このページでは、水戸徳川家(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
水戸徳川家(常陸国水戸藩主)の略系図
1 頼房→徳川頼房の系図
2 光圀→徳川光圀・綱条の系図
4 宗尭→徳川宗尭の系図
5 宗翰→徳川宗翰の系図
6 治保→徳川治保の系図
7 治紀→徳川治紀・斉脩の系図
9 斉昭→徳川斉昭~昭武の系図
徳川頼房の系図
徳川頼房(よりふさ)【1603-1661】
常陸国下妻藩主・常陸国水戸藩主。水戸徳川家の祖。水戸の城下町を整備し、江戸の藩邸に後楽園のもとを築いた。
祖父 広忠→松平清康・広忠の系図
父 家康→徳川家康の系図
祖父 蔭山氏広→蔭山氏広の系図
妻 谷久子
子 松平頼重・孫 頼常→松平頼重・頼常の系図
子 光圀・孫 綱条→徳川光圀・綱条の系図
妻 佐々木勝
子 松平頼元・孫 頼貞→松平頼元・頼貞の系図
子 松平頼雄・孫 頼道→松平頼雄~頼多の系図
妻 昭玄の娘
妻の父 昭玄→昭玄の系図
子 松平頼隆・孫 頼如→松平頼隆~頼明の系図
子 松平房時【1633-1682】
子 雑賀重義〔養父:雑賀重次〕【1634-1668】
子 松平頼利【1630-1674】
孫 頼道〔養父:松平頼雄〕→松平頼雄~頼多の系図
孫の夫 保田宗郷→保田宗郷の系図
子 松平頼泰【1631-1717】
孫 泰令〔養父:松平頼福〕
曾孫 頼明〔養父:松平頼如〕→松平頼隆~頼明の系図
曾孫 泰令
実は松平頼泰の子。
子 松平頼以【1631-1664】
子 万子【1627-1689】
子 大姫→前田利常~綱紀の系図
子 菊子【1628-1706】
子 小良【1628-1717】
子 利津【1632-1711】
子 振子→本多政朝~忠孝の系図
子 犬→細川忠利~綱利の系図
子 千【1635-1681】
子 竹【1636-1637】
子 梅子→宇都宮隆綱の系図
子 市→酒井忠知~忠倪の系図
子 那阿【1649-1709】
子 頼房の娘【1624-1664】
松殿道昭に嫁ぐ予定であった。
子 頼房の娘(『徳川家譜(常陸水戸)』による。)
実は田代信秀の娘。鈴木重政に嫁いだ。
徳川光圀・綱条の系図
徳川光圀(みつくに)【1628-1700】
水戸藩主。殉死を禁じ、『大日本史』の編修を始めた。
妻 近衛信尋の娘【?-1658】
妻の父 近衛信尋→近衛信尋~家煕の系図
妻 玉井氏
子 松平頼常〔養父:松平頼重〕→松平頼重・頼常の系図
子 綱方/頼世【1648-1670】
実は松平頼重(→松平頼重・頼常の系図)の子。
子 鍋姫【1671-1722】
実は酒井忠治(→酒井忠知~忠倪の系図)の娘。
徳川綱条(つなえだ)【1656-1718】
水戸藩主。実は松平頼重(→松平頼重・頼常の系図)の子。財政改革を図るが、一揆で挫折した。
妻 今出川季姫
今出川公規(→今出川晴季~公規の系図)の娘。
子 宗尭→徳川宗尭の系図
孫 宗翰→徳川宗翰の系図
妻 山本氏
子 鍋千代【1679-1683】
子 直松【1693-1695】
子 友千代【1697-1705】
子 清姫【1685-1687】
妻 岡崎氏
子 巌麻呂【1684】
子 吉孚【1685-1709】
子の妻 徳川八重姫【1690ー1746】
実は鷹司輔信(→鷹司房輔~基輝の系図)の娘。
子の妻の父 徳川綱吉→徳川綱吉~家継の系図
孫 美世姫→徳川宗尭の系図
曾孫 徳川宗翰→徳川宗翰の系図
子 豊麻呂【1686-1688】
子 元姫【1688-1689】
子 幸姫【1690-1692】
妻 井出氏
子 金松【1692-1696】
子 八十姫【1676-1683】
実は松平頼道(→松平頼雄~頼多の系図)の娘。
子 道子→松平頼隆~頼明の系図・細川吉利の系図
徳川宗尭の系図
徳川宗尭(むねたか)【1705-1730】
水戸藩主。実は松平頼豊(→松平頼豊~頼恭の系図)の子。
祖父 光圀・父 綱条→徳川光圀・綱条の系図
妻 徳川美世姫【1708-1746】
徳川吉孚(→徳川光圀・綱条の系図)の娘。
子 宗翰→徳川宗翰の系図
孫 治保→徳川治保の系図
妻 岡崎氏
子 松平頼順/翰鄰【1727-1774】
子の妻 窪田氏
孫 漪→松平頼寛~頼之の系図
子の妻 田沢氏
孫 鉄吉【1762-1763】
孫 頼図【1755-1776】
実は徳川宗翰(→徳川宗翰の系図)の子。
孫の妻 松平元【1756-1775】
子の夫 近衛内前→近衛家久・内前の系図
徳川宗翰の系図
徳川宗翰(むねもと)【1728-1766】
水戸藩主。
祖父 綱条→徳川光圀・綱条の系図
父 宗尭→徳川宗尭の系図
祖父 徳川吉孚→徳川光圀・綱条の系図
妻 一条郁子【1729-?】
一条兼香(→一条教輔~道香の系図)の娘。
妻 榊原氏
子 治保→徳川治保の系図
孫 治紀→徳川治紀・斉脩の系図
子 勝五郎【1753-1754】
妻 中沢氏
子 直之允【1752-1759】
子 直之介【1755-1756】
妻 山本氏
子 時姫→松平義敏~義和の系図
妻 毛利氏
子 松平頼図〔養父:松平頼順〕→徳川宗尭の系図
妻 大西氏
子 翰子→二条治孝~斉敬の系図
子 禎子→今出川公言~実順の系図
子 嶺姫【1760-1822】
妻 三宅氏
子 松平保受【1761-1785】
孫 山野辺義質〔養父:山野辺義風〕
子 松平保福【1762-1830】〔養父:松平頼脩〕
子の妻 中山常信の娘
子の妻の父 中山常信→中山信昌・政信の系図
孫 丞姫→中山信敬~信徴の系図
孫の夫 松平頼位→松平頼救~頼徳の系図
子 中山信敬〔養父:中山政信〕→中山信敬~信徴の系図
妻 深津氏
子 金姫【1764-1817】
子 松平頼救〔養父:松平頼多〕→松平頼救~頼徳の系図
子 美奈姫【1758-1768】
実は松平頼多(→松平頼雄~頼多の系図)の娘。
徳川治保の系図
徳川治保(はるもり)【1751-1805】
水戸藩主。
妻 一条八代君【1752-?】
一条道香(→一条教輔~道香の系図)の娘。
子 治紀・孫 斉脩→徳川治紀・斉脩の系図
妻 前田氏
子 松平義和〔養父:松平義居〕→松平義敏~義和の系図
子 述姫→松平頼真~頼儀の系図
子 雅姫→松平頼寛~頼之の系図
妻 石黒氏
子 土屋彦直〔養父:土屋寛直〕→土屋英直~挙直の系図
徳川治紀・斉脩の系図
徳川治紀(はるとし)【1773-1816】
水戸藩主。
祖父 宗翰→徳川宗翰の系図
父 治保→徳川治保の系図
祖父 一条道香→一条教輔~道香の系図
妻 徳川方姫【1774-1794】
実は徳川重倫(→徳川重倫~茂承の系図)の娘。
妻の父 徳川治貞→徳川重倫~茂承の系図
妻 中山氏
子 松平頼恕〔養父:松平頼儀〕→松平頼恕~頼聡の系図
子 松平頼筠〔養父:松平頼敬〕→松平頼救~頼徳の系図
妻 外山補子
町資補(→烏丸光栄~光徳の系図)の娘。
子 斉昭〔養父:徳川斉脩〕→徳川斉昭~昭武の系図
子 従子→二条治孝~斉敬の系図
子 清子→鷹司政通~輔政の系図
子 規姫→松平義建~義生の系図
子 苞姫→松平頼寛~頼之の系図
子 勝姫【1807-?】
実は松平頼慎(→松平頼寛~頼之の系図)の娘。
徳川斉脩(なりのぶ)【1797-1829】
水戸藩主。
妻 徳川美子/峯姫【1800-1853】
徳川家斉(→徳川家斉の系図)の娘。
子 斉昭・孫 慶篤→徳川斉昭~昭武の系図
徳川斉昭~昭武の系図
徳川斉昭(なりあき)/紀教(のりたか)【1797-1829】
水戸藩主。実は徳川治紀(→徳川治紀・斉脩の系図)の子。水戸藩で天保の改革を推進した。徳川家定の将軍継嗣問題で井伊直弼らと対立し、安政の大獄で処分された。
祖父 治紀・父 斉脩→徳川治紀・斉脩の系図
妻 吉子女王(よしこ)【1804-1893】
織仁親王(→織仁親王の系図)の娘。
子 慶喜〔養父:徳川家茂、一橋昌丸〕→徳川家慶~慶喜の系図
妻 松波春子
子 池田慶徳〔養父:池田慶栄〕→池田治道~慶徳の系図
子 池田茂政〔養父:池田慶政、松平忠国〕→池田斉政~章政の系図
妻 山野辺氏
子 松平直侯〔養父:松平典則〕→松平斉典~直方の系図
子 松平武聡〔養父:松平武成〕→松平武元~武聡の系図
妻 立原氏
子 喜連川縄氏〔養父:喜連川宜氏〕→喜連川氏連~足利聡氏の系図
妻 仁科氏
子 土屋挙直〔養父:土屋寅直〕→土屋英直~挙直の系図
妻 万里小路睦子
万里小路建房(→万里小路稙房~通房の系図)の娘。
子 昭武〔養父:徳川慶篤〕
子 松平昭訓(あきくに)【1848-1863】
子 松平忠和〔養父:松平忠愛〕→松平忠馮~忠和の系図
子 松平喜徳〔養父:松平容保〕→松平容住~容大の系図
子 松平頼之〔養父:松平頼升〕→松平頼寛~頼之の系図
子 賢姫【1822-1839】
伊達宗城に嫁ぐ予定であった。
子 祝姫【1827-?】
子 松姫→南部利済~利恭の系図
子 八代姫→伊達重村~宗基の系図
子 貞子→熾仁親王の系図
子 愛姫→井上正紀~正順の系図
子 正姫→池田澄時~徳澄の系図
徳川慶篤(よしあつ)/親敬【1832-1868】
水戸藩主。
妻 幟子女王(たかこ)【1835-1856】
実は幟仁親王(→幟仁親王の系図)の娘。
妻の父 徳川家慶→徳川家慶~慶喜の系図
子 随姫→蜂須賀茂韶の系図
妻 広幡鋭姫
広幡基豊(→広幡長忠~忠礼の系図)の娘。
子 篤敬(あつよし)【1855-1898】〔養父:徳川昭武〕
昭武の養子となり、水戸徳川家を継いだ。
子の妻 松平総姫
松平頼聡(→松平頼恕~頼聡の系図)の娘。
子 清水篤守〔養父:徳川昭武〕→清水重好~篤守の系図
徳川昭武(あきたけ)/昭徳(あきのり)【1853-1910】〔養父:清水斉彊(→清水重好~篤守の系図)、養子:徳川篤敬〕
清水家当主・水戸藩主。実は徳川斉昭の子。パリ万国博覧会に派遣された。
妻 中院瑛子
中院通富(→中院通維~通富の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。