このページでは、浅野氏(清和源氏・頼光流)・長賢流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
浅野長賢~長厚の系図
浅野長賢(ながかた)【1693-1744】
安芸国広島新田藩主。兄の吉長から3万石を分与された。
祖父 綱晟→浅野長晟~綱晟・長治~長寔の系図
父 綱長→浅野綱長・吉長の系図
子の夫 小笠原忠総→小笠原忠雄~忠総の系図
子の夫 毛利広寛→毛利広寛~元蕃の系図
浅野長喬(ながたか)【1732-1769】
広島新田藩主。
子 英之丞【?-1772】
子の夫 戸沢正親→戸沢正親~正実の系図
浅野長員(ながかず)【1745-1808】
広島新田藩主。実は浅野宗恒(→浅野宗恒の系図)の子。
子 元次郎【?-1791】
子 石河貞温〔養父:石河貞通〕→石河貞温の系図
子の夫 堀親民→堀親民の系図
子の夫 大田原光清→大田原庸清~一清の系図
『系図纂要』では、堀親民の妻と大田原光清の妻を別人とする。
子の夫 浅野長孝/長泰
浅野長容(ながかね・ながかた)【1771-1824】
広島新田藩主。
妻 浅野重晟の娘
妻の父 浅野重晟→浅野重晟の系図
子 長容の娘(2人)(『浅野家譜(安芸広島)』による。)
子 長訓〔養父:浅野慶熾〕→浅野斉賢~長勲の系図
広島新田藩主。後に宗家を継いだ。
孫 長勲→浅野斉賢~長勲の系図
広島新田藩主。後に宗家を継いだ。
浅野長厚(ながあつ)【1843-1873】(以下、『浅野家譜(安芸広島)』による。)
広島新田藩主。実は浅野懋績(→浅野重晟の系図)の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。