このページでは、細川氏(清和源氏・義国流)・利重流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
細川氏・利重流(肥後国熊本新田藩主)の略系図
1 利重→細川利重~利恭の系図
4 利寛→細川利寛~利永の系図
細川利重~利恭の系図
細川利重(とししげ)【1646-1687】
肥後国熊本新田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 忠利・父 光尚→細川忠利~綱利の系図
妻 細川興隆の娘
妻の父 細川興隆→細川興元~興誠の系図
妻 築山氏
子 利武/宣紀〔養父:細川綱利〕→細川宣紀~治年の系図
子 求馬
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 具→久我通誠~通兄の系図
子の夫 細川有孝→細川立孝~興里の系図
子 揚→松平隆政~直道の系図
細川利昌(としまさ)【1672-1715】
熊本新田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 細川吉
細川綱利(→細川忠利~綱利の系図)の娘。
妻 林氏
子 利方(としみち)【1698-1752】
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 利寛〔養父:細川利恭〕→細川利寛~利永の系図
子 利英・利乙
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 戸川氏
子 津田正明〔養父:津田正房〕→津田正明の系図
子 小笠原長員〔養父:小笠原長之〕→小笠原長秋~長栄の系図
妻 坂本氏
子 利昌の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 豊章〔養父:木村豊持〕
子の夫 織田長亮→織田長亮の系図
細川利恭(としやす)【1702-1749】
熊本新田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 栗山氏
子 利久
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 筧氏
子の夫 増山正贇→増山正武・正贇の系図
孫 正賢→増山正賢~正同の系図
子・子の夫 利寛・孫 利致→細川利寛~利永の系図
細川利寛~利永の系図
細川利恭(としひろ)【1714-1767】
熊本新田藩主。実は細川利方(→細川利重~利恭の系図)の子。
祖父 利昌・父 利恭→細川利重~利恭の系図
妻 細川利恭の娘
妻の父 細川利恭→細川利重~利恭の系図
子 利業(としなり)【1743-1776】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 利意(としもと)【1745-1763】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 利庸〔養父:細川利致〕
妻 及川氏
子 等之〔養父:戸川等頭〕
細川利致(としゆき)【1750-1781】
熊本新田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 久我信通の娘
妻の父 久我信通→久我信通~通久の系図
細川利庸(としつね)【1754-1805】
熊本新田藩主。実は細川利寛の子。藩校成章館を設立した。
妻 内藤頼尚の娘
実は内藤頼多(→内藤清枚~頼直の系図)の娘。
妻の父 内藤頼尚→内藤清枚~頼直の系図
妻 南部辰子
南部利雄(→南部利雄~利用の系図)の娘。
妻 白鳥氏
子 利愛〔養父:細川利庸〕
子 利安〔養父:村上正名〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 村松氏
子 義謀〔養父:柴田承式〕
子 利和(以下、『細川家譜(肥後高瀬)』による。)
孫 直候〔養父:戸田直正〕
孫 義以〔養父:宮原義直(→宮原義直の系図)〕
子の夫 毛利元義→毛利元義~元敏の系図
妻 大垣氏
子 泰之進
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 利豊(以下、『細川家譜(肥後高瀬)』による。)
孫 信近〔養父:松平信道〕
子 利器〔養父:興津忠辰〕(以下、『細川家譜(肥後高瀬)』による。)
子 方行〔養父:黒沢正房〕
母は『細川家譜(肥後高瀬)』による。
子 利庸の娘
母は『細川家譜(肥後高瀬)』による。
細川利国(としくに)【1784-1810】
熊本新田藩主。
子 利用〔養父:細川利愛〕
細川利愛(としちか)【1788-1841】(以下、『細川家譜(肥後高瀬)』による。)
熊本新田藩主。実は細川利庸の子。
妻 酒井忠哲の娘
妻の父 酒井忠哲→酒井忠寛~忠哲の系図
子 利正〔養父:細川利用〕
妻 山川氏
子 利永〔養父:細川利用〕
子 倫親〔養父:緒方当可〕
細川利用(としもち)【1808-1864】
熊本新田藩主。実は細川利国の子。
妻 戸田氏庸の娘
妻の父 戸田氏庸→戸田氏庸の系図
夫 板倉勝職→板倉勝政~勝弼の系図
子 利正【1812-1875】
実は細川利愛の子。
子 七之助【1835-1836】
子 利祐〔養父:細川利永〕
子の夫 細川慶前→細川斉茲~護久の系図
細川利永(としなが)【1829-1901】
熊本新田藩主。実は細川利愛の子。藩名を高瀬藩に改めた。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。