このページでは、酒井氏(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
酒井氏(播磨国姫路藩主)の略系図

1 広親→酒井広親~重忠の系図
7-A 忠正→酒井忠正~忠求の系図
8 忠世→酒井忠世~忠清の系図
9-A 忠能→酒井忠能~忠善の系図
11 忠挙→酒井忠挙~親本の系図
15 忠恭→酒井忠恭・忠仰・忠交~忠全の系図
17 忠以→酒井忠以・忠道の系図
19 忠実→酒井忠実の系図
20 忠学→酒井忠学~忠邦の系図
酒井広親~重忠の系図
酒井広親(ひろちか)【?-1392】
酒井氏の祖とされる。
祖父 有親→得川義季~世良田有親の系図
父 親氏→松平親氏・泰親の系図
子 氏忠・孫 忠勝→酒井氏忠~忠次の系図
酒井家忠(いえただ)【?-1438】
酒井信親(のぶちか)【?-1477】
酒井家次(いえつぐ)【?-1519】
酒井清秀(きよひで)【?-1551】
酒井正親(まさちか)/政家(まさいえ)【1521-1576】
松平清康の代から松平氏に仕え、徳川家康から西尾城を与えられた。
妻 石川清兼の娘
妻の父 石川清兼→石川親康~清兼・康正~三長の系図
子 忠利→酒井忠利の系図
孫 忠勝→酒井忠勝の系図
孫 忠吉→酒井忠吉・忠経の系図
孫 忠重→酒井忠重~忠貞・忠正~勝千代の系図
孫 忠次→酒井忠次~忠貞の系図
子の夫 松平家忠→松平家忠の系図
子の夫 松平近清→松平近清の系図
子 常永/忠煕/忠照
酒井重忠(しげただ)【1549-1617】
上野国厩橋藩主。
妻 内藤義清の娘
妻の父 内藤義清→内藤行俊~家長の系図
子 忠世・孫 忠行→酒井忠世~忠清の系図
子 忠季(ただすえ)/忠次(ただつぐ)【1583-1646】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子の妻 有馬直純の娘
子の妻の父 有馬直純→有馬直純の系図
孫 忠定(たださだ)/忠吉(ただよし)【1610-1634】
孫 忠俊〔養子:酒井忠季の娘〕
孫 忠季の娘〔養父:酒井忠俊〕
孫の夫 青木重兼→青木重兼の系図
子 西尾忠永〔養父:西尾吉次〕→西尾忠永の系図
子 忠正・孫 忠洪→酒井忠正~忠求の系図
子の夫 本多正純→本多正信~正勝・政重・忠純~犬千代の系図
子の夫 伊奈忠政→伊奈忠政の系図
子の夫 分部光信→分部光信の系図
酒井忠正~忠求の系図
酒井忠正(ただまさ)【1595-1655】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 正親・父 重忠→酒井広親~重忠の系図
妻 丹羽長重の娘
妻の父 丹羽長重→丹羽長重の系図
子 忠古(ただふる)【?-1679】
孫 忠古の娘〔養父:松平照利〕
曾孫 宥因
実は青木直宥(→青木直宥の系図)の子。
曾孫の夫 久貝俊斎→久貝俊斎の系図
子 忠助〔養父:酒井忠俊〕
子の夫 松平忠昭→松平成重~近陣の系図
孫 近鎮→松平近鎮~近民の系図
孫 近良→松平近良~近豊の系図
子の夫 青木直影→青木直影の系図
酒井忠洪(ただひろ)【1629-1705】
妻 池田長常の娘
妻の父 池田長常→池田長吉~長常・高島長親~千次郎の系図
子 忠乗(ただのり)【?-1673】
酒井忠英(ただてる)【1661-1750】
妻 松平乗次の娘
妻の父 松平乗次→松平真次~盈乗の系図
子 忠佳〔養父:酒井忠能〕→酒井忠能~忠善の系図
子 久永重直〔養父:久永勝晴〕→久永重直の系図
子の夫 酒井忠候→酒井忠重~忠貞・忠正~勝千代の系図
酒井忠丘(ただおか)【1682-1763】
妻 生駒親興の娘
妻の父 生駒親興→生駒親興の系図
子 忠刻(ただとき)/利起(としおき)
実は堀直利(→堀直寄~直為・直次・直定の系図)の子。
子 忠丘の娘〔養父:酒井忠英〕
子の夫 金田正蜂→金田正蜂の系図
酒井忠雄(ただお)【1721-1764】
実は阿部正福(→阿部正福の系図)の子。
妻 水野忠定の娘
実は松平定章(→松平定長~定功・定章の系図)の娘。
妻の父 水野忠定→水野忠増~忠定の系図
夫 水野忠寛→水野忠増~忠定の系図
妻 渡辺登綱の娘
実は渡辺基綱(→渡辺吉綱~基綱の系図)の娘。
妻の父 渡辺登綱→渡辺登綱~伊綱の系図
酒井忠啓(ただひろ)【1749-1775】
実は酒井忠恭(→酒井忠恭・忠仰・忠交~忠全の系図)の子。
妻 池田政方の娘
妻の父 池田政方→池田政方・政香の系図
子 通井〔養父:阿野通秀〕
子の夫 水谷勝里→水谷勝里の系図
酒井忠求(ただより)【1767-?】
妻 阿部正倫の娘
実は阿部正依(→阿部正依の系図)の娘。
妻の父 阿部正倫→阿部正倫の系図
酒井忠世~忠清の系図
酒井忠世(ただよ)【1572-1636】
老中・厩橋藩主。
祖父 正親・父 重忠→酒井広親~重忠の系図
妻 榊原康政の娘
妻の父 榊原康政→榊原康政の系図
子の夫 藤堂高次→藤堂高次の系図
子の夫 真田信吉→真田信吉の系図
子の夫 有馬忠頼→有馬忠頼の系図
酒井忠行(ただゆき)【1599-1636】
老中・上野国板鼻藩主・厩橋藩主。
妻 松平定勝の娘
妻の父 松平定勝→松平定勝の系図
子 忠能・孫 忠佳→酒井忠能~忠善の系図
酒井忠清(ただきよ)【1624-1681】
大老・老中・厩橋藩主。徳川家綱を補佐し、下馬将軍と称された。
妻 松平定綱の娘
妻の父 松平定綱→松平定綱・定良の系図
子 忠挙・孫 忠相→酒井忠挙~親本の系図
子 忠清の息子・子 忠清の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 藤堂高久→藤堂高久の系図
妻 姉小路公景の娘
妻の父 姉小路公景→姉小路公景~実武の系図
子 忠寛・孫 忠告→酒井忠寛~忠哲の系図
子 万千代〔養父:酒井忠能〕→酒井忠能~忠善の系図
子 紀伊→中川久清~久慶の系図
子 忠清の娘〔養父:藤堂高久〕→藤堂高久の系図
子 忠清の娘(3人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 松平頼常→松平頼重・頼常の系図
孫 頼豊→松平頼豊~頼恭の系図
子の夫 水野勝種→水野勝種~勝庸の系図
子の夫 加藤泰恒→加藤泰恒の系図
子の夫 松平信庸→松平信庸の系図
酒井忠能~忠善の系図
酒井忠能(ただよし)【1628-1705】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
上野国伊勢崎藩主・信濃国小諸藩主・駿河国田中藩主。領地を没収された。
祖父 忠世・父 忠行→酒井忠世~忠清の系図
祖父 松平定勝→松平定勝の系図
妻 稲葉正勝の娘
妻の父 稲葉正勝→稲葉正勝の系図
子 万千代
実は酒井忠清(→酒井忠世~忠清の系図)の子。
酒井忠佳(ただよし)/忠紀(ただとし)/忠周(ただちか)【1686-1769】
実は酒井忠英(→酒井忠正~忠求の系図)の子。
妻 土方豊高の娘
妻の父 土方豊高→土方豊高の系図
子の夫 金田正蜂→金田正蜂の系図
酒井忠侯(ただきみ)【1715-1745】
妻 本庄道矩の娘
実は本庄道章(→本庄道章の系図)の娘。
妻の父 本庄道矩→本庄道矩の系図
子の夫 戸川村真→戸川村真の系図
酒井忠和(ただかず)【1741-1786】
妻 平野長里の娘
妻の父 平野長里→平野長里の系図
妻 松平康真の娘
妻の父 松平康真→松平忠充~康豊の系図
夫 朽木長綱→朽木長綱の系図
酒井忠善(ただとき)【1774-?】
酒井忠挙~親本の系図
酒井忠挙(ただたか)/忠明(ただあきら)【1648-1720】
厩橋(前橋)藩主。
祖父 忠行・父 忠清→酒井忠世~忠清の系図
祖父 松平定綱→松平定綱・定良の系図
妻 黒田筑
黒田光之(→黒田光之の系図)の娘。
子 与十郎・子 忠挙の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠挙の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 京極高豊→京極高豊の系図
妻 市川氏
子 金次郎・元右衛門
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 柳沢吉里→柳沢吉里の系図
子の夫 松平信祝→松平信祝の系図
酒井忠相(ただみ)/忠匡(ただまさ)/忠貞(たださだ)【1667-1708】
前橋藩主。
妻 小笠原梅【1670-1697】
小笠原長章(→小笠原長章~長世の系図)の娘。
妻 姉小路公量の娘
妻の父 姉小路公量→姉小路公景~実武の系図
子 忠相の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
酒井親愛(ちかよし)/忠良(ただよし)【1694-1733】
前橋藩主。
酒井親本(ちかもと)/忠虎(ただとら)/忠丘(ただおか)【1705-1731】
前橋藩主。実は酒井忠菊(→酒井忠菊・忠武の系図)の子。
妻 秋田輝季の娘
妻の父 秋田輝季→秋田輝季の系図
子 忠恭・孫 忠仰・孫 忠交→酒井忠恭・忠仰・忠交~忠全の系図
子の夫 風早公雄→風早実種~公紀の系図
酒井忠恭・忠仰・忠交~忠全の系図
酒井忠恭(ただずみ)/忠知(ただとも)【1710-1772】
老中・前橋藩主・播磨国姫路藩主。実は酒井忠菊(→酒井忠菊・忠武の系図)の子。
祖父 親愛・父 親本→酒井忠挙~親本の系図
祖父 秋田輝季→秋田輝季の系図
妻 榊原政邦の娘
妻の父 榊原政邦→榊原政邦の系図
子 忠得(ただう)【1738-1755】
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 忠得の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子 忠宜(ただよし)【1740-1761】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 前田吉徳の娘
子の妻の父 前田吉徳→前田吉徳の系図
子の夫 池田治政→池田継政~治政の系図
妻 石原氏
子 忠温〔養父:酒井忠告〕→酒井忠寛~忠哲の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 井伊直禔→井伊直禔の系図
妻 竜氏
子 忠恭の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 土井利貞→土井利貞~利恒の系図
子の夫 酒井忠節→酒井忠香の系図
妻 北原氏
子 忠啓〔養父:酒井忠雄〕→酒井忠正~忠求の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠輔
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 伊藤氏
子 六蔵・登・子 忠恭の娘(2人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松内氏
子 虎象・菊次・主馬・子 忠恭の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠恭の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
堀田正穀に嫁ぐ予定であった。
子の夫 本多忠奝→本多忠永~忠貫の系図
子の夫 牧野宣成→牧野宣成の系図
子の夫 仙石久道→仙石久道の系図
子 忠以→酒井忠以・忠道の系図
子 駉之助・子 忠恭の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 酒井忠鄰→酒井忠国~忠美の系図
酒井忠仰(ただもち)/忠望(ただもち)【1735-1767】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平乗佑の娘
妻の父 松平乗佑→松平乗佑の系図
子 忠以・孫 忠道→酒井忠以・忠道の系図
子 抱一(ほういつ)/文詮(もんせん)/忠因(ただなお)【1761-1828】
画家として活躍し、尾形光琳の画風を再興した。
子の夫 戸沢正良→戸沢正良の系図
妻 田中氏
子 乙吉(『寛政重修諸家譜』による。)
酒井忠交(ただかた)【1754-1804】
播磨国姫路新田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 阿部正允の娘
妻の父 阿部正允→阿部正允の系図
子 盛之助【?-1777】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 堀田一権→堀田一権の系図
子の夫 斎藤三英→斎藤三英の系図
酒井忠質(たださだ)【1787-1816】
姫路新田藩主。
妻 安部信亨の娘
妻の父 安部信亨→安部信亨の系図
酒井忠全(ただやす)【1815-1817】
姫路新田藩主。夭逝で廃藩となった。
酒井忠以・忠道の系図
酒井忠以(ただざね)【1755-1790】〔養父:酒井忠恭(→酒井忠恭・忠仰・忠交~忠全の系図)、養子:酒井忠告の娘(→酒井忠寛~忠哲の系図)〕
姫路藩主。
祖父 忠恭・父 忠仰→酒井忠恭・忠仰・忠交~忠全の系図
祖父 松平乗佑→松平乗佑の系図
妻 松平頼恭の娘
妻の父 松平頼恭→松平頼豊~頼恭の系図
子 忠実〔養父:酒井忠道〕→酒井忠実の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠以の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 増井氏
子 以寧
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠以の娘〔養父:別所貞英(→別所貞英の系図)〕
実は酒井忠亮(→酒井忠成~忠徹の系図)の娘。風早実秋に嫁ぐ予定であった。
酒井忠道(ただひろ)【1777-1837】
姫路藩主。河合道臣を起用し、藩の財政再建を行った。
妻 井伊直幸の娘
妻の父 井伊直幸→井伊直幸の系図
子 忠道の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子 忠実→酒井忠実の系図
孫 忠学→酒井忠学~忠邦の系図
子 忠親〔養父:酒井忠実〕→酒井忠実の系図
子 忠学〔養父:酒井忠実〕→酒井忠学~忠邦の系図
子 忠礼〔養父:酒井忠懿〕
子 致房〔養父:高井式房〕
子 利用〔養父:土井利恭〕
子の夫 松平斉恒→松平宣維~定安の系図
子の夫 小笠原長貴→小笠原信辰~長守の系図
子の夫 内藤頼寧→内藤清枚~頼直の系図
子の夫 京極高朗→京極高朗の系図
酒井忠実の系図
酒井忠実(ただみつ)/以翼(さねすけ)【1779-1848】
姫路藩主。 実は酒井忠以(→酒井忠以・忠道の系図)の子。引き続き藩財政の再建に努めた。
祖父 忠以・父 忠道→酒井忠以・忠道の系図
妻 西尾忠移の娘
妻の父 西尾忠移→西尾忠移の系図
子 忠学・孫 忠宝→酒井忠学~忠邦の系図
子 松平忠固〔養父:松平忠学〕→松平忠順~忠礼の系図
母は『酒井家譜(播磨姫路)』による。
子 西尾忠受〔養父:西尾忠固〕→西尾忠受の系図
母は『酒井家譜(播磨姫路)』による。
子の夫 松平信豪→松平信豪の系図
子 忠親【?-1803】
実は酒井忠道(→酒井忠以・忠道の系図)の子。
子 景之〔養父:船越景有〕
子 忠讜〔養父:酒井忠尽〕
孫 忠宝〔養父:酒井忠学〕→酒井忠学~忠邦の系図
子 三宅康直〔養父:三宅康明〕→三宅康直の系図
子 桃→松平直周~直致の系図
子 肫子→九条師孝~道孝の系図
子の夫 森忠敬→森忠敬の系図
子の夫 酒井忠嗣→酒井忠国~忠美の系図
子の夫 内藤頼寧→内藤清枚~頼直の系図
子の夫 酒井忠強→酒井忠寧~忠彰の系図
酒井忠学~忠邦の系図
酒井忠学(ただのり)【1808-1844】
姫路藩主。実は酒井忠道(→酒井忠以・忠道の系図)の子。
祖父 忠道→酒井忠以・忠道の系図
父 忠実→酒井忠実の系図
祖父 西尾忠移→西尾忠移の系図
妻 徳川都子/喜代姫
徳川家斉(→徳川家斉の系図)の娘。
子 徳太郎
母は『酒井家譜(播磨姫路)』による。
子 文子〔養父:酒井忠宝〕
子の夫 安部信宝→安部信宝の系図
子の夫 戸田忠明→戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図
子の夫 松平勝成(『酒井家譜(播磨姫路)』による。)→松平定静~定昭の系図
酒井忠宝(ただとみ)【1829-1853】
姫路藩主。実は酒井忠讜(→酒井忠実の系図)の子。
酒井忠顕(ただてる)【1836-1860】(以下、『酒井家譜(播磨姫路)』による。)
姫路藩主。実は三宅康直(→三宅康直の系図)の子。
妻 酒井文子【1844-1908】
実は酒井忠学の娘。
子 忠顕の娘〔養父:三宅康保(→三宅康保の系図)〕
酒井忠績(ただしげ)【1827-1895】
大老・老中・姫路藩主。実は酒井忠誨の子。
妻 本多エタ
本多助賢(→本多助盈~助寵の系図)の娘。
子 忠敬
実は三宅康直(→三宅康直の系図)の子。
酒井忠惇(ただとし)【1839-1907】〔養父:酒井忠夏〕
老中・姫路藩主。実は酒井忠誨の子。
酒井忠邦(ただくに)【1854-1879】
姫路藩主。実は酒井忠恒(→酒井忠寧~忠彰の系図)の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。