このページでは、久松氏(菅原氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
久松氏の略系図
1 道定→久松道定~定義の系図
11-A1 定重→久松定重・忠次・定正~定綱の系図
11-A2 定佳→久松定佳・僚恭~定晴の系図
11-A3 定次→久松定次・定房~定安の系図
11-A4 定延→久松定延~定得の系図
11-A5 定弘→久松定弘~定安の系図
11-A6 定久→久松定久~定賢の系図
12 俊勝→久松俊勝・定員の系図
久松道定~定義の系図
久松道定(みちさだ)(以下、『系図纂要』による。)
久松氏の祖とされる。尾張国智多郡阿古居庄を領し、斯波氏に仕えたという。
祖父 定長・父 定範→高辻為長~長宣の系図
久松定則(さだのり)
久松正勝(まさかつ)
久松道勝(みちかつ)
久松定綱(さだつな)
子の夫 丹羽氏(『久松家譜(下総多古)』による。)
久松定氏(さだうじ)
久松詮定(のりさだ)
実は一色満貞(→一色満貞の系図)の子。
久松範勝(のりかつ)
母は『久松家譜(下総多古)』による。書をよくした。
久松定光(さだみつ)
子 吉重・定英(『久松家譜(下総多古)』による。)
父は久松範勝とも。
子 須賀子(『華族系譜』による。)→鳥居重近~忠吉の系図
久松定益(さだます)【?-1510】
久松定義(さだよし)【?-1532】
子 俊勝・孫 定員→久松俊勝・定員の系図
孫 松平康元→松平康元の系図
孫 松平康俊→松平康俊~勝易の系図
孫 松平定勝→松平定勝の系図
子 定重・孫 忠次→久松定重・忠次・定正~定綱の系図
子 義春(『寛政重修諸家譜』による。)
孫 吉次(『華族系譜』による。)
子 吉次(『寛政重修諸家譜』による。)
子 織部(以下、『華族系譜』による。)
子の夫 本多帯刀(『寛政重修諸家譜』による。)
久松定重・忠次・定正~定綱の系図
久松定重(さだしげ)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 定益・父 定義→久松道定~定義の系図
子 定盛・定春(以下、『華族系譜』による。)
久松忠次(ただつぐ)【1553-1618】
子 定佳・孫 僚恭→久松定佳・僚恭~定晴の系図
孫 定延→久松定延~定得の系図
孫 定弘→久松定弘~定安の系図
子 定次・孫 定房→久松定次・定房~定安の系図
孫 定久→久松定久~定賢の系図
久松定正(さだまさ)【1593-1682】
久松定助(さだすけ)【1626-1659】
久松定国(さだくに)【1659-1742】
子 定寛〔養父:久松定元〕→久松定延~定得の系図
子の夫 久留正時→久留正時の系図
孫 定勝の娘〔養父:久松定員〕
久松定員(さだかず)【1685-1750】
妻 荻原友高の娘
妻の父 荻原友高→荻原友高の系図
妻 大河原勝富の娘
実は大河原正善(→大河原正善の系図)の娘。
妻の父 大河原勝富→大河原勝富の系図
久松定安(さだやす)【1728-?】
実は大久保忠光(→大久保忠光の系図)の子。
妻 久松定員の娘
実は久松定勝の娘。
子 八木百勝〔養父:八木直章〕→八木百勝の系図
子の夫 庵原林学→庵原林学の系図
久松定綱(さだつな)【1748-?】
妻 御牧昌孝の娘
妻の父 御牧昌孝→御牧昌孝の系図
久松定佳・僚恭~定晴の系図
久松定佳(さだよし)【1586-1659】
祖父 定重・父 忠次→久松定重・忠次・定正~定綱の系図
子 定延・孫 定元→久松定延~定得の系図
子 定弘・孫 定持→久松定弘~定安の系図
子の夫 三橋正長→三橋正長の系図
久松僚恭(なおやす)【1628-1702】
子の夫 竹田政興→竹田政興の系図
子の夫 三橋正繁→三橋正繁の系図
久松定恭(さだやす)【1670-1746】
実は久松定延(→久松定延~定得の系図)の子。
子 定与〔養父:久松定寛〕→久松定延~定得の系図
子 儀僚〔養父:久松定寛、久松定堅〕→久松定延~定得の系図
久松定堅(さだかた)【1693-1757】
実は久松定持(→久松定弘~定安の系図)の子。
妻 本間季治の娘
妻の父 本間季治→本間季治の系図
子 儀僚→久松定延~定得の系図
実は久松定恭の子。
子の夫 久松定昌→久松定延~定得の系図
久松定儔(さだとし)【1737-?】
妻 久松定郷の娘
妻の父 久松定郷→久松定弘~定安の系図
久松定朝(さだとも)【1766-1794】
妻 松下氏興の娘
妻の父 松下氏興→松下氏興の系図
久松定晴(さだはる)【1785-?】
久松定延~定得の系図
久松定延(さだのぶ)【1623-1675】
祖父 忠次→久松定重・忠次・定正~定綱の系図
父 定佳→久松定佳・僚恭~定晴の系図
妻 稲生正信の娘
妻の父 稲生正信→稲生正信の系図
子 定恭〔養父:久松僚恭〕→久松定佳・僚恭~定晴の系図
久松定元(さだもと)【1658-1736】
妻 水野守重の娘
妻の父 水野守重→水野守正~守美の系図
子 惣太郎【?-1712】
子の夫 小野田信庸→小野田信庸の系図
久松定寛(さだひろ)【1694-1775】
実は久松定国(→久松定重・忠次・定正~定綱の系図)の子。
子 定与(さだつね)
実は久松定恭(→久松定佳・僚恭~定晴の系図)の子。
子 儀僚(よしなお)〔養父:久松定堅(→久松定佳・僚恭~定晴の系図)〕
実は久松定恭(→久松定佳・僚恭~定晴の系図)の子。
久松定昌(さだまさ)/定春(さだはる)【1729-1771】
実は久松定郷(→久松定弘~定安の系図)の子。
妻 久松定堅の娘
妻の父 久松定堅→久松定佳・僚恭~定晴の系図
妻 牧野成煕の娘
妻の父 牧野成煕→牧野成煕の系図
久松定得(さだのり)【1757-?】
妻 久松定愷の娘
妻の父 久松定愷→久松定弘~定安の系図
妻 藤方忠道の娘
妻の父 藤方忠道→藤方忠道の系図
久松定弘~定安の系図
久松定弘(さだひろ)【1628-1687】
祖父 忠次→久松定重・忠次・定正~定綱の系図
父 定佳→久松定佳・僚恭~定晴の系図
妻 奥山安重の娘
妻の父 奥山安重→奥山安重の系図
久松定持(さだもち)【1659-1745】
実は小幡新十郎(→小幡高昌~新十郎・直寛~直久の系図)の子。
子 定堅〔養父:久松定恭〕→久松定佳・僚恭~定晴の系図
子の夫 鈴木安通→鈴木安通の系図
子の夫 榊原久明→榊原久明の系図
子の夫 坂部明之→坂部明之の系図
久松定郷(さださと)【1687-1757】
妻 小野忠於の娘
妻の父 小野忠於→小野忠於の系図
妻 若江長近の娘
妻の父 若江長近→菅原在公~在永・公氏・公頼の系図
子 定昌〔養父:久松定寛〕→久松定延~定得の系図
子の夫 川田貞伴→川田貞伴の系図
子の夫 坪内定秋→坪内定秋の系図
子の夫 奥山和佐→奥山和佐の系図
子の夫 久松定儔→久松定佳・僚恭~定晴の系図
子の夫 小野忠方→小野忠方の系図
久松定愷(さだたか)【1719-1786】
妻 小笠原長之の娘
妻の父 小笠原長之→小笠原長秋~長栄の系図
子 坂部直之〔養父:坂部明之〕→坂部直之の系図
子 神忠陳〔養父:神忠居〕→神忠陳の系図
子 定静(さだきよ)【1743-1766】
子の夫 黒田直賢→黒田直賢の系図
子の夫 久松定得→久松定延~定得の系図
子の夫 近藤用予→近藤用予の系図
子の夫 諏訪部定昭→諏訪部定昭の系図
久松定安(さだやす)【1753-?】
実は大久保忠翰(→大久保忠翰の系図)の子。
妻 野一色義恭の娘
実は浅野長充(→浅野長賢~長富の系図)の娘。
妻の父 野一色義恭→野一色義恭の系図
久松定次・定房~定安の系図
久松定次(さだつぐ)【1590-1643】
祖父 定重・父 忠次→久松定重・忠次・定正~定綱の系図
妻 遠山直吉の娘
妻の父 遠山直吉→遠山直吉の系図
子 定久・孫 定矩→久松定久~定賢の系図
子の夫 蜂屋正列→蜂屋正列の系図
子の夫 横地元春→横地元春の系図
子の夫 石谷清長→石谷清長の系図
久松定房(さだふさ)
久松定保(さだやす)【1672-1739】
実は羽仁市郎左衛門の子。
妻 佐々木正由の娘
妻の父 佐々木正由→佐々木正由の系図
久松定軌(さだのり)【1708-1785】
実は本康徳亮(→本康徳亮の系図)の子。
久松定賢(さだかた)【1739-?】
妻 喜多村直定の娘
妻の父 喜多村直定→喜多村直定の系図
子 森川次忠〔養父:森川次尚〕→森川次政~次忠・近治~永賢の系図
子の夫 喜多村直実→喜多村直実の系図
子の夫 金沢千秋→金沢千秋の系図
久松定安(さだやす)【1774-?】
久松定久~定賢の系図
久松定久(さだひさ)【1615-1691】
祖父 忠次→久松定重・忠次・定正~定綱の系図
父 定次→久松定次・定房~定安の系図
子 遠山安泰〔養父:遠山安宗〕→遠山安泰の系図
久松定矩(さだのり)【1620-1690】
妻 加藤吉久の娘
妻の父 加藤吉久→加藤吉久の系図
子 石谷清定〔養父:石谷清長〕→石谷清定の系図
子の夫 蜂屋正員→蜂屋正員の系図
子の夫 加藤貞則→加藤貞則の系図
久松定記(さだのり)【1690-1744】
妻 曲淵景包の娘
妻の父 曲淵景包→曲淵景包の系図
子の夫 根岸直寿→根岸直寿の系図
久松定好(さだよし)【1721-1764】
実は蜂屋正員(→蜂屋正員の系図)の子。
久松定近(さだちか)【1744-?】
実は根岸直寿(→根岸直寿の系図)の子。
妻 矢頭長与の娘
妻の父 矢頭長与→矢頭長与の系図
久松定賢(さだかた)【1766-?】
実は市野正致(→市野正致の系図)の子。
久松俊勝・定員の系図
久松俊勝(としかつ)/定俊(さだとし)/長家(ながいえ)【1526-1587】
徳川家康に従い、上ノ郷城攻めで功をあげた。
祖父 定益・父 定義→久松道定~定義の系図
妻 於大の方
水野忠政(→水野忠政の系図)の娘。
夫 松平広忠→松平清康・広忠の系図
子 松平康元→松平康元の系図
孫 忠良→松平忠良・康尚の系図
子 松平康俊・孫 勝政→松平康俊~勝易の系図
子 松平定勝→松平定勝の系図
孫 定行→松平定行・定頼の系図
孫 定実→松平定実の系図
孫 定綱→松平定綱・定良の系図
孫 定房→松平定房・定時の系図
孫 定政→松平定政~定節の系図
子 多却姫→松平忠正の系図・松平忠吉の系図・保科国行~正直の系図
孫 保科正貞→保科正貞~正寿の系図
子 松姫→戸田宜光~光重の系図
子 留→松平家清の系図
子 俊勝の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 水野大膳の娘
子の夫 一色詮勝→一色詮勝の系図
子 俊勝の娘
実は松平家清(→松平家清の系図)の娘。成田泰高に嫁いだ。
子の夫 本多康紀→本多正吉~忠利の系図
子の夫 松平忠利→松平忠利の系図
子の夫 浅野長重→浅野長重~長矩の系図
子の夫 水野信常→水野信近~信村の系図
久松定員(さだかず)/定嗣(さだつぐ)/信俊(のぶとし)【?-1577】
子 小金【?-1577】
子 吉安【?-1577】
子 信平(のぶひら)/通信【?-1649】
孫 信綱(のぶつな)/道良
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。