このページでは、菅原氏の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
菅原氏の略系図
1 古人→菅原古人~道真の系図
4-A 淳茂→菅原淳茂の系図
5 高視→菅原高視~孝標の系図
9 定義→菅原定義~在茂の系図
13 在高→菅原在高~良頼の系図
16 在嗣→菅原在嗣の系図
菅原古人~道真の系図
菅原古人(ふるひと)
氏を土師から菅原に改めることを許された。
子 道長・清岡(『系図纂要』による。)
菅原清公(きよとも)【770-842】
従三位。嵯峨天皇の側近の文人官僚として活躍した。
子 善主(よしぬし)【803-852】
孫 宗岳【?-916】
曾孫の夫 菅原高視→菅原高視~孝標の系図
善主孫 嘉猷(よしのり)
菅原是善(これよし)【812-880】
参議。文人官僚。文徳天皇の侍読を務めたほか、『日本文徳天皇実録』『貞観格式』の編纂にも携わった。
菅原道真(みちざね)【845-903】
右大臣。宇多天皇に重用された。遣唐使の中止を建議し、『日本三代実録』『類聚国史』の編纂に携わった。藤原時平らの讒言によって大宰府に左遷された。のちに正一位太政大臣を贈られ、天満天神として崇められた。
妻 島田宣来子(のぶきこ)【850-?】
妻の父 島田忠臣(ただおみ)【828-892】
詩人。菅原是善に師事した。
子 衍子→宇多天皇の系図
子 高視・孫 雅規→菅原高視~孝標の系図
子 景鑑【?-908】
孫 斯宗/清鑑
子 淳茂→菅原淳茂の系図
子 旧風(もとかぜ)
子の夫 斉世親王→斉世親王・敦慶親王の系図
子の夫 藤原佐世→藤原山人~佐世・藤生・世嗣の系図
孫の夫 菅原在躬→菅原淳茂の系図
孫 逸倫(やすとも)/通倫
孫 鎮延
父は菅原善隣とも。
孫 是兼(『系図纂要』による。)→菅原是兼の系図
孫 致時・弘時・近時
父は菅原寧茂・菅原宣茂とも。
曾孫 良宿(『系図纂要』による。)
曾孫 為職
父は菅原親職とも。
淑茂孫 明任/明継
淑茂孫 藤原明業〔養父:藤原明衡〕→藤原明衡の系図
母は為理の娘・源為保の娘とも。
末裔 前田利隆→前田利隆の系図
菅原淳茂の系図
菅原淳茂(あつしげ)【?-926】
祖父 是善・父 道真→菅原古人~道真の系図
子 在躬(ありつね)
子の妻 菅原景行の娘
子の妻の父 菅原景行→菅原古人~道真の系図
孫 輔正(すけまさ)【925-1009】〔養子:菅原宗正〕
参議。円融天皇・花山天皇の侍読。漢詩文をよくした。
曾孫 為理〔養子:菅原実平〕
曾孫 為紀【957-1002】
曾孫の妻 菅原雅規の娘
曾孫の妻の父 菅原雅規→菅原高視~孝標の系図
為紀孫 忠貞〔養子:菅原実平〕
父は菅原輔正とも。
曾孫 修成・良正
父は菅原為紀とも。
修成孫 実平〔養父:菅原為理、菅原忠貞〕
修成孫 実清/実明
修成孫 遠元・則幹
父は菅原実平とも。
修成孫 康言/為説
曾孫 忠貞
父は菅原為紀とも。
曾孫 芳子→藤原頼忠の系図
孫の夫 盛明親王→盛明親王~源道成の系図
曾孫 宗正〔養父:菅原輔正〕
父は菅原在躬とも。
菅原高視~孝標の系図
菅原高視(たかみ)【876-913】
祖父 是善・父 道真→菅原古人~道真の系図
妻 菅原宗岳の娘
妻の父 菅原宗岳→菅原古人~道真の系図
子 文時(ふみとき)【899-981】
従三位。
孫 輔昭
母は『系図纂要』による。
文時孫 義明
父は菅原惟煕とも。
子 庶幾(もろちか)
曾孫 師古(『系図纂要』による。)
庶幾孫 陳経
実は賀茂守道の子。
庶幾孫 公為(『系図纂要』による。)
子 至貫(『系図纂要』による。)
菅原雅規【919-979】
子 良正(『唐橋家譜』による。)
子の夫 菅原為紀→菅原淳茂の系図
董宣孫 知頼
子孫は美作に住んだ。
董宣孫 知善(以下、『系図纂要』による。)
菅原資忠(すけただ)【936-989】
妻 源包の娘
妻の父 源包→源定の系図
子 資忠の娘(『唐橋家譜』による。)
菅原孝標(たかすえ)【973-?】
妻 藤原倫寧の娘
妻の父 藤原倫寧→藤原倫寧の系図
子 定義・孫 輔方→菅原定義~在茂の系図
孫 是綱→菅原是綱~長守の系図
孫 在良→菅原在良~公輔の系図
子 孝標の娘【1008-?】
歌人。『更級日記』を著した。
妻 高階成行の娘
妻の父 高階成行→高階敏忠・業遠の系図
菅原定義~在茂の系図
菅原定義【1012-1064】
祖父 資忠・父 孝標→菅原高視~孝標の系図
妻 藤原相任の娘
妻の父 藤原相任→藤原相任~国重の系図
子 是綱・孫 宣忠→菅原是綱~長守の系図
妻 藤原実方の娘
妻の父 藤原実方→藤原定時・実方の系図
子 在良→菅原在良~公輔の系図
孫 時登→菅原時登の系図
菅原在茂〔養父:菅原在長(→菅原在良~公輔の系図)〕
妻 藤原家基の娘
妻の父 藤原家基→花山院家忠の系図
子 在高・孫 淳高→菅原在高~良頼の系図
孫 高能【1242-1288】
従三位。
曾孫 在綱
曾孫の子の夫 今出河公顕→西園寺実兼の系図
菅原在高~良頼の系図
菅原在高【1159-1232】
従二位。
祖父 是基・父 在茂→菅原定義~在茂の系図
祖父 藤原家基→花山院家忠の系図
子 淳頼/在泰
子 在頼
子の妻 高辻為長の娘
子の妻の父 高辻為長→高辻為長~長宣の系図
子の夫 藤原範朝→藤原範朝の系図
菅原淳高(あつたか)【1176-1250】〔養子:菅原在匡〕
従二位。後堀河天皇・四条天皇・後嵯峨天皇の侍読を務めた。
妻 藤原範綱の娘
妻の父 藤原範綱→藤原範綱・資光の系図
子 在章【1206-1268】
従二位。亀山天皇の侍読を務めた。
孫 在匡〔養父:菅原淳高〕
曾孫 在冬【1250-1288】
在章孫 在光
菅原匡成と同一人物とも。
在章孫 在季
父は菅原在光とも。
曾孫 在秀/在実
孫 在守
父は菅原在匡とも。
菅原良頼【1194-1278】〔養子:良円(→菅原時登の系図)〕
従二位。
子 在嗣→菅原在嗣の系図
菅原在嗣の系図
菅原在嗣【1232-1308】
参議。
祖父 淳高・父 良頼→菅原在高~良頼の系図
子 在兼/在緒【1249-1321】〔養子:菅原在成、菅原公時(→菅原在公~在永・公氏・公頼の系図)〕
参議。
孫 国高/高経【1286-1354】
従三位。
曾孫 在氏/国兼
曾孫 家高
父は菅原在兼とも。
在経孫 高嗣【?-1381】
正二位。
高嗣の妻 藤原行氏の娘
高嗣の妻の父 藤原行氏→藤原資憲~快成の系図
在経孫 在胤【?-1380】
従三位。
曾孫 在成【1298-1352】〔養父:菅原在兼〕
従三位。
在成孫 在宣【?-1420】
参議。
子 在仲
実は菅原淳兼の子。
孫 在仲【1285-1338】〔養父:菅原在嗣〕
正三位。
曾孫 少将内侍→後醍醐天皇の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。