櫛笥家(藤原氏北家・末茂流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、櫛笥家(藤原氏北家・末茂流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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櫛笥家(羽林家)の略系図

櫛笥家の略系図

1 隆憲櫛笥隆憲~隆方の系図
5 隆胤櫛笥隆胤~隆周の系図
11 隆望櫛笥隆望~隆韶の系図

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櫛笥隆憲~隆方の系図

櫛笥隆憲~隆方の系図

  櫛笥隆憲【?-1591】
 実は松陰居士(→正親町三条公兄~公仲の系図)の子。養父は四条隆益(→四条隆重~隆平の系図)とも。櫛笥家の祖。

祖父 隆益 隆昌四条隆重~隆平の系図


  櫛笥隆致/隆忠【1582-1613】
 実は松陰居士(→正親町三条公兄~公仲の系図)の子。後西天皇の外祖父となり、左大臣従一位を贈られた。
 園池宗朝 実卿園池宗朝~公屋の系図
 隆子後水尾天皇~後光明天皇の系図
 後西天皇後西天皇の系図

子の夫 伊達忠宗→伊達忠宗の系図


  櫛笥隆朝【1607-1648】
 権中納言。
 形原家信の娘
妻の父 形原家信→形原家信の系図

 隆胤〔養父:櫛笥隆方〕→櫛笥隆胤~隆周の系図
 (『櫛笥家譜』による。)
子の夫 蜂須賀光隆蜂須賀光隆~綱矩の系図
子の夫 五島盛次→五島盛次の系図
子の夫 丹羽光重→丹羽光重の系図


  櫛笥隆方【1636-1659】
 母は『櫛笥家譜』による。
 隆胤 隆賀櫛笥隆胤~隆周の系図

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櫛笥隆胤~隆周の系図

櫛笥隆胤~隆周の系図

  櫛笥隆胤/忠明【1641-1662】
 実は櫛笥隆朝(→櫛笥隆憲~隆方の系図)の子。

祖父 隆朝 隆方櫛笥隆憲~隆方の系図


  櫛笥隆賀/実廉/隆慶【1652-1773】〔養子:園池公屋の娘(2人)(→園池宗朝~公屋の系図)〕
 内大臣。実は園池宗朝(→園池宗朝~公屋の系図)の子。
 西洞院時成の娘
妻の父 西洞院時成西洞院時直~時光の系図
 八条隆英 隆輔八条隆英~隆声の系図
 隆兼〔養父:櫛笥隆成〕
 賀子東山天皇の系図
 中御門天皇中御門天皇~後桃園天皇の系図

 お須免の方徳川綱吉~家継の系図
 松平光長~長煕の系図
子の夫 水無瀬経業水無瀬兼豊~経業の系図

 綾小路俊景の娘
 『綾小路家譜』には見えない。隆成の妻と同一人物か。
妻の父 綾小路俊景綾小路高有~有胤の系図

 桑名法成寺の娘
 遠山政亮~内藤政業の系図


  櫛笥隆成/隆幸/隆実【1676-1744】
 権大納言。実は鷲尾隆尹(→鷲尾隆尚~隆尹の系図)の子。
 綾小路俊景の娘
妻の父 綾小路俊景綾小路高有~有胤の系図
 隆望櫛笥隆望~隆韶の系図


  櫛笥隆兼【1696-1737】
 権中納言。実は櫛笥隆賀の子。
 久我通名の娘
妻の父 久我通名久我通世~通名の系図

子の夫 櫛笥隆望櫛笥隆望~隆韶の系図


  櫛笥隆秀【1722-1737】


  櫛笥隆周【1722-1738】〔養父:櫛笥隆成〕
 実は八条隆英(→八条隆英~隆声の系図)の子。
 隆望 隆久櫛笥隆望~隆韶の系図

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櫛笥隆望~隆韶の系図

櫛笥隆望~隆韶の系図

  櫛笥隆望【1725-1795】〔養父:櫛笥隆成(→櫛笥隆胤~隆周の系図)〕
 権大納言。実は六条有藤(→六条有継~有藤の系図)の子。

祖父 隆秀 隆周櫛笥隆胤~隆周の系図

 櫛笥隆兼の娘
妻の父 櫛笥隆兼櫛笥隆胤~隆周の系図

 輔子
 実は八条隆輔(→八条隆英~隆声の系図)の娘。


  櫛笥隆久/康基【1758-1786】
 実は石井行忠(→石井行豊~行忠の系図)の子。
子の夫 中園季隆中園季遠~実受の系図
子の夫 園池公翰園池実守~公静の系図


  櫛笥隆邑【1777-1800】
 西洞院八千
 西洞院信庸(→西洞院範篤~信愛の系図)の娘。

 隆邑の息子(2人)(『櫛笥家譜』による。)


  櫛笥隆起【1795-1827】
 隆起の娘(『櫛笥家譜』による。)
子の夫 綾小路俊賢(『櫛笥家譜』による。)→綾小路俊宗~有良の系図


  櫛笥隆韶【1823-1874】
 土御門晴親の娘
妻の父 土御門晴親→土御門晴親の系図

 北条氏喬の娘
 実は北条保寿(→北条氏貞~氏恭の系図)の娘。
妻の父 北条氏喬北条氏貞~氏恭の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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