戸沢氏(桓武平氏・忠正流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、戸沢氏(桓武平氏・忠正流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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戸沢氏(出羽国新庄藩主)の略系図

戸沢氏の略系図

1 衡盛戸沢衡盛~光盛の系図
21 政盛戸沢政盛・正誠の系図
23 正庸戸沢正庸~正良の系図
28 正親戸沢正親~正実の系図

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戸沢衡盛~光盛の系図

戸沢衡盛~光盛の系図

  戸沢衡盛(ひらもり)【1157-1199】(以下、『華族系譜』による。)
 戸沢氏の祖とされる。

祖父 忠正 通正平正盛・忠盛の系図


  戸沢兼盛【1191-1263】
 『系図纂要』には見えない。


  戸沢親盛(ちかもり)【?-1260】


  戸沢克盛(よしもり)【?-1301】


  戸沢勝盛(かつもり)/長盛【?-1317】


  戸沢玄盛(はるもり)【?-1347】
 長盛/盛胤


  戸沢英盛(ひでもり)【1291-1361】


  戸沢氏盛(うじもり)【1308-1374】
 行盛〔養父:戸沢伊盛〕


  戸沢伊盛(これもり)【1333-1369】
 豊盛〔養父:戸沢行盛〕


  戸沢行盛(ゆきもり)【1335-1375】
 実は戸沢氏盛の子。
 泰盛〔養父:戸沢豊盛〕


  戸沢豊盛(とよもり)【1361-1391】
 実は戸沢伊盛の子。
 家盛〔養父:戸沢泰盛〕


  戸沢泰盛(やすもり)【1365-1413】
 実は戸沢行盛の子。


  戸沢家盛(いえもり)【1386-1465】
 実は戸沢豊盛の子。


  戸沢久盛(ひさもり)【1406-1436】


  戸沢寿盛(ながもり)【1425-1460】
 長峯/光遠〔養父:小笠原長倫〕

 盛直〔養父:淀川修理亮〕


  戸沢征盛(ゆきもり)【1447-1493】
 忠盛【?-1545】
 政重【1493-1578】
 盛重【1552-?】
 実は戸沢道盛の子。


  戸沢秀盛(ひでもり)【1466-1529】


  戸沢道盛(みちもり)【1526-1604】
 盛重〔養父:戸沢政重〕
 甚盛【?-1624】
 光盛〔養父:戸沢盛安〕


  戸沢盛安(もりやす)【1566-1590】
 政盛〔養父:戸沢光盛〕→戸沢政盛・正誠の系図


  戸沢光盛(みつもり)【1577-1592】
 実は戸沢道盛の子。
 政盛 正誠戸沢政盛・正誠の系図

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戸沢政盛・正誠の系図

戸沢政盛・正誠の系図

  戸沢政盛(まさもり)【1585-1648】
 出羽国角館藩主・常陸国松岡藩主・出羽国新庄藩主。実は戸沢盛安(→戸沢衡盛~光盛の系図)の子。城下町の整備等を行った。

祖父 盛安 光盛戸沢衡盛~光盛の系図

 鳥居美喜子【?-1624】
 鳥居元忠(→鳥居元忠の系図)の娘。
 普照院
 半平【1624-1632】
 伊勢→加藤泰興の系図

 楢岡光信の娘【?-1676】

 定盛(さだもり)/忠盛(ただもり)【1608-1641】
 実は鳥居忠政(→鳥居忠政の系図)の子。
子の妻 戸沢美也/冨【1612-1658】
 婦宇【1627-1648】


  戸沢正誠(まさのぶ)/乗盛(のりもり)/勝盛(かつもり)/忠義(ただよし)/政晟(まさあきら)/政条(まさえだ)/政寔(まさただ)/政陟(まさたか)/政錘(まさかね)/政応(まさたか)/正職(まさもと)【1640-1722】
 新庄藩主。藩体制の確立に努めた。
 浅野光晟の娘【1643-1664】
妻の父 浅野光晟浅野長晟~綱晟・長治~長寔の系図
 帯刀【1662-1664】
 右京/左京【1664-1665】

 相馬金八の娘
 →久留島通政の系図

 伊藤平右衛門の娘
 諏訪→青木重矩の系図

 門屋嘉兵衛の娘【?-1730】
 政武(まさたけ)【1677-1685】

 田中宗右衛門の娘
 常五郎【?-1687】

 佐藤庄左衛門の娘
 小山市蔵【?-1695】

 中村庄兵衛の娘
 万世〔養父:戸沢正庸〕→戸沢正庸~正良の系図

 正庸 正勝戸沢正庸~正良の系図
 正誠の息子【?-1688】
 【?-1691】
 登満【?-1692】
 正誠の娘【?-1693】
 【?-1695】

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戸沢正庸~正良の系図

戸沢正庸~正良の系図

  戸沢正庸(まさつね)【1664-1740】
 新庄藩主。財政再建を図った。

祖父 政盛 正誠戸沢政盛・正誠の系図

 小嶌久左衛門の娘
 里野【?-1698】

 中西氏
 正賀(まさよし)【1721-1729】

 山田善兵衛の娘
 庸祝(まさとき)/道正/正治【1725-1749】
 銕之助【1730-1731】
 正備(まさもと)/茂正【1733-1772】
 正親〔養父:戸沢正良〕→戸沢正親~正実の系図
 王珍/正珍(まさよし)【?-1778】
 正陽(まさはる)【?-1785】
 兵吉【?-1781】
 →山内豊穀の系図
 内藤忠勝~忠寿の系図
 里濃石川政往~正邦・政俊~政平の系図・木下利嵩の系図

 【1727-1731】
 勢濃【1731-1750】
 板倉勝暁に嫁ぐ予定であった。

 喜代
 正愛(まさちか)【1736-1749】

 寺川平右衛門の娘
 正諶〔養父:戸沢正勝〕

 正成(まさなり)【1686-1734】
 実は鳥居成勝(→鳥居成勝の系図)の子。
子の妻 戸沢万世【1699-1719】
 実は戸沢正誠(→戸沢政盛・正誠の系図)の娘。

 弥五郎【?-1699】
 登母【?-1706】
 幾知【?-1708】


  戸沢正勝(まさよし・まさかつ)【1722-1745】
 新庄藩主。
 大久保忠胤の娘【1727-1746】
 実は安藤信周(→安藤信周の系図)の娘。
妻の父 大久保忠胤→大久保忠胤の系図


  戸沢正諶(まさのぶ)【1722-1765】
 新庄藩主。実は戸沢正庸の子。
 柳沢吉里の娘【1721-1785】
妻の父 柳沢吉里柳沢吉里の系図

 奇蓮院
 【1753-1756】

 立花氏【?-1792】
 斧四郎【1764-1766】
 正良〔養父:戸沢正産〕

 理世
 松平乗穏~乗謨の系図戸田忠位~忠行の系図


  戸沢正産(まさただ)【1760-1780】
 新庄藩主。
 松平頼恭の娘
妻の父 松平頼恭松平頼豊~頼恭の系図
 堀直教堀直尭・直教の系図


  戸沢正良(まさすけ)【1762-1786】
 新庄藩主。実は戸沢正諶の子。藩校明倫堂の基礎を作った。
 酒井忠仰の娘
妻の父 酒井忠仰酒井忠恭・忠仰・忠交~忠全の系図

 正親 正胤戸沢正親~正実の系図

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戸沢正親~正実の系図

戸沢正親~正実の系図

  戸沢正親(まさちか)【1757-1796】
 新庄藩主。実は戸沢正備(→戸沢正庸~正良の系図)の子。

祖父 正産 正良戸沢正庸~正良の系図

 浅野長喬の娘【1768-1790】
妻の父 浅野長喬浅野長賢~長厚の系図
 正親の息子【1790】

 井伊直幸の娘【?-1836】
 実は井伊直朗(→井伊直存~直安の系図)の娘。
妻の父 井伊直幸井伊直幸の系図
 正親の息子【?-1794】

 長寿院
 柳沢経隆~光邦の系図

 千賀喰氏【?-1798】


  戸沢正胤(まさつぐ・まさたね)【1792-1858】
 新庄藩主。
 蜂須賀伊世【?-1854】
 実は蜂須賀重喜(→蜂須賀至央・重喜の系図)の娘。
妻の父 蜂須賀治昭蜂須賀治昭~茂韶の系図
 冨寿【1824】
 正胤の息子【1816】

 芳春院【?-1815】
 正晹【1811-1814】
 正啓【1813-1851】
 土井利貞~利恒の系図

 菊之枝
 正紀【1821-1844】
 正彬【1822-1848】〔養子:戸沢正時〕
 正胤の息子【1824】
 正胤の息子【1827】
 松平信亨~信安の系図
 【1829-?】
 【1829-1830】

 登世
 鎨之進【1820-1823】

 花枝
 楢岡信之助【1832-1847】
 【1827-1828】
 【1830-1863】
 正胤の娘【1831】

 【1844-1847】


  戸沢正令(まさよし・まさのり)【1813-1843】
 新庄藩主。
 島津貢
 島津重豪(→島津重豪の系図)の娘。
 本多忠貫〔養父:本多忠寛〕→本多忠永~忠貫の系図
 【1834-1883】
 →岩城隆永の系図
 【1840】

 中条信汎〔養父:中条信礼〕→中条信汎の系図
 直一【1840-1859】〔養父:戸田直知〕
 正時【1842-?】〔養父:戸沢正彬〕
 三穂【1838-1850】


  戸沢正実(まさざね)【1832-1896】
 新庄藩主。藩政改革に努めた。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟を脱退し、新政府軍に加わった。
 松平忠固の娘【1846-1875】
妻の父 松平忠固松平忠順~忠礼の系図

 青山銀
 青山忠良(→青山忠良・忠敏の系図)の娘。
 酒井錦
 酒井忠発(→酒井忠発~忠宝の系図)の娘。
 松平忠和松平忠馮~忠和の系図

 小笠原百代
 実は小笠原忠徴(→小笠原忠苗~忠忱の系図)の娘。
妻の父 小笠原忠固小笠原忠苗~忠忱の系図
 小笠原忠幹小笠原忠苗~忠忱の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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