このページでは、酒井氏(清和源氏・義国流)・氏忠流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
酒井氏・氏忠流(出羽国庄内藩主)の略系図
1 氏忠→酒井氏忠~忠次の系図
6-A 忠知→酒井忠知~忠倪の系図
7 家次→酒井家次の系図
7-A 忠重→酒井忠重~忠興の系図
7-B 勝吉→酒井勝吉~忠邑の系図
8 忠勝→酒井忠勝~忠真・忠俊~忠盈の系図
8-A 忠興→酒井忠興~忠貞の系図
12 忠寄→酒井忠寄・忠温の系図
14 忠徳→酒井忠徳の系図
15 忠器→酒井忠器の系図
16 忠発→酒井忠発~忠宝の系図
酒井氏忠~忠次の系図
酒井氏忠/親忠【?-1462】
祖父 親氏→松平親氏・泰親の系図
父 広親→酒井広親~重忠の系図
酒井忠勝【?-1470】
酒井康忠【?-1502】
酒井忠親(ただちか)【?-1542】
酒井忠善(ただよし)【?-1536】
子 恒城(つねもと)【?-1616】
子 忠尚(ただなお)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
『系図纂要』によれば酒井忠親の子。徳川家康に仕えたが、三河一向一揆に加わった。
孫の夫 松平景忠→松平忠景~忠実の系図
子の夫 西郷清員→西郷清員の系図
子の夫 石川春重→石川康長~春房・春忠~春厚の系図
酒井忠次(ただつぐ)【1527-1596】
『寛政重修諸家譜』によれば酒井忠親の子。徳川四天王の一人。松平広忠・徳川家康に仕えた。
妻 松平碓井姫(うすいひめ)【?-1612】
松平清康(→松平清康・広忠の系図)の娘。
夫 松平政忠→松平政忠の系図
子 家次→酒井家次の系図
孫 忠勝→酒井忠勝~忠真・忠俊~忠盈の系図
孫 忠重→酒井忠重~忠興の系図
孫 勝吉→酒井勝吉~忠邑の系図
子 本多康俊〔養父:本多忠次〕→本多康俊の系図
子 小笠原信之〔養父:小笠原信嶺〕→小笠原信嶺~貞信・信政の系図
子 松平久恒〔養父:松平親俊〕→松平久恒の系図
子 忠知・孫 忠村→酒井忠知~忠倪の系図
子の夫 松平伊昌→松平忠景~忠実の系図
子の夫 牧野康成→牧野康成の系図
子の夫 本郷頼泰→本郷頼泰の系図
子の夫 曽我尚助→曽我尚助の系図
酒井忠知~忠倪の系図
酒井忠知(ただとも)/勝久(かつひさ)【1593-1676】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠善・父 忠次→酒井氏忠~忠次の系図
子 忠方(ただみち)【1616-1663】
子 高木貞則〔養父:高木貞勝〕→高木貞則の系図
子 忠治(ただはる)
徳川頼房に仕えた。
子の妻 徳川市【1639-1705】
徳川頼房(→徳川頼房の系図)の娘。
孫 鍋姫〔養父:徳川光圀〕→徳川光圀・綱条の系図
孫 忠治の娘〔養父:酒井忠村〕
酒井忠村(ただむら)【1619-1694】
子 井戸村弘〔養父:井戸宗弘〕→井戸村弘の系図
子の夫 榊原職房→榊原職房の系図
酒井忠隆(ただたか)【1662-1721】
妻 稲葉正羽の娘
妻の父 稲葉正羽→稲葉正羽の系図
子 小笠原信成〔養父:小笠原信辰〕→小笠原信辰~長守の系図
酒井忠居(ただおき)【1689-1742】
酒井忠顕(ただあき)【1717-1764】
妻 青木直宥の娘
妻の父 青木直宥→青木可直~直諒の系図
子 矢部正常〔養父:矢部正勝〕→矢部正常の系図
子の夫 小幡景房→小幡景房の系図
子の夫 浅野氏象→浅野氏象の系図
子の夫 戸田直著→戸田直良・輝道~直養の系図
酒井忠敬(ただたね)【1744-?】
妻 多賀高但の娘
実は藤堂良端(→藤堂嘉長~良真の系図)の娘。
妻の父 多賀高但→多賀高但の系図
妻 鈴木安節の娘
妻の父 鈴木安節→鈴木安節の系図
妻 増山正贇の娘
妻の父 増山正贇→増山正武・正贇の系図
夫 戸田氏紹→戸田氏定・氏長・定浩~氏澄の系図
子 忠質(ただかた)〔養子:酒井忠直(→酒井忠寄・忠温の系図)〕
実は酒井忠順(→酒井忠寄・忠温の系図)の子。
子の妻 酒井忠敬の娘
実は酒井忠倪の娘。
酒井忠倪(ただます)【1764-1786】
妻 松平方政の娘
妻の父 松平方政→松平正朝~正卜の系図
妻 大島義里の娘
妻の父 大島義里→大島義里の系図
子 忠倪の娘〔養父:酒井忠敬〕
酒井家次の系図
酒井家次(いえつぐ)【1564-1618】
下総国臼井藩主・上野国高崎藩主・越後国高田藩主。徳川家康に仕え、大坂の陣などで功を上げた。
祖父 忠善・父 忠次→酒井氏忠~忠次の系図
祖父 松平清康→松平清康・広忠の系図
妻 榊原正吉の娘
妻の父 榊原正吉→榊原正吉の系図
子 忠勝・孫 忠当・孫 忠俊→酒井忠勝~忠真・忠俊~忠盈の系図
孫 忠恒→酒井忠恒・忠予の系図
孫 忠興→酒井忠興~忠貞の系図
子 直次(なおつぐ)【1596-1630】
出羽国左沢藩主。嗣子がなかったため、廃藩になった。
孫の夫 内田正信→内田正信の系図
子 忠重・孫 忠之→酒井忠重~忠興の系図
子 勝吉・孫 忠秀→酒井勝吉~忠邑の系図
子 了次(さとつぐ)【?-1637】
子 忠時(ただとき)【1608-1623】
子 政時(まさとき)【1609-1630】
子の夫 松平忠良→松平忠良・康尚の系図
子の夫 水谷勝隆→水谷勝隆の系図
子の夫 内藤忠興→内藤忠興~義稠の系図
子の夫 島田重利→島田重利の系図
子の夫 松平忠隆→松平忠隆の系図
酒井忠重~忠興の系図
酒井忠重(ただしげ)【1598-1666】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠次→酒井氏忠~忠次の系図
父 家次→酒井家次の系図
子 忠豊(ただとよ)【1649-1676】
酒井忠之(ただなり)【1658-1729】
妻 山田重安の娘
妻の父 山田重安→山田重安の系図
子 忠実〔養父:酒井忠秀〕→酒井勝吉~忠邑の系図
酒井忠光(ただみつ)【?-1761】
妻 柘植兄正の娘
妻の父 柘植兄正→柘植兄正の系図
妻 福島国隆の娘
妻の父 福島国隆→福島国隆の系図
酒井忠貴(ただたか)【1714-1770】
実は酒井忠実(→酒井勝吉~忠邑の系図)の子。
妻 萩原友徳の娘
妻の父 萩原友徳→萩原友徳の系図
子 忠興〔養父:酒井忠照〕
酒井忠照(ただてる)【1752-1788】
酒井忠興(ただおき)【1767-?】
実は酒井忠貴の子。
酒井勝吉~忠邑の系図
酒井勝吉(かつよし)/忠吉(ただよし)【?-1684】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠次→酒井氏忠~忠次の系図
父 家次→酒井家次の系図
酒井忠秀(ただひで)【1656-1734】
子の夫 小栗信周→小栗信周の系図
子の夫 松平正厚→松平正吉・正生~正愛の系図
酒井忠実(ただざね)【1693-1751】
実は酒井忠之(→酒井忠重~忠興の系図)の子。
妻 永田直清の娘
妻の父 永田直清→永田直清の系図
夫 近藤用穹→近藤用穹の系図
子 忠貴〔養父:酒井忠光〕→酒井忠重~忠興の系図
子 渋江直近〔養父:渋江直矢〕→渋江直近の系図
酒井忠親(ただちか)【1712-1774】
子 斎藤忠包〔養父:斎藤忠祝、山岡景直〕→斎藤忠包の系図
子 忠邑〔養父:酒井忠宜〕
子の夫 西尾政億→西尾利氏~政温の系図
酒井忠宜(ただよし)【1754-1779】
酒井忠邑(ただくに)【1762-?】
実は酒井忠親の子。
妻 高屋信美の娘
妻の父 高屋信美→高屋信美の系図
酒井忠勝~忠真・忠俊~忠盈の系図
酒井忠勝(ただかつ)【1594-1647】
高田藩主・信濃国松代藩主・出羽国庄内藩主。
祖父 忠次→酒井氏忠~忠次の系図
父 家次→酒井家次の系図
祖父 榊原正吉→榊原正吉の系図
妻 鳥居妙子
鳥居忠政(→鳥居元忠・忠政の系図)の娘。
子 忠恒・孫 忠予→酒井忠恒・忠予の系図
子 忠貫(ただつら)【1640-1693】
子 忠盛(ただもり)【1642-1712】
子 忠直(ただなお)【1643-1700】
子 忠解(ただとき)【1643-1668】
出羽国大山藩主。
子の妻 松浦寧子
松浦鎮信(→松浦鎮信・棟の系図)の娘。
子の妻の夫 石川乗政→石川乗政・松平乗紀の系図
子 忠興・孫 忠陸→酒井忠興~忠貞の系図
子 山名恒豊〔養父:山名矩豊〕→山名恒豊の系図
子 満子→伊達宗純の系図
子 伊与子→溝口重雄の系図
子 小良子→松平伊燿~忠明の系図・滝川具章の系図
酒井忠当(ただまさ)【1617-1660】
庄内藩主。
妻 松平信綱の娘
妻の父 松平信綱→松平信綱の系図
子の夫 堀直輝→堀直重~直佑の系図
酒井忠義(ただよし)【1644-1681】
庄内藩主。
妻 松平輝綱の娘
妻の父 松平輝綱→松平輝綱・信輝の系図
子 種→前田利治~利章の系図
子 忠義の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 松平忠之→松平信之~信将の系図
子の夫 植村正朝→植村忠朝~泰通・忠元~千吉の系図
酒井忠真(ただざね)【1671-1731】
庄内藩主。
妻 細川光
細川綱利(→細川忠利~綱利の系図)の娘。
子 忠辰(ただとき)【1700-1709】
子 忠寄・孫 忠温→酒井忠寄・忠温の系図
子 諏訪→松平清武・武雅の系図
酒井忠俊(ただとし)【1621-1661】
酒井忠高(ただたか)【1661-1689】
酒井忠雄(ただお)【1670-1692】
実は小笠原信由(→小笠原信由~信将・信凭~直信の系図)の子。
酒井忠盈(ただみつ)【1684-1696】
実は酒井重盈の子。
酒井忠興~忠貞の系図
酒井忠興(ただおき)【1644-1719】〔養父:戸川主水〕(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 家次→酒井家次の系図
父 忠勝→酒井忠勝~忠真・忠俊~忠盈の系図
酒井忠陸(ただみち)【1673-1740】
子 忠陸の娘〔養父:酒井忠続〕
子の夫 曽我祐弘→曽我祐弘の系図
酒井忠続(ただつぐ)【1691-1728】
実は松平久親の子。
妻 酒井忠陸の娘
夫 細井勝為→細井勝為の系図
酒井忠高(ただたか)【1712-1774】
実は酒井重利の子。
妻 酒井忠続の娘
実は酒井忠陸の娘。
子 織田正寿〔養父:織田正邦〕→織田正寿の系図
子 惟親〔養父:松平信親〕
子 忠高の娘
実は菅谷貞寄(→菅谷貞寄の系図)の娘。
子の夫 織田正邦→織田正邦の系図
酒井忠福(ただとみ)【1735-1792】
妻 菅谷貞寄の娘
妻の父 菅谷貞寄→菅谷貞寄の系図
酒井忠貞(たださだ)【1769-?】
妻 阿部正雄の娘
妻の父 阿部正雄→阿部盛次~正易・正弘~正親の系図
酒井忠寄・忠温の系図
酒井忠寄(ただより)【1704-1766】
老中・庄内藩主。実は酒井忠予(→酒井忠恒・忠予の系図)の子。藩の財政難に苦しんだ。
祖父 忠義・父 忠真→酒井忠勝~忠真・忠俊~忠盈の系図
妻 前田窕【?-1781】
実は浅野吉長(→浅野綱長・吉長の系図)の娘。
妻の父 前田綱紀→前田利常~綱紀の系図
子 主計【1724-1729】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 松平忠刻→松平忠雅~忠功の系図
子 安次郎【1734-1743】
子 植村寿朝〔養父:植村恒朝〕→植村忠朝~泰通・忠元~千吉の系図
子 本多康伴〔養父:本多康政〕→本多康桓~康匡の系図
子 忠久【1743-1760】
子 本庄資尹〔養父:本庄資昌〕→本庄資尹の系図
酒井忠温(ただあつ)【1732-1767】
庄内藩主。
妻 黒田為
黒田継高(→黒田綱政~継高の系図)の娘。
子 忠徳→酒井忠徳の系図
孫 忠器→酒井忠器の系図
孫 忠礼〔養父:酒井忠崇〕→酒井忠礼の系図
孫 忠質〔養父:酒井忠敬〕→酒井忠知~忠倪の系図
孫 忠直〔養父:酒井忠質(→酒井忠知~忠倪の系図)〕
孫 忠順の娘〔養父:坪内定儀(→坪内定儀の系図)〕
孫の夫 市橋長昭→市橋直挙~長義の系図
孫の夫 坪内定儀→坪内定儀の系図
孫の夫 本多忠顕→本多忠典~忠直の系図
孫の夫 戸川安悌→戸川安悌の系図
酒井忠徳の系図
酒井忠徳(ただあり)【1755-1812】
庄内藩主。本間光丘を登用し、藩財政の再建に努めた。藩校致道館を設立した。
祖父 忠寄・父 忠温→酒井忠寄・忠温の系図
祖父 黒田継高→黒田綱政~継高の系図
妻 田安脩姫
田安宗武(→田安宗武の系図)の娘。
妻 木曽氏
子 市橋長富〔養父:市橋長発〕→市橋直挙~長義の系図
子 松次郎【1785-1790】
子 忠器→酒井忠器の系図
孫 忠発→酒井忠発~忠宝の系図
子 水野忠実〔養父:水野忠韶〕→水野忠見~忠順の系図
子 黒田直侯〔養父:黒田直方〕→黒田直方~直養の系図
子 内藤政民〔養父:内藤政璟〕→内藤貞幹~政憲の系図
子 小笠原長泰〔養父:小笠原長昌〕→小笠原長尭~長国の系図
子 建→前田利之~利鬯の系図
酒井忠器の系図
酒井忠器(ただかた)【1790-1854】
庄内藩主。
祖父 忠温→酒井忠寄・忠温の系図
父 忠徳→酒井忠徳の系図
妻 松平信明の娘
妻の父 松平信明→松平信明~信古の系図
子 忠発・孫 忠寛→酒井忠発~忠宝の系図
子 増山正修〔養父:増山正寧〕→増山正賢~正同の系図
子 忠中【1821-1845】
子 市橋長義〔養父:市橋長富〕→市橋直挙~長義の系図
子 米津政易〔養父:米津政懿〕→米津政易の系図
子 米津政明〔養父:米津政易〕→米津政明の系図
子 忠寛〔養父:酒井忠発〕→酒井忠発~忠宝の系図
子 〓(「金」+「與」)→内藤信興~信美の系図
子 猶→松平定静~定昭の系図
子 忠器の娘
松平輝承に嫁ぐ予定であった。
子 錦之助・銀次郎・虎次郎・春次郎・子 忠器の娘(8人)(『華族系譜』による。)
子の夫 松平輝承→松平輝和~輝声の系図
子の夫 松平勝善→松平定静~定昭の系図
子の夫 五島盛徳→五島盛運~盛徳の系図
子の夫 松平忠精→松平忠馮~忠和の系図
酒井忠発~忠宝の系図
酒井忠発(ただあき)【1812-1876】(以下、『華族系譜』による。)
庄内藩主。
妻 田安鐐姫【1808-?】
田安斉匡(→田安治察~亀之助の系図)の娘。
妻 萩原氏
子 忠篤〔養父:酒井忠寛〕
子 新太郎【1838-1840】
子 忠恕【1839-1858】
子の妻 山内豊煕の娘【1841-?】
子の妻の父 山内豊煕→山内豊煕の系図
子 〓三郎
〓は「金」+「款」。
子 忠宝〔養父:酒井忠篤〕
子 忠庸【1857-?】
子 忠利【1857-?】
実は米津政明(→米津政明の系図)の子。
子 愛子→鳥居忠燾~忠文の系図
子 錦→松平忠馮~忠和の系図・戸沢正親~正実の系図
子の夫 稲葉正邦→稲葉正邦の系図
子の夫 本多康穣→本多康完~康穣の系図
子の夫 松平輝声→松平輝和~輝声の系図
酒井忠寛(ただとも)【1839-1862】
庄内藩主。実は酒井忠器(→酒井忠器の系図)の子。
酒井忠篤(ただずみ)【1853-1915】
庄内藩主。実は酒井忠発の子。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加わった。
妻 田安鎮姫【1866-?】
田安慶頼(→田安治察~亀之助の系図)の娘。
酒井忠宝(ただみち)/忠禄(ただもち)【1856-1921】
庄内藩主・陸奥国会津藩主・陸奥国平藩主。実は酒井忠発の子。転封を命じられたが、献金により元の庄内藩に戻った。
妻 遠藤鍈
遠藤胤城(→遠藤胤城の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。