植村氏(清和源氏・頼光流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、植村氏(清和源氏・頼光流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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植村氏(大和国高取藩主)の略系図

植村氏の略系図

1 光兼土岐光兼~植村家政の系図
3-A1 泰職植村泰職~泰朝・政泰の系図
3-A2 則泰植村則泰~泰根・泰久~泰贇の系図
3-A3 忠朝植村忠朝~泰通・忠元~千吉の系図
7-A 政春植村政春~政広の系図

8 家貞植村家貞~家包の系図
8-A 政明正澄植村政明~政敦・正澄~正養の系図

12 家道植村家道~家壺の系図

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土岐光兼~植村家政の系図

土岐光兼~植村家政の系図

  土岐光兼(みつかね)

祖父 頼清土岐頼清の系図
 頼忠土岐頼忠~成頼の系図


  植村持益(もちます)/光貞(みつさだ)(以下、『系図纂要』による。)
 遠江国上村に移り住み、松平長親に仕えた。


  植村氏義(うじよし)
 泰職 泰忠植村泰職~泰朝・政泰の系図
子の夫 本多忠高→本多忠高の系図


  植村氏明(うじあき)/栄康【1520-1552】
 松平清康・広忠らに仕えた。後に尾張沓掛城で戦死した。
 氏宗(うじむね)【?-1563】


  植村家存(いえさだ)/栄政(よしまさ)/家政(いえまさ)【1541-1577】
子の夫 石川康通→石川康通の系図


  植村家次(いえつぐ)【1567-1599】
 依田信蕃の娘
妻の父 依田信蕃→依田信蕃の系図

 直宗【?-1632】
子の夫 小長谷正栄→小長谷正栄の系図


  植村家政(いえまさ)【1589-1650】
 大和国高取藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 植村泰忠の娘
妻の父 植村泰忠植村泰職~泰朝・政泰の系図
 家貞 家言植村家貞~家包の系図

 政春 政行植村政春~政広の系図
子の夫 安部信之→安部信之の系図
子の夫 三宅重吉→三宅重吉の系図
子の夫 中根正勝→中根正勝の系図

植村政春~政広の系図

植村政春~政広の系図

  植村政春(まさはる)【1621-1671】

祖父 家次 家政土岐光兼~植村家政の系図

子の夫 佐野直行→佐野直行の系図


  植村政行(まさゆき)【1662-1688】
 松平康尚の娘
妻の父 松平康尚→松平康尚の系図

 政広〔養父:植村政勝〕
子の夫 佐野察行→佐野察行の系図


  植村政勝(まさかつ)【1683-1707】


  植村政広(まさひろ)/行長(ゆきなが)【1685-1725】
 実は植村政行の子。
 中山直好の娘
妻の父 中山直好→中山直好の系図
 家包〔養父:植村家敬〕→植村家貞~家包の系図

 竹腰正熹〔養父:竹腰正武〕→竹腰正熹の系図
 主馬(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 脇坂安繁→脇坂安繁の系図
子の夫 遠藤胤将→遠藤胤将の系図

植村泰職~泰朝・政泰の系図

植村泰職~泰朝・政泰の系図

  植村泰職(やすもと)

祖父 持益 氏義土岐光兼~植村家政の系図


  植村泰忠(やすただ)【1540-1611】
 徳川家康に仕え、小田原攻めでは岩槻城を攻め落とした。
子の夫 植村家政土岐光兼~植村家政の系図
 家貞植村家貞~家包の系図


  植村泰勝(やすかつ)/忠朝【1578-1634】
 徳川家康に仕え、関ケ原の戦いでは岐阜城を攻めた。
子の夫 岩瀬氏次→岩瀬氏次の系図
子の夫 菅谷範重→菅谷範重の系図
子の夫 一色直氏→一色直氏の系図
子の夫 阿倍政継→阿倍政継の系図


  植村泰朝(やすとも)【1603-1663】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 内藤信正の娘
妻の父 内藤信正→内藤信正の系図
 泰治(やすはる)【1630-1677】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 酒井忠吉の娘
子の妻の父 酒井忠吉→酒井忠吉の系図
子の妻の夫 新庄直常→新庄直常の系図

 忠朝 正朝 忠元植村忠朝~泰通・忠元~千吉の系図


  植村政泰(まさやす)【1600-1636】
 則泰 泰信泰久植村則泰~泰根・泰久~泰贇の系図

植村忠朝~泰通・忠元~千吉の系図

植村忠朝~泰通・忠元~千吉の系図

  植村忠朝(ただとも)【1630-1696】
 上総国勝浦藩主。

祖父 泰勝 泰朝植村泰職~泰朝・政泰の系図

 秋田俊季の娘
妻の父 秋田俊季→秋田俊季の系図

 左兵衛【1664-1721】
子の夫 米津政武→米津政武の系図
子の夫 内藤信清→内藤信清の系図
子の夫 最上義雅→最上義雅の系図
子の夫 井上正晴→井上正晴の系図


  植村正朝(まさとも)【1670-1729】
 勝浦藩主。
 酒井忠義の娘
妻の父 酒井忠義→酒井忠義の系図
 松平忠之→松平忠之の系図
 左京求馬靱負 正朝の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 内藤尚朝(ひさとも)【1721-1749】
子の夫 最上義隆→最上義隆の系図
子の夫 鳥居忠余→鳥居忠余の系図
子の夫 小笠原長恒→小笠原長恒の系図


  植村恒朝(つねとも)【1701-1755】
 勝浦藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。植村千吉が殺された事件を隠蔽し、領地を没収された。
 水野勝政の娘
妻の父 水野勝政→水野勝政の系図

 銕次郎【?-1739】
子の夫 林忠篤→林忠篤の系図


  植村寿朝(ひさとも)【1736-1753】
 実は酒井忠寄(→酒井忠寄の系図)の子。


  植村泰高(やすたか)【1738-1784】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 実は竹腰正熹(→竹腰正熹の系図)の子。
 堀直寛の娘
妻の父 堀直寛→堀直寛の系図

 新見正栄の娘
妻の父 新見正栄→新見正栄の系図

子の夫 角南国豊→角南国豊の系図
子の夫 諏訪頼軌→諏訪頼軌の系図


  植村泰邦(やすくに)【1772-1846】
 川勝広品の娘
妻の父 川勝広品→川勝広品の系図


  植村泰成【1810-1869】(以下、『植村家譜』による。)
 実は永井直進(→永井直進の系図)の子。
 泰安【?-1872】


  植村泰恒【1848-1867】
 実は加藤下総守の弟。


  植村泰通
 実は植村泰照の子。


  植村忠元(ただもと)【?-1728】
 真田主膳の娘
妻の父 真田主膳→真田主膳の系図

子の夫 水野信久→水野信久の系図
子の夫 多羅尾光久→多羅尾光久の系図


  植村忠余(ただなか)【1701-1736】
 実は三浦便次(→三浦共次~梐次の系図)の子。


  植村千吉【1731-1751】
 実は真田権之助(→真田権之助の系図)の子。朝比奈万之助に殺された。

植村則泰~泰根・泰久~泰贇の系図

植村則泰~泰根・泰久~泰贇の系図

  植村則泰(のりやす)/泰義(やすよし)【1631-1696】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 泰忠 政泰植村泰職~泰朝・政泰の系図

 菅谷範重の娘
妻の父 菅谷範重→菅谷範重の系図

子の夫 斎藤利春→斎藤利春の系図


  植村泰信(やすのぶ)【1658-1721】
子の夫 本多武〓(「車」+「君」)→本多武〓の系図


  植村泰郡(やすくに)【1697-1761】
 実は滝川一成(→滝川一成の系図)の子。
 柳沢信尹の娘
妻の父 柳沢信尹→柳沢信尹の系図
 山高信蔵→山高信蔵の系図

 修理
 実は岡部貞高(→岡部貞高の系図)の子。


  植村泰頼(やすより)【1733-1793】
 実は岩手信猶(→岩手信猶の系図)の子。
 植村泰郡の娘
 実は植村泰貫の娘。
 小笠原長員の娘
妻の父 小笠原長員→小笠原長員の系図

子の夫 桑山政虎→桑山政虎の系図


  植村泰根(やすもと)【1768-?】
 鳥居次方の娘
妻の父 鳥居次方→鳥居次方の系図


  植村泰久(やすひさ)【1679-1710】
 雨宮勘兵衛の娘
妻の父 雨宮勘兵衛→雨宮勘兵衛の系図
 鳥山精名→鳥山精名の系図


  植村泰貫(やすつら)【1707-1759】
 佐久間房元の娘
妻の父 佐久間房元→佐久間房元の系図
 葉山行綱→葉山行綱の系図

 石丸貞則の娘
妻の父 石丸貞則→石丸貞則の系図

 泰貫の娘〔養父:植村泰郡〕
子の夫 岡部義利→岡部義利の系図


  植村泰贇(やすよし)【1736-?】
 吉井定之の娘
妻の父 吉井定之→吉井定之の系図
 泰成(やすなり)【1762-1790】
子の妻 渡辺正順の娘
子の妻の父 渡辺正順→渡辺正順の系図
子の妻の夫 瀬名貞正→瀬名貞正の系図

 泰成の娘〔養父:植村泰贇〕

 泰次
 実は矢田貞件(→矢田貞件の系図)の子。
子の妻 植村泰贇の娘
 実は植村泰成の娘。

 花井泰紹〔養父:花井貞久〕→花井泰紹の系図
子の夫 賀茂宮尚賢→賀茂宮尚賢の系図

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植村家貞~家包の系図

植村家貞~家包の系図

  植村家貞(いえさだ)/家吉(いえよし)【1618-1690】
 高取藩主。

祖父 家次 家政土岐光兼~植村家政の系図
祖父 植村泰忠植村泰職~泰朝・政泰の系図

 織田信則の娘
妻の父 織田信則→織田信則の系図

 井上正利の娘
妻の父 井上正利→井上正利の系図

 政成/家英
 家敬〔養父:植村家言〕

 政明正澄 政庸正意植村政明~政敦・正澄~正養の系図
子の夫 本多利朗→本多利朗の系図
子の夫 堀直良→堀直良の系図


  植村家言(いえのぶ)/家知(いえとも)【1663-1696】
 高取藩主。
 松平信之の娘
妻の父 松平信之→松平信之の系図

 酒井忠直の娘
妻の父 酒井忠直→酒井忠直の系図
 毛利元賢→毛利元賢の系図
子の夫 九鬼隆抵→九鬼隆抵の系図


  植村家敬(いえゆき)/家隆(いえたか)/家春(いえはる)【1680-1731】
 高取藩主。実は植村政成の子。
 松平近禎の娘
妻の父 松平近禎→松平近禎の系図

 酒井忠与の娘
妻の父 酒井忠与→酒井忠与の系図

 稲之助【1717-1727】
 実は植村正意(→植村政明~政敦・正澄~正養の系図)の子。
 家道〔養父:植村家包〕→植村家道~家壺の系図
 鍋子→柳沢保卓の系図
子の夫 板倉勝興→板倉勝興の系図


  植村家包(いえかね)/政文(まさふみ)【1710-1738】
 高取藩主。実は植村政広(→植村政春~政広の系図)の子。
 佐野察行の娘
妻の父 佐野察行→佐野察行の系図

 家道 家久植村家道~家壺の系図
子の夫 大村純保→大村純保の系図
子の夫 蒔田定安→蒔田定安の系図

植村政明~政敦・正澄~正養の系図

植村政明~政敦・正澄~正養の系図

  植村政明(まさあきら)【1666-1724】

祖父 家政 家貞植村家貞~家包の系図


  植村政庸(まさつね)【1693-1729】
 実は内藤豊弘の子。
 一柳直正の娘
妻の父 一柳直正→一柳直正の系図


  植村政親(まさちか)【1724-1772】
 岩瀬氏英の娘
妻の父 岩瀬氏英→岩瀬氏英の系図


  植村政恒(まさつね)【1756-1796】


  植村政敦(まさあつ)【1780-?】


  植村正澄(まさずみ)【1676-1732】
 戸田忠重の娘
妻の父 戸田忠重→戸田忠重の系図

子の夫 松平堅隆→松平堅隆の系図


  植村正意(まさもと)【1696-1759】
 稲之助〔養父:植村家敬〕→植村家貞~家包の系図


  植村正智(まさちか)【1718-1796】
子の夫 三宅徳寛→三宅徳寛の系図


  植村正福(まさとみ)【1758-?】
 長田繁趬の娘
妻の父 長田繁趬→長田繁趬の系図

子の夫 長田繁茂→長田繁茂の系図


  植村正養(まさやす)
 田沼意致の娘
妻の父 田沼意致→田沼意致の系図

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植村家道~家壺の系図

植村家道~家壺の系図

  植村家道(いえみち)【1730-1767】
 高取藩主。実は植村家敬(→植村家貞~家包の系図)の子。

祖父 家敬 家包植村家貞~家包の系図

 松平知衛姫【?-1796】
 松平頼渡(→松平頼渡の系図)の娘。
 遠山氏
 佐野義行〔養父:佐野徳行〕→佐野義行の系図
 家利〔養父:植村家久〕
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 要之助隼太
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 三浦為脩→三浦為脩の系図

 家長〔養父:植村家利〕
子の夫 愛宕通直愛宕通福~通致の系図


  植村家久(いえひさ)【1752-1778】
 高取藩主。
 本多忠敞の娘
妻の父 本多忠敞→本多忠敞の系図
 三浦前次三浦矩次~毗次の系図


  植村家利(いえとし)/喜之【1759-1785】
 高取藩主。実は植村家道の子。
 伊達村候の娘
妻の父 伊達村候→伊達村候の系図
 丹羽長貴→丹羽長貴の系図


  植村家長(いえなが)/道長【1754-1828】
 高取藩主。実は植村家道の子。
 松平忠恕の娘
妻の父 松平忠恕→松平忠恕の系図
 梅渓通同梅渓通仲~通治の系図

 家貴〔養父:植村家教〕
子の夫 加納久慎→加納久慎の系図
子の夫 小笠原長禎→小笠原長禎の系図


  植村家教(いえのり)【1787-1860】
 高取藩主。
 大久保忠成の娘
妻の父 大久保忠成→大久保忠成の系図

 家理〔養父:植村家貴〕
子の夫 水野勝進→水野勝進の系図


  植村家貴(いえたか)/長貴【1807-1853】
 高取藩主。実は植村家長の子。
 南部信真の娘
妻の父 南部信真→南部信真の系図

 家理【1827-1850】
 実は植村家教の子。


  植村家興(いえおき)/栄純【1835-1853】
 高取藩主。実は大村純昌(→大村純昌の系図)の子。


  植村家保(いえやす・いえもり)【1837-1896】
 高取藩主。実は本多康禎(→本多康禎の系図)の子。天誅組の攻撃を退けた。
 臨太郎歓次郎(『植村家譜』による。)


  植村家壺(いえひろ)【1847-1920】
 高取藩主。実は本多忠鄰(→本多忠鄰の系図)の子。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』及び東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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