会津松平家(清和源氏・義国流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、会津松平家(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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会津松平家(陸奥国会津藩主)の略系図

会津松平家の略系図

1 正之保科正之・正経の系図
3 正容松平正容~容頌の系図
6 容住松平容住~容大の系図

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保科正之・正経の系図

保科正之・正経の系図

  保科正之(まさゆき)【1611-1672】〔養父:保科正光(→保科国行~正直の系図)〕
 信濃国高遠藩主・出羽国山形藩主・陸奥国会津藩主。徳川家綱を補佐して幕政を主導した。また、会津藩政の基礎を固め、『家訓十五箇条』を制定した。

祖父 家康徳川家康の系図
 秀忠徳川秀忠の系図

 内藤政長の娘
妻の父 内藤政長内藤政長の系図
 幸松【?-1638】

 藤木氏
 正頼(まさより)【1640-1657】
 正純(まさずみ)【1652-1671】
 媛姫→上杉綱勝の系図
 石姫稲葉正往~正恒の系図

 牛田氏
 松姫前田利常~綱紀の系図

 沖氏
 松平正容〔養父:保科正経〕→松平正容~容頌の系図


  保科正経(まさつね)【1646-1681】
 会津藩主。
 前田熊【?-1715】
 前田利常(→前田利常~綱紀の系図)の娘。

 松平正容 容貞松平正容~容頌の系図

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松平正容~容頌の系図

松平正容~容頌の系図

  松平正容(まさかた)/正信(まさのぶ)【1669-1731】
 会津藩主。実は保科正之(→保科正之・正経の系図)の子。松平姓を許された。

祖父 正之 正経保科正之・正経の系図

 阿部正武の娘
妻の父 阿部正武阿部正武~正允・正明~正章の系図

 横山常定の娘
 正甫(まさもと)【1697-1727】
子の妻 浅野吉長の娘
子の妻の父 浅野吉長浅野綱長・吉長の系図
子の妻の夫 相馬徳胤→相馬徳胤の系図

 栄之丞【1699-1700】
 元姫【1695-1697】

 榎本氏
 正邦(まさくに)【1696-1708】

 篠沢氏
 養姫
 松平定喬に嫁ぐ予定であった。

 外島氏
 容章(かたあきら)【1725-1786】
 容詮 当姫留姫〔養父:松平容頌〕

 常姫前田吉徳~重教の系図


  松平容貞(かたさだ)【1724-1750】
 会津藩主。
 松平頼豊の娘
妻の父 松平頼豊松平頼豊~頼恭の系図

 館氏
 貞歴(さだつね)【1746-1755】

 中村氏
 員姫稲葉正親~正弘の系図


  松平容頌(かたのぶ)/容綏(かたやす)/容清(かたきよ)【1742-1805】
 会津藩主。田中玄宰を家老に取り立て、藩政改革にあたった。藩校日新館を創設した。
 阿部正允の娘
妻の父 阿部正允阿部正武~正允・正明~正章の系図

 毛利重就の娘
 実は毛利宗広(→毛利吉元~重就の系図)の娘。
妻の父 毛利重就毛利吉元~重就の系図

 容住 容衆松平容住~容大の系図
 容詮(かたさだ)【1750-1785】
 実は松平容章の子。
子の妻 前田頴【?-1803】
 実は前田重教(→前田吉徳~重教の系図)の娘。
子の妻の父 前田治脩前田治脩~慶寧の系図

子の妻 鈴木氏
 富五郎【?-1776】
 容住〔養父:松平容頌〕→松平容住~容大の系図
 容序(かたつぐ)/容将(かたまさ)【1783-1800】
 照姫【?-1778】

 当姫松平信友~信謹の系図・加藤泰候の系図
 留姫大村純保~純煕の系図

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松平容住~容大の系図

松平容住~容大の系図

  松平容住(かたおき)【1778-1805】
 会津藩主。実は松平容詮(→松平正容~容頌の系図)の子。

祖父 容貞 容頌松平正容~容頌の系図

 井伊直幸の娘
妻の父 井伊直幸井伊直幸の系図
 大炊【1801】

 白岩氏
 容敬〔養父:松平容衆〕


  松平容衆(かたひろ)【1803-1822】
 会津藩主。
 徳川幸子/元姫【1808-1821】
 徳川家斉(→徳川家斉の系図)の娘。


  松平容敬(かたたか)/容和【1803-1852】
 会津藩主。父は松平義和(→松平義敏~義和の系図)とも。
 前田厚
 前田斉広(→前田治脩~慶寧の系図)の娘。

 煕姫奥平昌高~昌邁の系図


  松平容保(かたもり)【1835-1893】
 会津藩主。実は松平義建(→松平義建~義生の系図)の子。京都守護職に任じられた。維新後には日光東照宮宮司を務めた。
 喜徳(のぶのり)/昭則【1855-1891】
 会津藩主。実は徳川斉昭(→徳川斉昭~昭武の系図)の子。


  松平容大(かたはる)【1869-1910】
 陸奥国斗南藩主。会津戦争で廃された会津藩の再興を許された。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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