このページでは、阿野家(藤原氏北家・末茂流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
阿野家(羽林家)の略系図
1 公佐→阿野公佐~公廉の系図
5 季継→阿野季継~実顕の系図
14 公業→阿野公業~実惟の系図
19 公縄→阿野公縄~実允の系図
阿野公佐~公廉の系図
阿野公佐/宗国/成実
実は藤原成親(→藤原成親の系図)の子。阿野家の祖。
祖父 公教→三条公教の系図
父 実国→滋野井実国~実宣の系図
妻 全成の娘
妻の父 全成→全成の系図
子の夫 堀川具実→堀川通具~基具の系図
子の夫 藤原実世→姉小路公宣~実広の系図
孫の夫 京極氏信→京極氏信・満信の系図
阿野実直/実名【1209-1251】
従三位。
子 公寛【1235-?】
従二位。
孫 実敦
従二位。
実敦孫 滋野井実益〔養父:滋野井公尚〕→滋野井公光~教国の系図
孫 寛子→日野俊光・資名の系図
曾孫の夫 柳原資明→柳原資明の系図
子 実澄〔養父:藤原公基(→西園寺実氏の系図)〕
子の夫 持明院基盛→持明院基宗~基世の系図
阿野公仲
子 実文/実連【?-1316】
従三位。父は阿野公廉とも。
阿野公廉〔養父:滋野井実冬(→滋野井公光~教国の系図)〕
子 実廉(さねかど)【1288-?】
従三位。守邦親王や成良親王に仕えた。
子 季継・孫 実村→阿野季継~実顕の系図
子 廉子→後醍醐天皇の系図
孫 後村上天皇→後村上天皇~後亀山天皇の系図
阿野季継~実顕の系図
阿野季継
父は阿野実廉(→阿野公佐~公廉の系図)とも。南朝で大納言になった。
祖父 公仲・父 公廉→阿野公佐~公廉の系図
阿野実為(さねため)
後亀山天皇に仕え、南朝で内大臣になった。
阿野公為
従三位。
子 季遠
権中納言。
孫の夫 葉室光忠→葉室長隆~頼継の系図
阿野実治【?-1449】
権中納言。
子 良春
父は阿野季遠とも。
阿野公煕【1417-1472】
権中納言。
妻 勧修寺経成の娘
妻の父 勧修寺経成→勧修寺経顕~教秀の系図
子 季賢
実は滋野井実益(→滋野井公光~教国の系図)の子。
阿野季綱【1471-1511】
参議。
阿野季時【1512-1532】
実は万里小路賢房(→万里小路賢房~惟房の系図)の子。
妻 西園寺実宣の娘
妻の父 西園寺実宣→西園寺公藤~公益の系図
子 実時/道怡(以下、『系図纂要』による。)
孫 実顕〔養父:阿野季時〕
孫 清水谷実任〔養父:一条公松、阿野季時〕→一条公有~清水谷公栄の系図
孫 尭円・霊偲・孫 実時の娘(『阿野家譜』による。)
子 清水谷実任〔養父:一条公松〕→一条公有~清水谷公栄の系図
実は阿野実時の子。
阿野実顕/実政/実好/実治【1581-1645】(以下、『系図纂要』による。)
権大納言。実は阿野実時の子。
妻 吉田兼治の娘
妻の父 吉田兼治→吉田兼治の系図
子 公福【1596-1619】
子 公業・孫 実藤→阿野公業~実惟の系図
子 姉小路公景〔養父:姉小路実広〕→姉小路公景~実武の系図
子 山本勝忠・孫 実富→山本勝忠~実政の系図
子の夫 中御門宣順→中御門資胤~宣基の系図
阿野公業~実惟の系図
阿野公業【1599-1683】
権大納言。
祖父 季時・父 実顕→阿野季継~実顕の系図
祖父 吉田兼治→吉田兼治の系図
妻 木下勝俊の娘
妻の父 木下勝俊→木下勝俊の系図
子 公業の息子(『阿野家譜』による。)
子の夫 資治(『阿野家譜』による。)
阿野実藤/季信【1634-1693】
権大納言。
妻 高力隆長の娘
妻の父 高力隆長→高力隆長の系図
子 公緒〔養父:阿野実孚〕
子 実藤の娘(3人)(『阿野家譜』による。)
子の夫 永井尚附→永井尚庸・尚附~尚賢の系図
阿野実孚【1665-1690】
阿野公緒【1666-1741】
権大納言。実は阿野実藤の子。
妻 鷲尾隆尹の娘
妻の父 鷲尾隆尹→鷲尾隆尚~隆尹の系図
妻 樋口初/千世【?-1752】〔養父:西本願寺〕
樋口信康(→樋口信孝~康煕の系図)の娘。
子の夫 清水谷雅季→清水谷実業~公美の系図
子の夫 万里小路稙房→万里小路稙房~通房の系図
阿野実惟/師季【1700-1743】
権中納言。
妻 高辻総長の娘
妻の父 高辻総長→高辻総長~修長の系図
子 公縄・孫 実紐→阿野公縄~実允の系図
子 実惟の息子(『阿野家譜』による。)
阿野公縄~実允の系図
阿野公縄【1728-1781】
権大納言。
祖父 公緒・父 実惟→阿野公業~実惟の系図
祖父 高辻総長→高辻総長~修長の系図
妻 永井直期の娘
妻の父 永井直期→永井直期・直行の系図
子 尭兼(『阿野家譜』による。)
子 公縄の娘〔養父:六条有起(→六条有起~有義の系図)〕(『阿野家譜』による。)
有馬監物に嫁いだ。
子 公縄の息子・子 公縄の娘(『阿野家譜』による。)
子の夫 樋口冬康(『阿野家譜』による。)→樋口基康・冬康の系図
子の夫 沢宣維(『阿野家譜』による。)→沢宣維の系図
子の夫 有馬内蔵助・大橋兵部(『阿野家譜』による。)
阿野実紐【1746-1786】
参議。
妻 吉田良延の娘
妻の父 吉田良延→吉田良延の系図
子 実紐の息子・子 実紐の娘(3人)(『阿野家譜』による。)
子の夫 上冷泉為則→上冷泉為則~為紀の系図
阿野公倫【1773-1800】
従三位。
妻 尭祐の娘
妻の父 尭祐→尭祐の系図
妻 上冷泉為章の娘
妻の父 上冷泉為章→上冷泉為泰・為章の系図
子 公倫の娘(2人)(『阿野家譜』による。)
阿野実典【1798-1838】
正三位。
子 滋野井実在〔養父:滋野井為国〕→滋野井冬康~公寿の系図
子 実雅〔養父:上冷泉為則(→上冷泉為則~為紀の系図)〕
子 厳浄・実典の息子(『阿野家譜』による。)
阿野公誠【1818-1879】
権中納言。
妻 坊城総子
坊城俊克(→坊城俊明~俊章の系図)の娘。
子 櫛笥隆義〔養父:櫛笥隆韶(→櫛笥隆望~隆韶の系図)〕
子 公誠の息子・子 公誠の娘(『阿野家譜』による。)
子の夫 長谷信成(『阿野家譜』による。)→長谷忠康~信成の系図
子の夫 堀田一員(『阿野家譜』による。)
阿野実允【1850-1887】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。