卜の系図
松平正朝(まさとも)/季綱(すえつな)【1629-1682】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 秀綱→大河内光将~秀綱の系図
父 正綱→松平正綱の系図
妻 大久保幸信の娘
妻の父 大久保幸信→大久保幸信の系図
子 成綱(なりつな)【1658-1678】
子 浅野正氏〔養父:浅野氏吉〕→浅野正氏の系図
松平為政(ためまさ)/季政(すえまさ)/正章(まさあきら)/季白(すえあきら)/誠明(なりあき)/正幸(まさゆき)【1679-1719】
実は浅野正氏(→浅野正氏の系図)の子。
妻 松平正信の娘
妻の父 松平正信→松平正信・正基~正賢の系図
子の夫 秋元貞栄→秋元貞栄の系図
松平正億(まさやす)/正純(まさずみ)【1705-1730】
妻 伊奈忠逵の娘
実は伊奈忠順(→伊奈忠順の系図)の娘。
妻の父 伊奈忠逵→伊奈忠逵の系図
松平正方(まさかた)【1714-1768】
実は松平正久(→松平正久・正佐~正名の系図)の子。
妻 伊東長救の娘
妻の父 伊東長救→伊東長昌~長救の系図
子 戸田政富〔養父:戸田政演〕→戸田政道~政方の系図
松平方政(かたまさ)/正良(まさよし)【1738-1775】
実は松平正武(→松平正久・正佐~正名の系図)の子。
子の夫 酒井忠倪→酒井忠知~忠倪の系図
松平正愛(まさよし)【1758-1790】
妻 渡辺信綱の娘
妻の父 渡辺信綱→渡辺登綱~伊綱の系図
妻 戸田氏之の娘
妻の父 戸田氏之→戸田氏之~氏良の系図
夫 稲葉正令→稲葉正令の系図
夫 堀田正貫→堀田正貫の系図
妻 大草高方の娘
妻の父 大草高方→大草高方の系図
夫 桜井勝道→桜井勝道の系図
妻 牧野惟成の娘
妻の父 牧野惟成→牧野惟成の系図
夫 一柳頼欽→一柳頼欽の系図
松平正卜(まさうら)【1777-?】
実は松平正明(→松平正久・正佐~正名の系図)の子。
妻 鳥居三栄子
鳥居忠求(→鳥居忠意・忠見の系図)の娘。
妻 小堀政明の娘
妻の父 小堀政明→小堀政明の系図
松平正信・正基~正賢の系図
松平正信(まさのぶ)/隆綱(たかつな)【1621-1692】
玉縄藩主。
祖父 秀綱→大河内光将~秀綱の系図
父 正綱→松平正綱の系図
妻 宗義成の娘
妻の父 宗義成→宗義智・義成の系図
子の夫 土屋直樹→土屋利直・直樹の系図
子の夫 日野資政→日野資政の系図
妻 船越氏
子 正久・孫 正佐→松平正久・正佐~正名の系図
孫 正貞→松平正貞・正温の系図
子 喜内【?-1670】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 源大夫【?-1667】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 仙千代【?-1678】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 正信の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 堀親貞→堀親貞の系図
子の夫 松平乗成→松平真次~盈乗の系図
子 相綱【?-1658】
子 正信の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 屋代忠知→屋代忠知の系図
子の夫 本多忠能→本多忠相~忠敞の系図
子の夫 松平為政→松平正朝~正卜の系図
子の夫 室賀正勝→室賀正勝の系図
子の夫 伊奈忠常→伊奈忠常の系図
松平正基(まさもと)【1683-1718】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
松平正苗(まさみつ)【1709-1774】
妻 水谷勝比の娘
妻の父 水谷勝比→水谷勝比の系図
子の夫 天野昌方→天野昌方の系図
子の夫 松前誉広→松前端広~忠広・広長・恭広の系図
孫 村越成富〔養父:村越成庸〕→村越成富の系図
松平正喬(まさたか)【1748-?】
妻 渡辺昌の娘
妻の父 渡辺昌→渡辺進~久の系図
妻 松平正温の娘
妻の父 松平正温→松平正貞・正温の系図
子の夫 依田政懋→依田政懋の系図
子の夫 村越成富→村越成富の系図
松平正賢(まさかた)【1777-?】
妻 松平正明の娘
妻の父 松平正明→松平正久・正佐~正名の系図
松平正久・正佐~正名の系図
松平正久(まさひさ)/則綱(のりつな)【1659-1720】
玉縄藩主・上総国大多喜藩主。
祖父 正綱→松平正綱の系図
父 正信→松平正信・正基~正賢の系図
妻 織田也都
織田長頼(→織田長頼の系図)の娘。
妻 中島氏
子 正貞・孫 正温→松平正貞・正温の系図
子 正武〔養父:松平正佐〕
子 正方〔養父:松平正億〕→松平正朝~正卜の系図
子 正久の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
松平正佐(まさすけ)【1691-1729】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
松平正武(まさたけ)【1710-1758】
実は松平正久の子。
妻 石川政常の娘
妻の父 石川政常→石川政往~正邦・政俊~政平の系図
子 正明〔養父:松平正屋〕
子 方政〔養父:松平正方〕→松平正朝~正卜の系図
子の夫 三島政春→三島政春の系図
子の夫 岡野融軽→岡野融軽の系図
松平正屋(まさおく)【1737-1760】
妻 本多紀品の娘
妻の父 本多紀品→井上利朗~本多紀貞の系図
夫 竹中元長→竹中元長の系図
松平正明(まさはる)【1742-1790】
実は松平正武の子。
妻 三島政申の娘
妻の父 三島政申→三島政申の系図
子 正卜〔養父:松平正愛〕→松平正朝~正卜の系図
子の夫 松平正賢→松平正信・正基~正賢の系図
松平正名(まさな)【1774-?】
妻 平岡頼長の娘
妻の父 平岡頼長→平岡頼長の系図
松平正貞・正温の系図
松平正貞(まささだ)【1682-1749】
大多喜藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 正信→松平正信・正基~正賢の系図
父 正久→松平正久・正佐~正名の系図
妻 戸田忠真の娘
妻の父 戸田忠真→戸田忠昌~忠盈の系図
妻 吉田氏
子 久端(ひさなお)/正恭(まさたか)【1716-1748】
子の妻 本庄資俊の娘
子の妻の父 本庄資俊→本庄資俊の系図
孫 久端の娘〔養父:松平正貞〕
子の妻 土井利知の娘
子の妻の父 土井利知→土井利房~利寛の系図
松平正温(まさはる)/祝盈(ときみつ)【1725-1782】
大多喜藩主。実は松平信祝(→松平信祝の系図)の子。
妻 松平正貞の娘
実は松平久端の娘。
子 正温の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 長山氏
子 本庄資承〔養父:本庄資尹〕→本庄資承の系図
子 正恒・熊之助・恒五郎・子 正温の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 松平乗森→松平乗興~乗譲の系図
妻 岡本氏
子 信譲〔養父:松平信睦〕→松平信望~信弥の系図
子 正升・孫 正路→松平正升~正質の系図
子 本庄道信〔養父:本庄道堅〕→本庄道信の系図
子の夫 近藤用和→近藤用和の系図
子の夫 勝田武広→勝田武広の系図
子の夫 松平正喬→松平正信・正基~正賢の系図
子の夫 水野範明→水野範明の系図
孫 忠啓→水野忠啓~忠幹の系図
松平正升~正質の系図
松平正升(まさのり)【1742-1803】
大多喜藩主。
祖父 正貞・父 正温→松平正貞・正温の系図
妻 本庄資訓の娘
実は本庄資順(→本庄資順の系図)の娘。
妻の父 本庄資訓→本庄資訓の系図
子の夫 永井直旧→永井直陳~尚服の系図
子の夫 井上正定→井上正定~正直の系図
松平正路(まさみち)/正道(まさみち)【1765-1808】
大多喜藩主。
妻 中川宣
中川久徳(→中川久貞~久成の系図)の娘。
子 正従・子 正路の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 永井直進の娘
妻の父 永井直進→永井直進~直諒の系図
子 正義〔養父:松平正敬〕
松平正敬(まさかた)【1794-1832】
大多喜藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平厚
松平信明(→松平信明~信古の系図)の娘。
妻 明石氏
子 正和〔養父:松平正義〕
子 輝聴〔養父:松平輝充〕→松平輝和~輝声の系図
子 正敬の娘(『大河内家譜(上総大多喜)』による。)
松平正義(まさよし)【1806-1837】
大多喜藩主。実は松平正路の子。
妻 松平英姫
松平頼慎(→松平頼寛~頼之の系図)の娘。
妻 本多忠升の娘
妻の父 本多忠升→本多忠永~忠貫の系図
子 正晴(以下、『華族系譜』による。)
孫 千恵〔養父:寺田国通〕
孫 幾【?-1881】
子の夫 建部政和→建部政周~政世の系図
松平正和(まさとも)【1823-1862】(以下、『大河内家譜(上総大多喜)』による。)
大多喜藩主。実は松平正敬の子。
妻 加納久儔の娘
妻の父 加納久儔→加納久儔の系図
子の夫 水野忠敬→水野忠穀~忠敬の系図
子の夫 間部詮道→間部詮道の系図
松平正質(まさただ)【1844-1901】
大多喜藩主。実は間部詮勝(→間部詮勝の系図)の子。鳥羽伏見の戦いに幕府側で参加した。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。