このページでは、前田氏(菅原氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
前田氏(加賀国金沢藩主)の略系図
1 利隆→前田利隆の系図
2 利昌→前田利昌の系図
3 利家→前田利家・利長の系図
3-A 利政・知好・利貞→前田利政・知好・利貞の系図
5 利常→前田利常~綱紀の系図
8 吉徳→前田吉徳~重教の系図
13 治脩→前田治脩~慶寧の系図
前田利隆の系図
前田利隆(としたか)(『寛政重修諸家譜』による。)
菅原道真(→菅原古人~道真の系図)の末裔という。尾張国愛知郡荒子を領した。
子 利昌→前田利昌の系図
孫 利家→前田利家・利長の系図
子 右馬允(以下、『華族系譜』による。)
孫 源介
孫の妻 前田利昌の娘【?-1610】
孫の妻の父 前田利昌→前田利昌の系図
孫 和春【?-1584】
曾孫 和勝
曾孫の子の夫 関屋政春(まさはる)【1615-1685】
山鹿素行にまなび、前田利常に仕えた。
曾孫の夫 前田利長→前田利家・利長の系図
前田利昌の系図
前田利昌(としまさ)/利春(としはる)【?-1560】(以下、『系図纂要』による。)
父 利隆→前田利隆の系図
子 利久(としひさ)【?-1587】(以下、『華族系譜』による。)
孫 利治/利太/利卓/利益/慶次
実は滝川儀大夫の子。
孫の妻 前田利久の娘
実は前田安勝の娘。
子 安勝(やすかつ)【?-1594】(以下、『華族系譜』による。)
孫 利好【?-1610】
孫 安勝の娘〔養父:前田利久〕
子 利家・孫 利長→前田利家・利長の系図
孫 利政・知好・利貞→前田利政・知好・利貞の系図
孫 利孝→前田利孝~利慶の系図
子 良之(よしゆき)【?-1572】
孫の夫 篠原一孝(『華族系譜』による。)
子 秀継(ひでつぐ)【?-1585】
孫 利秀/利次【?-1593】
孫の夫 下間少進法印(『華族系譜』による。)
子の夫 前田源介→前田利隆の系図
子の夫 高畠定吉(さだよし)【1536-1603】
前田利家に仕えた。関ケ原の戦いでは西軍への参加を主張した。
孫の夫 安見元勝(もとかつ)(『華族系譜』による。)
銃術にすぐれた。
前田利家・利長の系図
前田利家(としいえ)【1538-1599】
権大納言。豊臣秀吉政権では五大老となった。金沢藩主家の祖。
妻 高畠松【1547-1617】
妻の父 高畠吉邦/直吉
子 利政→前田利政・知好・利貞の系図
子 縞【?-1616】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 豪→宇喜多秀家の系図
子 与免【?-1593】
母は『寛政重修諸家譜』による。浅野幸長に嫁ぐ予定であった。
子 千世→細川頼貞~忠興の系図
子 才
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 上木氏
子 利常〔養父:前田利長〕→前田利常~綱紀の系図
妻 山田氏
子 利孝・孫 利意→前田利孝~利慶の系図
孫 孝矩→前田孝矩~矩方の系図
子 知好・利貞→前田利政・知好・利貞の系図
子 蕭【?-1603】
子 摩阿→豊臣秀吉の系図・万里小路輔房~綱房の系図
子 菊【?-1584】〔養父:豊臣秀吉(→豊臣秀吉の系図)〕
子 喜意(『華族系譜』による。)
子 福【?-1620】
子 摸知【?-1614】
前田利長(としなが)/利勝(としかつ)【1562-1614】
加賀国金沢藩主。
妻 織田永【1574-1623】
織田信長(→織田信長の系図)の娘。
妻 前田和春の娘(『華族系譜』による。)
妻の父 前田和春→前田利隆の系図
子 利常・孫 光高→前田利常~綱紀の系図
孫 利次→前田利次~利隆の系図
孫 利治→前田利治~利章の系図
子 満【?-1611】
子 利長の娘
実は牧村利貞の娘。前田直知に嫁いだ。
子 利長の娘【?-1614】(『華族系譜』による。)
実は宇喜多秀家(→宇喜多秀家の系図)の娘。山崎長卿・富田重家に嫁いだ。
前田利政・知好・利貞の系図
前田利政(としまさ)/利正(としまさ)【1578-1633】(以下、『華族系譜』による。)
母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 利昌→前田利昌の系図
父 利家→前田利家・利長の系図
妻 蒲生氏郷の娘
妻の父 蒲生氏郷→蒲生氏郷の系図
子 直之(なおゆき)/利直/政之【?-1674】
孫の夫 前田利世→前田利孝~利慶の系図
子の夫 角倉玄紀→角倉玄紀の系図
子の夫 四辻公理→四辻季継~季輔の系図
子の夫 竹屋光長→竹屋兼俊~光昭の系図
前田知好(ともよし)/利包【?-1628】(以下、『華族系譜』による。)
子 好次〔養父:大音厚甫〕
子 知辰/吉包【?-1655】
子 辰正〔養父:前田利忠(→万里小路輔房~綱房の系図)〕
前田利貞(としさだ)/利豊【?-1620】(以下、『華族系譜』による。)
子 貞里/貞重【?-1657】
前田利常~綱紀の系図
前田利常(としつね)/利光(としみつ)【1593-1658】
金沢藩主。実は前田利家(→前田利家・利長の系図)の子。
祖父 利家・父 利長→前田利家・利長の系図
妻 徳川子々姫【1599-1622】
徳川秀忠(→徳川秀忠の系図)の娘。
子 利次・孫 正甫→前田利次~利隆の系図
子 利治・孫 利明→前田利治~利章の系図
子 亀鶴姫→森忠広の系図
子 小姫【?-1617】
子 満→浅野長晟~綱晟・長治~長寔の系図
子 富→智仁親王の系図
子 夏【?-1623】
妻 長連竜の娘
妻の父 長連竜(つらたつ)【1546-1619】
織田信長・前田利家に仕えた。金沢藩の重臣として3万3000石を領した。
子 利明〔養父:前田利治〕→前田利治~利章の系図
子 利常の息子【?-1624】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 亀松【?-1649】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 鶴丸【?-1651】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 春→本多正信~正勝・政重・忠純~犬千代の系図
子 松→松平定重の系図
子 竜【?-1654】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 熊→保科正之・正経の系図
前田光高(みつたか)/利高(としたか)【1615-1645】
金沢藩主。
妻 徳川大姫/鶴姫/糸姫/阿智姫【1627-1656】
実は徳川頼房(→徳川頼房の系図)の娘。
妻の父 徳川家光→徳川家光・家綱の系図
子 万菊丸【?-1649】
前田綱紀(つなのり)/綱利(つなとし)【1643-1724】
金沢藩主。書物の蒐集に力を入れ、「加賀は天下の書府」と評された。
妻 保科松姫【?-1666】
保科正之(→保科正之・正経の系図)の娘。
妻 三田村氏
子 吉徳・孫 宗辰→前田吉徳~重教の系図
妻 津田康政の娘
子 利章〔養父:前田利直〕→前田利治~利章の系図
子 利子→二条吉忠~重良の系図
子 利清【?-1675】
子 綱紀の息子【?-1677】(『華族系譜』による。)
子 久丸【?-1689】
子 雅十郎【?-1699】
子 恭【?-1707】
実は前田利意(→前田利孝~利慶の系図)の娘。
子 専【?-1681】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 節子→浅野綱長・吉長の系図
孫 浅野宗恒→浅野宗恒の系図
子 豊【?-1718】
子 良【?-1693】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 敬→池田綱清~重寛の系図
子 窕→酒井忠寄・忠温の系図
子 誠→三条西公勝~公福の系図
前田吉徳~重教の系図
前田吉徳(よしのり)/利興(としおき)/吉治(よしはる)【1690-1745】
金沢藩主。倹約策を行った。
祖父 光高・父 綱紀→前田利常~綱紀の系図
妻 徳川松姫【?-1720】
実は徳川綱誠(→徳川綱誠の系図)の娘。
妻の父 徳川綱吉→徳川綱吉~家継の系図
妻 鏑木氏
子 重煕〔養父:前田宗辰〕
妻 白井氏
子 重靖〔養父:前田重煕〕
妻 園田氏
子 治脩〔養父:前田重教〕→前田治脩~慶寧の系図
子 操→酒井忠恭・忠仰・忠交~忠全の系図
子 保【?-1743】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 辻氏
子 重教〔養父:前田重靖〕
子 吉徳の息子【?-1731】(『華族系譜』による。)
子 利和【?-1759】
子 八十五郎【?-1761】
子 利実【?-1766】
子 喜代→浅野宗恒の系図
子 弓→南部利雄~利用の系図
子 総→前田利幸~利謙の系図
子 楊→佐竹義真の系図
子 吉徳の娘【?-1737】(『華族系譜』による。)
子 益【?-1739】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 橘【?-1740】(『寛政重修諸家譜』による。)
前田宗辰(むねとき)/利勝(としかつ)【1725-1746】
金沢藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平常姫【?-1745】
松平正容(→松平正容~容頌の系図)の娘。
前田重煕(しげひろ)/利安(としやす)【1729-1753】
金沢藩主。実は前田吉徳の子。
前田重靖(しげのぶ)/利見(としなか)【1735-1753】
金沢藩主。実は前田吉徳の子。
前田重教(しげみち)/利篤(としあつ)/重基(しげもと)【1741-1786】
金沢藩主。実は前田吉徳の子。
妻 松平千間姫【?-1802】
徳川宗将(→徳川宗将の系図)の娘。
子 治脩・孫 斉広→前田治脩~慶寧の系図
子 斉敬〔養父:前田治脩〕→前田治脩~慶寧の系図
子 斉広〔養父:前田治脩〕→前田治脩~慶寧の系図
子 重教の息子【?-1785】(『華族系譜』による。)
子 邦【?-1771】
前田孝友に嫁ぐ予定であった。
子 頴→松平正容~容頌の系図
子 藤→松平頼真~頼儀の系図
前田治脩~慶寧の系図
前田治脩(はるなが)/利有(としあり)【1745-1810】
金沢藩主。実は前田吉徳(→前田吉徳~重教の系図)の子。藩校明倫堂・経武館を創設した。
祖父 重靖・父 重教→前田吉徳~重教の系図
妻 前田俊/正【?-1819】
前田利道(→前田利道~利考の系図)の娘。
子 斉敬/利博【1778-1795】
実は前田重教(→前田吉徳~重教の系図)の子。
子 利命〔養父:前田斉広〕
子 頴→松平正容~容頌の系図
子 藤→松平頼真~頼儀の系図
前田斉広(なりなが)/利厚(としあつ)【1782-1824】(以下、『華族系譜』による。)
金沢藩主。実は前田重教(→前田吉徳~重教の系図)の子。兼六園を造成した。
妻 鷹司隆子【?-1870】
鷹司政煕(→鷹司政煕の系図)の娘。
子 利命【1800-1805】
実は前田治脩の子。
子 他亀次郎【?-1825】
子 為三郎【?-1819】
子 延之助【?-1834】
子 直【?-1825】
前田孝友に嫁ぐ予定であった。
子 厚→松平容住~容大の系図
子 勇→前田利之~利鬯の系図
子 寛→小笠原忠苗~忠忱の系図
子 〓【?-1831】
〓は「金」+「人」+「彡」。
子 郁【?-1829】
鷹司輔煕に嫁ぐ予定であった。
子 寿々【?-1835】
子 次【?-1823】
前田斉泰(なりやす)/利候【1811-1884】
金沢藩主。
妻 徳川偕子【1813-1868】
徳川家斉(→徳川家斉の系図)の娘。
子 池田慶栄〔養父:池田慶行〕→池田治道~慶徳の系図
妻 久世喜保の娘
子 利義〔養父:前田利平〕→前田利之~利鬯の系図
子 利行〔養父:前田利義〕→前田利之~利鬯の系図
妻 奥村安久の娘
子 利鬯〔養父:前田利行〕→前田利之~利鬯の系図
子 釣次郎【1832-1833】
子 純六郎【1836-1838】
子 静之助【1847-1856】
子 亮午郎【1848-1851】
子 簡之允【1849】
子 利同〔養父:前田利声〕→前田利幹~利同の系図
子 利武【1864-?】
子 方【1839】
子 初【1860-?】
子 洽【1863-?】
子 坻【1867-?】
前田慶寧(よしやす)/利住【1830-1874】
金沢藩主。禁門の変の後、斉泰に謹慎を命じられた。
妻 有馬崇子【?-1856】
有馬頼永(→有馬頼徳~頼咸の系図)の娘。
妻 鷹司通子/範君【?-1864】
実は久我建通(→久我信通~通久の系図)の娘。
妻の父 鷹司政通→鷹司政通~輔政の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。