このページでは、四辻家(藤原氏北家・公季流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
四辻家(羽林家)の略系図
1 実藤→室町実藤~実為の系図
4 公春→室町公春~四辻公音の系図
11 季遠→四辻季遠~季満の系図
14 季継→四辻季継~季輔の系図
18 公韶→四辻公韶~公賀の系図
室町実藤~実為の系図
室町実藤【1227-1298】
権大納言。四辻家の祖。
妻 中原師朝の娘
妻の父 中原師朝→中原師朝の系図
子 公行【1243-?】
従二位。
子の妻 藤原済家の娘
子の妻の父 藤原済家→藤原親綱~師平の系図
孫 季行/実綱【1273-?】(『系図纂要』による。)
従三位。
曾孫 季藤・義季(『四辻家譜』による。)
孫 実員・実順(『四辻家譜』による。)
曾孫の夫 中御門冬定→中御門宗冬~松木宗藤の系図
孫の夫 西園寺公衡(『四辻家譜』による。)→西園寺公衡~公宗の系図
妻 一条実有の娘
妻の父 一条実有→一条実有~実連の系図
子 公信
従三位。
曾孫 公彦【?-1400】〔養子:四辻季保(→室町公春~四辻公音の系図)〕
権中納言。
子 実為〔養父:室町公重〕
子 良覚(『系図纂要』による。)
子の夫 藤原公持→一条実有~実連の系図
子の夫 六条有房→六条通有~有定の系図
室町公重【1256-1285】
参議。
子 公重の娘(『四辻家譜』による。)
子の夫 一条実連→一条実有~実連の系図
孫 公有→一条公有~清水谷公栄の系図
室町実為【1275-1298】
参議。実は室町実藤の子。
子 公春・孫 実郷→室町公春~四辻公音の系図
子 公仲(『四辻家譜』による。)
室町公春~四辻公音の系図
室町公春【1296-1340】
参議。
祖父 公重・父 実為→室町実藤~実為の系図
妻 楊梅兼行の娘
妻の父 楊梅兼行→楊梅親忠の系図
室町実郷
妻 正親町三条公秀の娘
妻の父 正親町三条公秀→正親町三条公貫~公秀の系図
四辻季顕/公全【1353-?】
権大納言。
子 季保(すえやす)【1389-1452】〔養父:藤原公彦(→室町実藤~実為の系図)〕
権大納言。
孫 季春【1424-?】
権大納言。
曾孫 季経/季煕【1447-1524】
権大納言。
季経孫 公音〔養父:四辻実仲〕
季経孫 鷲尾隆康〔養父:鷲尾隆頼〕→鷲尾隆良~隆康の系図
季経孫 高倉範久〔養父:高倉範音〕→高倉範継~教遠の系図
季経孫 覚雅〔養父:飛鳥井雅俊(→飛鳥井雅家~雅俊の系図)〕
四辻実茂(さねしげ)【?-1405】
権中納言。
四辻季俊【1393-1485】
権中納言。
四辻実仲【1427-1511】
権大納言。
子の夫 小倉季種→小倉公種~実躬の系図
四辻公音【1481-1540】
権大納言。実は四辻季経の子。
子 季遠・孫 公遠→四辻季遠~季満の系図
四辻季遠~季満の系図
四辻季遠/季規【1513-1575】
権大納言。
祖父 実仲・父 公音→室町公春~四辻公音の系図
四辻公遠【1540-1595】
権大納言。孫に飛鳥井雅章(→飛鳥井雅庸~雅豊の系図)の妻がいる。
妻 中原師象の娘
妻の父 中原師象→中原師象の系図
子 小倉季藤〔養父:小倉公右〕→小倉公種~実躬の系図
子 季継〔養父:四辻季満、高倉範国〕→四辻季継~季輔の系図
子 教利〔養父:高倉範国(→高倉範継~教遠の系図)〕
子 藪嗣良〔養父:高倉範遠〕→藪嗣良~嗣義の系図
子 与津子→後水尾天皇~後光明天皇の系図
子の夫 上杉景勝(『四辻家譜』による。)→上杉景勝の系図
四辻季満/隆尚→鷲尾隆尚~隆尹の系図
鷲尾家を継いだ。
子 季継・孫 公理→四辻季継~季輔の系図
四辻季継~季輔の系図
四辻季継/教遠【1581-1639】〔養父:高倉範国(→高倉範継~教遠の系図)〕(以下、『系図纂要』による。)
権大納言。当初は高倉家を継いだ。
祖父 公遠・父 季満→四辻季遠~季満の系図
子 寅継〔養父:宣英〕
子 継子→後水尾天皇~後光明天皇の系図
子 性全・子 季継の娘(2人)(『四辻家譜』による。)
子 藪嗣良〔養父:高倉教遠〕→藪嗣良~嗣義の系図
四辻公理【1610-1677】
権大納言。
妻 前田利政の娘
妻の父 前田利政→前田利政・知好・利貞の系図
子 季輔〔養父:四辻季賢〕
子 日勝・季忠・定禅(『四辻家譜』による。)
子の夫 白川雅喬→雅朝王~白川資訓の系図
子の夫 上杉綱勝→上杉綱勝の系図
四辻季賢【1630-1668】
権中納言。『系図纂要』によれば、母は福島正則の娘。
四辻季輔【1647-1676】
実は四辻公理の子。
妻 久我広通の娘
妻の父 久我広通→久我通世~通名の系図
子 芝山広豊〔養父:芝山定豊〕→芝山宣豊~弘豊の系図
子 公韶・孫 公尚→四辻公韶~公賀の系図
四辻公韶~公賀の系図
四辻公韶【1670-1700】
参議。
祖父 季賢・父 季輔→四辻季継~季輔の系図
四辻公尚【1691-1709】
実は持明院基輔(→持明院基定~基雄の系図)の子。
四辻季藤/光益【1702-1718】
実は白川雅光(→雅朝王~白川資訓の系図)の子。
四辻実長【1708-1779】
従三位。実は高野保春(→高野保春~保建の系図)の子。
子 裏松謙光〔養父:裏松光世〕→裏松謙光~良光の系図
子 季成・訓算(『四辻家譜』による。)
四辻公亨/実胤【1728-1788】
権大納言。
妻 松平信将の娘
実は松平忠隆(→松平忠晴・忠昭の系図)の娘。
妻の父 松平信将→松平信之~信将の系図
子 実慎【1708-1710】
子 西四辻公碩・孫 公尹→西四辻公碩~公業の系図
子 公説〔養父:四辻公万〕
子 亨子(『四辻家譜』による。)
四辻公万/実駿【1757-1824】
権大納言。
妻 池田政直の娘
妻の父 池田政直→池田政直~政保の系図
妻 六条有栄の娘
妻の父 六条有栄→六条有起~有義の系図
子 藪公通〔養父:藪季栄〕→藪保季~実方の系図
子 邁(『四辻家譜』による。)
四辻公説【1780-1849】
権大納言。実は四辻公亨の子。
妻 平松八千姫
平松時章(→平松時行~時厚の系図)の娘。
子 重子(『四辻家譜』による。)
四辻公績(きんいさ)【1811-1867】〔養父:三条公修(→三条実顕~実美の系図)〕
権大納言。実は徳大寺実堅(→徳大寺実祖~実則の系図)の子。
妻 広橋胤定の娘
妻の父 広橋胤定→広橋胤定の系図
子 公健【1829-1852】
母は『四辻家譜』による。
子 績子(『四辻家譜』による。)→裏松謙光~良光の系図
子 正子(『四辻家譜』による。)→千種有補~有任の系図
子 清子(きよこ)【1840-1902】(『四辻家譜』による。)
典侍として明治天皇に仕えた。
子 重子(『四辻家譜』による。)→葉川基起~壬生基修の系図
子 千賀(『四辻家譜』による。)→園池実守~公静の系図
子 光子(『四辻家譜』による。)→長谷忠康~信成の系図
子 陳子・信子(『四辻家譜』による。)→柳生俊方~俊郎の系図
子 賢恕・北河原公憲・子 昌子・誠子・浅子(『四辻家譜』による。)
四辻公賀【1840-1880】
参議。
妻 正親町実徳の娘
妻の父 正親町実徳→正親町公明~公董の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。