このページでは、持明院家(藤原氏北家・頼宗流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
持明院家(羽林家)の略系図

1 基頼→藤原基頼・通基の系図
2-A1 通重→一条通重・能保の系図
2-A2 高能→一条高能の系図
3 基家→持明院基家の系図
3-A1 保家→持明院保家の系図
3-A2 基保→持明院基保の系図
4 基宗→持明院基宗~基世の系図
9 基兼→持明院基兼~基信の系図
14 基春→持明院基春~基征の系図
19 基定→持明院基定~基雄の系図
23 基胤→持明院基胤~基和の系図
藤原基頼・通基の系図
藤原基頼(もとより)【1040-1122】
持明院家の祖。家名は、基頼が邸内に建立した持仏堂の名に因む。
妻 藤原国仲の娘
妻の父 藤原国仲→藤原国仲の系図
藤原通基【1090-1148】
妻 源師隆の娘
妻の父 源師隆→源師忠の系図
子 一条通重・孫 能保→一条通重・能保の系図
子 持明院基家→持明院基家の系図
孫 基宗→持明院基宗~基世の系図
孫 保家→持明院保家の系図
孫 園基氏→園基氏~基藤の系図
子 良基/良喜
子の夫 西園寺公通→西園寺公通の系図
孫 実宗→西園寺実宗の系図
子の夫 藤原実綱→三条公教の系図
一条通重・能保の系図
一条通重/長基
祖父 基頼・父 通基→藤原基頼・通基の系図
祖父 源師隆→源師忠の系図
妻 徳大寺公能の娘
妻の父 徳大寺公能→徳大寺公能の系図
子の夫 藤原公衡→藤原実守・実印・実快の系図
一条能保(よしやす)【1147-1197】〔養子:隆暁(→源師忠の系図)〕
権中納言。源頼朝の後ろ盾で昇進し、京都守護として幕府と院の間を仲介した。
妻 源義朝の娘【1145-1190】
後鳥羽天皇の乳母。
妻の父 源義朝→源義朝の系図
子 高能→一条高能の系図
子 全子→西園寺公経の系図
孫 西園寺実氏→西園寺実氏の系図
妻 藤原家恒の娘
子 実雅(さねまさ)【1196-1228】〔養父:西園寺公経(→西園寺公経の系図)〕
参議。伊賀氏の変により越前に流された。
子の妻 北条義時の娘
子の妻の父 北条義時→北条義時の系図
子の妻の夫 唐橋通時→唐橋通資の系図
妻 仁操の娘
妻の父 仁操→後三条天皇の系図
妻 藤原信子
能円(→能円の系図)の娘。
夫 堀川通具→堀川通具~基具の系図
子 信能(のぶよし)【?-1221】
参議。後鳥羽上皇側として承久の乱に加わり、乱後に配所で殺された。
子 保子→花山院忠経・定雅の系図
子 左衛門督局→後嵯峨天皇の系図
子の夫 中院通方→中院通方の系図
孫 通成→中院通成~通冬の系図
一条高能の系図
一条高能(たかよし)【1176-1198】
参議。父と同じく、幕府と朝廷を仲介する立場になったが、若くして亡くなった。
祖父 通重・父 能保→一条通重・能保の系図
祖父 源義朝→源義朝の系図
妻 松殿基房の娘
妻の父 松殿基房→松殿基房の系図
子 頼氏【1198-1248】
従二位。
子の妻 北条時房の娘
子の妻の父 北条時房→北条時房の系図
孫 能基【1220-1285】
従二位。
孫の妻 北条義時の娘
孫の妻の父 北条義時→北条義時の系図
曾孫 公仲/公遠【?-1310】〔養父:徳大寺実基(→徳大寺実基~実孝の系図)、洞院実雄(→洞院実雄の系図)〕
正三位。
曾孫 能賢/能兼
能賢孫 能俊/能氏
能賢孫 能冬
能冬の子の夫 一条公有→一条公有~清水谷公栄の系図
能冬の子の夫 源通持→中院通成~通冬の系図
曾孫の夫 堀川具俊→堀川具守の系図
孫 能清(よしきよ)【1226-1295】
参議。
曾孫 公冬〔養父:洞院実雄(→洞院実雄の系図)〕
正三位。
能清孫 実遠【1262-1308】
正三位。
孫の夫 洞院実雄→洞院実雄の系図
曾孫 小倉公雄→小倉公雄~実名の系図
孫の夫 松殿良嗣→松殿忠房の系図
孫の夫 鷹司伊頼→鷹司頼平の系図
曾孫 冬頼/氏保
妻 藤原兼光の娘
妻の父 藤原兼光→藤原兼光の系図
妻 藤原隆季の娘
妻の父 藤原隆季→藤原隆季の系図
妻 中御門宗家の娘
妻の父 中御門宗家→中御門宗家~宗雅の系図
子の夫 月輪基家→九条良経の系図
持明院基家の系図
持明院基家(もといえ)【1132-1214】〔養子:持明院家能(→持明院基宗~基世の系図)、藤原基能(→藤原盛国の系図)〕
権中納言。
祖父 基頼・父 通基→藤原基頼・通基の系図
祖父 源師隆→源師忠の系図
妻 隆重の娘
子 基宗・孫 家能→持明院基宗~基世の系図
妻 平頼盛の娘
妻の父 平頼盛→平経盛・教盛・頼盛の系図
子 保家→持明院保家の系図
孫 基保→持明院基保の系図
子 陳子→守貞親王~四条天皇の系図
子の夫 西園寺実宗→西園寺実宗の系図
孫 公経→西園寺公経の系図
妻 藤原成親の娘
妻の父 藤原成親→藤原成親の系図
子 園基氏・孫 基顕→園基氏~基藤の系図
子 行雲/覚全
子の夫 平資盛→平重盛の系図
子の夫 源兼忠→源兼忠の系図
子の夫 惟明親王→高倉天皇・安徳天皇の系図
子の夫 八条実清→八条公清~一条公邦の系図
持明院保家の系図
持明院保家(やすいえ)【1167-1210】〔養子:源頼保(→源頼保の系図)、平保教(→平経盛・教盛・頼盛の系図)〕
権中納言。
祖父 通基→藤原基頼・通基の系図
父 基家→持明院基家の系図
祖父 平頼盛→平経盛・教盛・頼盛の系図
妻 高階泰経の娘
妻の父 高階泰経→高階泰経の系図
子 基保→持明院基保の系図
子 俊保
子の妻 親尊の娘
子の妻の父 親尊→藤原親綱~師平の系図
孫 相保【1224-?】〔養父:西園寺公相(→西園寺公相の系図)〕
従二位。
曾孫 長相【1257-?】
参議。
曾孫の子の夫 正親町三条公秀→正親町三条公貫~公秀の系図
俊保孫 家相/長基【?-1315】
従三位。
妻 高階経仲の娘
妻の父 高階経仲→高階経仲の系図
子 家時【1194-1282】
正三位。
孫の夫 葉室季頼→葉室季頼~頼藤の系図
子 家任/家教
孫 基光【1224-?】
従二位。
孫の妻 平親盛の娘
曾孫 基澄【?-1322】
正三位。
曾孫 基雄【?-1334】
従三位。
曾孫の夫 大炊御門冬実→大炊御門信嗣~冬信の系図
子の夫 松殿忠房→松殿忠房の系図
持明院基保の系図
持明院基保【1192-1263】
権中納言。母は高階経仲(→高階経仲の系図)の娘とも。
祖父 基家→持明院基家の系図
父 保家→持明院保家の系図
祖父 高階泰経→高階泰経の系図
子 保藤【1254-1342】
権中納言。実は松殿良嗣(→松殿忠房の系図)の子。
子の妻 持明院基盛の娘
子の妻の父 持明院基盛→持明院基宗~基世の系図
孫 俊藤【1271-1295】
孫の妻 白河伊定の娘
孫の妻の父 白河伊定→白河伊実の系図
曾孫 基孝【1302-1322】
参議。
曾孫の妻 持明院基長の娘
曾孫の妻の父 持明院基長→持明院基宗~基世の系図
子の妻 大炊御門光成の娘
子の妻の父 大炊御門光成→大炊御門光能の系図
孫 保有/保俊
権中納言。
曾孫 保世
曾孫の子の夫 細川頼之→細川公頼・頼春の系図
曾孫 保脩
曾孫の子の夫 山名氏清→山名氏清の系図
曾孫 保冬【1329-1392】
権中納言。
孫 房保
実は御子左為世(→御子左為世の系図)の子。
孫 保成【?-1326】
孫の夫 洞院実夏→洞院実夏~公連の系図
孫の夫 資英王→業資王~顕邦王の系図
持明院基宗~基世の系図
持明院基宗【1155-1202】〔養父:藤原光忠(→大炊御門経実の系図)、養子:藤原宗明(→山科実教の系図)〕
従三位。母は源長時の娘とも。
祖父 通基→藤原基頼・通基の系図
父 基家→持明院基家の系図
妻 大炊御門忠成の娘
妻の父 大炊御門忠成→大炊御門忠成の系図
妻 藤原成通の娘
妻の父 藤原成通→藤原成通の系図
子 宗子→滋野井実国~実宣の系図・大炊御門師経~冬忠の系図
孫 滋野井公光→滋野井公光~教国の系図
持明院家能(いえよし)/家行(いえゆき)【1175-1226】〔養父:持明院基家(→持明院基家の系図)〕
権中納言。母は昌雲(→大炊御門忠成の系図)の娘とも。
妻 二条定能の娘
妻の父 二条定能→二条定能の系図
子 別当典侍→守貞親王~四条天皇の系図
子 厚子→二条良実・師忠の系図
子の夫 藤原頼経→九条道家の系図
持明院家定(いえさだ)【?-1251】
持明院基盛
妻 平信繁の娘
妻の父 平信繁→平信繁の系図
子 基長/基継/基兼【1256-1335】
正三位。
孫 家藤【?-1348】
従三位。
孫の夫 持明院基孝→持明院基保の系図
基長孫 大沢基久→大沢基久の系図
妻 阿野実直の娘
妻の父 阿野実直→阿野公佐~公廉の系図
子 俊盛/基連
子 基行/基範
従三位。
子の妻 坊門信清の娘
子の妻の父 坊門信清→坊門信清の系図
子の夫 持明院保藤→持明院基保の系図
持明院基世/基藤
子 基兼・孫 基清→持明院基兼~基信の系図
子 家秀
従三位。
持明院基兼~基信の系図
持明院基兼【?-1339】
母は『持明院家譜』による。
祖父 基盛・父 基世→持明院基宗~基世の系図
持明院基清【?-1382】
従三位。母は『持明院家譜』による。
持明院基親(もとちか)【?-1419】
正三位。母は『持明院家譜』による。
子 伊予局→後円融天皇~称光天皇の系図
子の夫 西園寺実永→西園寺実俊~実遠の系図
子の夫 徳大寺実盛→徳大寺公清~実盛の系図
孫 公有→徳大寺公有~公胤の系図
持明院基繁【?-1455】(以下、『系図纂要』による。)
母は『持明院家譜』による。
基繁の子(『持明院家譜』による。)
大沢右京大夫の祖。
持明院基信【?-1470】
従三位。母は『持明院家譜』による。
子 基春・孫 基規→持明院基春~基征の系図
子 基信の娘(『持明院家譜』による。)
持明院基春~基征の系図
持明院基春(もとはる)【1453-1535】
参議。世尊寺家が勤めていた朝廷の書役を継承した。
祖父 基繁・父 基信→持明院基兼~基信の系図
子の夫 後奈良天皇→後奈良天皇~誠仁親王の系図
持明院基規(もとのり)/家親【1492-1551】
権中納言。周防国に滞在していた際に、陶晴賢の反乱に巻き込まれた。
妻 水無瀬季兼の娘
妻の父 水無瀬季兼→水無瀬具景~兼成の系図
持明院基孝(もとたか)【1520-1611】
中納言。
子 孝子→後陽成天皇の系図
持明院基久【1574-1615】
実は正親町実彦(→正親町実彦~実豊の系図)の子。母は『持明院家譜』による。
子 河鰭基秀〔養父:河鰭公虎〕→一条実村~河鰭基秀の系図
子 富小路頼直〔養父:富小路秀直〕→富小路俊通~貞維の系図
子の夫 持明院基定・持明院基時→持明院基定~基雄の系図
孫 高野保春→高野保春~保建の系図
持明院基征【1607-1640】
母は『持明院家譜』による。
子 基定・孫 基時→持明院基定~基雄の系図
孫 高野保春→高野保春~保建の系図
持明院基定~基雄の系図
持明院基定(もとさだ)【1607-1667】
権大納言。実は大沢基宿(→大沢基宿の系図)の子。
祖父 基久・父 基征→持明院基春~基征の系図
妻 持明院基久の娘
妻の父 持明院基久→持明院基春~基征の系図
子 高野保春・孫 保光→高野保春~保建の系図
子の夫 高倉永敦→高倉永孝~永俊の系図
子の夫 稲葉正往→稲葉正往~正恒の系図
持明院基時【1635-1704】
権大納言。
妻 持明院基久の娘
妻の父 持明院基久→持明院基春~基征の系図
子 大沢基貫→大沢基貫の系図
子 大沢基清〔養父:大沢基貫〕→大沢基清の系図
子 石野基顕→石野基顕~基佑の系図
持明院基輔【1658-1714】
権中納言。
子 四辻公尚〔養父:四辻公韶〕→四辻公韶~公賀の系図
子の夫 五条為範→五条為範~為定の系図
子の夫 久世通夏→久世通式~通晃の系図
子の夫 足利義宣→足利義稙の系図
持明院基雄【1687-1740】
権中納言。
子 基胤・孫 宗時→持明院基胤~基和の系図
持明院基胤~基和の系図
持明院基胤/家胤【1705-1747】
参議。実は石野基顕(→石野基顕~基佑の系図)の子。
祖父 基輔・父 基雄→持明院基定~基雄の系図
持明院宗時/永武【1732-1795】
権中納言。実は高倉永房(→高倉永重~永秀の系図)の子。
子の夫 高倉永範→高倉永範~永祜の系図
持明院基武【1757-1789】
正三位。
持明院基敦【1776-1807】
妻 今城定興の娘
妻の父 今城定興→中山冷泉為親~今城定国の系図
子 河鰭実利〔養父:河鰭公陳〕→河鰭実陳~公述の系図
子 高野保右〔養父:高野保忠〕→高野保春~保建の系図
持明院基延【1792-1855】
権中納言。
妻 広橋定子
広橋胤定(→広橋胤定の系図)の娘。
子 延子→花園実教~実延の系図
子 満子(『持明院家譜』による。)
子の夫 高野保美→高野保春~保建の系図
『系図纂要』では高野保美を基延の子とする。
持明院基政【1810-1868】
正三位。
妻 富小路貞直の娘
妻の父 富小路貞直→富小路重直~敬直の系図
子 基子(『持明院家譜』による。)→伏原宣足の系図
子 治子(『持明院家譜』による。)→山科言知~言縄の系図
持明院基和【1835-1861】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。