このページでは、松前氏(清和源氏・義光流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
松前氏(蝦夷地松前藩主)の略系図
1 信広→蠣崎信広~季広の系図
4-A 吉広→蠣崎吉広~松前広具の系図
5 慶広→松前慶広~公広の系図
5-A1 忠広→松前忠広・直広の系図
5-A2 玄広→松前玄広~広歓の系図
5-A3 本広→松前本広~浮広の系図
7-A1 泰広→松前泰広~勝広の系図
7-A2 当広→松前当広~広澄の系図
7-A3 端広→松前端広~忠広・広長・恭広の系図
8 氏広→松前氏広~邦広の系図
12 資広→松前資広・道広の系図
14 章広→松前章広~修広の系図
蠣崎信広~季広の系図
蠣崎信広(のぶひろ)【1431-1494】
実は武田信賢(→武田氏信~元明の系図)の子。松前氏の祖とされる。
祖父 信繁・父 国信→武田氏信~元明の系図
妻 蠣崎季繁の娘
『松前家譜』によれば、実は伊駒正季の娘。
子 信広の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 下国恒季(『寛政重修諸家譜』による。)
蠣崎光広(みつひろ)【1456-1518】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 高広(『寛政重修諸家譜』による。)
孫 基広(『松前家譜』による。)
子 基広〔養父:南条広継〕(『寛政重修諸家譜』による。)
子 光広の娘(『松前家譜』による。)
蠣崎義広(よしひろ)/良広(よしひろ)【1479-1545】
子の夫 明石季衡(『寛政重修諸家譜』による。)
蠣崎季広(すえひろ)【1507-1595】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 松前慶広・孫 盛広→松前慶広~公広の系図
孫 忠広→松前忠広・直広の系図
子 元広〔養父:明石季衡〕
子 長広/定広
子 定広/信広
子 吉広・孫 清広→蠣崎吉広~松前広具の系図
子 守広/忠広
子 員広/景広
子 利広〔養父:蠣崎正広〕
子 随良・包広・仲広(『寛政重修諸家譜』による。)
子 季広の娘(『松前家譜』による。)
子の夫 南条広継・下国師季・喜庭秀信・小平季遠・厚谷秀貞・安東茂季・村上忠儀・神浦季綱・下国重季・下国直季・佐藤季連・村上直儀・新井田広貞(『寛政重修諸家譜』による。)
孫 利広
実は蠣崎季広の子。
曾孫の夫 松前高広→松前氏広~邦広の系図
蠣崎吉広~松前広具の系図
蠣崎吉広(よしひろ)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 義広・父 季広→蠣崎信広~季広の系図
蠣崎清広(きよひろ)
妻 松前公広の娘
妻の父 松前公広→松前慶広~公広の系図
松前広次(ひろつぐ)【?-1710】
子の夫 若林直道→若林直道の系図
松前広長(ひろなが)【1691-1747】
妻 小西正之の娘
妻の父 小西正之→小西正之の系図
子 青木正之〔養父:青木賀正〕→青木正之の系図
子 小西正元〔養父:小西正之〕→小西正元の系図
子 広行〔養父:松前広久〕
子の夫 小西正景→小西正景の系図
松前広久(ひろひさ)【1717-1747】
松前広行(ひろゆき)【1728-1796】
実は松前広長の子。
妻 遠山良勝の娘
妻の父 遠山良勝→遠山良勝の系図
松前広具(ひろとも)/保房(やすふさ)【1750-?】
実は服部保高(→服部保高の系図)の子。
妻 松前広行の娘
実は大草高方(→大草高方の系図)の娘。
夫 図司末樹→図司末樹の系図
子 広重(ひろしげ)【1779-1794】
子 広配(ひろつら)
実は浅野長延(→浅野長広~長延の系図)の子。
松前慶広~公広の系図
松前慶広(よしひろ)【1548-1616】
蝦夷地松前藩主。豊臣秀吉から朱印状を得て安東氏の支配を脱した。その後、徳川家康から黒印状を得てアイヌとの交易を独占した。
祖父 義広・父 季広→蠣崎信広~季広の系図
子 忠広・孫 直広→松前忠広・直広の系図
子 利広/行広
子 由広/種広
子 景広/等広
子 安広/政広
孫 景長〔養父:片倉重長〕(『松前家譜』による。)
孫 広国(『松前家譜』による。)
子の夫 津軽信建(『寛政重修諸家譜』による。)→津軽信建の系図
子の夫 喜庭直信・下国広季(『寛政重修諸家譜』による。)
松前盛広(もりひろ)/守広(もりひろ)【1571-1608】
松前公広(きんひろ)【1598-1641】
松前藩主。砂金場の開発や近江商人の受け入れで藩財政の確立に努めた。福山館の焼失で先祖伝来の書物等を失った。
妻 大炊御門資賢の娘
子 氏広・孫 高広→松前氏広~邦広の系図
妻 蠣崎氏
子 泰広・孫 嘉広→松前泰広~勝広の系図
孫 当広→松前当広~広澄の系図
子 広諶(ひろとも)/勝広(かつひろ)
子の夫 蠣崎清広(『寛政重修諸家譜』による。)→蠣崎吉広~松前広具の系図
子の夫 松前広維・新井田成政・蠣崎広林(『寛政重修諸家譜』による。)
松前泰広~勝広の系図
松前泰広(やすひろ)【1625-1680】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 盛広・父 公広→松前慶広~公広の系図
妻 北条正房の娘
妻の父 北条正房→北条繁広・正房の系図
子 当広・孫 広隆→松前当広~広澄の系図
妻 牧野儀成の娘
妻の父 牧野儀成→牧野儀成の系図
妻 北条氏利の娘
妻の父 北条氏利→北条氏利~氏副の系図
松前嘉広(よしひろ)【1652-1731】
妻 山田重安の娘
妻の父 山田重安→山田重安の系図
松前勝広(かつひろ)/暠広(たかひろ)【1669-1728】
実は北条氏平(→北条氏平~氏征の系図)の子。
子 端広・孫 充広・広長→松前端広~忠広・広長・恭広の系図
子 山田重羽〔養父:山田重晴〕→山田重羽の系図
子 鷲巣清茂〔養父:鷲巣清勝〕→鷲巣清茂の系図
子の夫 北条氏庸→北条氏平~氏征の系図
松前端広~忠広・広長・恭広の系図
松前端広(まさひろ)/保広(やすひろ)【1699-1752】
祖父 嘉広・父 勝広→松前泰広~勝広の系図
妻 井上政蔽の娘
妻の父 井上政蔽→井上政蔽~正国の系図
子 岡田善英〔養父:岡田善長〕→岡田善英の系図
子の夫 佐藤豊信→佐藤豊信の系図
子の夫 西尾定氏→西尾重次~定省・重政~定誥の系図
子の夫 萩原雅宴→萩原雅宴の系図
子の夫 竹田政方→竹田政方の系図
松前充広(みつひろ)/道広(みちひろ)【1724-1750】
妻 内藤正芳の娘
妻の父 内藤正芳→内藤正貞~正博の系図
子の夫 村越房成→村越房成の系図
松前誉広(たかひろ)/広方(ひろかた)【1741-?】
妻 林増
林忠久(→林忠久・忠篤の系図)の娘。
妻 松平正苗の娘
妻の父 松平正苗→松平正信・正基~正賢の系図
夫 天野昌方→天野昌方の系図
松前忠広(ただひろ)【1771-?】
妻 曲淵景漸の娘
妻の父 曲淵景漸→曲淵景漸の系図
松前広長(ひろなが)【1741-1780】
妻 大木親祇の娘
妻の父 大木親祇→大木親祇の系図
松前恭広(ゆきひろ)【1745-?】
実は安部信方(→安部信方の系図)の子。
妻 松前広長の娘
実は大木親延(→大木親延の系図)の娘。
松前当広~広澄の系図
松前当広(まさひろ)/直広(なおひろ)【1660-1718】
祖父 公広→松前慶広~公広の系図
父 泰広→松前泰広~勝広の系図
祖父 北条正房→北条繁広・正房の系図
妻 松前高広の娘
妻の父 松前高広→松前氏広~邦広の系図
松前広隆(ひろたか)【1692-1740】
妻 松平直堅の娘
妻の父 松平直堅→松平直堅の系図
子 依田守寿〔養父:依田守庸〕→依田守寿の系図
子 水野景守〔養父:水野守成〕→水野正直~守富・守勝~浦次郎の系図
子 広隆の娘〔養父:松前一広〕
松前一広(かずひろ)【1723-1771】
妻 水野分質の娘
妻の父 水野分質→水野重矩~忠貞・忠英・忠護の系図
子 大久保忠章〔養父:大久保忠舒〕→大久保忠章の系図
子の夫 萩原雅宴→萩原雅宴の系図
子の夫 小堀政長→小堀政長の系図
松前等広(としひろ)/厚広(あつひろ)【1746-1789】
妻 松前資広の娘
妻の父 松前資広→松前資広・道広の系図
子 広任〔養父:松前広澄〕
子の夫 萩原茂雅→萩原茂雅の系図
子の夫 本目正広→本目正広の系図
松前広澄(ひろすみ)【1773-?】
子 広任
実は松前等広の子。
松前忠広・直広の系図
松前忠広(ただひろ)【1580-1617】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 季広→蠣崎信広~季広の系図
父 慶広→松前慶広~公広の系図
子の夫 永井直元→永井直元・直又~直陟の系図
孫 茂虎→永井茂虎~弘道の系図
松前直広(なおひろ)【1611-1658】
子 玄広・孫 尚広→松前玄広~広歓の系図
子 本広・孫 広屯→松前本広~浮広の系図
松前玄広~広歓の系図
松前玄広(はるひろ)【1635-1703】
祖父 忠広・父 直広→松前忠広・直広の系図
子 主殿
子の妻 天野雄重の娘
子の妻の父 天野雄重→天野雄重の系図
子の夫 松平正晴→松平正晴の系図
孫 尚広〔養父:松前玄広〕
松前尚広(なおひろ)【1690-1729】
実は松前親広の子。
妻 知久昌直の娘
妻の父 知久昌直→知久昌直の系図
妻 知久行光の娘
妻の父 知久行光→知久行光の系図
松前順広(としひろ)【1714-1792】
実は松前広屯(→松前本広~浮広の系図)の子。
妻 松前尚広の娘
実は松平正則(→松平正則の系図)の娘。
子 安西元住〔養父:安西元維〕→安西元住の系図
子 桑原盛倫〔養父:桑原盛員〕→桑原盛倫の系図
子 広歓〔養父:松前広暉〕
子 沼間広追〔養父:沼間隆峯〕→沼間広追の系図
子の夫 萩原雅宴→萩原雅宴の系図
松前広暉(ひろてる)【1735-1796】
妻 久永政温の娘
姉は跡部良秀に嫁ぐ予定であった。
妻の父 久永政温→久永政温の系図
子 広暉の娘
実は顕広の娘。
子の夫 夏目為穀→夏目為穀の系図
松前広歓(ひろよし)【1752-?】
実は松前順広の子。
妻 池原良誠の娘
実は池原良明(→池原良明の系図)の娘。
妻の父 池原良誠→池原良誠の系図
妻 津田信之の娘
井出正武に嫁ぐ予定であった。
妻の父 津田信之→津田信之の系図
妻 北条氏興の娘
妻の父 北条氏興→北条氏平~氏征の系図
夫 戸田勝英→戸田正吉~勝英の系図
松前本広~浮広の系図
松前本広(もとひろ)/貞広(さだひろ)【1647-1720】
祖父 忠広・父 直広→松前忠広・直広の系図
妻 杉原正永の娘
妻の父 杉原正永→杉原正永の系図
夫 小川正則→小川正則の系図
子 報広〔養父:松前広屯〕
子 邦広〔養父:松前矩広〕→松前氏広~邦広の系図
子の夫 越智吉品→越智吉品の系図
松前広屯(ひろたか)【1667-1757】
子 順広〔養父:松前尚広〕→松前玄広~広歓の系図
子の夫 和田虎利→和田虎利の系図
松前報広(よしひろ)【1683-1746】
実は松前本広の子。
妻 立花直時の娘
妻の父 立花直時→立花直時の系図
妻 六郷政慶の娘
妻の父 六郷政慶→六郷政慶の系図
松前広居(ひろやす)【1730-1787】
妻 杉原正府の娘
妻の父 杉原正府→杉原正府の系図
子 佐久間信近〔養父:佐久間信賢〕→佐久間信近の系図
子 広貞〔養父:小川勝広〕
子の夫 大島国幹→大島国幹の系図
松前浮広(ちかひろ)【1756-?】
妻 伊東祐忠の娘
妻の父 伊東祐忠→伊東祐定~祐寿・祐之~祐干・三枝守重~祐茂の系図
松前氏広~邦広の系図
松前氏広(うじひろ)【1622-1648】
松前藩主。アイヌ民族の蜂起に対し、蠣崎利広らを鎮圧に当たらせた。
祖父 盛広・父 公広→松前慶広~公広の系図
子の夫 松前広守(『寛政重修諸家譜』による。)
松前高広(たかひろ)【1643-1665】
松前藩主。
妻 蠣崎利広の娘
妻の父 蠣崎利広→蠣崎信広~季広の系図
子 忠広・弥六郎(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 松前当広(『寛政重修諸家譜』による。)→松前当広~広澄の系図
松前矩広(のりひろ)/吉広(よしひろ)【1659-1720】
松前藩主。
妻 唐橋在勝の娘
妻の父 唐橋在勝→唐橋在通~在秀の系図
子 富広(とみひろ)【1697-1716】
子の妻 高野保光の娘
子の妻の父 高野保光→高野保春~保建の系図
子 周広・方広・子 矩広の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 福島正視(『寛政重修諸家譜』による。)→福島正視の系図
子の夫 山田八郎右衛門(『松前家譜』による。)
松前邦広(くにひろ)/広国(ひろくに)【1705-1743】
松前藩主。実は松前本広(→松前本広~浮広の系図)の子。倹約令を発し、税制改革を進めた。
子 資広・孫 道広→松前資広・道広の系図
子 柳生俊則〔養父:柳生俊峯〕→柳生俊方~俊郎の系図
子 広長(ひろなが)【1737-1801】
家老として藩財政の再建に尽力した。『福山秘府』『松前志』などを著した。
子 器四郎(『松前家譜』による。)
子 邦広の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子 邦広の娘〔養父:高橋光隆〕(『松前家譜』による。)
子の夫 高野隆古→高野保春~保建の系図
子の夫 藤倉義伯(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 蠣崎広守・蠣崎広重・下国季隆(『松前家譜』による。)
松前資広・道広の系図
松前資広(すけひろ)/里広(さとひろ)/完広(さだひろ)【1726-1765】
松前藩主。母は『松前家譜』による。父の政策を継ぎ、藩財政の立て直しに努めた。
祖父 矩広・父 邦広→松前氏広~邦広の系図
妻 八条隆英の娘
妻の父 八条隆英→八条隆英~隆声の系図
子 池田頼完〔養父:池田直好〕→池田頼完の系図
子 勝田武広〔養父:勝田元忠〕→勝田武広の系図
子 広文/広籌/広晃〔養父:蠣崎広虎〕
子 広年/波響(はきょう)〔養父:蠣崎広武〕【1764-1826】
家老として藩主の松前復帰に尽力した。画家としても活躍した。
子 信真〔養父:古田信村〕(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 松前等広→松前当広~広澄の系図
子の夫 蠣崎広命・横井重賢(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 松前広典(『松前家譜』による。)
松前道広(みちひろ)/章広(あきひろ)/幸広(ゆきひろ)【1754-1832】
松前藩主。藩政を疎かにして隠居し、後に永蟄居となった。
妻 下国季寿の娘
子 章広・孫 良広→松前章広~修広の系図
妻 花山院常雅の娘
妻の父 花山院常雅→花山院定誠~家理の系図
子 広匡〔養父:蠣崎広命〕(『寛政重修諸家譜』による。)
子 治義〔養父:杉村治孝〕(『寛政重修諸家譜』による。)
子 広純/広当〔養父:松前広政〕(『寛政重修諸家譜』による。)
子 連之助〔養父:北見政富〕(『松前家譜』による。)
子 道広の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
八条隆礼に嫁ぐ予定であった。その後、藤倉保春に嫁いだ。
子 幸之助・道広の息子・子 道広の娘(4人)(『松前家譜』による。)
子の夫 小林義明(『寛政重修諸家譜』による。)
松前章広~修広の系図
松前章広(あきひろ)/敷広【1775-1833】〔養子:井上季〕
松前藩主。陸奥国梁川藩主。藩校徽典館を創立した。
祖父 資広・父 道広→松前資広・道広の系図
子 見広【?-1829】
子の妻 井上季〔養父:松前章広〕
井上正甫(→井上正定~正直の系図)の娘。
孫 良広〔養父:松前章広〕
孫 昌広〔養父:松前良広〕
子 崇広〔養父:松前昌広〕
子 経広〔養父:松前広房〕
子 市之助・久之助・子 章広の娘(3人)(『松前家譜』による。)
子の夫 高野保右→高野保春~保建の系図
子の夫 蠣崎広得・高井数馬・松前広貞(『松前家譜』による。)
松前良広(よしひろ)【1826-1839】
松前藩主。実は松前見広の子。
松前昌広(まさひろ)【1827-1853】
松前藩主。実は松前見広の子。藩校明倫館を創立した。
妻 本多忠升の娘【1829-?】
妻の父 本多忠升→本多忠永~忠貫の系図
夫 山口弘敞→山口弘敞の系図
子 徳広〔養父:松前崇広〕
子 縄之助(『松前家譜』による。)
松前崇広(たかひろ)【1829-1866】
老中・松前藩主・梁川藩主。実は松前章広の子。勅許を得ずに兵庫開港を決定し、謹慎を命じられた。
子 悌之丞・隆広・子 崇広の娘(3人)(『松前家譜』による。)
子の夫 喜連川縄氏(『松前家譜』による。)→喜連川氏連~足利聡氏の系図
子の夫 戸田忠行(『松前家譜』による。)→戸田忠位~忠行の系図
子の夫 清水谷公考(『松前家譜』による。)→清水谷陳季~実睦の系図
松前徳広(のりひろ)【1844-1868】(以下、『松前家譜』による。)
松前藩主。実は松前昌広の子。幕府脱走軍の来襲で津軽に逃れた。
妻 内藤正縄の娘
妻の父 内藤正縄→内藤正敬~正誠の系図
松前修広(ながひろ)/兼広【1865-1905】
松前藩主。新政府軍とともに福山城を奪還した。
妻 南部瑩子【1871-?】
南部利剛(→南部利済~利恭の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。