このページでは、松井松平家(清和源氏・維義流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
松井松平家(武蔵国川越藩主)の略系図
1 維義→松井維義~宗豊の系図
16 為維→松井為維の系図
17 忠直→松井忠直・松平康親の系図
19 康重→松平康重の系図
19-A 康政→松平康政~康功の系図
19-B 康命→松平康命~康弘の系図
19-C 康紀→松平康紀~康功の系図
19-D 康敬→松平康敬~康瑞の系図
20 康映→松平康映~康福の系図
25 康定→松平康定~康載の系図
松井維義~宗豊の系図
松井維義
子 季義(『系図纂要』による。)
子 義成(『華族系譜』による。)
松井義宗(以下、『華族系譜』による。)
松井宗保
妻 金沢実泰の娘
妻の父 金沢実泰→金沢実泰の系図
松井保祐
妻 太田資国の娘
妻の父 太田資国→太田広綱~資高の系図
松井安広
子の夫 赤松貞村→赤松貞範の系図
松井保信
妻 小笠原長将の娘
妻の父 小笠原長将→小笠原貞宗~政康の系図
松井宗泰
妻 小笠原持長の娘
妻の父 小笠原持長→小笠原持長~貞朝の系図
松井宗豊
子 為維→松井為維の系図
孫 忠直→松井忠直・松平康親の系図
子の夫 戸田光定→戸田光定~光高・政次の系図
松井為維の系図
松井為維
祖父 宗泰・父 宗豊→松井維義~宗豊の系図
子 忠直・孫 松平康親→松井忠直・松平康親の系図
曾孫 重政
曾孫の妻 松平康重の娘
実は井上源吾の娘。
曾孫の妻の父 松平康重→松平康重の系図
光次孫 茲次/征丈
松井忠直・松平康親の系図
松井忠直(ただなお)【?-1542】(以下、『系図纂要』による。)
祖父 宗豊→松井維義~宗豊の系図
父 為維→松井為維の系図
子の夫 松平義春→松平親忠~信忠の系図
松平康親(やすちか)/忠次(ただつぐ)【1521-1583】
徳川家康に仕え、松平姓を許された。
妻 河原政秀の娘
子の夫 井伊直政→井伊直親~直澄の系図
妻 松平重吉の娘
妻の父 松平重吉→松平重吉の系図
夫 石川康正→石川親康~清兼・康正~三長の系図
子 康重→松平康重の系図
孫 康政→松平康政~康功の系図
孫 康映→松平康映~康福の系図
孫 康命→松平康命~康弘の系図
孫 康紀→松平康紀~康功の系図
孫 康敬→松平康敬~康瑞の系図
子 康親の娘
実は石川康正(→石川親康~清兼・康正~三長の系図)の娘。高橋重信に嫁いだ。
子 康親の娘
実は石川康正(→石川親康~清兼・康正~三長の系図)の娘。竹尾包教に嫁いだ。
子 康親の娘
実は石川康正(→石川親康~清兼・康正~三長の系図)の娘。石川正弘に嫁いだ。
子の夫 大岡忠政→大岡忠教~忠政・忠直・政保の系図
子の夫 犬塚忠次→犬塚忠次の系図
松平康重の系図
松平康重(やすしげ)/康次(やすつぐ)【1568-1640】
武蔵国寄西藩主・常陸国笠間藩主・丹波国八上藩主・丹波国篠山藩主・和泉国岸和田藩主。
祖父 忠直・父 康親→松井忠直・松平康親の系図
祖父 松平重吉→松平重吉の系図
妻 石川康通の娘
妻の父 石川康通→石川家成の系図
妻 徳永寿昌の娘
妻の父 徳永寿昌→徳永寿昌の系図
子 康政・孫 康朗→松平康政~康功の系図
妻 土井利勝の姪
子 康命・孫 康雄→松平康命~康弘の系図
妻 谷口氏
子 康映・孫 康官→松平康映~康福の系図
子 康紀・孫 康起→松平康紀~康功の系図
子 康敬・孫 康郷→松平康敬~康瑞の系図
子 鶴→小笠原忠脩・長次の系図
子 康久(以下、『華族系譜』による。)
孫 康冨
孫の妻 亀井林【1667-1717】
亀井茲政(→亀井茲政の系図)の娘。
曾孫 康納〔養父:松平康雄〕→松平康命~康弘の系図
曾孫 康冨の娘(『亀井家譜(石見津和野)』による。)
子 中西織部〔養父:中西元朝〕→中西織部の系図
子 仙→湯頼清~亀井政矩の系図
孫 亀井茲政→亀井茲政の系図
子 久仁→西園寺実晴~致季の系図
子 津恵→牧野康成の系図
子 竹→松平正綱の系図
子 康重の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 竹中重義→竹中重義の系図
子の夫 松田勝政→松田勝政の系図
子の夫 松井重政→松井為維の系図
松平康政~康功の系図
松平康政(やすまさ)【1604-1630】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 康親→松井忠直・松平康親の系図
父 康重→松平康重の系図
祖父 徳永寿昌→徳永寿昌の系図
妻 酒井忠勝の娘
妻の父 酒井忠勝→酒井忠勝の系図
子の夫 水野勝貞→水野勝成~勝貞の系図
松平康朗(やすあきら)【1625-1649】
妻 池田長賢の娘
妻の父 池田長賢→池田長賢~長休の系図
夫 水野勝忠→水野勝忠・勝岑・勝直の系図
子の夫 中川重興→中川重興の系図
松平康寛(やすひろ)【1648-1729】
妻 小堀正之の娘
妻の父 小堀正之→小堀正之の系図
子の夫 徳山頼屋→徳山頼屋の系図
子の夫 松平康忠→松平康命~康弘の系図
松平康晴(やすはる)【1705-1734】
松平康年(やすとし)【1709-1770】
実は松平康納(→松平康命~康弘の系図)の子。
妻 五島幾子
五島盛佳(→五島盛佳・盛道の系図)の娘。
子 康知(やすとも)【1740-1764】
子の妻 五島綾子
五島盛道(→五島盛佳・盛道の系図)の娘。
孫 松子〔養父:五島盛道〕
子の夫 斎藤利有→斎藤利有の系図
松平康道(やすみち)【1750-?】
実は松平康詮(→松平康命~康弘の系図)の子。
妻 五島松子
実は松平康知の娘。
妻の父 五島盛道→五島盛佳・盛道の系図
子 康任〔養父:松平康定〕→松平康定~康載の系図
松平康霽(以下、『華族系譜』による。)
松平康英→松平康定~康載の系図
後に宗家を継いだ。
松平康功
実は阿部遠江守の子。
松平康命~康弘の系図
松平康命(やすなが)【?-1649】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 康親→松井忠直・松平康親の系図
父 康重→松平康重の系図
妻 堀田正盛の娘
妻の父 堀田正盛→堀田正盛の系図
松平康雄(やすお)【1641-1695】
妻 関鍋
実は森長継(→森長継の系図)の娘。
妻の父 関長政→関長政の系図
子 康忠(やすただ)【1664-1688】
子の妻 松平康寛の娘
子の妻の父 松平康寛→松平康政~康功の系図
子 康直(やすなお)【?-1691】
子 康実(やすざね)【?-1690】
子 親喜〔養父:松平甫昌〕→松平親喜の系図
実は森容甫の子。
松平康納(やすなり)【1672-1740】
実は松平康冨(→松平康重の系図)の子。
妻 松平重花の娘
妻の父 松平重花→松平重花の系図
妻 井戸良弘の娘
妻の父 井戸良弘→井戸良弘の系図
子 康年〔養父:松平康晴〕→松平康政~康功の系図
子の夫 石谷真清→石谷真清の系図
松平康詮(やすあきら)【1701-1768】
妻 松平連
実は松平康郷(→松平康敬~康瑞の系図)の娘。
妻の父 松平康豊→松平康映~康福の系図
子 康孝(やすなり)【1736-1754】
実は市橋直方(→市橋長利~直方の系図)の子。
子 康道〔養父:松平康年〕→松平康政~康功の系図
松平康休(やすひろ)【1750-?】
妻 安部信允の娘
妻の父 安部信允→安部信允の系図
妻 伊東長丘の娘
妻の父 伊東長丘→伊東長丘の系図
子 康民〔養父:松平康英〕→松平康紀~康功の系図
松平康彊(やすかた)/康勲【1771-?】
妻 伊東長詮の娘
妻の父 伊東長詮→伊東長詮の系図
松平康哉(以下、『華族系譜』による。)
松平康紀~康功の系図
松平康紀(やすのり)/康常(やすつね)【1619-1683】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 康親→松井忠直・松平康親の系図
父 康重→松平康重の系図
妻 建部政長の娘
妻の父 建部政長→建部高光~政宇・光延~政周の系図
妻 宮崎宮内の娘
子 皆川政能〔養父:皆川成之〕→皆川政能の系図
子 康等〔養父:松平康起〕
子 元親〔養父:岡田元昌〕
子 元丸〔養父:谷口源兵衛〕
子 成岸〔養父:鈴木重勝〕
松平康起(やすおき)【1648-1692】
妻 最上義智の娘
妻の父 最上義智→最上義智の系図
松平康等(やすとも)【1667-1748】
実は松平康紀の子。
妻 中根正冬の娘
実は吉田氏の娘。
妻の父 中根正冬→中根正冬の系図
子 康等の娘
実は松賀伊織の娘。
松平康直(やすただ)【1699-1745】
実は皆川政能(→皆川政能の系図)の子。
妻 勝田元邑の娘
妻の父 勝田元邑→勝田元邑の系図
子 康直の娘〔養父:松平康喜〕
子の夫 成瀬正常→成瀬正常の系図
子の夫 筧為昇→筧為昇の系図
松平康喜(やすよし)【1729-1748】
松平康兼(やすかね)【1731-1771】
実は岡部忠藩(→岡部忠藩の系図)の子。
妻 松平康喜の娘
実は松平康直の娘。
子 勝田元哉〔養父:勝田元尉〕→勝田元哉の系図
子 康兼の娘
松平勘満に嫁ぐ予定であった。
松平康彊(やすかね)【1753-1777】
妻 大岡忠近の娘
妻の父 大岡忠近→三浦吉明~大岡忠美の系図
夫 本多寛方→本多重良~繁文の系図
子 康彊の娘
松平康英に嫁ぐ予定であった。
松平康英(やすひで)【1761-?】
実は前田清長(→前田清長の系図)の子。
妻 戸川逵旨の娘
妻の父 戸川逵旨→戸川逵旨の系図
松平康民(以下、『華族系譜』による。)
実は松平康休(→松平康命~康弘の系図)の子。
松平康乂
実は平岩親庸の子。
松平康敬~康瑞の系図
松平康敬(やすたか)/康教(やすのり)【1629-1700】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 康親→松井忠直・松平康親の系図
父 康重→松平康重の系図
子 渡辺敬〔養父:渡辺均〕→渡辺均~直・保~胤の系図
子 渡辺滋〔養父:渡辺広〕→渡辺均~直・保~胤の系図
子 幡豆康鑣(やすかね)/元府(もとくら)〔養父:岡田元長〕
孫 渡辺雅〔養父:渡辺敬〕→渡辺均~直・保~胤の系図
孫 岡部忠藩〔養父:岡田忠宜〕→岡部忠藩の系図
曾孫の夫 蔭山広慶→蔭山広慶の系図
子の夫 大村高豊→大村高豊の系図
松平康郷(やすさと)/康英(やすひで)【1651-1734】
妻 六郷政信の娘
妻の父 六郷政信→六郷政信の系図
子 康豊〔養父:松平康員〕→松平康映~康福の系図
子 前田房長〔養父:前田玄長〕→前田房長の系図
子 連→松平康命~康弘の系図
子の夫 中根元宴→中根元宴の系図
松平康平(やすひら)【1695-1746】
妻 村上正春の娘
妻の父 村上正春→村上正春の系図
妻 渡辺敬の娘
妻の父 渡辺敬→渡辺均~直・保~胤の系図
子 康平の娘〔養父:松平康般、前田房長〕
松平康般(やすつら)【1730-1756】
実は渡辺雅(→渡辺均~直・保~胤の系図)の子。
松平康瑞(やすざね)【1733-1757】
実は青木直宥(→青木可直~直諒の系図)の子。
妻 松平康般の娘〔養父:前田房長(→前田房長の系図)〕
実は松平康平の娘。
夫 大友義珍→大友義珍の系図
子 康定〔養父:松平康福〕→松平康定~康載の系図
実は前田房長の子。松平康瑞の養子となったが、後に宗家を継いだ。
松平康映~康福の系図
松平康映(やすてる)【1615-1674】
岸和田藩主・播磨国山崎藩主・石見国浜田藩主。母は『松井家譜(武蔵川越)』による。
祖父 康親→松井忠直・松平康親の系図
父 康重→松平康重の系図
妻 岡部宣勝の娘
妻の父 岡部宣勝→岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図
子 万千代丸
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 長→脇坂安政の系図
子 康明(やすあきら)【1662-1685】
子 康致〔養父:村瀬重矩〕
松平康官(やすのり)/康長(やすみち)/康賛(やすよし)/康程(やすのり)【1657-1727】
浜田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 阿部正能の娘
妻の父 阿部正能→阿部忠吉~正能の系図
子 康房〔養父:松平康員〕
子 蘭
溝口重元に嫁ぐ予定であった。
子 銀・富・久(『松井家譜(武蔵川越)』による。)
松平康員(やすかず)/康博(やすひろ)/康倫(やすとも)【1679-1713】
浜田藩主。
妻 久世重之の娘
妻の父 久世重之→久世広之・重之の系図
子 康房(やすふさ)【1686-1709】
実は松平康官の子。
子の妻 井上正岑の娘
実は井上正幸(→井上正任~正経の系図)の娘。
子の妻の父 井上正岑→井上正任~正経の系図
子の妻の夫 本多忠貞→本多忠周~忠曄の系図
孫 福松(『松井家譜(武蔵川越)』による。)
孫 和喜〔養父:松平康豊〕
松平康豊(やすとよ)【1685-1735】
浜田藩主。実は松平康郷(→松平康敬~康瑞の系図)の子。
妻 亀井矩致の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
妻の父 亀井矩致→亀井茲政の系図
妻 亀井紋(『亀井家譜(石見津和野)』による。)
実は岡田喜太郎の娘。
妻の父 亀井茲親→亀井茲親~茲胤の系図
夫 多胡真純→亀井茲政の系図
子 和喜
実は松平康房の娘。
子 連→松平康命~康弘の系図
子 豊→内藤清枚~頼直の系図
松平康福(やすよし)【1719-1789】
老中・浜田藩主・下総国古河藩主・三河国岡崎藩主。母は『松井家譜(武蔵川越)』による。
妻 土岐頼稔の娘
妻の父 土岐頼稔→土岐頼殷~頼煕の系図
子 康定・孫 康任→松平康定~康載の系図
子 康福の息子(2人)(『松井家譜(武蔵川越)』による。)
子 峯→松平康定~康載の系図
子 義→田沼意知の系図
子 数子→松平乗賢~乗命の系図
子 諄
石川総純に嫁ぐ予定であった。
松平康定~康載の系図
松平康定(やすさだ)【1747-1807】〔養父:松平康瑞(→松平康敬~康瑞の系図)〕
浜田藩主。実は前田房長(→前田房長の系図)の子。藩校長善館を創設した。国学にあかるく、『万葉八重畳』を著した。
祖父 康豊・父 康福→松平康映~康福の系図
祖父 土岐頼稔→土岐頼殷~頼煕の系図
妻 松平峯
松平康福(→松平康映~康福の系図)の娘。
子 康保(やすもち)【1782-1861】
実は前田清長(→前田清長の系図)の子。
子 正→松平定剛~定法の系図
子 吉五郎・益三郎・子 冨・香・銑(『松井家譜(武蔵川越)』による。)
松平康任(やすとう)【1780-1841】
老中・浜田藩主。実は松平康道(→松平康政~康功の系図)の子。隠居後、密貿易を行っていたことが発覚し、永蟄居となった。
妻 松平万喜
子 康任の娘(『松井家譜(武蔵川越)』による。)
子 康寿【1809-1831】
子の妻 島津勝/閑〔養父:島津斉興(→島津斉興の系図)〕
島津重豪(→島津重豪の系図)の娘。
子 康圭〔養父:松平康爵〕
子 簾→間部詮勝の系図
子 郷→小出英発の系図
子 聡子→鳥居忠燾~忠文の系図
子 愛→溝口直溥の系図
子 姜→諏訪忠誠の系図
子 歌→前田長義の系図
子 綾→阿部正瞭~正功の系図
子 達→亀井矩貞~茲監の系図
子 岩松・駒四郎・庸五郎・康任の息子(2人)・子 康任の娘(2人)(『松井家譜(武蔵川越)』による。)
松平康爵(やすたか)【1810-1868】(以下、『松井家譜(武蔵川越)』による。)
浜田藩主・陸奥国棚倉藩主。密貿易の発覚により転封となった。
妻 稲葉雍通の娘
妻の父 稲葉雍通→稲葉雍通の系図
子 鏐→九鬼隆律~隆義の系図
子 康〓
〓は「禾」+「貞」。
子 照→新庄直彪の系図
松平康圭(やすかど)【1821-1862】
棚倉藩主。実は松平康任の子。
妻 内藤政成の娘
妻の父 内藤政成→内藤学文~文成の系図
夫 堀田正誠→堀田正誠の系図
子 鈴子→鳥居忠燾~忠文の系図
松平康泰(やすひろ)【1849-1864】
棚倉藩主。
松平康英(やすひで)/康直(やすなお)【1830-1904】(以下、『華族系譜』による。)
老中・棚倉藩主・武蔵国川越藩主。実は松平康済(→松平康政~康功の系図)の子。開港等の延期を求めるため、神奈川奉行兼外国奉行として渡欧した。維新後は松井姓に復した。
子 康功→松平康政~康功の系図
子 竹男【1877】
子 康邦【1880-1883】
子 鉦【1873-?】
子 鉞【1877】
子 鉚【1879-1883】
子 安【1879-?】
松平康載(やすとし)【1854-1880】
川越藩主。実は戸田光庸(→戸田光悌~光則の系図)の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。