このページでは、本多氏(藤原氏北家・兼通流)・正時流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
本多氏・正時流(近江国膳所藩主)の略系図
1 正時→本多正時~忠次の系図
4-A 光好→本多光好~久豊の系図
6 康俊→本多康俊の系図
6-A1 俊昌→本多俊昌~忠暁の系図
6-A2 忠顕→本多忠顕~忠征の系図
6-B 俊之・景次→本多俊之~直俊・景次~忠重の系図
7 俊次→本多俊次の系図
7-A 忠隆→本多忠隆・忠吉・忠直~忠篤の系図
8 康長・康将→本多康長・康将の系図
9 康慶→本多康慶~康敏の系図
12 康桓→本多康桓~康匡の系図
12-A 忠薫→本多忠薫の系図
16 康完→本多康完~康穣の系図
本多正時~忠次の系図
本多正時/泰順
祖父 定忠・父 定助→藤原顕忠~本多忠高の系図
本多正助/永順
子 信正・孫 重正→本多信正~成重の系図
子 忠正→本多定吉~正貫の系図
本多正忠
孫 信勝
孫の妻 高力正長の娘
孫の妻の父 高力正長→高力正長の系図
曾孫 信吉【?-1649】
曾孫の妻 米倉重種の娘
曾孫の妻の父 米倉重種→米倉宗継~信継・重種・豊継~正明・満継・信継の系図
曾孫の妻の夫 梶川忠久→梶川忠久の系図
本多忠俊(ただとし)【?-1564】
子 光好・孫 好次→本多光好~久豊の系図
子の夫 高力正長→高力正長の系図
本多忠次(ただつぐ)【1548-1612】
徳川家康に仕え、姉川の戦いや長篠の戦いに参加した。
妻 菅沼定村の娘
妻の父 菅沼定村→菅沼定村の系図
子 康俊→本多康俊の系図
孫 俊次→本多俊次の系図
孫 忠相→本多忠相~忠敞の系図
孫 俊昌→本多俊昌~忠暁の系図
孫 俊之・景次→本多俊之~直俊・景次~忠重の系図
本多光好~久豊の系図
本多光好(みつよし)/光忠(みつただ)
祖父 正忠・父 忠俊→本多正時~忠次の系図
本多好次(よしつぐ)/光久(みつひさ)
本多好房(よしふさ)/忠房(ただふさ)/久政(ひさまさ)【?-1653】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
本多久次(ひさつぐ)【?-1699】
妻 小栗信勝の娘
妻の父 小栗信勝→小栗信勝の系図
本多久命(ひさかた)【1673-1751】
子 天野貞真〔養父:天野貞直〕→天野貞真の系図
子の夫 酒井実久→酒井実久の系図
本多久時(ひさとき)【1703-1776】
子 酒井実方〔養父:酒井実久〕→酒井実方の系図
子 久友〔養父:本多久信〕
子 久豊〔養父:本多久友〕
子の夫 朝倉景美→朝倉景美の系図
子の夫 大久保副忠→大久保副忠の系図
本多久信(ひさのぶ)【1730-1779】
妻 村越正幸の娘
妻の父 村越正幸→村越正幸の系図
夫 三宅徳旨→三宅徳旨の系図
夫 越智道品→越智道品の系図
本多久友(ひさとも)【1737-?】
実は本多久時の子。
妻 永井定之の娘
妻の父 永井定之→永井定之の系図
夫 都筑政朝→都筑政朝の系図
本多久豊(ひさとよ)【1753-?】
実は本多久時の子。
本多康俊の系図
本多康俊(やすとし)【1569-1621】
近江国膳所藩主。実は酒井忠次(→酒井氏忠~忠次の系図)の子。徳川家康に仕え、関ヶ原の戦いや大坂夏の陣などで功をあげた。
祖父 忠俊・父 忠次→本多正時~忠次の系図
妻 菅沼定盈の娘
妻の父 菅沼定盈→菅沼定盈の系図
子 俊次→本多俊次の系図
孫 康長・孫 康将→本多康長・康将の系図
孫 忠隆→本多忠隆・忠吉・忠直~忠篤の系図
子 忠相・孫 忠将→本多忠相~忠敞の系図
孫 忠清→本多忠清~行孝の系図
子 俊昌・孫 俊春→本多俊昌~忠暁の系図
孫 忠顕→本多忠顕~忠征の系図
子 景次・孫 忠利→本多俊之~直俊・景次~忠重の系図
子の夫 前田利孝→前田利孝~利慶の系図
孫 孝矩→前田孝矩~矩方の系図
子 俊之・孫 俊春→本多俊之~直俊・景次~忠重の系図
本多俊昌~忠暁の系図
本多俊昌(としまさ)【1602-1674】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠次→本多正時~忠次の系図
父 康俊→本多康俊の系図
祖父 菅沼定盈→菅沼定盈の系図
子 忠顕・孫 忠昌→本多忠顕~忠征の系図
子の夫 沼間清芳→沼間清芳の系図
本多俊春(としはる)【1647-1715】
妻 多羅尾光武の娘
妻の父 多羅尾光武→多羅尾光武の系図
本多忠英(ただひで)【1668-1739】
実は本多俊次(→本多俊次の系図)の子。
子 忠薫(ただしげ)【1706-1728】
子 忠英の娘〔養父:甘露寺方長(→甘露寺経元~尚長の系図)〕
子の夫 稲生正英→稲生正英の系図
子の夫 日根野弘周→日根野弘周の系図
子の夫 本多方信→本多俊之~直俊・景次~忠重の系図
本多忠経(ただつね)【1724-1765】
妻 本多忠統の娘【1740-1763】
妻の父 本多忠統→本多忠恒・忠統の系図
本多忠昭(ただてる)【1756-1789】
妻 奥田高甫の娘
妻の父 奥田高甫→奥田高甫の系図
本多忠暁(ただとし)【1773-?】
妻 本多忠薫の娘
妻の父 本多忠薫→本多忠薫の系図
本多忠顕~忠征の系図
本多忠顕(ただあきら)【1654-1710】
祖父 康俊→本多康俊の系図
父 俊昌→本多俊昌~忠暁の系図
本多忠昌(ただまさ)【1690-1760】
妻 跡部良顕の娘
妻の父 跡部良顕→跡部良顕の系図
子 忠守〔養父:本多忠武〕
子の夫 玉虫茂郷→玉虫茂郷の系図
子の夫 佐橋佳栄→佐橋佳栄の系図
本多忠武(ただたけ)【1721-1752】
本多忠守(ただもり)【1729-1785】
実は本多忠昌の子。
妻 上原元喜の娘
妻の父 上原元喜→上原元喜の系図
夫 上原元長→上原元長の系図
子 児島正孝〔養父:児島正域〕→児島正孝の系図
本多忠征(ただゆき)【1759-?】
妻 依田守寿の娘
妻の父 依田守寿→依田守寿の系図
本多俊之~直俊・景次~忠重の系図
本多俊之(としゆき)【?-1679】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠次→本多正時~忠次の系図
父 康俊→本多康俊の系図
本多俊春(としはる)【?-1691】
本多俊広(としひろ)【1663-1715】
本多俊明(としあきら)【1699-1725】
本多俊忠(としただ)【1721-1750】
実は織田正幸(→織田正幸の系図)の子。
本多俊延(としのぶ)【1735-1785】
実は織田芳正(→織田芳正の系図)の子。
本多直俊(なおとし)【1774-?】
実は猪子一典(→猪子一典の系図)の子。
本多景次(かげつぐ)【1605-1687】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 菅沼定盈→菅沼定盈の系図
妻 織田長孝の娘
妻の父 織田長孝→織田長孝の系図
本多忠利(ただとし)【1645-1726】
実は本多俊次(→本多俊次の系図)の子。
子 安忠〔養父:本多方信〕
子の夫 近藤用載→近藤用載の系図
子の夫 坂井成徳→坂井成徳の系図
本多方信(よしのぶ)【1681-1758】
妻 本多忠英の娘
実は本多忠将の娘。
妻の父 本多忠英→本多俊昌~忠暁の系図
本多安忠(やすただ)【1691-1767】
実は本多忠利の子。
本多忠豪(ただとし)【1718-1785】
実は坂井成徳(→坂井成徳の系図)の子。
妻 菅沼政安の娘
実は千野光豊の娘。
妻の父 菅沼政安→菅沼政安の系図
子 定安(さだやす)
実は坂井成安(→坂井成安の系図)の子。
子の夫 本多正利→本多正利の系図
本多忠重(ただしげ)【1766-?】
実は竹田顕斯(→竹田顕斯の系図)の子。
本多俊次の系図
本多俊次(としつぐ)【1595-1668】
膳所藩主・三河国西尾藩主・伊勢国亀山藩主。
祖父 忠次→本多正時~忠次の系図
父 康俊→本多康俊の系図
祖父 菅沼定盈→菅沼定盈の系図
妻 立花宗茂の娘
実は小田部統房の娘。
妻の父 立花宗茂→立花宗茂の系図
子 康長・子 康将→本多康長・康将の系図
孫 康慶→本多康慶~康敏の系図
孫 忠恒→本多忠恒・忠統の系図
子 忠顕(ただあき)/俊世(としよ)【1623-1699】
子 忠隆・孫 忠吉・忠直→本多忠隆・忠吉・忠直~忠篤の系図
子 俊正(としまさ)【?-1700】
子の夫 牧野光成→牧野光成の系図
子 忠利〔養父:本多景次〕→本多俊之~直俊・景次~忠重の系図
子 立花鎮俊(かねとし)【?-1716】
子 忠英〔養父:本多俊春〕→本多俊昌~忠暁の系図
子の夫 細川興栄→細川興元~興誠の系図
本多忠隆・忠吉・忠直~忠篤の系図
本多忠隆(ただたか)/俊勝(としかつ)【1625-1678】
祖父 康俊→本多康俊の系図
父 俊次→本多俊次の系図
祖父 立花宗茂→立花宗茂の系図
妻 青山宗俊の娘
実は稲葉一通(→稲葉一通の系図)の娘。
妻の父 青山宗俊→青山宗俊~忠重の系図
子 秀如(しゅうじょ)/忠茂(ただしげ)
子の夫 稲垣昭友→稲垣昭友の系図
子の夫 九鬼隆長→九鬼守隆~隆昌・隆重~隆安の系図
本多忠吉(ただよし)【?-1683】
子の夫 坂井成徳→坂井成徳の系図
本多忠直(ただなお)/忠永(ただなが)【1648-1719】
妻 高井清方の娘
妻の父 高井清方→高井清方の系図
本多俊方(としかた)【1701-1778】
実は室賀正勝(→室賀正勝の系図)の子。
子 俊治(としはる)
子の妻 室賀正普の娘
子の妻の父 室賀正普→室賀正普の系図
子の妻の夫 平野長好→平野長好の系図
子 忠国(ただくに)
実は本多忠統(→本多忠恒・忠統の系図)の子。
本多忠寛(ただひろ)【1732-1765】
実は酒井友常(→酒井友常の系図)の子。
妻 山田直貞の娘
妻の父 山田直貞→山田直貞の系図
本多俊房(としふさ)【1740-1784】
実は奥村正芳(→奥村正芳の系図)の子。
本多忠廉(ただかど)【1746-?】
実は奥村正芳(→奥村正芳の系図)の子。
妻 江原胤親の娘
妻の父 江原胤親→江原胤親の系図
夫 土岐朝尭→土岐治頼~朝治・朝直~朝旨の系図
本多忠篤(ただあつ)
実は村上義礼(→村上義礼の系図)の子。
本多康長・康将の系図
本多康長(やすなが)【1617-1658】
祖父 康俊→本多康俊の系図
父 俊次→本多俊次の系図
祖父 立花宗茂→立花宗茂の系図
妻 松平成重の娘
妻の父 松平成重→松平成重~近陣の系図
子 康慶〔養父:本多康将〕→本多康慶~康敏の系図
子の夫 立花鑑虎→立花鑑虎の系図
子の夫 加藤明英→加藤明英の系図
本多康将(やすまさ)【1622-1691】
膳所藩主。
子・子の夫 康慶・孫 康命→本多康慶~康敏の系図
子 忠恒・孫 忠統→本多忠恒・忠統の系図
子の夫 松平重栄→松平重栄の系図
子の夫 甘露寺方長→甘露寺経元~尚長の系図
子の夫 松平忠継→松平忠継の系図
本多康慶~康敏の系図
本多康慶(やすよし)【1647-1718】
膳所藩主。実は本多康長(→本多康長・康将の系図)の子。
祖父 俊次→本多俊次の系図
父 康将→本多康長・康将の系図
妻 本多康将の娘
妻の父 本多康将→本多康長・康将の系図
子 弾之助
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 康慶の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 康慶の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子 康敏〔養父:本多康命〕
子 牧野忠寿〔養父:牧野忠辰〕→牧野忠寿の系図
子 康慶の娘(4人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 相馬尊胤→相馬尊胤の系図
子の夫 青山幸秀→青山幸督~幸道の系図
子の夫 本多忠敞→本多忠相~忠敞の系図
孫 忠栄→本多忠栄~忠鵬の系図
本多康命(やすのぶ)【1672-1719】
膳所藩主。
妻 伊達綱村の娘
実は伊達綱宗(→伊達綱宗・綱村の系図)の娘。
妻の父 伊達綱村→伊達綱宗・綱村の系図
子 康命の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
本多康敏(やすとし)【1693-1747】
膳所藩主。実は本多康慶の子。
子 康桓・孫 康政→本多康桓~康匡の系図
孫 忠薫→本多忠薫の系図
本多康桓~康匡の系図
本多康桓(やすたけ)/忠邦(ただくに)【1714-1769】
膳所藩主。実は本多忠統(→本多忠恒・忠統の系図)の子。
祖父 康命・父 康敏→本多康慶~康敏の系図
妻 牧野忠寿の娘
妻の父 牧野忠寿→牧野忠寿の系図
子 忠薫→本多忠薫の系図
子 康桓の娘〔養父:本多康政〕
子 忠桓の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 牧野忠利→牧野忠利の系図
子の夫 永井直珍→永井直珍の系図
孫 直進→永井直進~直諒の系図
子の夫 京極高備→京極高長~高陳の系図
本多康政(やすまさ)/忠節(ただとき)【1745-1765】
膳所藩主。実は本多忠統(→本多忠恒・忠統の系図)の子。
子 康政の息子(『寛政重修諸家譜』による。)
子 八百姫〔養父:本多康伴〕
本多康伴(やすとも)/忠矩(ただのり)【1740-1771】
膳所藩主。実は酒井忠寄(→酒井忠寄・忠温の系図)の子。
妻 本多康政の娘
実は本多康桓の娘。
子 康伴の娘(2人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 八百姫→飛鳥井雅香~雅望の系図
子の夫 吉田良連→吉田良連の系図
本多康匡(やすただ)【1757-1781】
膳所藩主。実は酒井忠寄(→酒井忠寄の系図)の子。
子 康完・孫 康禎→本多康完~康穣の系図
本多忠薫の系図
本多忠薫(ただしげ)/康年(やすとし)/康倍(やすます)【1745-1801】
本多直美・本多光武・本多朝諸の養女となった娘がいる。
祖父 康敏→本多康慶~康敏の系図
父 康桓→本多康桓~康匡の系図
子 康完〔養父:本多康匡〕→本多康完~康穣の系図
子 康禎〔養父:本多康完〕→本多康完~康穣の系図
子 忠升〔養父:本多忠奝〕→本多忠永~忠貫の系図
子 忠薫の娘〔養父:吉田良連(→吉田良連の系図)〕(『本多家譜(近江膳所)』による。)
子の夫 板倉勝長→板倉勝矩~勝達の系図
子の夫 水野忠晋(『本多家譜(近江膳所)』による。)→水野忠慎~忠晋の系図
子の夫 本多忠暁→本多俊昌~忠暁の系図
子の夫 吉田良連(『本多家譜(近江膳所)』による。)→吉田良連の系図
子の夫 島田政智→島田政智の系図
子の夫 京極高寧(『本多家譜(近江膳所)』による。)→京極高寧の系図
子の夫 本多忠和(『本多家譜(近江膳所)』による。)→本多忠栄~忠鵬の系図
子の夫 蓮阿・藤懸永憲(『本多家譜(近江膳所)』による。)
本多康完~康穣の系図
本多康完(やすさだ)【1769-1806】
膳所藩主。実は本多忠薫(→本多忠薫の系図)の子。『系図纂要』では、娘として他に、高力左京妻・高木修理妻・藤掛右京妻を掲げる。
祖父 康伴・父 康匡→本多康桓~康匡の系図
妻 秋元永朝の娘
妻の父 秋元永朝→秋元永朝の系図
妻 板倉勝志の娘
妻の父 板倉勝志→板倉勝興・勝志の系図
子の夫 戸田忠禄→戸田忠位~忠行の系図
本多康禎(やすつぐ)【1787-1848】
膳所藩主。実は本多忠薫(→本多忠薫の系図)の子。
妻 島津操
島津斉宣(→島津斉宣の系図)の娘。
子 朽木綱張〔養父:朽木綱条〕→朽木倫綱~為綱の系図
子 谷衛弼〔養父:谷衛昉〕→谷衛秀~衛滋の系図
子 康穣〔養父:本多康融〕
子 植村家保〔養父:植村家興〕→植村家道~家壺の系図
子 忠誨・子 康禎の娘(2人)(『本多家譜(近江膳所)』による。)
子の夫 飛鳥井雅望(『本多家譜(近江膳所)』による。)→飛鳥井雅香~雅望の系図
本多康融(やすあき)【1812-1858】
膳所藩主。
妻 島津順
島津斉興(→島津斉興の系図)の娘。
本多康穣(やすしげ)/忠和【1835-1912】
膳所藩主。実は本多康禎の子。
妻 酒井忠発の娘
妻の父 酒井忠発→酒井忠発~忠宝の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。