このページでは、水無瀬家(藤原氏北家・道隆流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
水無瀬家(羽林家)の略系図
1 親信→水無瀬親信の系図
2 親兼→水無瀬親兼~具隆の系図
9 具景→水無瀬具景~兼成の系図
14 氏成→水無瀬氏成~氏信の系図
17 兼豊→水無瀬兼豊~経業の系図
21 師成→水無瀬師成~経務の系図
水無瀬親信の系図
水無瀬親信(ちかのぶ)【1137-1197】
中納言。水無瀬家の祖。
祖父 経忠→藤原経忠の系図
父 信輔→藤原信輔の系図
祖父 藤原家光→花山院家忠の系図
妻 藤原通憲の娘
妻の父 藤原通憲→藤原実兼・通憲の系図
子 定輔(さだすけ)【1163-1227】〔養子:藤原定親(→藤原宗隆の系図)〕
権大納言。琵琶をはじめ諸芸にすぐれた。二条帥入道と号した。
子の妻 源定房の娘
子の妻の父 源定房→源定房の系図
孫 家輔/成輔
孫 師親
実は藤原信輔(→藤原信輔の系図)の子。
孫 親定【1183-1238】
参議。
曾孫 博輔
父は藤原定輔とも。
定輔孫 博氏〔養父:御子左為氏(→御子左為氏の系図)〕
定輔孫 隆経/通定
孫の夫 中院通方→中院通方の系図
孫の夫 藤原実世→姉小路公宣~実広の系図
子 親兼・孫 信成→水無瀬親兼~具隆の系図
子 仲経
権中納言。
孫の夫 鷹司頼平→鷹司頼平の系図
子の夫 源通宗→源通親の系図
子の夫 藤原朝経・藤原朝定→藤原朝方の系図
子の夫 山科教成→山科教成~資行の系図
水無瀬親兼~具隆の系図
水無瀬親兼【1172-1246】
権中納言。後鳥羽院の近臣。後鳥羽院のあとを追って出家した。
妻 平基親の娘
妻の父 平基親→平実親・範家の系図
子 親忠【1192-1243】
従三位。
子 親仲【1194-1254】
従三位。
孫の夫 二条良実→二条良実・師忠の系図
妻 足利義兼の娘
妻の父 足利義兼→足利義康・義兼の系図
子の夫 久我通光→久我通光の系図
子の夫 大友親秀→大友親秀の系図
水無瀬信成【1197-1262】〔養父:坊門忠信(→坊門忠信の系図)〕
参議。後鳥羽院の近臣。後鳥羽院により、坊門忠信の家嫡とされた。
妻 吉田定経の娘
妻の父 吉田定経→吉田経房・定経の系図
子 任快/仁快
子の妻 藤原孝時の娘
子の妻の父 藤原孝時→藤原孝定の系図
孫の夫 伏見天皇→伏見天皇・花園天皇の系図
孫の夫 源具氏→中院通方の系図
水無瀬親成(ちかなり)
後鳥羽院の近臣。後鳥羽院の崩御後、水無瀬離宮跡に御影堂を建立し、菩提を弔った。
水無瀬良親
父は藤原信氏とも。
水無瀬具良【1269-1331】
正三位。
水無瀬具兼【1294-?】
参議。
水無瀬具隆
従三位。
子 具景・孫 重親→水無瀬具景~兼成の系図
水無瀬具景~兼成の系図
水無瀬具景(以下、『系図纂要』による。)
祖父 具兼・父 具隆→水無瀬親兼~具隆の系図
子の夫 三条公量→三条実冬~公敦の系図
水無瀬季兼
参議。実は三条公量(→三条実冬~公敦の系図)の子。
妻 三条実尚の娘
妻の父 三条実尚→三条実冬~公敦の系図
子 兼子→二条持通~晴良の系図
子 広橋具子→後奈良天皇~誠仁親王の系図
子の夫 持明院基規→持明院基春~基征の系図
水無瀬英兼【1485-1555】
参議。
水無瀬兼成/親氏【1514-1602】
権中納言。実は三条西公条(→三条西公時~公条の系図)の子。
妻 高倉永家の娘
妻の父 高倉永家→高倉永継~永相の系図
子 氏成・孫 兼俊→水無瀬氏成~氏信の系図
孫 七条隆脩→七条隆脩~信睦の系図
子 堀河親具→堀河親具~則康の系図
実は高倉永家の子。
子の夫 従高→従高の系図
水無瀬氏成~氏信の系図
水無瀬氏成【1571-1644】
権中納言。
祖父 英兼・父 兼成→水無瀬具景~兼成の系図
妻 高倉永相の娘
妻の父 高倉永相→高倉永継~永相の系図
子 七条隆脩・孫 隆豊→七条隆脩~信睦の系図
子 氏子→後水尾天皇~後光明天皇の系図
子の夫 足利義種→足利義稙の系図
子の夫 甘露寺嗣長(『甘露寺家譜』による。)→甘露寺経元~尚長の系図
子の夫 松尾修理・加納十大夫・西郷藤左衛門(『水無瀬家譜』による。)
水無瀬兼俊【1593-1653】
権中納言。
妻 福島正則の娘
妻の父 福島正則→福島正則の系図
子 町尻具英→町尻具英~兼重の系図
子の夫 従高(『水無瀬家譜』による。)→従高の系図
子 兼祐【?-1692】
孫 兼祐の娘〔養父:水無瀬氏信〕(『水無瀬家譜』による。)
子 桜井兼里・孫 兼供→桜井兼里・兼供の系図
孫 山井兼仍→山井兼仍~氏胤の系図
子 通悊【?-1680】(『水無瀬家譜』による。)
子 長成(『水無瀬家譜』による。)
鷹司家に仕えた。
子 兼豊〔養父:水無瀬氏信〕→水無瀬兼豊~経業の系図
子 兼俊の娘【1635-1659】(『水無瀬家譜』による。)
奥平左衛門に嫁いだ。
子 兼俊の娘【1643-1668】(『水無瀬家譜』による。)
石川大和守に嫁いだ。
子の夫 白川(『水無瀬家譜』による。)
水無瀬氏信【1619-1690】
権中納言。
妻 内藤信正の娘
妻の父 内藤信正→内藤信正・信照の系図
子・子の夫 兼豊・孫 氏孝→水無瀬兼豊~経業の系図
子 町尻兼量〔養父:町尻具英〕→町尻具英~兼重の系図
子 道栄【1654-1673】
子 孝源/興源【?-1702】〔養父:中院通村(→中院通勝~通純の系図)〕
子 寂詮/兼記【1673-?】(『水無瀬家譜』による。)
子 俊存(『水無瀬家譜』による。)
子 氏孝〔養父:水無瀬兼豊〕→水無瀬兼豊~経業の系図
子 右衛門佐局(うえもんのすけのつぼね)【?-1706】
新上西門院に仕えた後、大奥で仕えた。
子 長姫→中川貞長~堤功長の系図
子 氏信の娘(『水無瀬家譜』による。)
実は水無瀬兼祐の子。
子 氏信の娘【1669-1691】(『水無瀬家譜』による。)
水無瀬兼豊~経業の系図
水無瀬兼豊【1653-1705】
参議。実は水無瀬兼俊(→水無瀬氏成~氏信の系図)、町尻具英(→町尻具英~兼重の系図)(『町尻家譜』)の子。
祖父 兼俊・父 氏信→水無瀬氏成~氏信の系図
妻 堀河則康の娘【1657-1705】
実は水無瀬氏信(→水無瀬氏成~氏信の系図)の娘。
妻の父 堀河則康→堀河親具~則康の系図
子 町尻兼量→町尻具英~兼重の系図
子 氏秀(『水無瀬家譜』による。)
子 七条信方〔養父:七条隆福〕→七条隆脩~信睦の系図
子 小倉季永〔養父:小倉煕季〕→小倉煕季~長季の系図
子 経子→東山天皇の系図
子の夫 桜井兼供→桜井兼里・兼供の系図
孫 氏敦→桜井氏敦・氏福の系図
水無瀬氏孝【1675-1741】
権中納言。実は水無瀬氏信(→水無瀬氏成~氏信の系図)の子。
子 忠成〔養父:水無瀬友信、園池房季〕→水無瀬師成~経務の系図
子 経業〔養父:水無瀬兼条〕
子 氏孝の息子【1694】(『水無瀬家譜』による。)
子 長子【1734-1759】〔養父:町尻兼量(→町尻具英~兼重の系図)〕(『水無瀬家譜』による。)
子 氏孝の娘(2人)(『水無瀬家譜』による。)
水無瀬兼条【1699-1715】
水無瀬経業【1704-1762】〔養父:芝山広豊(→芝山宣豊~弘豊の系図)〕
従三位。実は水無瀬氏孝の子。
妻 櫛笥隆賀の娘
妻の父 櫛笥隆賀→櫛笥隆胤~隆周の系図
子 師成・孫 友信→水無瀬師成~経務の系図
子 兼超/具尹【1738-1762】
子 いく姫→町尻説久・説望の系図
孫 町尻量原→町尻量原~量衡の系図
子 経業の娘【1732-1735】(『水無瀬家譜』による。)
子 経業の娘【1733-1750】(『水無瀬家譜』による。)
子の夫 高松実逸→高松実名~公雄の系図
水無瀬師成~経務の系図
水無瀬師成【1734-1762】
従三位。
祖父 兼条・父 経業→水無瀬兼豊~経業の系図
子 氏種【1759-1762】
水無瀬友信【1760-?】
水無瀬忠成/氏精/実徳/成徳【1736-1792】〔養父:園池房季(→園池実守~公静の系図)〕
参議。実は水無瀬氏孝(→水無瀬兼豊~経業の系図)の子。当初、園池家を相続した。
子 七条隆則〔養父:七条成信〕→七条隆脩~信睦の系図
子 園池公翰→園池実守~公静の系図
子 隆精【1778-1783】(『水無瀬家譜』による。)
水無瀬成貞【1770-1792】
妻 油小路隆前の娘
妻の父 油小路隆前→油小路隆基~隆董の系図
水無瀬有成【1789-1864】
権大納言。
妻 東坊城益良の娘
妻の父 東坊城益良→東坊城恒長~夏長の系図
子の夫 園池公宣→園池実守~公静の系図
水無瀬教成【1812-1843】
子 経務〔養父:水無瀬経家〕
子 教成の娘【1854-?】
水無瀬経家【1833-1876】
『系図纂要』によれば、実は広幡基豊(→広幡長忠~忠礼の系図)の子。
妻 広幡基豊の娘
妻の父 広幡基豊→広幡長忠~忠礼の系図
子 忠輔【1852-1916】(『水無瀬家譜』による。)
実は裏松勲光(→裏松謙光~良光の系図)の子。
水無瀬経務【1845-?】
実は水無瀬教成の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。