このページでは、藤原氏北家・道隆流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤原氏北家・道隆流の略系図
2 隆家→藤原隆家の系図
2-A1 良頼→藤原良頼の系図
2-A2 良基→藤原良基の系図
2-B 季定→藤原季定の系図
3 経輔→藤原経輔の系図
3-A1 師家→藤原師家・家範の系図
3-A2 基隆→藤原基隆の系図
3-B 長房→藤原長房の系図
3-C 師基→藤原師基の系図
4 師信→藤原師信の系図
5 経忠→藤原経忠の系図
5-A 忠能→藤原忠能の系図
6 信輔→藤原信輔の系図
7 信隆→藤原信隆の系図
7-A 隆清→坊門隆清の系図
藤原道隆の系図
藤原道隆(みちたか)【953-995】
摂政・関白・内大臣。病気になった際には、伊周に関白を譲ろうとしたが許されなかった。大酒飲みであったとされる。
祖父 師輔→藤原師輔の系図
父 兼家→藤原兼家の系図
祖父 藤原中正→藤原中正の系図
妻 高階貴子(きし・たかこ)【?-996】
高階成忠(→高階峯緒~良臣の系図)の娘。円融天皇の代に内侍を務めた。『百人一首』にも歌が収められる。
子 伊周→藤原伊周の系図
子 隆家→藤原隆家の系図
孫 良頼→藤原良頼の系図
孫 経輔→藤原経輔の系図
孫 季定→藤原季定の系図
子 隆円(りゅうえん)【980-1015】
小松僧都と呼ばれた。『枕草子』にも登場する。
子 定子→円融天皇・一条天皇の系図
子 原子→三条天皇の系図
妻 藤原守仁の娘
妻の父 藤原守仁→藤原守仁・兼清の系図
子 道頼【971-995】〔養父:藤原兼家(→藤原兼家の系図)〕
権大納言。
子の妻 藤原永頼の娘
子の妻の父 藤原永頼→藤原永頼の系図
曾孫 覚尋(かくじん)【1012-1081】
天台座主。
妻 奉孝の娘
子 周頼
子の妻 源兼澄の娘
子の妻の父 源兼澄→源信孝の系図
妻 橘清子(せいし)
三条天皇の乳母。
子 頼親
子の妻 源満仲の娘
子の妻の父 源満仲→源満仲の系図
孫の夫 源師良→源朝任の系図
子の夫 藤原道綱→藤原道綱の系図
子の夫 平重義→平重義の系図
藤原伊周の系図
藤原伊周(これちか)【974-1010】
内大臣。藤原道長と対立した。花山法皇に矢を射かけたことで左遷された。
祖父 兼家→藤原兼家の系図
父 道隆→藤原道隆の系図
祖父 高階成忠→高階峯緒~良臣の系図
妻 大中臣輔親の娘
妻の父 大中臣輔親→大中臣輔親の系図
子 忠親→藤原忠親の系図
妻 源重光の娘
妻の父 源重光→源重光の系図
子 道雅(みちまさ)【992-1054】
従三位。荒三位と呼ばれた。『百人一首』に歌が収められる。
子の妻 平惟仲の娘
子の妻の父 平惟仲→平時望・真材の系図
子の妻 藤原宣孝の娘
子の妻の父 藤原宣孝→藤原宣孝の系図
孫 上東門院中将(じょうとうもんいんのちゅうじょう)
中古三十六歌仙の一人。
孫 覚助(かくじょ)【1013-1063】
妻 源致明の娘
妻の父 源致明→源能有の系図
子の夫 藤原頼宗→藤原頼宗の系図
孫 俊家→藤原俊家の系図
孫 能長→藤原能長の系図
藤原隆家の系図
藤原隆家(たかいえ)【979-1044】
権中納言。花山法皇に矢を射かけたことで左遷された。大宰権帥在任中、刀伊の入寇を撃退した。
祖父 兼家→藤原兼家の系図
父 道隆→藤原道隆の系図
祖父 高階成忠→高階峯緒~良臣の系図
妻 藤原景斉の娘
妻の父 藤原景斉→藤原国章の系図
子 良頼→藤原良頼の系図
孫 良基→藤原良基の系図
妻 源兼資の娘
妻の父 源兼資→源惟正の系図
子 経輔→藤原経輔の系図
孫 師家→藤原師家・家範の系図
孫 長房→藤原長房の系図
孫 師基→藤原師基の系図
孫 師信→藤原師信の系図
妻 藤原為光の娘
妻の父 藤原為光→藤原為光の系図
子 季定→藤原季定の系図
妻 正光の娘
子 家房/家清
孫 家子→藤原師家・家範の系図
曾孫 藤原基隆→藤原基隆の系図
妻 藤原伊尹の娘
妻の父 藤原伊尹→藤原伊尹・義孝の系図
子 良員/良真
子の妻 藤原師長の娘
子の妻の父 藤原師長→藤原興方~師長の系図
子 行昭【1015-1062】
子 隆明(りゅうみょう)【1019-1104】
白河天皇・堀河天皇の護持僧。三室戸寺の中興の祖。
子の夫 敦儀親王→三条天皇の系図
子の夫 藤原兼経→藤原兼経の系図
孫 敦家→藤原敦家の系図
藤原良頼の系図
藤原良頼【1002-1048】
権中納言。
祖父 道隆→藤原道隆の系図
父 隆家→藤原隆家の系図
祖父 藤原景斉→藤原国章の系図
妻 源経房の娘
妻の父 源経房→源経房の系図
子 良基→藤原良基の系図
子 忠俊
子の妻 藤原基房の娘
子の妻の父 藤原基房→藤原朝光・正光の系図
孫 保俊【?-1116】
曾孫 皇覚/俊厳
保俊孫 雅円/行雅
子の妻 源憲清の娘
子の妻の父 源憲清→是貞親王・源旧鑑・是恒・貞恒・是茂・香泉・友貞の系図
曾孫 仲俊/長俊
曾孫の子の夫 源時持→源義信の系図
俊兼孫 定長/良定
孫の夫 藤原師実→藤原師実の系図
孫の夫 源忠宗→源忠宗の系図
孫の夫 藤原家定→藤原師基の系図
孫の夫 源師頼→源師頼の系図
子 家基
子の妻 藤原親経の娘
子の妻の父 藤原親経→藤原親経の系図
曾孫 覚讃【?-1180】
子の夫 藤原基貞→藤原基貞の系図
子の夫 源基平→源基平の系図
藤原良基の系図
藤原良基【1023-1075】
参議。
祖父 隆家→藤原隆家の系図
父 良頼→藤原良頼の系図
祖父 源経房→源経房の系図
妻 平範国の娘
妻の父 平範国→平範国~知信の系図
子 隆宗【1045-1102】
子の妻 藤原義綱の娘
子の妻の父 藤原義綱→藤原邦恒の系図
孫 宗兼
孫の妻 藤原有信の娘
孫の妻の父 藤原有信→藤原有信の系図
曾孫 池禅尼→平正盛・忠盛の系図
曾孫の子 平頼盛→平経盛・教盛・頼盛の系図
曾孫の夫 高階泰重→高階泰重の系図
宗兼孫 宗玄〔養父:藤原宗長〕
宗兼孫 範円
父は弁暁とも。
孫 良兼
孫の妻 藤原行家の娘
孫の妻の父 藤原行家→藤原行家の系図
曾孫 信兼/良季
曾孫の妻 藤原永範の娘
曾孫の妻の父 藤原永範→藤原成季~永範の系図
曾孫の夫 藤原基光→藤原資憲~快成の系図
良兼孫 範良/季信
孫の夫 藤原清高→藤原季永・清高の系図
孫の夫 源義賢→源義賢~木曽家村の系図
隆宗孫 範円
父は覚長とも。
子 覚信/覚真
藤原季定の系図
藤原季定
祖父 道隆→藤原道隆の系図
父 隆家→藤原隆家の系図
祖父 藤原為光→藤原為光の系図
妻 藤原惟憲の娘
妻の父 藤原惟憲→藤原惟憲の系図
曾孫 宗盛
父は藤原兼宗(→藤原道綱の系図)とも。
宗盛孫 兼国
父は藤原長盛とも。
宗盛孫 宗言/宗重
宗盛孫 宗成/家長
子の夫 石橋義綱→石橋義綱の系図
藤原経輔の系図
藤原経輔(つねすけ)【1006-1081】
権大納言。
祖父 道隆→藤原道隆の系図
父 隆家→藤原隆家の系図
祖父 源兼資→源惟正の系図
妻 藤原資業の娘
妻の父 藤原資業→藤原資業の系図
子 師家・孫 家範→藤原師家・家範の系図
子 長房→藤原長房の系図
子 師基→藤原師基の系図
子 師信→藤原師信の系図
孫 経忠→藤原経忠の系図
子 増誉(ぞうよ)【1032-1116】
天台座主に補されるも、すぐに辞退した。
子の夫 藤原忠家→藤原長家・忠家の系図
孫 俊忠→藤原俊忠の系図
子の夫 藤原師通→藤原師通の系図
藤原師家・家範の系図
藤原師家【1019-1058】
祖父 隆家→藤原隆家の系図
父 経輔→藤原経輔の系図
祖父 藤原資業→藤原資業の系図
妻 藤原泰憲の娘
妻の父 藤原泰憲→藤原泰通の系図
妻 橘成任の娘
妻の父 橘成任→橘成任の系図
子 光家/家行
父は藤原家範とも。
藤原家範【1048-1123】
妻 藤原家子
藤原家房(→藤原隆家の系図)の娘。堀河天皇の乳母。
子 基隆→藤原基隆の系図
子 家保【?-1128】〔養父:大江匡房(→大江匡房~維光の系図)〕
子 宗隆
子の妻 藤原盛実の娘
子の妻の父 藤原盛実→藤原盛実の系図
子の夫 源有房→源顕仲の系図
藤原基隆の系図
藤原基隆(もとたか)/家政【1075-1132】
従三位。白河・鳥羽院政で別当として活躍した。
祖父 師家・父 家範→藤原師家・家範の系図
祖父 藤原家房→藤原隆家の系図
妻 藤原知房の娘
妻の父 藤原知房→藤原信長の系図
子 隆頼
子の妻 源師隆の娘
子の妻の父 源師隆→源師忠の系図
妻 藤原長忠の娘
妻の父 藤原長忠→藤原能長の系図
子 忠隆(ただたか)【1102-1150】
従三位。鳥羽上皇の近臣。国守を歴任した。
子の妻 藤原栄子(えいし)
藤原顕隆(→藤原顕隆の系図)の娘。崇徳天皇の乳母。
孫 隆教
孫の妻 平忠盛の娘
孫の妻の父 平忠盛→平正盛・忠盛の系図
子の妻 藤原季孝の娘
子の妻の父 藤原季孝→藤原定任の系図
曾孫 隆実/経成
曾孫の夫 藤原秀衡→藤原秀郷の系図
子の妻 藤原顕頼の娘
子の妻の父 藤原顕頼→藤原顕頼の系図
孫 信頼(のぶより)【1133-1159】〔養子:藤原盛頼(→藤原家成の系図)〕
権中納言。後白河天皇に取り立てられた。平治の乱では信西を討ったものの、平氏と対立して敗れた。
孫の妻 藤原顕頼の娘
孫の妻の父 藤原顕頼→藤原顕頼の系図
孫の妻 藤原家成の娘
孫の妻の父 藤原家成→藤原家成の系図
孫 信説
孫の妻 藤原惟方の娘
孫の妻の父 藤原惟方→藤原惟方の系図
曾孫の夫 源有雅→源通家の系図
子 経隆
子の妻 中御門宗能の娘
子の妻の父 中御門宗能→中御門宗能の系図
子の夫 藤原信通→藤原信通・季通の系図
藤原長房の系図
藤原長房(ながふさ)/師光【1030-1099】
参議。
祖父 隆家→藤原隆家の系図
父 経輔→藤原経輔の系図
祖父 藤原資業→藤原資業の系図
妻 藤原基貞の娘
妻の父 藤原基貞→藤原基貞の系図
妻 藤原定雅の娘
妻の父 藤原定雅→藤原定国の系図
妻 藤原資業の娘
妻の父 藤原資業→藤原資業の系図
子 家信
実は藤原忠実(→藤原顕良・忠実の系図)の子。
子の妻 行円の娘
子の妻の父 行円→行円の系図
孫 経宣/経憲
曾孫 家宣/家憲
曾孫 資忠〔養父:藤原資信〕→藤原資仲~資重の系図
曾孫 忠行
父は藤原信房とも。
子の夫 藤原忠実→藤原顕良・忠実の系図
藤原師基の系図
藤原師基(もろもと)【1031-1077】
祖父 隆家→藤原隆家の系図
父 経輔→藤原経輔の系図
祖父 藤原資業→藤原資業の系図
妻 源定良の娘
子 家定/良実【?-1100】
子の妻 藤原忠俊の娘
子の妻の父 藤原忠俊→藤原良頼の系図
孫の夫 源雅光→源広綱の系図
子 国明(くにあき)【1064-1105】〔養父:源俊明(→源俊明の系図)〕
白河院の院別当を務めた。
孫 為忠
実は源家実(→源行任・高房の系図)の子。
孫の夫 源雅俊→源雅俊の系図
妻 平貞叙の娘
妻の父 平貞叙→平国香~正衡の系図
子の夫 源俊明→源俊明の系図
子の夫 藤原公衡→藤原師信の系図
藤原師信の系図
藤原師信【?-1094】
祖父 隆家→藤原隆家の系図
父 経輔→藤原経輔の系図
祖父 藤原資業→藤原資業の系図
妻 藤原頼宗の娘
妻の父 藤原頼宗→藤原頼宗の系図
子 公衡
子の妻 藤原師基の娘
子の妻の父 藤原師基→藤原師基の系図
孫 能輔〔養子:顕舜〕
公衡孫 顕舜〔養父:藤原能輔〕
孫の夫 藤原為通→藤原伊通の系図
妻 藤原良綱の娘
妻の父 藤原良綱→藤原良綱の系図
孫 長信/行兼
曾孫の夫 源雅通→源雅通の系図
曾孫の子 通親→源通親の系図
曾孫の子 唐橋通資→唐橋通資の系図
曾孫の夫 藤原行隆→藤原行隆の系図
孫の夫 藤原忠通→藤原忠通の系図
妻 増秀の娘
子 経忠→藤原経忠の系図
孫 忠能→藤原忠能の系図
孫 信輔→藤原信輔の系図
藤原経忠の系図
藤原経忠【1075-1138】
中納言。堀川中納言と号した。
妻 藤原実子(じっし)
藤原公実(→藤原公実の系図)の娘。鳥羽天皇の乳母。
子 忠能→藤原忠能の系図
子 信輔→藤原信輔の系図
孫 信隆→藤原信隆の系図
孫 水無瀬親信→水無瀬親信の系図
子 経雅
子の妻 藤原光国の娘
子の妻の父 藤原光国→藤原範綱の系図
孫 成忠/信忠
孫の夫 源通定→源通定の系図
子 増忠
父は藤原能忠(→藤原能季の系図)とも。
子の夫 藤原家成→藤原家成の系図
孫 成親→藤原成親の系図
孫 山科実教→山科実教の系図
孫の夫 源雅賢→源通家の系図
藤原忠能の系図
藤原忠能【1094-1158】
参議。
祖父 師信→藤原師信の系図
父 経忠→藤原経忠の系図
祖父 藤原公実→藤原公実の系図
妻 忠政の娘
子 経保
子の妻 橘広房の娘
子の妻の父 橘広房→橘広房の系図
妻 藤原長忠の娘
妻の父 藤原長忠→藤原能長の系図
子 長成
子の妻 常盤御前(ときわごぜん)
九条院の雑仕女。平治の乱で源義朝が敗れた際には、六波羅に出頭して子供の助命を懇願した。
子の妻の夫 源義朝→源義朝の系図
子の妻の夫 平清盛→平清盛の系図
孫 能成【1163-1238】
従三位。鷹司三位と号した。
子の夫 藤原公保→徳大寺実能の系図
藤原信輔の系図
藤原信輔【?-1184】
祖父 師信→藤原師信の系図
父 経忠→藤原経忠の系図
祖父 藤原公実→藤原公実の系図
妻 藤原家光の娘
妻の父 藤原家光→花山院家忠の系図
子 信隆→藤原信隆の系図
孫 坊門信清→坊門信清の系図
孫 坊門隆清→坊門隆清の系図
子 信行【?-1183】
法住寺合戦で亡くなった。
子の妻 難波忠基の娘
子の妻の父 難波忠基→難波忠基の系図
孫 信雅
従三位。丹波三位と号した。
曾孫 経行
従三位。
曾孫の子の夫 室町雅継→室町家信の系図
曾孫の夫 藤原家時→藤原親綱~師平の系図
孫 忠輔【?-1228】
子 水無瀬親信→水無瀬親信の系図
孫 親兼→水無瀬親兼~具隆の系図
子 師親〔養父:藤原定輔〕→水無瀬親信の系図
子の夫 藤原公行→三条実行の系図
子の夫 藤原顕時→藤原長隆・顕時の系図
子の夫 藤原惟方→藤原惟方の系図
藤原信隆の系図
藤原信隆(のぶたか)【1126-1179】
正三位。後白河院の近臣。後鳥羽天皇の外祖父になったことで、左大臣従一位を追贈された。
祖父 経忠→藤原経忠の系図
父 信輔→藤原信輔の系図
祖父 藤原家光→花山院家忠の系図
妻 藤原休子
藤原通基(→藤原基頼・通基の系図)の娘。
子 坊門信清→坊門信清の系図
孫 忠信→坊門忠信の系図
子 殖子→高倉天皇・安徳天皇の系図
孫 後鳥羽天皇→後鳥羽天皇の系図
妻 平清盛の娘
妻の父 平清盛→平清盛の系図
子 坊門隆清→坊門隆清の系図
子 信定(のぶさだ)【1145-1226】
従三位。
子 親輔【1163-1224】
正三位。
孫の夫 松殿基嗣→松殿隆忠・師家の系図
孫の夫 葉室定嗣→藤原光親の系図
坊門隆清の系図
坊門隆清(たかきよ)【1168-1214】
参議。
祖父 信輔→藤原信輔の系図
父 信隆→藤原信隆の系図
祖父 平清盛→平清盛の系図
子 清親
子の妻 高階経仲の娘
子の妻の父 高階経仲→高階経仲の系図
孫 基輔/清基【?-1284】
従三位。
曾孫 俊輔
曾孫の子の夫 勘解由小路光業→勘解由小路頼資~光業の系図
曾孫の孫 広橋兼綱→広橋兼綱~兼宣の系図
俊輔孫 俊親
従三位。
俊輔孫 清忠(きよただ)【?-1338】
参議。後醍醐天皇に従って吉野に移り、そこで亡くなった。
曾孫 為輔【1258-?】
従二位。
為輔孫 為名【?-1395】
正三位。
為輔孫 経清〔養父:藤原藤輔〕→坊門忠信の系図
実は藤原為輔の子。養父は藤原家清とも。
子 清厳
実は長厳(→長厳の系図)の子。
子の夫 近衛実忠→近衛公明の系図
孫 有清/時隆
正三位。父は坊門清親とも。
坊門信清の系図
坊門信清(のぶきよ)【1159-1216】
内大臣。
祖父 信輔→藤原信輔の系図
父 信隆→藤原信隆の系図
祖父 藤原通基→藤原基頼・通基の系図
妻 二条定能の娘
妻の父 二条定能→二条定能の系図
子 忠信→坊門忠信の系図
子 忠清(ただきよ)
子の妻 北条時政の娘
子の妻の父 北条時政→北条時家~時政の系図
子 輔平
子の妻 藤原範光の娘
子の妻の父 藤原範光→藤原範光の系図
子 大納言局→順徳天皇・仲恭天皇の系図
子の夫 藤原良輔→九条兼実の系図
妻 藤原公保の娘
妻の父 藤原公保→徳大寺実能の系図
子の夫 藤原隆衡→藤原隆衡の系図
孫 四条隆親→四条隆親~隆宗の系図
子 坊門局→後鳥羽天皇の系図
子の夫 唐橋雅親→唐橋通資の系図
子の夫 白河伊時→白河伊実の系図
子の夫 源実朝→源頼朝の系図
子の夫 藤原基行→持明院基宗~基世の系図
孫の夫 二条道良→二条良実・師忠の系図
孫の夫 一条実経→一条実経~内経の系図
坊門忠信の系図
坊門忠信(ただのぶ)/信能【1187-?】〔養子:坊門信家〕
権大納言。承久の乱で捕らえられ、越後に流された。
祖父 信隆→藤原信隆の系図
父 信清→坊門信清の系図
祖父 二条定能→二条定能の系図
妻 藤原親能の娘
妻の父 藤原親能→藤原親能・定季の系図
夫 藤原公俊→三条公房の系図
子 基信【1208-?】
孫 裎子→二条良実・師忠の系図
曾孫 二条兼基→二条兼基・道平の系図
子 信成→水無瀬親兼~具隆の系図
実は水無瀬親兼の子。
孫 信家【?-1274】〔養父:坊門忠信、養子:藤原清房〕
正三位。
曾孫 信顕〔養子:藤原清房〕
信顕孫 信良【1269-1330】
従三位。実は信宗の子。
信顕孫 信行【1304-?】
参議。
信顕孫 信藤
正三位。
信顕孫 信定
実は坊門信家の子。
曾孫 信兼【?-1320】
従三位。
信兼孫 家清【1291-1354】
従三位。
信兼孫 経清
実は藤原為輔(→坊門隆清の系図)の子。養父は藤原藤輔とも。
曾孫 信定〔養父:坊門信顕〕
曾孫 清房/信雅〔養父:坊門信家、坊門信顕〕
従三位。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。