このページでは、柳沢氏(清和源氏・義光流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
柳沢氏(大和国郡山藩主)の略系図
1 信俊→柳沢信俊の系図
1-A1 安吉→柳沢安吉~政位・吉次の系図
1-A2 信尹→柳沢信尹~聴信の系図
2 安忠→柳沢安忠の系図
3 吉保→柳沢吉保の系図
4 吉里→柳沢吉里の系図
5 信鴻→柳沢信鴻の系図
6 保光→柳沢保光~保申の系図
柳沢信俊の系図
柳沢信俊(のぶとし)【1548-1614】
祖父 信定・父 信立→青木時光~信立・柳沢信興~信兼の系図
子 曽根孫右衛門
実は曽根内膳の子。
子の妻 折井次忠の娘
子の妻の父 折井次忠→折井次忠の系図
孫 折井政次〔養父:折井次忠〕→折井政次の系図
子 安吉・孫 信安・吉次→柳沢安吉~政位・吉次の系図
子 安忠→柳沢安忠の系図
孫 吉保→柳沢吉保の系図
子の夫 折井次吉→折井次吉の系図
子の夫 米倉永時→米倉永時~昌尹の系図
子の夫 高屋吉久→高屋吉久の系図
柳沢安吉~政位・吉次の系図
柳沢安吉(やすよし)/信文(しんぶん)【1595-1686】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 信立→青木時光~信立・柳沢信興~信兼の系図
父 信俊→柳沢信俊の系図
子 信花〔養父:柳沢安忠〕→柳沢安忠の系図
柳沢信安(のぶやす)【1619-1670】
妻 太田吉宗の娘
妻の父 太田吉宗→太田吉宗の系図
柳沢時憲(ときのり)/時縄(ときなわ)【1660-1697】
柳沢時附(ときます)/信尚(のぶなお)【1666-1741】
実は山高信吉(→山高信吉の系図)の子。
妻 伴政継の娘
妻の父 伴政継→伴政継の系図
柳沢安弘(やすひろ)【1694-1779】
実は柳沢保教(→柳沢安忠の系図)の子。
子の夫 有馬尚久→有馬尚久の系図
子の夫 日下部定経→日下部定経の系図
柳沢安長(やすなが)【1736-1797】
妻 飯塚昭之の娘
妻の父 飯塚昭之→飯塚昭之の系図
柳沢政位(まさたか)【1764-?】
柳沢吉次(よしつぐ)【?-1664】
子 信尹・孫 信孝→柳沢信尹~聴信の系図
柳沢信尹~聴信の系図
柳沢信尹(のぶただ)【1659-1724】
実は山高信吉(→山高信吉の系図)の子。
祖父 安吉・父 吉次→柳沢安吉~政位・吉次の系図
妻 山高信澄の娘
妻の父 山高信澄→山高信澄の系図
子 酒井忠道〔養父:酒井忠成〕→酒井忠成~忠徹の系図
子 信尹の娘〔養父:赤井盤公〕→赤井盤公の系図
子 信尹の娘〔養父:柳沢信孝〕
子の夫 大久保忠躬→大久保忠躬の系図
子の夫 近藤重興→近藤重興の系図
子の夫 山高信蔵→山高信蔵の系図
子の夫 植村泰郡→植村則泰~泰根・泰久~泰贇の系図
子の夫 神保定興→神保定興の系図
柳沢信孝(のぶたか)【1691-1739】
妻 浅野長恒の娘
妻の父 浅野長恒→浅野長恒~長盈の系図
妻 岡部定長の娘
実は岡部直好(→岡部直好~直温の系図)の娘。
妻の父 岡部定長→岡部定直~長貴の系図
子の夫 小宮山昌雄→小宮山昌雄の系図
柳沢信武(のぶたけ)/忠武(ただたけ)/忠甫(ただよし)/忠宣(ただよし)【1706-1757】
実は大久保忠位(→大久保忠位の系図)の子。
妻 柳沢信孝の娘
実は柳沢信尹の娘。
子の夫 末高信門→末高信門の系図
子の夫 松平房熟→松平正重・正長・信平~信博の系図
子の夫 大久保忠篤→大久保忠篤の系図
子の夫 保々貞丈→保々貞丈の系図
柳沢信門(のぶかど)/忠久(ただひさ)【1733-1770】
実は大久保忠恒(→大久保忠恒の系図)の子。
柳沢聴信(あきのぶ)【1754-?】
妻 山中広幸の娘
妻の父 山中広幸→山中広幸の系図
柳沢安忠の系図
柳沢安忠(やすただ)/信時(のぶとき)【1602-1687】
祖父 信立→青木時光~信立・柳沢信興~信兼の系図
父 信俊→柳沢信俊の系図
妻 青木信生の娘
妻の父 青木信生→青木信時~信幸・信生~信並の系図
子の夫 山高信吉→山高信吉の系図
妻 佐瀬氏
子 吉保→柳沢吉保の系図
孫 吉里→柳沢吉里の系図
孫 経隆→柳沢経隆~光邦の系図
孫 時睦→柳沢時睦~徳忠の系図
子 信花(のぶはな)【?-1683】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
実は柳沢安吉(→柳沢安吉~政位・吉次の系図)の子。
孫 保教(やすのり)/常房(つねふさ)
実は山高信吉(→山高信吉の系図)の子。
曾孫 鈴木祐政〔養父:鈴木重祐〕→鈴木祐政の系図
曾孫 安弘〔養父:柳沢時附〕→柳沢安吉~政位・吉次の系図
曾孫 里済〔養父:柳沢経隆〕→柳沢経隆~光邦の系図
信花孫 里旭〔養父:柳沢里済〕→柳沢経隆~光邦の系図
信花孫 保卓〔養父:柳沢里旭〕→柳沢経隆~光邦の系図
柳沢吉保の系図
柳沢吉保(よしやす)/房安(ふさやす)/保明(やすあきら)【1658-1714】
武蔵国川越藩主・甲斐国府中藩主。側用人となり、徳川綱吉の側近として活躍した。松平姓を許された。
妻 曽雌定盛の娘
妻の父 曽雌定盛→曽雌定盛の系図
妻 正親町町子(まちこ)/弁子【1676?-1724】
正親町実豊(→正親町実彦~実豊の系図)の娘。田中氏を称した。『松蔭日記』を著した。
子 経隆・孫 里済→柳沢経隆~光邦の系図
子 時睦・孫 保経→柳沢時睦~徳忠の系図
子 長暢(ながのぶ)/俊親(としちか)【1690-1692】
子 安基(やすもと)【1692-1694】
子 吉保の娘【1693-1695】
妻 横山氏
子 吉保の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 内藤政森→内藤政晴~政苗の系図
妻 上月氏
子 保経〔養父:柳沢時睦〕→柳沢時睦~徳忠の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 吉保の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 吉保の娘〔養父:柳沢吉里〕→柳沢吉里の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 本庄資訓→本庄資訓の系図
妻 片山通氏の娘
子 米倉忠仰〔養父:米倉昌照〕→米倉昌明~里矩の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 土佐子→黒田直邦・直純の系図
子 市子→松平信興~輝高の系図
子 幾子→大久保忠方の系図
柳沢吉里の系図
柳沢吉里(よしさと)/安暉(やすてる)/安貞(やすさだ)【1687-1745】
府中藩主・大和国郡山藩主。
妻 酒井忠挙の娘
妻の父 酒井忠挙→酒井忠挙~親本の系図
妻 佐藤氏
子 多門
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 山田氏
子 信睦(のぶちか)【1713-1740】
母は『寛政重修諸家譜』による。目の病により嫡子にならなかった。
孫の夫 藤堂高雅→藤堂高雅の系図
子 時英
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 森氏
子 信鴻→柳沢信鴻の系図
孫 保光→柳沢保光~保申の系図
子 吉里の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 大久保忠興→大久保忠興の系図
妻 一色氏
子の夫 戸沢正諶→戸沢正庸~正良の系図
妻 岩淵氏
子 信昌(のぶまさ)【?-1781】
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 幸子→柳沢経隆~光邦の系図
孫の夫 柳沢信著→柳沢時睦~徳忠の系図
孫の夫 風早実顕→風早実種~公紀の系図
妻 大原氏
子 伊奈忠敬〔養父:伊奈忠宥〕→伊奈忠敬の系図
子 青木信周(のぶちか)/定規(さだのり)【?-1810】〔養父:坪内定孝(→坪内定孝の系図)〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 坪内定孝の娘
子の妻の父 坪内定孝→坪内定孝の系図
子の妻の夫 坪内定系→坪内定系の系図
孫 信子→外山光顕~光輔の系図
孫 信周の娘〔養父:柳沢正春〕
孫の夫 武田護信→武田晴信・勝頼・海野信親~武田崇信の系図
子の夫 堀親長→堀親長の系図
子の夫 戸田忠倚→戸田忠高~忠集の系図
子 吉里の娘
実は柳沢吉保(→柳沢吉保の系図)の娘。
柳沢信鴻の系図
柳沢信鴻(のぶとき)/義稠(ともあつ)/信卿(のぶあき)/伊信(これのぶ)【1724-1792】
郡山藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。俳諧をよくした。
妻 伊達村年の娘
妻の父 伊達村年→伊達村年の系図
妻 真田信弘の娘
妻の父 真田信弘→真田信弘の系図
子 保光・孫 保泰→柳沢保光~保申の系図
妻 工藤氏
子 信復(のぶあきら)【?-1822】
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫の夫 下冷泉為訓→下冷泉為俊~為柔の系図
曾孫の夫 風早公元→風早実種~公紀の系図
曾孫の夫 東久世通徳→東久世通廉~通禧の系図
妻 高野氏
子の夫 阿部正倫→阿部正倫の系図
妻 小林氏
子 武田信明〔養父:武田信安〕→武田晴信・勝頼・海野信親~武田崇信の系図
子 里之〔養父:柳沢信著〕→柳沢時睦~徳忠の系図
妻 村井氏
子 六角広籌〔養父:六角広孝〕→六角広籌の系図
子 信鴻の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 寺内氏
子の夫 米倉昌賢→米倉昌晴~昌言の系図
子 幸子→柳沢経隆~光邦の系図
子の夫 藤堂高雅→藤堂高雅の系図
子の夫 柳沢信著→柳沢時睦~徳忠の系図
柳沢保光~保申の系図
柳沢保光(やすみつ)/安信(やすのぶ)【1753-1817】
郡山藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。茶道を嗜み、赤膚焼を復興した。『寛政重修諸家譜』によれば、永田氏・津守氏・川上氏を母とする娘が一人ずついる。
妻 松平永
松平輝高(→松平信興~輝高の系図)の娘。
妻 大野氏
子 保民(やすたみ)【1780-1800】
子の妻 松平輝和の娘
子の妻の父 松平輝和→松平輝和~輝声の系図
子 愛之助
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 柳生俊豊〔養父:柳生俊則〕→柳生俊方~俊郎の系図
子の夫 内藤信敦→内藤信興~信美の系図
妻 葛岡氏
子 重三郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 小林氏
子 中川久貴〔養父:中川久持〕→中川久貞~久成の系図
子 武田信之〔養父:武田信典〕→武田晴信・勝頼・海野信親~武田崇信の系図
子 里顕〔養父:柳沢里世〕→柳沢時睦~徳忠の系図
子 貞子→外山光顕~光輔の系図
子の夫 柳沢光被→柳沢経隆~光邦の系図
子の夫 松浦皓→松浦宝~脩の系図
子の夫 戸田氏綏→戸田氏之~氏良の系図
柳沢保泰(やすひろ)/信近(のぶちか)/光雄(みつお)【1782-1838】
郡山藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 戸田氏教の娘
妻の父 戸田氏教→戸田氏英・氏教の系図
子 保成(『柳沢家譜(大和郡山)』による。)
子 将八郎
母は『柳沢家譜(大和郡山)』による。
子 保喜(やすちか)/保恵【?-1822】
母は『柳沢家譜(大和郡山)』による。
妻 吉田氏
子 光昭〔養父:柳沢光被〕→柳沢経隆~光邦の系図
子 信盈(のぶみち)【?-1821】
子 小笠原長和〔養父:小笠原長会〕→小笠原長尭~長国の系図
子 定→真田幸良の系図
子の夫 相馬充胤→相馬充胤の系図
子の夫 本多忠徳→本多忠誠~忠伸の系図
柳沢保興(やすおき)/信求(のぶもと)【1815-1848】
郡山藩主。母は『柳沢家譜(大和郡山)』による。
妻 島津定/豊/淑
島津重豪(→島津重豪の系図)の娘。
子 兵部【?-1837】
母は『柳沢家譜(大和郡山)』による。
子 茂之丞【?-1856】
柳沢保申(やすのぶ)【1846-1893】
郡山藩主。母は『華族系譜』による。天誅組の乱の鎮圧にあたった。維新後には、第六十八国立銀行を創設した。
妻 一条明子
一条忠香(→一条忠良~実良の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。