このページでは、本多氏(藤原氏北家・兼通流)・忠相流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
本多氏・忠相流(三河国西端藩主)の略系図

1 忠相→本多忠相~忠敞の系図
1-A 忠清→本多忠清~行孝の系図
5 忠栄→本多忠栄~忠鵬の系図
本多忠相~忠敞の系図
本多忠相(ただすけ)【1599-1682】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠次→本多正時~忠次の系図
父 康俊→本多康俊の系図
祖父 菅沼定盈→菅沼定盈の系図
妻 稲垣重綱の娘
妻の父 稲垣重綱→稲垣重綱の系図
子 中西元照〔養父:中西元朝〕→中西元照の系図
子 忠清・孫 忠昭→本多忠清~行孝の系図
子の夫 近藤用将→近藤用義~用倫の系図
子の夫 大久保忠時→大久保忠時の系図
子の夫 堀田一輝→堀田一輝の系図
子の夫 武田信貞→武田信貞~信親・川窪信慈~信睦の系図
子の夫 佐久間勝豊→佐久間勝豊の系図
子の夫 横山元知→横山元知の系図
本多忠将(ただまさ)【1626-1692】
妻 松平忠国の娘
妻の父 松平忠国→松平忠国の系図
子の夫 木下重俊→木下重俊の系図
子の夫 跡部良顕→跡部良顕の系図
子の夫 中西孝元→中西孝元の系図
本多忠能(ただよし)【1672-1744】
妻 松平正信の娘
妻の父 松平正信→松平正信・正基~正賢の系図
子 忠能の娘〔養父:松平忠周〕→松平忠周・忠容~忠明の系図
母は『本多家譜(三河西端)』による。
子 忠能の娘
母は『本多家譜(三河西端)』による。石川政敷に嫁ぐ予定であった。
子の夫 大森邦頼→大森邦頼の系図
本多忠敞(ただたか)/忠知(ただとも)【1697-1745】
妻 本多康慶の娘
妻の父 本多康慶→本多康慶~康敏の系図
子 忠栄・孫 忠直→本多忠栄~忠鵬の系図
本多忠清~行孝の系図
本多忠清(ただきよ)/重次(しげつぐ)【1639-1712】
祖父 康俊→本多康俊の系図
父 忠相→本多忠相~忠敞の系図
祖父 稲垣重綱→稲垣重綱の系図
子 忠晴(ただはる)【1682-1703】
子の妻 本多正種の娘
子の妻の父 本多正種→本多正綱~正恭の系図
本多忠昭(ただてる)/重周(しげちか)【1672-1734】
実は稲垣昭友(→稲垣昭友の系図)の子。
妻 伴栄藩の娘
妻の父 伴栄藩→伴栄藩の系図
子 忠儀〔養父:本多忠高〕
本多忠高(ただたか)【1713-1739】
実は横山忠知(→横山忠知の系図)の子。
本多忠儀(ただのり)/忠周(ただのり)【1723-1753】
実は本多忠昭の子。
妻 加藤明邦の娘
妻の父 加藤明邦→加藤明邦の系図
妻 大岡忠陣の娘
妻の父 大岡忠陣→大岡忠品~忠卿・忠厚~忠正の系図
子の夫 和田惟名→和田惟名の系図
本多忠行(ただゆき)【1740-1797】
妻 設楽貞根の娘
妻の父 設楽貞根→設楽貞根の系図
子 行孝〔養父:本多忠義〕
子の夫 設楽貞喬→設楽貞喬の系図
本多忠義(ただよし)【1777-1798】
本多行孝(ゆきたか)【1782-?】
実は本多忠行の子。
本多忠栄~忠鵬の系図
本多忠栄(ただなが)【1723-1778】
実は本多忠統(→本多忠恒・忠統の系図)の子。
祖父 忠能・父 忠敞→本多忠相~忠敞の系図
祖父 本多康慶→本多康慶~康敏の系図
妻 黒田直純の娘
実は黒田直基(→黒田直邦・直純の系図)の娘。
妻の父 黒田直純→黒田直邦・直純の系図
子 文之丞
母は『本多家譜(三河西端)』による。
子 忠記(ただふさ)【1753-1775】
母は『本多家譜(三河西端)』による。
子 忠盈〔養父:本多忠直〕
子の夫 滝川一貞→滝川一貞の系図
子の夫 安藤定意→安藤定勝~定意の系図
子の夫 酒井忠貞→酒井忠重~忠貞・忠正~勝千代の系図
子 五十幡忠建〔養父:五十幡忠盈〕→五十幡忠建の系図
本多忠直(ただなお)【1758-1788】
妻 戸田春【1756-?】
戸田光雄(→戸田光雄~光和の系図)の娘。
妻 保科正富の娘
妻の父 保科正富→保科正富~正益の系図
夫 松平親貞→松平親盈~親貴の系図
子 忠直の娘〔養父:本多忠盈〕
本多忠盈(ただみつ)/忠致(ただむね)【1759-1809】(以下、『本多家譜(三河西端)』による。)
実は本多忠栄の子。
妻 板倉吉
板倉勝澄(→板倉勝澄~勝従の系図)の娘。
子 忠盈の娘〔養父:本多忠和〕
本多忠和【1783-1812】
実は加納久周(→加納久周~久宜の系図)の子。
妻 本多忠盈の娘
実は本多忠直の娘。
妻 本多忠薫の娘
妻の父 本多忠薫→本多忠薫の系図
夫 京極高寧→京極高寧の系図
子 忠和の娘
実は本多忠盈の娘。
本多忠興【1801-1852】
妻 水野忠実の娘
妻の父 水野忠実→水野忠見~忠順の系図
子の夫 酒井忠一→酒井忠国~忠美の系図
子 忠祇〔養父:本多忠通〕
本多忠寛(ただひろ)【1832-1867】
三河国西端藩主。天狗党の乱での江戸警備の功により、1万5000石に高直しされた。
妻 水野鍵
水野忠央(→水野忠啓~忠幹の系図)の娘。
夫 小笠原貞謙→小笠原貞温~貞正の系図
夫 森川俊用→森川俊用の系図
子 正順〔養父:高梨常菊〕
本多忠鵬(ただゆき)【1857-1896】
西端藩主。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。