このページでは、西尾氏(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
西尾氏(遠江国横須賀藩主)の略系図
1 吉次→西尾吉次~忠照・吉定・重長の系図
1-A 利氏→西尾利氏~政温の系図
1-B 重次・重政→西尾重次~定省・重政~定誥の系図
2-A 政春→西尾政春~政境の系図
4 忠成→西尾忠成~忠需の系図
7 忠移→西尾忠移~忠篤の系図
西尾吉次~忠照・吉定・重長の系図
西尾吉次(よしつぐ)/義次(よしつぐ)【1529-1606】
武蔵国原市藩主。
祖父 持清・父 持広→吉良満義~持広の系図
子 利氏・孫 政氏→西尾利氏~政温の系図
子の夫 神忠政→神忠政の系図
西尾忠永(ただなが)/忠康(ただやす)【1584-1620】
原市藩主・常陸国土浦藩主。実は酒井重忠(→酒井広親~重忠の系図)の子。
妻 西尾吉次の娘【?-1658】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠知(ただとも)【1619-1675】
孫 梅沢
桂昌院に仕えた。
曾孫 政春→西尾政春~政境の系図
孫 忠知の娘〔養父:西尾忠照〕
子の夫 有馬忠頼→有馬忠頼~頼旨の系図
子の夫 稲垣重昌→稲垣重昌の系図
子の夫 木下俊治→木下俊治の系図
子 忠永の娘【?-1687】
増田道意に嫁いだ。
西尾忠照(ただてる)/忠昭(ただあきら)【1613-1654】
土浦藩主・駿河国田中藩主。
妻 竹中重義の娘
妻の父 竹中重義→竹中重義の系図
妻 松平伊昌の娘
妻の父 松平伊昌→松平忠景~忠実の系図
子 忠成・孫 忠尚→西尾忠成~忠需の系図
子の夫 小出守里→小出守里の系図
西尾吉定(よしさだ)【1589-1628】
実は鈴木吉長の子。
西尾重長(しげなが)【1604-1678】
実は鈴木吉長の子。
妻 神保相茂の娘
妻の父 神保相茂→神保相茂の系図
子 重次・重政・孫 重行・重春→西尾重次~定省・重政~定誥の系図
西尾政春~政境の系図
西尾政春(まさはる)
実は近藤石見守の甥。
祖父 忠知・母 梅沢→西尾吉次~忠照・吉定・重長の系図
子 政蒔〔養父:西尾政幸〕
西尾政幸(まさゆき)【1659-1682】
西尾政蒔(まさとき)【1665-1730】
実は西尾政春の子。
西尾知政(ともまさ)【1685-1764】
実は清水忠兵衛の子。
子の夫 羽田正舎→羽田正舎の系図
西尾政伴(まさとも)【1704-1756】
西尾政慶(まさよし)【1725-1787】
実は深谷祥尹(→深谷祥尹の系図)の子。
妻 屋代繁房の娘
妻の父 屋代繁房→屋代繁房の系図
西尾政境(まさのり)【1759-?】
西尾利氏~政温の系図
西尾利氏(としうじ)【1565-1611】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
実は靏見利政の子。
祖父 持広→吉良満義~持広の系図
父 吉次→西尾吉次~忠照・吉定・重長の系図
子 政次(まさつぐ)【?-1699】
西尾政氏(まさうじ)【1594-1675】
妻 大久保忠拠の娘
妻の父 大久保忠拠→大久保忠拠の系図
子 四郎兵衛【?-1673】
子の夫 内藤重種→内藤重種の系図
子の夫 高田政矩→高田政矩の系図
西尾政敏(まさとし)【1651-1717】
実は内藤重種(→内藤重種の系図)の子。
妻 近藤用由の娘
妻の父 近藤用由→近藤用由の系図
西尾政長(まさなが)【1696-1768】
実は六郷政慶(→六郷政慶の系図)の子。
妻 神保政矩の娘
妻の父 神保政矩→神保政矩の系図
子 求馬【1722-1750】
実は高木守興(→高木守興の系図)の子。
子 政長の娘
実は六郷政慶(→六郷政慶の系図)の娘。
子の夫 田沢昌齢→田沢昌齢の系図
西尾政辰(まさとき)
実は曲淵勝延(→曲淵勝延の系図)の子。
妻 西尾政長の娘
当初は西尾求馬に嫁ぐ予定であった。
子 渋江直氏〔養父:渋江直近〕→渋江直氏の系図
西尾政億(まさおく)【1751-1786】
妻 酒井忠親の娘
妻の父 酒井忠親→酒井勝吉~忠邑の系図
妻 曲淵勝周の娘
妻の父 曲淵勝周→曲淵勝周の系図
夫 岩本正倫→岩本正倫の系図
妻 久世広寛の娘
妻の父 久世広寛→久世広当~広孝の系図
夫 野一色義恭→野一色義恭の系図
子の夫 伊丹雅経→伊丹雅経の系図
西尾政温(まさよし)【1770-?】
妻 田沼意致の娘
妻の父 田沼意致→田沼意致の系図
西尾重次~定省・重政~定誥の系図
西尾重次(しげつぐ)【1628-1707】
祖父 吉定・父 重長→西尾吉次~忠照・吉定・重長の系図
妻 小川康明の娘
妻の父 小川康明→小川康明の系図
子の夫 大関増直→大関高増~増茂・増公~権之丞の系図
西尾重行(しげゆき)【1665-1748】
子の夫 牧村利重→牧村利重の系図
子の夫 小谷栄久→小谷栄久の系図
子の夫 窪島信方→窪島信方の系図
西尾定光(さだみつ)【1698-1761】
妻 原忠義の娘
妻の父 原忠義→原忠義の系図
子 小南逵考〔養父:小南逵徳〕→小南逵考の系図
西尾定氏(さだうじ)/定安(さだやす)【1732-1791】
妻 松前端広の娘
妻の父 松前端広→松前端広~忠広・広長・恭広の系図
妻 蜂巣正行の娘
妻の父 蜂巣正行→蜂巣正行の系図
子 飯河盛征〔養父:飯河盛寿〕→飯河盛征の系図
子の夫 妻木頼時→妻木頼時の系図
子の夫 清水時親→清水時親の系図
子の夫 中山時倫→中山時倫の系図
西尾定考(さだひさ)【1751-1784】
妻 中山時寿の娘
妻の父 中山時寿→中山時寿の系図
西尾定省(さだあき)
実は大前房明(→大前房明の系図)の子。
妻 西尾定考の娘
実は能勢頼護(→能勢頼護の系図)の娘。
西尾重政(しげまさ)【1631-1689】
妻 渋江直慰の娘
妻の父 渋江直慰→渋江直慰の系図
西尾重春(しげはる)【1662-1693】
子の夫 石原種利→石原種利の系図
西尾定矩(さだのり)【1687-1758】
妻 遠山資信の娘
妻の父 遠山資信→遠山資信の系図
夫 青木義方→青木義方の系図
西尾定堅(さだかた)【1707-1785】
西尾定朋(さだとも)【1731-?】
妻 岩田高忠の娘
実は岩田高重(→岩田高重の系図)の娘。
妻の父 岩田高忠→岩田高忠の系図
子の夫 伏屋為寿→伏屋為寿の系図
西尾定誥(さだのり)【1766-?】
西尾忠成~忠需の系図
西尾忠成(ただなり)【1653-1713】
田中藩主・信濃国小諸藩主・遠江国横須賀藩主。
祖父 忠永・父 忠照→西尾吉次~忠照・吉定・重長の系図
祖父 松平伊昌→松平忠景~忠実の系図
妻 丹羽通
丹羽光重(→丹羽光重の系図)の娘。
子 庄之助【?-1677】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠成の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 小沢氏
子 忠成の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 小畠氏
子 酒井忠告〔養父:酒井忠寛〕→酒井忠寛~忠哲の系図
子 忠成の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
西尾忠尚(ただなお)/忠直(ただなお)【1689-1760】
老中・横須賀藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。西尾氏中興の名君と称された。
妻 京極弁子
京極高豊(→京極高豊~朗徹の系図)の娘。
子 伊三郎【?-1720】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠成の娘
西尾忠需に嫁ぐ予定であった。
西尾忠需(ただみつ)【1716-1789】
横須賀藩主。実は京極高或(→京極高豊~朗徹の系図)の子。
子 忠雅(ただまさ)【1739-1765】
子の妻 丹羽秀
丹羽高寛(→丹羽高寛の系図)の娘。
孫 忠雅の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠移・孫 忠善→西尾忠移~忠篤の系図
西尾忠移~忠篤の系図
西尾忠移(ただゆき)【1746-1801】
横須賀藩主。甘蔗栽培を領内に広めた。
祖父 忠尚・父 忠需→西尾忠成~忠需の系図
妻 田沼意次の娘
妻の父 田沼意次→田沼意次の系図
子 千次郎【?-1775】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠亮(ただすけ)【1783-1799】
子の夫 久世綏之→久世広誉~広業の系図
子の夫 松平乗譲→松平乗興~乗譲の系図
子の夫 酒井忠実→酒井忠実の系図
西尾忠善(ただよし)【1768-1830】
横須賀藩主。実は牧野貞長(→牧野貞長の系図)の子。藩校横須賀学問所を設立した。
妻 西尾忠移の娘【?-1787】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 謙吉【?-1802】
子 忠宝/忠実【?-1841】(以下、『華族系譜』による。)
子の妻 酒井忠進の娘
子の妻の父 酒井忠進→酒井忠与~忠氏の系図
子の妻の夫 内藤信方→内藤信興~信美の系図
子の妻の夫 木下俊敦→木下俊敦の系図
子の妻 牧野忠精の娘
子の妻の父 牧野忠精→牧野忠精の系図
子の妻の夫 水野忠実→水野忠見~忠順の系図
孫 大関増裕〔養父:大関増徳〕→大関増輔~増勤の系図
孫 忠宝の娘〔養父:西尾忠受〕
子 明子→三宅康直の系図
子 忠善の息子・子 忠善の娘(『華族系譜』による。)
子の夫 石川総佐→石川総師~成之の系図
子の夫 高木正明→高木正明の系図
子の夫 内藤頼寧→内藤清枚~頼直の系図
子の夫 堀直格→堀直皓~直明の系図
西尾忠固(ただかた)【1811-1857】
横須賀藩主。
妻 本庄宗発の娘
妻の父 本庄宗発→本庄宗発の系図
西尾忠受(たださか)【1821-1861】(以下、『華族系譜』による。)
横須賀藩主。実は酒井忠実(→酒井忠実の系図)の子。
妻 土岐頼布の娘
妻の父 土岐頼布→土岐定経~頼之の系図
子 本多忠恕〔養父:本多忠貫〕→本多忠永~忠貫の系図
子 忠受の娘【?-1874】
加納久三郎に嫁いだ。
子の夫 堀直武→堀直皓~直明の系図
子の夫 平松時厚→平松時行~時厚の系図
子の夫 松平信正→松平信志~信正の系図
西尾忠篤(ただあつ)【1850-1910】
横須賀藩主・安房国花房藩主。徳川宗家の駿河国・遠江国入封に伴い、転封させられた。
妻 松平親良の娘
妻の父 松平親良→松平親良の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。