このページでは、町尻家(藤原氏北家・道隆流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
町尻家(羽林家)の略系図
1 具英→町尻具英~兼重の系図
4 説久→町尻説久・説望の系図
6 量原→町尻量原~量衡の系図
町尻具英~兼重の系図
町尻具英(ともひで)【1622-1671】
町尻家の祖。
祖父 氏成・父 兼俊→水無瀬氏成~氏信の系図
祖父 福島正則→福島正則の系図
子 水無瀬兼豊〔養父:水無瀬氏信〕→水無瀬兼豊~経業の系図
町尻兼量(かねかず)【1662-1742】〔養父:水無瀬兼豊(→水無瀬兼豊~経業の系図)〕
権中納言。実は水無瀬氏信(→水無瀬氏成~氏信の系図)の子。
子 堤為量〔養父:堤為任〕→中川貞長~堤功長の系図
子 説久〔養父:町尻兼重〕→町尻説久・説望の系図
子 重丸【?-1698】(『町尻家譜』による。)
子 常秀【?-1777】〔養父:石井行康(→石井行豊~行忠の系図)〕(『町尻家譜』による。)
子 量子→近衛信尋~家煕の系図
子 綱姫【?-1702】(『町尻家譜』による。)
子 兼量の娘【?-1688】(『町尻家譜』による。)
子 かし姫【?-1702】(『町尻家譜』による。)
子 兼量の娘【?-1713】(『町尻家譜』による。)
子 兼量の娘【?-1720】(『町尻家譜』による。)
子 兼量の娘【?-1777】(『町尻家譜』による。)
子 兼量の娘【?-1725】(『町尻家譜』による。)
子 長子→水無瀬兼豊~経業の系図
実は水無瀬氏孝の子。
町尻兼重【1684-1740】
参議。
妻 高野信姫
高野保春(→高野保春の系図)の娘。
子 説久・孫 説望→町尻説久・説望の系図
町尻説久・説望の系図
町尻説久/兼久【1715-1783】
正三位。実は町尻兼量(→町尻具英~兼重の系図)の子。
祖父 兼量・父 兼重→町尻具英~兼重の系図
祖父 高野保春→高野保春~保建の系図
子 七条隆房〔養父:七条具安、七条信全〕→七条隆脩~信睦の系図
子 専恕(『町尻家譜』による。)
子 造酒姫(『町尻家譜』による。)
実は上村大隅の娘。
子 栄姫→坊城俊清~俊親の系図
子 久姫【?-1762】(『町尻家譜』による。)
子 群姫【?-1741】(『町尻家譜』による。)
子 説久の娘【?-1754】(『町尻家譜』による。)
子 説久の娘【1756】(『町尻家譜』による。)
子 菅姫【1759-?】(『町尻家譜』による。)
町尻説望/兼望【1738-1785】
妻 水無瀬いく姫
水無瀬経業(→水無瀬兼豊~経業の系図)の娘。
子 量原・孫 量聡→町尻量原~量衡の系図
子 幸姫/長姫【1758-?】(『町尻家譜』による。)
子 説望の娘【1760-1761】(『町尻家譜』による。)
子 七条成信〔養父:七条隆充〕→七条隆脩~信睦の系図
子 兼憲/量憲【1769-?】
子 康丸・説望の息子(『町尻家譜』による。)
子 次郎丸(『町尻家譜』による。)
実は七条隆房(→七条隆脩~信睦の系図)の子。
子 千枝姫・琴姫(『町尻家譜』による。)
子 千世姫/要姫(『町尻家譜』による。)
子 依姫【?-1773】(『町尻家譜』による。)
子 芳姫【1779-1784】(『町尻家譜』による。)
町尻量原~量衡の系図
町尻量原/兼原【1741-1799】
参議。実は吉田良延(→吉田良延の系図)の子。
祖父 説久・父 説望→町尻説久・説望の系図
祖父 水無瀬経業→水無瀬兼豊~経業の系図
妻 上冷泉豊姫
上冷泉為村(→上冷泉為綱~為村の系図)の娘。
子 憙穏丸【1772-1777】(『町尻家譜』による。)
子 憙盛姫【1771-1789】(『町尻家譜』による。)
子 憙初丸【1765-1769】(『町尻家譜』による。)
子 憙志姫【1773-?】(『町尻家譜』による。)
子 量原の娘【1768】(『町尻家譜』による。)
町尻量聡/兼聡【1767-1805】
正三位。
妻 上冷泉為泰の娘
妻の父 上冷泉為泰→上冷泉為泰の系図
子 五千姫【1787-1788】(『町尻家譜』による。)
子 登喜姫【1797-?】(『町尻家譜』による。)
子 延姫【1799-?】(『町尻家譜』による。)
子 喜久丸【1802-1803】(『町尻家譜』による。)
子 量聡の息子【1795】(『町尻家譜』による。)
子 量聡の息子【1804-?】(『町尻家譜』による。)
子 佐喜姫【1796-?】(『町尻家譜』による。)
町尻量輔【1802-1874】
権中納言。『町尻家譜』では、母を池尻暉房の娘とする子は、量聡の子として記載されているが、『池尻家譜』によれば暉房の娘は量輔の妻となっていること、子らの生年が量聡の没後であることから、量輔の子として掲げた。
また、『町尻家譜』が記載する量輔と明子の子は、量衡と慈光寺明子の子と思われるので掲げていない。
妻 池尻暉房の娘
妻の父 池尻暉房→池尻栄房~胤房の系図
子 量政【1827-1831】
子 量輔の息子【1837-?】(『町尻家譜』による。)
子 量輔の娘【1833-?】(『町尻家譜』による。)
町尻量衡【1828-1907】
実は豊岡治資(→豊岡有尚~健資の系図)の子。
妻 慈光寺明子
慈光寺実仲(→慈光寺明郷~右仲の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。