このページでは、烏丸家(藤原氏北家・真夏流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
烏丸家(名家)の略系図
1 豊光→烏丸豊光~光康の系図
5 光宣→烏丸光宣~光賢の系図
8 資慶→烏丸資慶~宣定の系図
11 光栄→烏丸光栄~光徳の系図
烏丸豊光~光康の系図
烏丸豊光(とよみつ)【1378-1429】
権中納言。烏丸家の祖。後小松院の執権を務め、足利義持に従って出家した。内大臣従一位を贈られた。
祖父 時光・父 資康→日野時光・資康の系図
烏丸資任(すけとう)【1417-1482】
准大臣。足利義政の育ての親。
妻 五条為清の娘
妻の父 五条為清→五条高長~為清の系図
子 季光【1450-1471】
子 益光/氏光【1440-1475】
権中納言。
子の妻 徳大寺公有の娘【1458-1508】
子の妻の父 徳大寺公有→徳大寺公有~公胤の系図
孫 資敦【1464-1489】
夜討ちに遭って亡くなった。
子 任円【1442-1516】
子 任親【?-1502】
実は五条為親(→五条為賢~為経の系図)の子。
烏丸冬光【1473-1516】
権中納言。実は日野勝光(→日野勝光~晴光の系図)の子。
子 資蔭【?-1509】
子の夫 日野晴光→日野勝光~晴光の系図
子の夫 吉田兼満→吉田兼満の系図
烏丸光康(みつやす)【1513-1579】
准大臣。足利義晴と親しく、近江・越前にも随行した。
子 光康の息子【1544】(『烏丸家譜』による。)
子 光宣・孫 光広→烏丸光宣~光賢の系図
子の夫 正親町実彦→正親町実彦~実豊の系図
子の夫 広橋国光(『烏丸家譜』による。)→広橋兼秀・国光の系図
子の夫 広橋兼勝→広橋兼勝・総光の系図
子の夫 五条為経(『烏丸家譜』による。)→五条為賢~為経の系図
烏丸光宣~光賢の系図
烏丸光宣(みつのぶ)【1549-1611】
准大臣。書にすぐれた。
祖父 冬光・父 光康→烏丸豊光~光康の系図
子 光宣の娘(『烏丸家譜』による。)
子の夫 日野資勝(『系図纂要』による。)→日野輝資~光慶の系図
烏丸光広(みつひろ)【1579-1638】
権大納言。猪熊事件に連座したがその後復帰した。細川幽斎から古今伝授を受け、歌人として活躍した。
妻 村上頼勝の娘
妻の父 村上頼勝→村上頼勝の系図
妻 結城晴朝の娘
妻の父 結城晴朝→結城晴朝の系図
子 光広の息子(『烏丸家譜』による。)
子 勘解由小路資忠・孫 韶光→勘解由小路資忠~光尚の系図
子 六角広賢→六角広賢の系図
子 親広・子 光広の娘(『烏丸家譜』による。)
子 光広の娘【1624-1709】(『烏丸家譜』による。)
明正天皇に仕えた。
子の夫 照貞(『烏丸家譜』による。)
烏丸光賢【1600-1638】(以下、『系図纂要』による。)
権中納言。
妻 細川万姫
細川忠興(→細川頼貞~忠興の系図)の娘。
子 資慶・孫 光雄→烏丸資慶~宣定の系図
子 裏松資清・孫 意光→裏松資清~益光の系図
子の夫 飛鳥井雅章→飛鳥井雅庸~雅豊の系図
子の夫 吉田兼起(『烏丸家譜』による。)→吉田兼起の系図
子の夫 細川光尚(『烏丸家譜』による。)→細川忠利~綱利の系図
烏丸資慶~宣定の系図
烏丸資慶(すけよし)【1622-1669】
権大納言。歌人として活躍し、後水尾院から古今伝授を受けた。
祖父 光広・父 光賢→烏丸光宣~光賢の系図
祖父 細川忠興→細川頼貞~忠興の系図
妻 清閑寺共房の娘
妻の父 清閑寺共房→清閑寺資房~共綱の系図
子 桜野順光【1652-1674】
子 慶敦【1659-1700】(『烏丸家譜』による。)
子 資慶の娘【1648-1667】(『烏丸家譜』による。)
子の夫 七条隆豊→七条隆脩~信睦の系図
子の夫 阿部正春→阿部正春~正実・正長~正保の系図
子の夫 長岡康之(『烏丸家譜』による。)
子 資慶の娘(『烏丸家譜』による。)
烏丸光雄(みつお)【1647-1690】
権大納言。歌人として活躍した。
子 勘解由小路韶光〔養父:勘解由小路資忠〕→勘解由小路資忠~光尚の系図
子 光雄の娘【1679-1696】(『烏丸家譜』による。)
子の夫 松平定逵→松平定逵~定邦の系図
烏丸宣定【1672-1692】
子 光栄・孫 光胤→烏丸光栄~光徳の系図
子 中御門宣誠〔養父:中御門経康〕→中御門宣顕~宣猷の系図
烏丸光栄~光徳の系図
烏丸光栄(みつひで)【1689-1748】
内大臣。歌人として活躍した。
祖父 光雄・父 宣定→烏丸資慶~宣定の系図
妻 松平綱昌の娘
妻の父 松平綱昌→松平光通~吉邦の系図
子 尹光【1722-1725】
子 日野資枝〔養父:日野資時〕→日野資時~資平の系図
子 勘解由小路資望〔養父:勘解由小路音資〕→勘解由小路資忠~光尚の系図
子 裏松光世〔養父:裏松祐光〕→裏松祐光・光世の系図
子 資総・光栄の息子〔養父:日野資時(→日野資時~資平の系図)〕(『烏丸家譜』による。)
子 智丸(『烏丸家譜』による。)
子 光栄の娘(『烏丸家譜』による。)
日野家の養女となった。
子の夫 広橋勝胤(『烏丸家譜』による。)→広橋兼廉~勝胤の系図
子の夫 松平定賢(『烏丸家譜』による。)→松平定逵~定邦の系図
烏丸光胤(みつたね)/清胤【1721-1780】
権大納言。実は中御門宣顕(→中御門宣顕~宣猷の系図)の子。宝暦事件に連座し、永蟄居となった。
妻 烏丸光栄の娘
子 光家【1744-1750】
妻 光性の娘
妻の父 光性→光性の系図
子 外山光実〔養父:外山光時〕→外山光顕~光輔の系図
子 町資補/正丸【?-1819】〔養父:広橋勝胤(→広橋兼廉~勝胤の系図)〕
孫 外山補子→徳川治紀・斉脩の系図
子 光胤の娘(『烏丸家譜』による。)
子 光胤の娘【?-1771】(『烏丸家譜』による。)
烏丸光祖【1746-1806】
権大納言。
妻 広橋勝胤の娘
妻の父 広橋勝胤→広橋兼廉~勝胤の系図
夫 藪保季→藪保季~実方の系図
子 光祖の息子(『烏丸家譜』による。)
子の夫 石井行宣→石井行文~行知の系図
子 光訓【1777-1802】
子 光祖の娘(2人)(『烏丸家譜』による。)
子の夫 伊達弾正(『烏丸家譜』による。)
烏丸資董【1772-1814】〔養子:勘解由小路資善の息子(→勘解由小路資忠~光尚の系図)〕
権大納言。
妻 飛鳥井雅威の娘
妻の父 飛鳥井雅威→飛鳥井雅香~雅望の系図
烏丸光政【1812-1863】
権大納言。
妻 山内豊敬の娘
妻の父 山内豊敬→山内豊敬の系図
子 正君→山内豊信の系図
妻 天野氏
子 光政の息子・子 光政の娘(『烏丸家譜』による。)
子の夫 性円・五条為栄・秋月種樹(『烏丸家譜』による。)
烏丸光徳【1832-1873】
参議。
妻 久世通理の娘
妻の父 久世通理→久世栄通~通煕の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。