後三条天皇~安徳天皇の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、後三条天皇から安徳天皇までの系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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後三条天皇の系図

後三条天皇の系図

第71代 後三条天皇(ごさんじょう)/尊仁親王(たかひと)【1034-1073/在位:1068-1072】
 生母が藤原氏ではないため、親政を行った。荘園整理令などの改革を推し進めた。

祖父 一条天皇円融天皇・一条天皇の系図
 後朱雀天皇後一条天皇~後冷泉天皇の系図
祖父 三条天皇三条天皇の系図

皇后 馨子内親王(けいし)【1029-1093】
 後一条天皇(→後一条天皇~後冷泉天皇の系図)の皇女。斎院。
女御 藤原昭子(あきこ・しょうし)
 藤原頼宗(→藤原頼宗の系図)の娘。
女御 源基子(もとこ・きし)【1049-1134】
 源基平(→源基平の系図)の娘。
 実仁親王(さねひと)【1071-1085】
 白河天皇の皇太子になったが夭折した。
 輔仁親王(すけひと)【1073-1119】
 仁寛の天皇暗殺計画により謹慎させられた。
子の妻 源師忠の娘
子の妻の父 源師忠源師忠の系図
 源有仁(ありひと)【1103-1147】〔養父:白河天皇(→白河天皇の系図)、養子:大炊御門懿子(→後白河天皇~六条天皇の系図)〕
 左大臣。儀礼に通じた。
 守子女王(しゅし・もりこ)【1111-1156】
 斎宮。

子の妻 源政長の娘
子の妻の父 源政長源政長の系図
 信証(しんしょう)【1098-1142】
 東寺長者。

子の妻 源義家の娘
子の妻の父 源義家源義家の系図
 行恵(ぎょうえ)

子の妻 源行宗の娘
子の妻の父 源行宗→源行宗の系図
 怡子女王(はるこ・いし)
 斎院。

 仁操/応仁(おうにん)【?-1153】
 娘に一条能保(→一条通重・能保の系図)の妻がいる。

後宮 藤原茂子(しげこ・もし)【?-1062】〔養父:藤原能信(→藤原能信の系図)〕
 実は藤原公成(→藤原公成の系図)の子。天皇の即位前に亡くなり、皇太后を贈られた。
 聡子内親王(としこ・そうし)【1050-1131】
 後三条天皇の崩御に伴い、出家して仁和寺に入った。
 白河天皇白河天皇の系図
 堀河天皇堀河天皇の系図

 俊子内親王(としこ)【1056-1132】
 斎宮。
 佳子内親王(かし)【1057-1130】
 斎院。
 篤子内親王堀河天皇の系図

内侍 侍従内侍
 藤原有佐〔養父:藤原顕綱(→藤原顕綱の系図)〕→藤原有佐の系図

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白河天皇の系図

白河天皇の系図

第72代 白河天皇(しらかわ)/貞仁親王(さだひと)【1053-1129/在位:1072-1086】〔養子:源有仁(→後三条天皇の系図)〕
 院政を開始したほか、仏教に帰依し、法勝寺などを建立した。

祖父 後朱雀天皇後一条天皇~後冷泉天皇の系図
 後三条天皇後三条天皇の系図
祖父 藤原能信藤原能信の系図

皇后 藤原賢子(けんし)【1057-1084】〔養父:藤原師実(→藤原師実の系図)〕
 実は源顕房(→源顕房の系図)の子。
 敦文親王(あつふみ)【1074-1077】
 僧頼豪の祈願により誕生したとされる。
 媞子内親王(ていし)/郁芳門院(いくほうもんいん)【1076-1096】
 斎宮。堀河天皇の准母。
 令子内親王(よしこ・れいし)【1078-1144】
 斎院。鳥羽天皇の准母。
 堀河天皇堀河天皇の系図
 鳥羽天皇鳥羽天皇~近衛天皇の系図

 禎子内親王(さねこ・ていし)【1081-1156】
 斎院。

女御 藤原道子(みちこ)【1042-1132】
 藤原能長(→藤原能長の系図)の娘。
 善子内親王(よしこ)【1077-1132】
 斎宮。

典侍 藤原経子(けいし)
 藤原経平(→藤原経平の系図)の娘。
 覚行法親王(かくぎょう)/覚念【1075-1105】
 法親王の初例となった。

掌侍 源盛子(せいし)
 多田頼綱(→多田頼綱の系図)の娘。
 官子内親王(かんし)【1090-?】
 斎院。

後宮 源師子(もろこ・しし)【1070-1148】
 源顕房(→源顕房の系図)の娘。
 藤原忠実藤原忠実の系図
 覚法法親王/真行/行信【1091-1153】

後宮 藤原師兼の娘
後宮の父 藤原師兼藤原俊家の系図
 聖恵法親王(しょうけい)【1094-1137】
 長尾宮、華蔵院宮と称された。

後宮 源政長の娘
後宮の父 源政長源政長の系図
 行慶(ぎょうけい)【1101-1165】

後宮 藤原季実の娘
後宮の父 藤原季実藤原経季の系図
 恂子内親王(あやこ・じゅんし)【1093-1132】
 斎宮。

後宮 源有宗の娘
後宮の父 源有宗→源有宗の系図
 円行(えんぎょう)
 園城寺に入った。

後宮 源顕房の娘
後宮の父 源顕房源顕房の系図
 静証(じょうしょう)
 三井寺宮と称された。

後宮 賀茂宇礼志岐賀茂伊波比遠
 姉妹。ともに賀茂女御と呼ばれた。

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堀河天皇の系図

堀河天皇の系図

第73代 堀河天皇(ほりかわ)/善仁親王(たるひと)【1079-1107/在位:1086-1107】
 在位中は父が院政を行った。和歌や楽器をよくした。

祖父 後三条天皇後三条天皇の系図
 白河天皇白河天皇の系図
祖父 藤原師実藤原師実の系図

皇后 篤子内親王(とくし)【1060-1114】〔養父:藤原師実(→藤原師実の系図)〕
 後三条天皇(→後三条天皇の系図)の皇女。斎院。
女御 藤原苡子(いし)【1076-1103】
 藤原実季(→藤原実季の系図)の娘。鳥羽天皇を出産して間もなく亡くなった。後に皇太后を追贈された。
 鳥羽天皇 崇徳天皇近衛天皇鳥羽天皇~近衛天皇の系図
 後白河天皇後白河天皇~六条天皇の系図

典侍 仁子女王(にんし)【?-1126】
 康資王(→清仁親王~源顕康の系図)の娘。藤原寛子に仕えた。
 悰子内親王(やすこ・そうし)【1099-1162】
 斎院。

典侍 藤原宗子(そうし)
 藤原隆宗(→藤原良基の系図)の娘。
 藤原家保藤原家保の系図
 寛暁(かんぎょう)【1103-1159】
 近衛天皇の護持僧を務めた。

後宮 藤原時経の娘
後宮の父 藤原時経藤原兼経の系図
 最雲法親王(さいうん)【1104-1162】
 天台座主。

 喜子内親王(よしこ・きし)
 斎宮。
 懐子内親王(かいし)

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鳥羽天皇~近衛天皇の系図

鳥羽天皇~近衛天皇の系図

鳥羽天皇

第74代 鳥羽天皇(とば)/宗仁親王(むねひと)【1103-1156/在位:1107-1123】
 白河上皇崩御後、院政を行った。

祖父 白河天皇白河天皇の系図
 堀河天皇堀河天皇の系図
祖父 藤原実季藤原実季の系図

皇后 藤原璋子(たまこ)/待賢門院(たいけんもんいん)【1101-1145】
 藤原公実(→藤原公実の系図)の娘。和歌をこのんだ。
 禧子内親王(よしこ・きし)【1122-1133】
 斎院。
 通仁親王(みちひと)【1124-1129】
 目が見えなかったとされる。
 君仁親王(きみひと)【1125-1143】
 病弱で早くに出家した。
 統子内親王(むねこ)/恂子/上西門院(じょうさいもんいん)【1126-1189】
 斎院。後白河天皇の准母。
 後白河天皇 二条天皇後白河天皇~六条天皇の系図
 高倉天皇高倉天皇・安徳天皇の系図

 本仁親王(もとひと)/覚性法親王【1129-1169】
 仁和寺門跡。

皇后 藤原泰子(やすこ)/勲子/高陽院(かやのいん)【1095-1155】
 藤原忠実(→藤原忠実の系図)の娘。
皇后 藤原得子(なりこ)/美福門院(びふくもんいん)【1117-1160】
 藤原長実(→藤原長実の系図)の娘。天皇の寵愛を受けた。
 叡子内親王(としこ・えいし)【1135-1148】
 暲子内親王(あきこ・しょうし)/八条院(はちじょういん)【1137-1211】
 二条天皇の准母。
 姝子内親王後白河天皇~六条天皇の系図

女御 橘俊綱の娘【?-1142】
 藤壺女御と呼ばれた。
女御の父 橘俊綱→橘俊綱の系図
 真誉(しんよ)【1136-?】

更衣 三条局(さんじょうのつぼね)【?-1138】
 藤原家政(→藤原家政の系図)の娘。清原盛資に殺害された。
 妍子内親王(よしこ・けんし)【?-1161】
 斎宮。

更衣 美濃局(みののつぼね)
 光清(→光清の系図)の娘。
 道恵法親王(どうえ)【1132-1168】
 覚快法親王(かくかい)/行理/円性【1134-1181】
 天台座主。
 阿夜御前(あや)
 出家して双林寺に住んだ。双林寺宮、高陽院姫宮と呼ばれた。

後宮 春日局
 徳大寺実能(→徳大寺実能の系図)の娘。美福門院に仕えた。
 頌子内親王(しょうし)【1145-1208】
 斎院。高野山に蓮華乗院を建立した。

後宮 藤原実衡の娘
後宮の父 藤原実衡藤原仲実の系図

 最忠法親王(さいちゅう)

崇徳天皇

第75代 崇徳天皇(すとく)/顕仁親王(あきひと)【1119-1164/在位:1123-1141】
 白河法皇の意向により即位したが、鳥羽上皇による院政が始まると譲位させられた。保元の乱に敗れたことで讃岐に流され、その地で崩御した。実は白河天皇の皇子であったため、鳥羽天皇に「叔父子」と呼ばれたとされる。

皇后 藤原聖子(きよこ・せいし)/皇嘉門院(こうかもんいん)【1122-1181】
 藤原忠通(→藤原忠通の系図)の娘。
更衣 兵衛佐局(ひょうえのすけのつぼね)〔養父:源行宗(→源行宗の系図)〕
 実は信縁(→藤原経季の系図)の娘。保元の乱後、崇徳上皇に従って讃岐へ行った。
 重仁親王(しげひと)【1140-1162】
 皇位争いに敗れ、保元の乱後に出家した。

典侍 源師経の娘
典侍の父 源師経源師忠の系図
 元性(がんしょう)/覚恵(かくえ)【1151-1184】

近衛天皇

第76代 近衛天皇(このえ)/体仁親王(なりひと)【1139-1155/在位:1141-1155】
 後宮には藤原忠通・頼長兄弟の養女がそれぞれ入り、対立激化の一因となった。

皇后 藤原呈子(しめこ)/九条院(くじょういん)【1131-1176】〔養父:藤原忠通(→藤原忠通の系図)〕
 実は藤原伊通(→藤原伊通の系図)の娘。
皇后 藤原多子(まさるこ・たし)【1140-1201】〔養父:藤原頼長(→藤原頼長の系図)〕
 実は徳大寺公能(→徳大寺公能の系図)の娘。二条天皇の後宮にも入ったことで「二代の后」と称された。
 二条天皇後白河天皇~六条天皇の系図

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後白河天皇~六条天皇の系図

後白河天皇~六条天皇の系図

後白河天皇

第77代 後白河天皇(ごしらかわ)/雅仁親王(まさひと)【1127-1192/在位:1155-1158】
 鳥羽法皇らにより位についた。譲位後は院政を行った。熊野御幸を多く行ったほか、『梁塵秘抄』を著した。

祖父 堀河天皇堀河天皇の系図
 鳥羽天皇鳥羽天皇~近衛天皇の系図
祖父 藤原公実藤原公実の系図

皇后 徳大寺忻子(よしこ・きんし)【1134-1209】
 徳大寺公能(→徳大寺公能の系図)の娘。
女御 三条琮子(たまこ・そうし)【?-1231】
 三条公教(→三条公教の系図)の娘。
女御 平滋子(しげこ)/建春門院(けんしゅんもんいん)【1142-1176】
 平時信(→平時信の系図)の娘。
 高倉天皇 安徳天皇高倉天皇・安徳天皇の系図
 後鳥羽天皇後鳥羽天皇の系図
 守貞親王守貞親王~四条天皇の系図

後宮 大炊御門懿子(よしこ・いし)【1116-1143】〔養父:源有仁(→後三条天皇の系図)〕
 大炊御門経実(→大炊御門経実の系図)の娘。
後宮 藤原成子(しげこ)【?-1177】
 藤原季成(→藤原実隆・季成の系図)の娘。
 亮子内親王/殷富門院(いんぷもんいん)【1147-1216】
 斎宮。安徳天皇・後鳥羽天皇の准母。
 好子内親王(よしこ・こうし)【?-1192】
 斎宮。
 守覚法親王(しゅかく)/守性【1150-1202】
 仁和寺御室第六代。広沢流と小野流を統合した。
 以仁王(もちひとおう)【1151-1180】
 平氏討伐の令旨を発したが、宇治川の戦いに敗れ、戦死した。
子の妻 大炊御門忠成の娘
子の妻の父 大炊御門忠成大炊御門忠成の系図

子の妻 八条院三位局九条兼実の系図
 高階盛章(→高階盛章の系図)の娘。

 北陸宮(ほくりくのみや)【1165-1230】
 以仁王の敗死後は、源義仲に保護された。木曽宮・還俗宮と称された。

 式子内親王(のりこ・しきし・しょくし)【?-1201】
 斎院。藤原俊成に和歌を学んだ。『百人一首』に歌が収められる。
 休子内親王(やすこ・よしこ・きゅうし)【1157-1171】
 斎宮。

後宮 高階栄子(えいし)【?-1216】
 天皇の寵愛を受け、朝廷内で大きな発言力を持った。
後宮の父 澄雲→澄雲の系図
 平業房平維盛の系図
 覲子内親王/宣陽門院(せんようもんいん)【1181-1252】
 父に寵愛され、長講堂領を譲与された。

後宮 坊門殿(ぼうもんどの)
 徳大寺公能(→徳大寺公能の系図)の娘。忻子に仕えた。
 惇子内親王(あつこ・じゅんし)【1158-1172】
 斎宮。

後宮 坊門局(ぼうもんのつぼね)
 大江信重の娘。
 円恵法親王(えんけい)【1152-1183】
 源義仲が法住寺殿を襲撃した際に殺害された。
 定恵法親王(じょうえ)【1156-1196】
 平等院宮・法輪院宮と称された。
 恒恵(ごうえ)【1159-1206】
 岡崎宮・法輪院宮と称された。土御門天皇の護持僧。
 静恵法親王(じょうえ)【1164-1203】
 千光院宮・青竜院宮と称された。

後宮 仁操の娘
後宮の父 仁操後三条天皇の系図
 道法法親王(どうほう)/尊性【1166-1214】
 仁和寺に入り、後高野御室と称された。
 真禎(しんてい)【1169-?】
 太秦宮・持明院宮と称された。

後宮 丹波局(たんばのつぼね)
 紀孝資の娘。
 承仁法親王(しょうにん)【1169-1197】
 天台座主。建久宮と称された。

二条天皇

第78代 二条天皇(にじょう)/守仁親王(もりひと)【1143-1165/在位:1158-1165】
 父が皇位を継承したことで還俗した。後白河上皇による院政とは対立した。

皇后 姝子内親王(よしこ)/高松院(たかまついん)【1141-1176】
皇后 藤原育子(むねこ・いくし)【1146-1173】〔養父:藤原忠通(→藤原忠通の系図)〕
 実は徳大寺実能(→徳大寺実能の系図)の娘。
後宮 藤原多子鳥羽天皇~近衛天皇の系図
後宮 伊岐致遠(むねとお)の娘
後宮 春日局(かすがのつぼね)【?-1180】
 中原師元の娘。
 僐子内親王(よしこ・ぜんし)【1159-1171】
 斎院。

後宮 源光成の娘
 尊恵(そんえ)/狛宮【1164-11092】
 智恵光院宮と称された。

六条天皇

第79代 六条天皇(ろくじょう)/順仁親王(のぶひと)【1164-1176/在位:1165-1168】
 2歳で即位したため、政務は後白河上皇が担った。元服前に退位した。

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高倉天皇・安徳天皇の系図

高倉天皇・安徳天皇の系図

高倉天皇

第80代 高倉天皇(たかくら)/憲仁親王(のりひと)【1161-1181/在位:1168-1180】
 在位中は、平清盛が権勢を極めた。

祖父 鳥羽天皇鳥羽天皇~近衛天皇の系図
 後白河天皇後白河天皇~六条天皇の系図
祖父 平時信平時信の系図

皇后 平徳子(のりこ)/建礼門院(けんれいもんいん)【1155-1213】
 平清盛(→平清盛の系図)の娘。壇ノ浦で入水するも助けられ、大原の寂光院で高倉天皇・安徳天皇の冥福を祈った。

典侍 藤原殖子(たねこ)/七条院(しちじょういん)【1157-1228】
 藤原信隆(→藤原信隆の系図)の娘。
 守貞親王 後堀河天皇守貞親王~四条天皇の系図
 後鳥羽天皇後鳥羽天皇の系図

典侍 按察典侍(あぜちのてんじ)
 堀河頼定(→堀河頼定の系図)の娘。
 潔子内親王(けっし)【1179-?】
 斎宮。

後宮 近衛通子(つうし)
 近衛基実(→近衛基実の系図)の娘。安徳天皇の准母。
後宮 小督局(こごうのつぼね)【1157-?】
 藤原成範(→藤原成範の系図)の娘。範子内親王を生んだが、その後出家した。
 範子内親王(はんし)/坊門院(ぼうもんいん)【1177-1210】
 斎院。土御門天皇の准母。

後宮 藤原公重の娘
後宮の父 藤原公重西園寺通季の系図
 功子内親王(こうし)【1176-?】
 斎宮。伊勢に赴く前に退いた。

後宮 少将内侍(しょうしょうのないし)
 平義範の娘。
 惟明親王(これあきら)【1179-1221】
子の妻 持明院基家の娘
子の妻の父 持明院基家持明院基家の系図
子の妻 唐橋通資の娘
子の妻の父 唐橋通資唐橋通資の系図
子の妻 滋野井公時の娘
子の妻の父 滋野井公時滋野井実国~実宣の系図

 聖海法親王(しょうかい)/聖真【1206-?】
 尊雲(そんうん)

安徳天皇

第81代 安徳天皇(あんとく)/言仁親王(ときひと)【1178-1185/在位:1180-1185】
 平清盛に擁立された。平氏とともに西海へ赴き、壇ノ浦で入水した。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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