このページでは、深溝松平家(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
深溝松平家(肥前国島原藩主)の略系図
1 忠定→松平忠定・好景の系図
1-A1 定政→松平定政~重次・忠勝・政勝の系図
1-A2 政次→松平政次~政周の系図
1-A3 重良→松平重良~勘満の系図
3 伊忠→松平伊忠・家忠の系図
4-A1 忠貞→松平忠貞~忠尭の系図
4-A2 忠治→松平忠治~忠候の系図
4-B1 忠一→松平忠一~忠久の系図
4-B2 忠冬→松平忠冬・忠頼~忠年の系図
4-B3 伊行→松平伊行~忠勧の系図
4-B4 忠成→松平忠成~忠寧の系図
5 忠利→松平忠利~忠俔の系図
9 忠刻→松平忠刻~忠恕の系図
12 忠馮→松平忠馮~忠和の系図
松平忠定・好景の系図
松平忠定(たださだ)【1463-1531】(以下、『系図纂要』による。)
深溝松平家の祖。三河国額田郡深溝城に住んだ。
祖父 信光→松平信光の系図
父 忠景→松平忠景~忠実の系図
妻 松平親長の娘
妻の父 松平親長→松平親忠~信忠の系図
子 定政・孫 忠政→松平定政~重次・忠勝・政勝の系図
子 定清(さだきよ)【?-1531】
子 好之(よしゆき)/忠憲(ただのり)【?-1531】
子 景行(かげゆき)/忠春(ただはる)【?-1531】
子 康定
子の妻 奥平貞昌の娘
子の妻の父 奥平貞昌→奥平貞俊~貞勝の系図
孫 定広
母は奥平貞勝の娘とも。
曾孫の夫 松平忠政→松平定政~重次・忠勝・政勝の系図
子の夫 菅沼定村→菅沼定村の系図
子の夫 稲生七郎右衛門・大原正親(『松平家譜(肥前島原)』による。)
松平好景(よしかげ)【1518-1561】
妻 松平清定の娘
妻の父 松平清定→松平清定の系図
子 伊忠・孫 家忠→松平伊忠・家忠の系図
子の夫 小笠原安次→小笠原安次の系図
子の夫 松平信一→松平利長~信吉の系図
子の夫 松平清宗→松平清宗の系図
松平定政~重次・忠勝・政勝の系図
松平定政(さだまさ)【?-1561】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠景→松平忠景~忠実の系図
父 忠定→松平忠定・好景の系図
祖父 松平親長→松平親忠~信忠の系図
松平忠政(ただまさ)【1548-1619】
妻 松平定広の娘
妻の父 松平定広→松平忠定・好景の系図
子 元勝/忠光
子の妻 松平伊忠の娘
子の妻の父 松平伊忠→松平伊忠・家忠の系図
孫 小次郎【?-1623】
松平忠次(ただつぐ)【1580-1619】
妻 安藤正次の娘
実は巨海忠正(→栗原武続~忠正・巨海忠勝~安藤半次郎の系図)の娘。
妻の父 安藤正次→安藤正次の系図
子 政次〔養父:松平政勝〕→松平政次~政周の系図
松平重次(しげつぐ)/重継(しげつぐ)【1608-1671】
妻 揖斐政景の娘
実は都築与右衛門の娘。
妻の父 揖斐政景→揖斐政景の系図
子 重良・孫 重矩→松平重良~勘満の系図
子の夫 内藤正吉→内藤正貞~正博の系図
子の夫 小出尹重→小出尹重の系図
子の夫 戸田正吉→戸田正吉~勝英の系図
松平忠勝(ただかつ)【1577-1614】
松平政勝(まさかつ)【1607-1632】
子 政次・孫 政峻→松平政次~政周の系図
松平重良~勘満の系図
松平重良(しげよし)【1649-1698】
祖父 忠次・父 重次→松平定政~重次・忠勝・政勝の系図
祖父 揖斐政景→揖斐政景の系図
妻 大島義近の娘
妻の父 大島義近→大島義近の系図
子の夫 小笠原常春→小笠原直経~常亮の系図
松平重矩(しげとも)【1667-1706】
実は戸田正吉(→戸田正吉~勝英の系図)の子。
妻 松平定由の娘
妻の父 松平定由→松平定由~定朝の系図
夫 青木直宥→青木可直~直諒の系図
松平勘敬(すけゆき)/重堅(しげかた)【1686-1749】
実は小笠原常春(→小笠原直経~常亮の系図)の子。
子 忠刻〔養父:松平忠俔〕→松平忠刻~忠恕の系図
子 常尹〔養父:松平常唯〕
子の夫 杉浦政武→杉浦政武の系図
子の夫 大岡安直→大岡政貞~直昌・寛直~直久の系図
子の夫 松平勝尹→松平勝以~勝慈の系図
子の夫 桜井在屋→桜井在屋の系図
松平常唯(つねまさ)【1726-1796】
妻 小笠原政登の娘
実は小笠原政方(→小笠原政方の系図)の娘。
妻の父 小笠原政登→小笠原政登の系図
子 勘満〔養父:松平常尹〕
子の夫 堀直従→堀直氏~直道の系図
松平常尹(つねただ)【1737-?】
実は松平勘敬の子。
妻 大久保忠宜の娘
妻の父 大久保忠宜→大久保忠宜の系図
夫 小幡景房→小幡景房の系図
松平勘満(すけみつ)【1755-?】
実は松平常唯の子。
妻 堀千賀
堀直泰(→堀直尭・直教の系図)の娘。
夫 井上正意→井上正長~正巳の系図
松平政次~政周の系図
松平政次(まさつぐ)【1615-1652】
実は松平忠次(→松平定政~重次・忠勝・政勝の系図)の子。
祖父 忠勝・父 政勝→松平定政~重次・忠勝・政勝の系図
妻 安藤忠次の娘
妻の父 安藤忠次→栗原武続~忠正・巨海忠勝~安藤半次郎の系図
子 小長谷政友〔養父:小長谷政元〕→小長谷政友の系図
松平政峻(まさたか)【1647-1722】
松平政穀(まさよし)【1667-1743】
実は西山昌春(→西山昌春の系図)の子。
妻 高林次郎兵衛の娘
妻の父 高林次郎兵衛→高林次郎兵衛の系図
子 西山昌俊〔養父:西山昌諄〕→西山昌俊の系図
子 高林万九郎〔養父:高林権左衛門〕→高林万九郎の系図
松平政尹(まさただ)【1706-1764】
子 佐山政興〔養父:佐山信英〕→佐山政興の系図
子 政恒・子 政尹の娘〔養父:皆川政数〕
子の夫 赤井忠晶→赤井忠晶の系図
子の夫 久留正由→久留正由の系図
子の夫 平野長好→平野長好の系図
松平政春(まさはる)【1727-1782】
妻 小栗信倚の娘
妻の父 小栗信倚→小栗信倚の系図
夫 水野忠公→水野忠重~忠嶽の系図
妻 西山昌俊の娘
妻の父 西山昌俊→西山昌俊の系図
子 鈴木政茂〔養父:鈴木政邦〕→鈴木政茂の系図
子の夫 石原政民→石原政民の系図
子の夫 古田祉久→古田祉久の系図
子の夫 岩松純春→岩松純春の系図
子の夫 岡野明喬→岡野明喬の系図
松平政有(まさあり)【1751-?】
子の夫 伊丹康保→伊丹康保の系図
子の夫 布施毅→布施毅の系図
松平政周(まさとき)【1772-?】
妻 小川真円の娘
妻の父 小川真円→小川真円の系図
松平伊忠・家忠の系図
松平伊忠(これただ)【1537-1575】
深溝城主。徳川家康に従い、長篠の戦いで討ち死にした。
祖父 忠定・父 好景→松平忠定・好景の系図
祖父 松平清定→松平清定の系図
妻 鵜殿長持の娘
妻の父 鵜殿長持→鵜殿長持の系図
子 玄成/玄茂
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 伊長・松意
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 松平家忠→松平親忠~信忠の系図
子の夫 戸田尊次→戸田尊次・忠能の系図
孫 正次→戸田正次~忠喬の系図
孫 生勝→戸田生勝~忠養の系図
子の夫 松平元勝→松平定政~重次・忠勝・政勝の系図
孫 成勝
孫の妻 丹羽亀〔養父:丹羽茂利〕
丹羽氏信(→丹羽氏信~氏音・信氏~知氏の系図)の娘。
孫 正勝〔養父:本間平兵衛〕
松平家忠(いえただ)【1555-1600】
武蔵国忍藩主・武蔵国小見川藩主。徳川家康にしたがい、関ケ原の戦いの前に伏見城で戦って討ち死にした。日記は『家忠日記』。
妻 水野忠分の娘
妻の父 水野忠分→水野忠分の系図
子 忠利・孫 忠房→松平忠利~忠俔の系図
子 忠貞・孫 忠良→松平忠貞~忠尭の系図
孫 忠治→松平忠治~忠候の系図
子 忠一・孫 忠隆→松平忠一~忠久の系図
子 忠重(ただしげ)/乗勝【?-1625】
母は『寛政重修諸家譜』による。徳川頼宣に仕えた。
子 忠隆〔養父:松平忠一〕→松平忠一~忠久の系図
子の夫 吉良義定(『寛政重修諸家譜』による。)→吉良義安~義弥の系図
子の夫 松平忠実→松平忠景~忠実の系図
孫 伊燿→松平伊燿~忠明の系図
孫 忠尚→松平忠尚~忠洪の系図
子の夫 松平重成→松平重成の系図
松平忠貞~忠尭の系図
松平忠貞(たださだ)【1588-1619】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 伊忠・父 家忠→松平伊忠・家忠の系図
祖父 水野忠分→水野忠分の系図
妻 彦坂光正の娘
妻の父 彦坂光正→彦坂光正の系図
子 忠治・孫 景治→松平忠治~忠候の系図
松平忠良(ただよし)/忠高(ただたか)【1616-1692】
妻 吉良義弥の娘
妻の父 吉良義弥→吉良義安~義弥の系図
子の夫 堀秀治→堀秀治の系図
松平忠福(ただよし)【1637-1687】
妻 荒川定安の娘
妻の父 荒川定安→荒川定安・定昭の系図
子 小野尹貞〔養父:小野正好〕→小野尹貞の系図
子 高久(たかひさ)【1667-1725】
孫 忠晴・孫 高久の娘〔養父:松平忠豊〕
孫 高久の娘〔養父:松平忠晴〕
子 忠豊〔養父:松平忠和〕
子の夫 久津見充信→久津見充信の系図
子の夫 矢島義充→矢島義充の系図
子の夫 木部直要→木部直要の系図
松平忠和(ただただ)【1662-1710】
松平忠豊(ただとよ)【1675-1724】
実は松平忠福の子。
子の夫 小栗信倚→小栗信倚の系図
松平忠晴(ただはる)【1713-1734】
実は松平高久の子。
松平忠頼(ただより)【1716-1767】
実は松平忠郷(→松平忠治~忠候の系図)の子。
妻 松平忠晴の娘
実は松平高久の娘。
子 忠朋〔養父:松平忠直〕
子の夫 瓦林嘉政→瓦林嘉政の系図
松平忠直(ただなお)【1737-1789】
妻 安藤信歴の娘
妻の父 安藤信歴→安藤重矩~信任・理兵衛~保教の系図
妻 小栗信倚の娘
妻の父 小栗信倚→小栗信倚の系図
松平忠朋(ただとも)【1750-?】
実は松平忠頼の子。
妻 岡村直昌の娘
妻の父 岡村直昌→岡村直昌の系図
子 忠温
実は織田信直(→織田信直の系図)の子。
子の夫 中島正見→中島正見の系図
松平忠尭(ただたか)【1774-1790】
実は松平忠恕(→松平忠刻~忠恕の系図)の子。
妻 松平忠朋の娘
夫 間宮信邦→間宮信邦の系図
松平忠治~忠候の系図
松平忠治(ただはる)【1619-1705】
祖父 家忠→松平伊忠・家忠の系図
父 忠貞→松平忠貞~忠尭の系図
祖父 彦坂光正→彦坂光正の系図
妻 牛込俊重の娘
妻の父 牛込俊重→牛込俊重の系図
子 貞友(さだとも)【?-1720】
子の妻 木原重弘の娘
子の妻の父 木原重弘→木原重弘の系図
孫 新五郎【?-1711】
実は阿倍政信(→阿倍政信の系図)の子。
孫の夫 杉原保勝→杉原保勝の系図
妻 永井氏
子 青山成明〔養父:青山成親〕→青山忠重~成次・成親~成房の系図
子の夫 岡部長良→岡部長良~盛昌の系図
子の夫 長谷川勝知→長谷川勝知の系図
子の夫 岡部重矩→岡部重矩の系図
松平景治(かげはる)【?-1698】
妻 逸見義元の娘
妻の父 逸見義元→逸見義元の系図
子の夫 岡村直純→岡村直純の系図
孫 忠寿・孫 忠直の娘〔養父:松平忠郷〕
松平忠郷(たださと)【1684-1767】
子 忠元(ただもと)【?-1734】
子 忠頼〔養父:松平忠晴〕→松平忠貞~忠尭の系図
子の夫 土屋利亮→土屋利亮の系図
子の夫 三宅昌純→三宅昌純の系図
子の夫 有馬満伸→有馬満伸の系図
松平忠寿(ただなが)【1735-?】
実は松平忠直の子。
妻 松平忠郷の娘
実は土屋利亮(→土屋利亮の系図)の娘。
子の夫 瓦林嘉成→瓦林嘉成の系図
子の夫 大木親栄→大木親栄の系図
松平忠候(ただのり)【1767-?】
妻 坂本利安の娘
妻の父 坂本利安→坂本利安の系図
松平忠一~忠久の系図
松平忠一(ただかず)【1580-1615】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 伊忠・父 家忠→松平伊忠・家忠の系図
祖父 水野忠分→水野忠分の系図
松平忠隆(ただたか)/忠政(ただまさ)【1596-1627】
実は松平家忠(→松平伊忠・家忠の系図)の子。
妻 山岡景以の娘
妻の父 山岡景以→山岡景以の系図
子 忠冬・孫 忠頼→松平忠冬・忠頼~忠年の系図
孫 忠成→松平忠成~忠寧の系図
子の夫 松平忠尚→松平忠尚~忠洪の系図
子の夫 志村資長→志村資長の系図
松平忠久(ただひさ)/忠行(ただゆき)【1621-1693】
妻 朝倉在重の娘
妻の父 朝倉在重→朝倉在重の系図
子 伊行・孫 忠正→松平伊行~忠勧の系図
子 山岡景好〔養父:山岡宣友〕→山岡景好の系図
子の夫 戸田直寿→戸田直長~直興の系図
松平伊行~忠勧の系図
松平伊行(これゆき)【1645-1715】
祖父 忠隆・父 忠久→松平忠一~忠久の系図
祖父 朝倉在重→朝倉在重の系図
妻 石丸定次の娘
妻の父 石丸定次→石丸定次の系図
子 忠雄〔養父:藤原忠房〕→松平忠利~忠俔の系図
子の夫 稲垣重武→稲垣重武の系図
松平忠正(ただまさ)【1681-1714】
実は朝倉高興(→朝倉高興の系図)の子。
妻 大井政長の娘
妻の父 大井政長→大井政長の系図
子 忠正の娘〔養父:松平忠全〕
松平忠全(ただたけ)【1685-1740】
実は朝倉高興(→朝倉高興の系図)の子。
妻 松平忠位の娘
実は平岡資因の娘。
妻の父 松平忠位→松平忠成~忠寧の系図
子 忠至
実は松平忠一(→松平忠尚~忠洪の系図)の子。
子 忠全の娘
実は松平忠正の娘。松平忠至に嫁ぐ予定であった。
子の夫 山岡景審→山岡景審の系図
松平忠郷(たださと)【1715-1789】
実は松平忠一(→松平忠尚~忠洪の系図)の子。
妻 稲垣種信の娘
妻の父 稲垣種信→稲垣種信の系図
妻 小笠原信重の娘
妻の父 小笠原信重→小笠原信由~信将・信凭~直信の系図
妻 大岡忠恒の娘
実は大岡忠利(→大岡忠房~忠利の系図)の娘。
妻の父 大岡忠恒→大岡忠行~忠慎の系図
松平忠勧(ただゆき)【1742-1804】
実は牧野貞通(→牧野貞通の系図)の子。
妻 堀川広益の娘
妻の父 堀川広益→堀川広益の系図
子 忠補(ただすけ)【?-1811】(以下、『系図纂要』による。)
妻 大井持長の娘
妻の父 大井持長→大井持長の系図
妻 三枝守知の娘
妻の父 三枝守知→三枝守知の系図
妻 大友義武の娘
妻の父 大友義武→大友義武の系図
子の夫 久留敬武→久留敬武の系図
子の夫 水野忠一→水野勝隆~忠一・勝宥~勝興の系図
松平忠冬・忠頼~忠年の系図
松平忠冬(ただふゆ)【1624-1702】
祖父 忠一・父 忠隆→松平忠一~忠久の系図
祖父 山岡景以→山岡景以の系図
子 忠成・孫 忠位→松平忠成~忠寧の系図
子の夫 天野昌孚→天野昌孚の系図
松平忠頼(ただより)【1676-1753】
子の夫 山崎正長→山崎正長の系図
松平忠義(ただよし)【1713-1764】
松平忠之(ただゆき)【1746-?】
実は小田切光禄(→小田切光禄の系図)の子。
妻 松平忠義の娘
実は山崎正長(→山崎正長の系図)の娘。
子 小田切光賛〔養父:小田切光宝〕→小田切光賛の系図
子 庵原忠徳〔養父:庵原忠恕〕→庵原忠徳の系図
子の夫 横田延松→横田延松の系図
松平忠年(ただとし)
妻 松下之覃の娘
妻の父 松下之覃→松下之覃の系図
松平忠成~忠寧の系図
松平忠成(ただなり)【1673-1730】
祖父 忠隆→松平忠一~忠久の系図
父 忠冬→松平忠冬・忠頼~忠年の系図
松平忠位(ただとき)【1693-1750】
実は平岡資因の子。
妻 杉浦正奉の娘
妻の父 杉浦正奉→杉浦正奉の系図
子 忠位の娘
松平忠堅に嫁ぐ予定であった。
子 忠位の娘〔養父:松平忠堅〕
子の夫 榊原職武→榊原職武の系図
子の夫 溝口勝豊→溝口勝豊の系図
子の夫 松平忠全→松平伊行~忠勧の系図
松平忠堅(ただかた)【1726-1756】
実は松平康矩の子。
子の夫 山口直承→山口直承の系図
松平忠宜(ただよし)/利紀(としのり)【1729-1756】
実は土井利庸(→土井利長~利信の系図)の子。
子 織田正甫〔養父:織田芳正〕→織田正甫の系図
子の夫 土井利徳→土井利徳~利教の系図
松平忠孝(ただたか)【1741-?】
実は松平忠刻(→松平忠刻~忠恕の系図)の子。
妻 朽木千枝
朽木玄綱(→朽木稙治~綱貞の系図)の娘。
妻 朽木紀綱の娘
妻の父 朽木紀綱→朽木則綱~綱弘の系図
子 秋山寧寿〔養父:秋山政芳〕→秋山寧寿の系図
子の夫 堀田一朝→堀田一朝の系図
子の夫 溝口勝徳→溝口勝徳の系図
子の夫 玉井祐徳→玉井祐徳の系図
子の夫 夏目為穀→夏目為穀の系図
子の夫 阿倍正居→阿倍正居の系図
松平忠寧(ただやす)【1767-?】
妻 溝口直之の娘
妻の父 溝口直之→溝口直之の系図
夫 酒井忠頼→酒井忠成~忠徹の系図
妻 松平忠恕の娘
妻の父 松平忠恕→松平忠刻~忠恕の系図
夫 松平忠吉→松平忠根~忠元の系図
松平忠利~忠俔の系図
松平忠利(ただとし)/忠俊(ただとし)【1582-1632】
小見川藩主・三河国深溝藩主・三河国吉田藩主。連歌をよくした。
祖父 伊忠・父 家忠→松平伊忠・家忠の系図
祖父 水野忠分→水野忠分の系図
妻 松平家清の娘
妻の父 松平家清→松平家清の系図
子 忠季(ただすえ)【1626-1648】
子の夫 木下俊治→木下俊治の系図
松平忠房(ただふさ)【1619-1700】
吉田藩主・三河国刈谷藩主・丹波国福知山藩主・肥前国島原藩主。
妻 鍋島勝茂の娘
妻の父 鍋島勝茂→鍋島勝茂の系図
子 好房(よしふさ)【1649-1669】
子の妻 鍋島楽
鍋島直澄(→鍋島直澄の系図)の娘。
子 忠倫(ただとも)【1657-1718】
子の妻 本多忠義の娘
子の妻の父 本多忠義→本多忠義・忠以の系図
子の夫 渡辺綱高→渡辺綱貞~徳綱・親綱~亀之助の系図
子の夫 岡部長良→岡部長良~盛昌の系図
松平忠雄(ただお)【1673-1736】
島原藩主。実は松平伊行(→松平伊行~忠勧の系図)の子。
妻 戸田忠昌の娘
実は戸田忠章(→戸田忠章~忠偲の系図)の娘。
妻の父 戸田忠昌→戸田忠昌~忠盈の系図
子 忠雄の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。南部利幹に嫁ぐ予定であった。
子の夫 土岐頼稔→土岐頼殷~頼煕の系図
子 忠救(ただやす)【1705-1734】
実は松平次章の子。
孫の夫 土井利信→土井利長~利信の系図
子の夫 堀直恒→堀直良~直喜の系図
松平忠俔(ただみ)/忠長(ただなが)【1711-1738】
島原藩主。実は松平次章の子。
子 忠刻・孫 忠祇→松平忠刻~忠恕の系図
松平忠刻~忠恕の系図
松平忠刻(ただとき)/貞栄(さだよし)【1716-1749】
島原藩主。実は松平勘敬(→松平重良~勘満の系図)の子。
祖父 忠雄・父 忠俔→松平忠利~忠俔の系図
妻 土屋陳直の娘
妻の父 土屋陳直→土屋陳直~泰直の系図
子 忠恕〔養父:松平忠祇〕
子 忠孝〔養父:松平忠宜〕→松平忠成~忠寧の系図
子 忠睦(ただちか)/忠胤(ただたね)/至健(ゆきかた)〔養父:巨勢至忠(→巨勢至忠の系図)〕
孫の夫 能勢頼純→能勢頼純の系図
孫の夫 戸塚忠栄→戸塚忠栄の系図
子の夫 松平勝尹→松平勝以~勝慈の系図
子の夫 土井利信→土井利長~利信の系図
松平忠祇(ただまさ)【1738-1801】
島原藩主・下野国宇都宮藩主。
妻 堀田金
堀田正亮(→堀田正亮の系図)の娘。
子の夫 土岐頼布→土岐定経~頼之の系図
松平忠恕(ただひろ)【1740-1792】
宇都宮藩主・島原藩主。実は松平忠刻の子。
妻 真田信安の娘
妻の父 真田信安→真田信安の系図
子 忠馮・孫 忠侯→松平忠馮~忠和の系図
子の夫 梅渓通同→梅渓通仲~通治の系図
子の夫 植村家長→植村家道~家壺の系図
子 大久保忠邦〔養父:大久保忠喜〕→大久保忠邦の系図
子 大久保忠成〔養父:大久保忠喜〕→大久保忠成の系図
子 花房職喬〔養父:花房職雍〕→花房職喬の系図
子 秋元保朝〔養父:秋元茂朝〕→秋元保朝の系図
子 忠尭〔養父:松平忠朋〕→松平忠貞~忠尭の系図
子 神尾元亨〔養父:神尾元喬〕→神尾元亨の系図
子 忠恕の娘
梅渓通同に嫁ぐ予定であった。
子 忠恕の娘(3人)(『松平家譜(肥前島原)』による。)
子の夫 松平信古→松平信亨~信安の系図
子の夫 松平忠吉→松平忠根~忠元の系図
子の夫 松平忠寧→松平忠成~忠寧の系図
子の夫 土井利謙→土井利徳~利教の系図
子の夫 内田正肥→内田正親~正学の系図
松平忠馮~忠和の系図
松平忠馮(ただより)【1771-1819】
島原藩主。藩政改革を行い、藩校稽古館を創設した。
祖父 忠祇・父 忠恕→松平忠刻~忠恕の系図
祖父 真田信安→真田信安の系図
妻 井伊直幸の娘
妻の父 井伊直幸→井伊直幸の系図
子 森川俊民〔養父:森川俊知〕→森川俊常~俊方の系図
子 井上正盧〔養父:井上正建〕→井上正長~正巳の系図
子 元歴/忠升〔養父:中西元通〕
子 京極高景〔養父:京極高鎮〕→京極高長~高陳の系図
子 忠雅/忠泰/忠篤〔養父:松平忠養〕
孫 忠愛〔養父:松平忠淳〕
子 真田幸忠〔養父:真田幸貫〕→真田幸忠の系図
子 定陽〔養父:松平定村〕
子 千三郎・正五郎・栄蔵(『松平家譜(肥前島原)』による。)
子の夫 池田政共→池田政直~政保の系図
子の夫 山名義問→山名義問の系図
子の夫 生駒親愛→生駒親愛の系図
子の夫 梅渓通修→梅渓通仲~通治の系図
松平忠侯(ただこれ)【1799-1840】〔養子:丹羽絢(→丹羽氏福~氏中の系図)〕(以下、『松平家譜(肥前島原)』による。)
島原藩主。
妻 井伊直中の娘
妻の父 井伊直中→井伊直中~直憲の系図
妻 阿部正精の娘
妻の父 阿部正精→阿部正精~正桓の系図
夫 井上正春→井上正定~正直の系図
子 忠精〔養父:松平忠誠〕
松平忠誠(ただなり)【1824-1847】
島原藩主。
妻 太田資始の娘
妻の父 太田資始→太田資言~資美の系図
松平忠精(ただきよ)【1832-1859】
島原藩主。実は松平忠侯の子。
妻 酒井忠器の娘
妻の父 酒井忠器→酒井忠器の系図
妻 伊達宗紀の娘
妻の父 伊達宗紀→伊達村寿・宗紀の系図
子 珓→内藤信興~信美の系図
松平忠淳(ただあつ)【1841-1860】
島原藩主。実は伊達宗紀(→伊達村寿・宗紀の系図)の子。
松平忠愛(ただちか)【1845-1862】
島原藩主。実は松平忠雅の子。
松平忠和(ただかず)【1851-1917】
島原藩主。実は徳川斉昭(→徳川斉昭~昭武の系図)の子。
妻 酒井錦
酒井忠発(→酒井忠発~忠宝の系図)の娘。
夫 戸沢正実→戸沢正親~正実の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。