このページでは、正親町三条家(藤原氏北家・公季流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
正親町三条家(大臣家)の略系図

1 公氏→正親町三条公氏・実蔭の系図
3 公貫→正親町三条公貫~公秀の系図
6 実継→正親町三条実継~公雅の系図
10 実雅→正親町三条実雅~実望の系図
13 公兄→正親町三条公兄~公仲の系図
16 実有→正親町三条実有~実彦の系図
23 公積→正親町三条公積~公平の系図
正親町三条公氏・実蔭の系図
正親町三条公氏(きんうじ)【1182-1237】
権大納言。正親町三条家の祖。
祖父 公教→三条公教の系図
父 実房→三条実房の系図
祖父 大炊御門経宗→大炊御門経宗の系図
妻 藤原泰通の娘
妻の父 藤原泰通→藤原泰通の系図
子 叡澄【?-1307】
正親町三条実蔭/実茂【1199-1241】
参議。
妻 道寛の娘
妻の父 道寛→藤原泰通の系図
子 公貫・孫 実躬→正親町三条公貫~公秀の系図
妻 時通の娘
子 三条公種
子の妻 藤原為継の娘
子の妻の父 藤原為継→藤原信実の系図
孫 実任/実名【1264-1338】〔養子:三条公世〕
中納言。日記は『継塵記』。
孫の妻 高倉茂通の娘
孫の妻の父 高倉茂通→高倉敦通の系図
曾孫 公綱
従三位。
公種孫 公世〔養父:三条実任〕
孫の妻 北条時房の娘
孫の妻の父 北条時房→北条時房の系図
孫の妻の夫 長井時広→長井時広の系図
子 公行
子の妻 藤原隆信の娘
子の妻の父 藤原隆信→藤原為経・隆信の系図
正親町三条公貫~公秀の系図
正親町三条公貫(きんつら)【1238-1315】〔養父:洞院実雄(→洞院実雄の系図)〕
権大納言。
祖父 公氏・父 実蔭→正親町三条公氏・実蔭の系図
祖父 道寛→藤原泰通の系図
妻 藤原経賢の娘
妻の父 藤原経賢→吉田経房・定経の系図
子 実仲(さねなか)【1258-1352】
従二位。
子の妻 坊城経俊の娘
子の妻の父 坊城経俊→坊城経俊・俊定の系図
孫 公明(きんあき)【1281-1336】
権大納言。
曾孫 実治【1292-1353】
権中納言。実は三条実仲の子。
曾孫の妻 滋野井実前の娘
曾孫の妻の父 滋野井実前→滋野井公光~教国の系図
実治孫 公為/公澄/公仲
実治孫 治子→崇光天皇~貞成親王の系図
孫 公躬〔養父:正親町三条実躬〕
孫 実治〔養父:三条実仲〕
妻 吉田為経の娘
妻の父 吉田為経→吉田為経の系図
子の夫 正親町実明→正親町実明~実綱の系図
子の夫 洞院公敏→洞院公敏・公泰の系図
正親町三条実躬(さねみ)【1264-?】
権大納言。日記は『実躬卿記』。
子 公躬【1290-1342】
従二位。実は三条実仲の子。
正親町三条公秀(きんひで)【1285-1363】
内大臣。崇光天皇・後光厳天皇の外祖父になったことで、以降、正親町三条家の極官が内大臣に上がった。
妻 持明院長相の娘
妻の父 持明院長相→持明院保家の系図
子 実音【1321-1386】
准大臣。母は持明院家相(→持明院保家の系図)の娘とも。
孫 公敦【?-1409】
権大納言。
孫 公頼
参議。
妻 御子左為通の娘
妻の父 御子左為通→御子左為世の系図
子 実継・孫 公豊→正親町三条実継~公雅の系図
孫 三条西公時→三条西公時~公条の系図
子 秀子→光厳天皇・光明天皇の系図
孫 崇光天皇→崇光天皇~貞成親王の系図
孫 後光厳天皇→後光厳天皇の系図
子の夫 室町実郷→室町公春~四辻公音の系図
正親町三条実継~公雅の系図
正親町三条実継(さねつぐ)/実世【1313-1388】
内大臣。
祖父 実躬・父 公秀→正親町三条公貫~公秀の系図
妻 三条公明の娘
妻の父 三条公明→正親町三条公貫~公秀の系図
子 三条西公時・孫 実清→三条西公時~公条の系図
子 英球・然観(『嵯峨家譜』による。)
正親町三条公豊(きんとよ)/公景【1333-1406】
内大臣。
子 三条西公保〔養父:三条西実清〕→三条西公時~公条の系図
子 公豊の娘(3人)(『嵯峨家譜』による。)
正親町三条実豊(さねとよ)【?-1404】
権大納言。
子 実豊の娘(『嵯峨家譜』による。)
正親町三条公雅(きんまさ)【1384-1427】
権大納言。内大臣を贈られた。
子 実雅・孫 公治→正親町三条実雅~実望の系図
子 公綱〔養父:正親町三条実雅〕→正親町三条実雅~実望の系図
子 尹子・子の夫 足利義教→足利義教・義政の系図
子 公雅の娘(『嵯峨家譜』による。)
正親町三条実雅~実望の系図
正親町三条実雅(さねまさ)【1409-1467】〔養子:三条公敦・公顕(→三条実冬~公敦の系図)〕
内大臣。青蓮華院と号した。
祖父 実豊・父 公雅→正親町三条実継~公雅の系図
子 公綱【?-1471】〔養子:正親町三条実興〕
権大納言。実は正親町三条公雅(→正親町三条実継~公雅の系図)の子。
孫 浅井重政(『系図纂要』による。)→浅井重政の系図
孫の夫 伊勢貞陸→伊勢貞陸の系図
子の夫 三条実尚→三条実冬~公敦の系図
正親町三条公治(きんはる)/公真/公躬【1441-1495】
権大納言。
子 実興【1457-1481】〔養父:正親町三条公綱〕
参議。
孫 戸田実光・曾孫 宗光(『系図纂要』による。)→戸田実光~康光・政重~信定の系図
子 滋野井季国〔養父:滋野井教国〕→滋野井季国~之仲の系図
子の夫 鷹司兼輔→鷹司師平~忠冬の系図
正親町三条実望(さねもち)/実統【1463-1530】
内大臣。慈光院と号した。
妻 今川義忠の娘
妻の父 今川義忠→今川範忠~義元の系図
子 公兄・孫 実福→正親町三条公兄~公仲の系図
孫 花園実教→花園実教~実延の系図
子の夫 西園寺実宣→西園寺公藤~公益の系図
正親町三条公兄~公仲の系図
正親町三条公兄(きんえ)【1494-1578】
内大臣。
祖父 公治・父 実望→正親町三条実雅~実望の系図
祖父 今川義忠→今川範忠~義元の系図
子 花園実教→花園実教~実延の系図
子 松陰居士(以下、『系図纂要』による。)
子の妻 三条西実世の娘
子の妻の父 三条西実世→三条西実世~実条の系図
孫 櫛笥隆憲〔養父:四条隆昌〕→櫛笥隆憲~隆方の系図
孫 櫛笥隆致〔養父:櫛笥隆憲〕→櫛笥隆憲~隆方の系図
子の夫 三条西実世→三条西実世~実条の系図
正親町三条実福【1536-1568】
権中納言。
子 実福の娘(『系図纂要』による。)
正親町三条公仲【1557-1594】(以下、『系図纂要』による。)
権中納言。
妻 勧修寺晴秀の娘
妻の父 勧修寺晴秀→勧修寺晴秀・晴豊の系図
子 実有・孫 公高→正親町三条実有~実彦の系図
子 甘露寺豊長〔養父:甘露寺経遠〕→甘露寺経元~尚長の系図
子の夫 三条公広→三条実香~公広の系図
孫 実秀→三条実秀~公充の系図
子の夫 川窪信俊→武田信実~川窪信雄の系図
孫 信世→川窪信世・信亮の系図
孫 信次→川窪信次~武田信成・川窪信通~信明の系図
孫 中川貞長〔養父:甘露寺時長・甘露寺豊長〕→中川貞長~堤功長の系図
孫 甘露寺時長〔養父:甘露寺豊長〕→甘露寺経元~尚長の系図
孫 甘露寺嗣長〔養父:甘露寺時長〕→甘露寺経元~尚長の系図
正親町三条実有~実彦の系図
正親町三条実有/実助【1588-1633】
権大納言。
祖父 実福・父 公仲→正親町三条公兄~公仲の系図
祖父 勧修寺晴秀→勧修寺晴秀・晴豊の系図
子 実昭〔養父:正親町三条公高〕
子の夫 日野弘資→日野弘資~永資の系図
正親町三条公高【1619-1648】
参議。
正親町三条実昭/季成【1624-1668】〔養子:園池公屋(→園池宗朝~公屋の系図)〕
参議。実は正親町三条実有の子。
妻 下冷泉為景の娘
妻の父 下冷泉為景→下冷泉為純~為経の系図
子 実久〔養父:正親町三条公廉〕
子 公統〔養父:正親町三条実久〕
正親町三条公廉【1649-1671】
参議。
正親町三条実久【1656-1695】
権中納言。実は正親町三条実昭の子。
正親町三条公統/公光【1668-1719】〔養子:吉田兼敬の娘(→穂波経尚~経度の系図)〕
権大納言。実は正親町三条実昭(『系図纂要』)・正親町三条公廉(『嵯峨家譜』)の子。
正親町三条実彦【1703-1725】
実は滋野井公澄(→滋野井公澄~公麗の系図)の子。
子 公積・孫 実同→正親町三条公積~公平の系図
正親町三条公積~公平の系図
正親町三条公積(きんつむ)【1721-1777】
権大納言。宝暦事件で永蟄居となった。
祖父 公統・父 実彦→正親町三条実有~実彦の系図
妻 三条西公福の娘
妻の父 三条西公福→三条西公勝~公福の系図
子 花園実章〔養父:花園公純〕→花園実教~実延の系図
正親町三条実同【1748-1785】
参議。
子 綱子→中山愛親~忠愛の系図
子 安子→柳原光綱~光定の系図
子 実同の娘(4人)(『嵯峨家譜』による。)
正親町三条公則【1774-1800】
権中納言。
妻 勧修寺経逸の娘
妻の父 勧修寺経逸→勧修寺顕道~経逸の系図
子の夫 柳原隆光→柳原光綱~光定の系図
正親町三条実義【1798-1820】
参議。
妻 戸田安喜/松【1803-?】
戸田光年(→戸田光悌~光則の系図)の娘。
子 公厚【1820-1822】
母は『嵯峨家譜』による。
子 実義の娘(『嵯峨家譜』による。)
正親町三条実愛(さねなる)【1820-1909】
権大納言。討幕の密勅を薩長に伝えた。維新後、議定となった。日記は『嵯峨実愛日記』。
妻 今城定章の娘
妻の父 今城定章→中山冷泉為親~今城定国の系図
子 公勝【1862-1941】(『嵯峨家譜』による。)
子 眉延(『嵯峨家譜』による。)→下冷泉為俊~為柔の系図
子 保→毛利元義~元敏の系図
子 実愛の娘(5人)(『嵯峨家譜』による。)
子 実愛の息子・子 実愛の娘(2人)(『嵯峨家譜』による。)
正親町三条公平【1850-1860】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。