このページでは、京極氏(宇多源氏・扶義流)・高通流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
京極高通~高典の系図
京極高通(たかみち)/高澄(たかすみ)【1691-1743】
讃岐国多度津藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 高和→京極高次~高和の系図
父 高豊→京極高豊~朗徹の系図
妻 松平直丘の娘
妻の父 松平直丘→松平隆政~直道の系図
妻 山崎義方の娘
妻の父 山崎義方→山崎家盛~義方・俊家・治頼の系図
妻 小野氏
子 高伴(たかとも)【1726-1803】
孫 高伴の娘
京極高閭に嫁ぐ予定であった。
子 左馬造・忠五郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
京極高慶(たかよし)【1718-1756】
多度津藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 黒田直純の娘
妻の父 黒田直純→黒田直邦・直純の系図
子の夫 伊達村賢→伊達村賢~村敬の系図
子の夫 藤堂良峰→藤堂嘉長~良真の系図
妻 今西氏
子 軽三郎・弁之助
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 小林氏
子 高明・定五郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 林氏
子 岩八
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 黒田治高〔養父:黒田治之〕→黒田治之~長知の系図
京極高文(たかぶみ)/高英(たかひで)/高武(たかたけ)【1753-1796】
多度津藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。『寛政重修諸家譜』によれば、母を坂本氏とする娘が他に1人、母を香西氏とする娘が2人いる。
妻 坂本氏
子の夫 五島運竜→五島盛清~運竜の系図
妻 香西氏
子 督之助
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 毛利高誠→毛利高丘~高謙の系図
子の夫 大島義徳→大島義徳の系図
京極高賢(たかかた)【1776-1838】(以下、『京極家譜(讃岐多度津)』による。)
多度津藩主。多度津に陣屋を設け、丸亀から移動した。
子 高宝【1815-1839】
孫 高典〔養父:京極高琢〕
孫 志津【1832-1879】(『華族系譜』による。)
子 滝子→酒井忠寧~忠彰の系図
子 永→松平忠充~康豊の系図
京極高琢(たかてる)【1811-1867】
多度津藩主。
妻 京極豊子
京極高朗(→京極高豊~朗徹の系図)の娘。
京極高典(たかまさ)【1836-1906】
多度津藩主。実は京極高宝の子。
妻 阿部幸
阿部正備(→阿部正瞭~正功の系図)の娘。
夫 阿部正静→阿部正瞭~正功の系図
夫 大久保忠礼→大久保忠礼の系図
妻 安藤鈺
安藤信正(→安藤信義~信勇の系図)の娘。
夫 堀之美→堀直著~之美の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。