このページでは、藤原氏北家・高藤流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤原氏北家・高藤流の略系図
2 定方→藤原定方の系図
3 朝頼→藤原朝頼・為輔の系図
5 宣孝→藤原宣孝の系図
5-A 隆佐→藤原隆佐の系図
6 隆光→藤原隆光の系図
7 隆方→藤原隆方の系図
8 為房→藤原為房の系図
8-A1 長隆→藤原長隆・顕時の系図
8-A2 行隆→藤原行隆の系図
8-B1 朝隆→藤原朝隆の系図
8-B2 朝方→藤原朝方の系図
8-C1 親隆→藤原親隆の系図
8-C2 親雅→藤原親雅の系図
8-C3 親房→藤原親房の系図
10 光房→藤原光房の系図
10-A 定長→藤原定長の系図
10-B1 光長→九条光長・長房の系図
10-B2 定高→九条定高の系図
11 経房→吉田経房・定経の系図
13 資経→吉田資経の系図
14 為経→吉田為経の系図
14-A 経任→中御門経任の系図
15 経長→吉田経長の系図
藤原高藤の系図
藤原高藤(たかふじ)【838-900】
内大臣。醍醐天皇の外祖父であったため、立太子の頃から急激な昇進を果たした。
妻 宮道列子(れっし)【?-907】
妻の父 宮道弥益(いやます)
山城国宇治郡郡司。居宅はのちに勧修寺になった。
子 定国→藤原定国の系図
子 定方→藤原定方の系図
子 胤子→宇多天皇の系図
孫 醍醐天皇→醍醐天皇・朱雀天皇の系図
孫 敦慶親王→斉世親王・敦慶親王の系図
孫 敦実親王→敦実親王の系図
子 満子(みつこ)【874-937】
醍醐朝・朱雀朝の尚侍。
妻 敬信
子 因香(よるか)
典侍。『古今和歌集』に歌が収められている。
藤原定国の系図
藤原定国(さだくに)【867-906】
大納言。
妻 安倍貞行(さだゆき)の娘
子 有雅
子の妻 紀淑光の娘
子の妻の父 紀淑光
参議。
孫 兼時/佐才
孫 嘉時
孫の妻 源師保の娘
孫の妻の父 源師保→源清平の系図
曾孫 定雅
定雅の子の夫 藤原長房→藤原長房の系図
定雅の子の夫 源頼資→源頼資の系図
曾孫 基宗/基業
曾孫 斉時・泰時〔養父:藤原有雅〕
孫 佐命/実時
妻 藤原有実の娘
妻の父 藤原有実→藤原良仁の系図
子 有好
孫の夫 藤原国光→藤原有頼~忠輔の系図
子 有年
孫の夫 藤原兼通→藤原兼通の系図
曾孫 正光→藤原朝光・正光の系図
子 和香子→醍醐天皇・朱雀天皇の系図
藤原定方の系図
藤原定方(さだかた)【873-932】
右大臣。紀貫之らを庇護したほか、自身の歌も『百人一首』に収められる。
妻 藤原山蔭の娘
妻の父 藤原山蔭→藤原山蔭の系図
子 朝忠(あさただ)【910-966】
父は藤原定国(→藤原定国の系図)とも。中納言。笙の名手。
子の妻 忠舒の娘
孫 理兼
孫の妻 教子
曾孫 致義
父は藤原惟孝(→藤原惟孝の系図)とも。
孫の妻 藤原雅正の娘
孫の妻の父 藤原雅正→藤原雅正の系図
曾孫 鎮禅
父は藤原惟孝(→藤原惟孝の系図)とも。
孫の夫 源重信→源重信の系図
子 朝成(あさひら)【917-974】
中納言。笙の名手。大食いで肥満であった。
孫 脩子→村上天皇の系図
孫の夫 藤原宣孝→藤原宣孝の系図
曾孫 隆佐→藤原隆佐の系図
子 朝頼・孫 為輔→藤原朝頼・為輔の系図
妻 是貞親王の娘
妻の父 是貞親王→是貞親王・源旧鑑・是恒・貞恒・是茂・香泉・友貞の系図
子 理実/理貫
孫 文貫
父は藤原定方とも。
子 能子→醍醐天皇・朱雀天皇の系図・藤原実頼の系図
子の夫 代明親王→代明親王の系図
孫 源重光→源重光の系図
子の夫 藤原兼輔・藤原庶正→藤原利基・兼輔の系図
子の夫 平随時→人康親王・本康親王・源光の系図
子の夫 藤原尹文→藤原尹文の系図
孫 永頼→藤原永頼の系図
子の夫 藤原師尹→藤原師尹の系図
孫 定時→藤原定時・実方の系図
孫 済時→藤原済時の系図
子の夫 藤原雅正→藤原雅正の系図
孫 為頼→藤原為頼・伊祐の系図
孫 為長→藤原為長~頼綱の系図
孫 為時→藤原為時~盛綱の系図
子の夫 源為善→源為善の系図
藤原朝頼・為輔の系図
藤原朝頼
祖父 高藤→藤原高藤の系図
父 定方→藤原定方の系図
祖父 藤原山蔭→藤原山蔭の系図
妻 藤原言行の娘
妻の父 藤原言行→藤原山蔭の系図
藤原為輔【920-986】
権中納言。
妻 藤原守義の娘
妻の父 藤原守義→藤原公利・守義の系図
子 惟孝→藤原惟孝の系図
孫 惟憲→藤原惟憲の系図
孫 泰通→藤原泰通の系図
子 説孝→藤原説孝の系図
孫 頼明→藤原頼明の系図
孫 定輔→藤原定輔~孝博の系図
子 宣孝→藤原宣孝の系図
孫 隆光→藤原隆光の系図
孫 隆佐→藤原隆佐の系図
子の夫 藤原佐理→藤原実頼の系図
藤原宣孝の系図
藤原宣孝(のぶたか)【?-1001】
祖父 朝頼・父 為輔→藤原朝頼・為輔の系図
祖父 藤原守義→藤原公利・守義の系図
妻 藤原顕猷の娘
妻の父 藤原顕猷→藤原有方の系図
子 隆光→藤原隆光の系図
孫 隆方→藤原隆方の系図
妻 平季明の娘
妻の父 平季明→式瞻王・興我王・忠望王の系図
子 頼宣
父は藤原隆光(→藤原隆光の系図)とも。
子の妻 平重義の娘
子の妻の父 平重義→平重義の系図
妻 藤原朝成の娘
妻の父 藤原朝成→藤原定方の系図
子 隆佐→藤原隆佐の系図
子 明懐(みょうかい)【988-1072】
興福寺別当。
妻 紫式部(むらさきしきぶ)
藤原為時(→藤原為時~盛綱の系図)の娘。『源氏物語』を著した。
子 賢子→藤原兼隆の系図・高階成章の系図
子の夫 藤原道雅→藤原伊周の系図
藤原隆佐の系図
藤原隆佐【985-1074】
従三位。
祖父 為輔→藤原朝頼・為輔の系図
父 宣孝→藤原宣孝の系図
祖父 藤原朝成→藤原定方の系図
妻 藤原泰通の娘
妻の父 藤原泰通→藤原泰通の系図
子 宣実/季房
孫 信朝〔養父:高階為章(→高階為章の系図)〕
孫 静実〔養父:藤原実隆(→藤原実隆・季成の系図)〕
孫 行光〔養父:三条実行(→三条実行の系図)〕
曾孫 禅珍/行仁
孫の夫 藤原為房→藤原為房の系図
曾孫 朝隆→藤原朝隆の系図
曾孫 親隆→藤原親隆の系図
曾孫の夫 藤原邦綱→藤原盛国の系図
藤原隆光の系図
藤原隆光
祖父 為輔→藤原朝頼・為輔の系図
父 宣孝→藤原宣孝の系図
祖父 藤原顕猷→藤原有方の系図
妻 源国挙の娘
妻の父 源国挙→源通理・国盛の系図
子 隆方→藤原隆方の系図
孫 為房→藤原為房の系図
子 隆清/朝房
孫 光清/為兼
孫 隆忠→藤原隆経の系図
父は藤原隆経とも。
子の夫 藤原良経→藤原行成の系図
藤原隆方の系図
藤原隆方【?-1078】
祖父 宣孝→藤原宣孝の系図
父 隆光→藤原隆光の系図
祖父 源国挙→源通理・国盛の系図
妻 平行親の娘
妻の父 平行親→平行義の系図
子 為房→藤原為房の系図
孫 為隆→藤原為隆の系図
孫 顕隆→藤原顕隆の系図
孫 長隆→藤原長隆・顕時の系図
孫 朝隆→藤原朝隆の系図
孫 親隆→藤原親隆の系図
子 家実
子の妻 藤原惟綱の娘
子の妻の父 藤原惟綱→藤原頼成の系図
孫 為宣/実隆
孫の妻 大中臣輔清の娘
孫の妻の父 大中臣輔清→大中臣輔清の系図
孫の妻 菅原是綱の娘
孫の妻の父 菅原是綱→菅原是綱~長守の系図
曾孫 資隆/盛方
孫の夫 源光国→源国房・光国の系図
曾孫 光信→源光信・光基の系図
子 光子→藤原公実の系図
孫 西園寺通季→西園寺通季の系図
孫 徳大寺実能→徳大寺実能の系図
子の夫 康資王→清仁親王~源顕康の系図
子の夫 藤原仲実→藤原仲実の系図
藤原為房の系図
藤原為房(ためふさ)【1049-1115】
参議。実務に長け、摂関家の家司や院の別当を務めた。
祖父 隆光→藤原隆光の系図
父 隆方→藤原隆方の系図
祖父 平行親→平行義の系図
妻 源頼国の娘
妻の父 源頼国→源頼国の系図
子 為隆→藤原為隆の系図
孫 憲方→藤原憲方の系図
孫 光房→藤原光房の系図
子 顕隆→藤原顕隆の系図
孫 顕頼→藤原顕頼の系図
孫 顕能→藤原顕能の系図
孫 顕長→藤原顕長の系図
子 重隆【?-1118】〔養子:藤原親隆(→藤原親隆の系図)〕
孫 顕方→藤原顕能の系図
実は藤原顕能の子。養父は藤原顕長(→藤原顕長の系図)とも。
子 長隆・孫 顕時→藤原長隆・顕時の系図
妻 藤原永業の娘
妻の父 藤原永業→藤原永信・永業の系図
妻 隆尊の娘
妻の父 隆尊→藤原隆佐の系図
子 朝隆→藤原朝隆の系図
孫 朝方→藤原朝方の系図
妻 源定俊の娘
妻の父 源定俊→源定俊の系図
孫 為長
路頭で餓死したとされる。
孫の夫 三条公教→三条公教の系図
子 寛信(かんしん)【1085-1153】
真言宗の僧で、勧修寺流の祖。東寺長者なども務めた。
子の夫 大炊御門経実→大炊御門経実の系図
子の夫 源師隆→源師忠の系図
子の夫 難波忠教→難波忠教の系図
藤原長隆・顕時の系図
藤原長隆
祖父 隆方→藤原隆方の系図
父 為房→藤原為房の系図
祖父 源頼国→源頼国の系図
妻 高階重仲の娘
妻の父 高階重仲→高階重仲の系図
藤原顕時【1110-1167】〔養子:信空(→信空の系図)〕
権中納言。中山中納言と号した。
妻 藤原有業の娘
妻の父 藤原有業→藤原行家の系図
子 行隆→藤原行隆の系図
妻 平忠盛の娘
妻の父 平忠盛→平正盛・忠盛の系図
子 盛方(もりかた)【1137-1178】
歌人。『万葉集抄』を著したとされる。
子 領子→平時信の系図
妻 藤原信輔の娘
妻の父 藤原信輔→藤原信輔の系図
子 盛隆/時光
孫 時長(ときなが)
『平家物語』の作者に擬せられる。
子 有隆/基房
孫 時輔/有時
子の夫 藤原是憲→藤原実兼・通憲の系図
藤原行隆の系図
藤原行隆(ゆきたか)【1130-1187】
祖父 長隆・父 顕時→藤原長隆・顕時の系図
祖父 藤原有業→藤原行家の系図
妻 藤原長信の娘
妻の父 藤原長信→藤原師信の系図
子 行長(ゆきなが)
九条兼実の家司。『平家物語』の作者ともされる。
子 行光/宗行(むねゆき)【1174-1221】〔養父:葉室宗頼(→藤原光頼~葉室資頼の系図)、養子:成淳、教守、宗性(→藤原為経・隆信の系図)〕
権中納言。後鳥羽院の院司などを務めた。承久の乱の後に出家するも、関東に送られて斬首された。
子の妻 藤原兼光の娘
子の妻の父 藤原兼光→藤原兼光の系図
孫 宗氏
実は藤原家長(→日野資実の系図)の子。
曾孫 教守〔養父:藤原行光〕
曾孫の夫 資邦王→業資王~顕邦王の系図
孫 宗嗣
実は葉室宗方(→藤原光頼~葉室資頼の系図)の子。
孫の夫 花山院忠経→花山院忠経・定雅の系図
曾孫 師継→花山院師継~師資の系図
孫の夫 業資王→業資王~顕邦王の系図
孫の夫 資宗王→資宗王の系図
孫 成淳〔養父:藤原行光〕
曾孫の夫 藤原光国→日野資実の系図
子 覚顕/尊隆
子 信空(しんくう)【1146-1228】〔養父:藤原顕時(→藤原長隆・顕時の系図)〕
法然の弟子となった。
藤原朝隆の系図
藤原朝隆【1097-1159】〔養父:藤原為隆(→藤原為隆の系図)〕
権中納言。冷泉中納言と号した。
祖父 隆方→藤原隆方の系図
父 為房→藤原為房の系図
祖父 隆尊→藤原隆佐の系図
妻 藤原顕隆の娘
妻の父 藤原顕隆→藤原顕隆の系図
夫 藤原清隆→藤原清隆の系図
子 朝方→藤原朝方の系図
子 朝親/朝雅
孫 隆資/隆尋
孫の夫 九条光長→九条光長・長房の系図
子の夫 藤原光頼→藤原光頼~葉室資頼の系図
妻 藤原顕頼の娘
妻の父 藤原顕頼→藤原顕頼の系図
子 証朝〔養父:藤原朝方(→藤原朝方の系図)〕
子の夫 藤原光房→藤原光房の系図
藤原朝方の系図
藤原朝方(ともかた)【1135-1201】〔養子:証朝(→藤原朝隆の系図)、藤原朝時(→藤原令明の系図)〕
権大納言。鳥羽・後白河院政下で活躍した。堤大納言と号した。
祖父 為房→藤原為房の系図
父 朝隆→藤原朝隆の系図
祖父 藤原顕隆→藤原顕隆の系図
妻 藤原師綱の娘
妻の父 藤原師綱→藤原師綱の系図
子 朝定【1165-1183】
子の妻 水無瀬親信の娘
子の妻の父 水無瀬親信→水無瀬親信の系図
曾孫の夫 藤原信時→藤原親綱~師平の系図
子 朝経
子の妻 水無瀬親信の娘
子の妻の父 水無瀬親信→水無瀬親信の系図
子の妻の夫 山科教成→山科教成~資行の系図
孫 朝俊(ともとし)【?-1221】
父は藤原朝定とも。承久の乱で討ち死にした。
子の夫 川原実家→川原実家・公国の系図
藤原親隆の系図
藤原親隆(ちかたか)【1099-1165】〔養父:藤原重隆(→藤原為房の系図)〕
参議。
祖父 隆方→藤原隆方の系図
父 為房→藤原為房の系図
祖父 隆尊→藤原隆佐の系図
妻 藤原為隆の娘
妻の父 藤原為隆→藤原為隆の系図
孫 隆頼/為季
孫 為成〔養父:吉田経房(→吉田経房・定経の系図)〕
妻 源顕通の娘
妻の父 源顕通→源雅実・雅定の系図
妻 平知信の娘
妻の父 平知信→平範国~知信の系図
子 親雅→藤原親雅の系図
孫 親房→藤原親房の系図
妻 平時信の娘
妻の父 平時信→平時信の系図
子 全真〔養父:平清盛(→平清盛の系図)〕
子の夫 高倉家通→高倉重通・家通の系図
子の夫 藤原光頼→藤原光頼~葉室資頼の系図
孫 光雅→藤原光雅の系図
子の夫 藤原成親→藤原成親の系図
藤原親雅の系図
藤原親雅(ちかまさ)【1145-1210】
参議。母は半物花摺、藤原知信(→藤原惟経~知信の系図)の娘とも。五条宰相と号した。
祖父 為房→藤原為房の系図
父 親隆→藤原親隆の系図
祖父 平知信→平範国~知信の系図
妻 藤原定隆の娘
妻の父 藤原定隆→藤原清隆の系図
子 親房→藤原親房の系図
子 親寛
父は藤原親房(→藤原親房の系図)とも。
子 教雅/定雅
子 幸子→西園寺実氏の系図
子の夫 藤原清長→藤原定長の系図
子の夫 藤原隆仲→藤原隆房の系図
子の夫 九条定高→九条定高の系図
藤原親房の系図
藤原親房(ちかふさ)
参議。母は平信業の娘とも。
祖父 親隆→藤原親隆の系図
父 親雅→藤原親雅の系図
祖父 藤原定隆→藤原清隆の系図
妻 成清の娘
妻の父 成清→成清の系図
子 顕雅(あきまさ)【1207-1281】
参議。
子の妻 平信繁の娘
子の妻の父 平信繁→平信繁の系図
孫 雅藤〔養子:顕誉〕
権中納言。
曾孫 教雅
父は藤原雅俊とも。
曾孫 雅俊【1269-1322】〔養父:藤原雅藤、養子:藤原雅任〕
参議。実は藤原定雄の子。
雅俊孫 親藤/雅賢
曾孫 雅任【1277-1329】〔養父:藤原雅俊〕
参議。
曾孫 民部卿局→亀山天皇の系図
曾孫 顕誉〔養父:藤原雅藤〕
曾孫の夫 万里小路季房→万里小路資通~冬房の系図
子 親賢/雅高
子の夫 実昭→大炊御門頼実の系図
藤原為隆の系図
藤原為隆(ためたか)【1070-1130】〔養子:藤原朝隆(→藤原朝隆の系図)〕
参議。日記は『永昌記』。
祖父 隆方→藤原隆方の系図
父 為房→藤原為房の系図
祖父 源頼国→源頼国の系図
妻 藤原有佐の娘
妻の父 藤原有佐→藤原有佐の系図
子 憲方→藤原憲方の系図
子 光房→藤原光房の系図
孫 吉田経房→吉田経房・定経の系図
孫 定長→藤原定長の系図
孫 九条光長→九条光長・長房の系図
妻 源基綱の娘
妻の父 源基綱→源経信の系図
子の夫 源顕雅→源顕房の系図
子の夫 平実親→平実親・範家の系図
子の夫 中御門宗能→中御門宗能の系図
子の夫 藤原俊経→藤原俊経・盛経の系図
子の夫 藤原親隆→藤原親隆の系図
子の夫 源俊隆→源師忠の系図
子の夫 藤原顕能→藤原顕能の系図
孫 隆静
父は藤原為隆とも。
藤原憲方の系図
藤原憲方【1106-1160】
祖父 為房→藤原為房の系図
父 為隆→藤原為隆の系図
祖父 藤原有佐→藤原有佐の系図
妻 藤原顕隆の娘
妻の父 藤原顕隆→藤原顕隆の系図
子 頼憲/顕方〔養父:藤原惟方(→藤原惟方の系図)〕
子の妻 藤原知通の娘
子の妻の父 藤原知通→藤原尹通の系図
子 憲実/定憲
子 小宰相局→平経盛・教盛・頼盛の系図
子の夫 大炊御門経実→大炊御門経実の系図
子の夫 川原実家→川原実家・公国の系図
孫 近衛公明→近衛公明の系図
子の夫 三条公教→三条公教の系図
孫 滋野井実国→滋野井実国~実宣の系図
妻 源敦経の娘
妻の父 源敦経→源経信の系図
子 憲覚→源経信の系図
実は源敦経の子。
妻 藤原顕憲の娘
妻の父 藤原顕憲→藤原顕憲の系図
子の夫 藤原範保→藤原邦忠の系図
藤原光房の系図
藤原光房【1109-1154】
祖父 為房→藤原為房の系図
父 為隆→藤原為隆の系図
祖父 藤原有佐→藤原有佐の系図
妻 源有賢の娘
妻の父 源有賢→源有賢の系図
妻 藤原俊忠の娘
妻の父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
子 吉田経房・孫 定経→吉田経房・定経の系図
子 九条光長・孫 長房→九条光長・長房の系図
子の夫 中山忠親→中山忠親・兼宗の系図
妻 藤原為忠の娘
妻の父 藤原為忠→藤原為忠の系図
夫 難波忠基→難波忠基の系図
夫 難波教宗→難波教宗の系図
子 定長→藤原定長の系図
妻 平親宗の娘
妻の父 平親宗→平親宗・範国の系図
妻 藤原朝隆の娘
妻の父 藤原朝隆→藤原朝隆の系図
子 光綱【?-1194】
曾孫 経嗣
父は藤原経親とも。
子 隆遍〔養父:中山忠親(→中山忠親・兼宗の系図)〕
藤原定長の系図
藤原定長(さだなが)【1149-1195】
参議。後白河院の近臣として活躍した。
祖父 為隆→藤原為隆の系図
父 光房→藤原光房の系図
祖父 藤原為忠→藤原為忠の系図
妻 藤原能盛の娘
妻の父 藤原能盛→藤原能盛の系図
子 清長(きよなが)【1171-1214】
従三位。
子の妻 藤原親雅の娘
子の妻の父 藤原親雅→藤原親雅の系図
孫 清忠/清成
孫の夫 藤原宗房→藤原宗隆の系図
子 重長/知長
孫 光成
実は平頼盛(→平経盛・教盛・頼盛の系図)の子。
妻 平信範の娘
妻の父 平信範→平信範・信基の系図
子 成長【1181-1233】
従三位。
子 定瑜/長瑜
九条光長・長房の系図
九条光長(みつなが)【1143-1195】
参議。九条三位と号した。
祖父 為隆→藤原為隆の系図
父 光房→藤原光房の系図
祖父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
妻 藤原俊経の娘
妻の父 藤原俊経→藤原俊経・盛経の系図
子 宣房〔養父:九条長房〕
孫 宣通
父は九条長房とも。
妻 藤原朝親の娘
妻の父 藤原朝親→藤原朝隆の系図
子 定高〔養父:九条長房〕→九条定高の系図
子 長範
子の妻 藤原光雅の娘
子の妻の父 藤原光雅→藤原光雅の系図
子の妻の夫 藤原隆房→藤原隆房の系図
孫 高覚
父は藤原宣房とも。
子の夫 葉室宗方→藤原光頼~葉室資頼の系図
子の夫 藤原忠季→中山忠親・兼宗の系図
子の夫 二条資家→二条資家の系図
九条長房(ながふさ)【1170-1243】〔養子:藤原清房(→藤原盛憲・清房の系図)〕
参議。出家して海住山寺の再興に尽力した。
妻 藤原俊盛の娘
妻の父 藤原俊盛→藤原顕盛の系図
子 定高→九条定高の系図
子 宣通
父は藤原宣房とも。
子 宣房
実は九条光長の子。
子の夫 高倉範茂→高倉範茂の系図
九条定高の系図
九条定高/忠長/経光【1190-1238】
権中納言。実は九条光長(→九条光長・長房の系図)の子。九条道家に仕えた。
祖父 光長・父 長房→九条光長・長房の系図
妻 藤原親雅の娘
妻の父 藤原親雅→藤原親雅の系図
子 忠高【1213-1276】
中納言。
子の妻 葉室資頼の娘
子の妻の父 葉室資頼→藤原光頼~葉室資頼の系図
曾孫 光経(みつつね)〔養父:九条忠長〕
権大納言。
曾孫の子の夫 花山院兼定→花山院兼定~家輔の系図
光経孫 氏房【?-1404】
権中納言。
光経孫 清房【?-1448】
権大納言。
光経孫 高清【?-1488】
権大納言。
光経孫 高経(『系図纂要』による。)
曾孫の夫 久我長通→久我長通~清通の系図
孫 高俊【1232-1266】
孫の妻 九条知家の娘
孫の妻の父 九条知家→九条顕家の系図
曾孫 忠長/忠藤〔養子:九条光経〕
従三位。
高俊孫 宣経/長輔
孫の夫 四条隆顕→四条隆親~隆宗の系図
孫の夫 葉室頼親→葉室季頼~頼藤の系図
子の夫 花山院定雅→花山院忠経・定雅の系図
孫 通雅→花山院通雅~長定の系図
子の夫 姉小路顕朝→藤原宗隆の系図
子の夫 一条実経→一条実経~内経の系図
吉田経房・定経の系図
吉田経房(つねふさ)【1143-1200】〔養子:藤原有経(→藤原有佐の系図)、九条長房(→九条長房の系図)、吉田資経(→吉田資経の系図)、藤原為成(→藤原親隆の系図)、平経高(→平行範・棟範の系図)〕
権大納言。議奏公卿の一人。日記は『吉記』。
祖父 為隆→藤原為隆の系図
父 光房→藤原光房の系図
祖父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
妻 平範家の娘
妻の父 平範家→平実親・範家の系図
妻 藤原顕憲の娘
妻の父 藤原顕憲→藤原顕憲の系図
子 時経/良経
子の夫 滋野井公時→滋野井実国~実宣の系図
子の夫 平時実→平時信の系図
妻 藤原成親の娘
妻の父 藤原成親→藤原成親の系図
夫 平維盛→平維盛の系図
吉田定経(さだつね)【1158-1231】
参議。順調に昇進を重ねていたなかで出家し、父経房から義絶された。
妻 平親範の娘
妻の父 平親範→平実親・範家の系図
子 資経→吉田資経の系図
孫 為経→吉田為経の系図
孫 坊城経俊→坊城経俊・俊定の系図
孫 万里小路資通→万里小路資通~冬房の系図
妻 源定房の娘
妻の父 源定房→源定房の系図
子 経賢/経兼【1190-1246】
従三位。
子の妻 業忠の娘
孫 宗経/俊兼
従三位。
孫の妻 大中臣隆通の娘
孫の妻の父 大中臣隆通→大中臣隆通の系図
曾孫 為時/経雄
孫 経覚/房円
孫の夫 五辻雅継→五辻雅継の系図
孫の夫 正親町三条公貫→正親町三条公貫~公秀の系図
子 経親/良経
子の夫 水無瀬信成→水無瀬親兼~具隆の系図
吉田資経の系図
吉田資経(すけつね)【1180-1251】〔養父:吉田経房(→吉田経房・定経の系図)〕
参議。吉田大弐と号した。
祖父 経房・父 定経→吉田経房・定経の系図
祖父 平親範→平実親・範家の系図
妻 藤原親綱の娘
妻の父 藤原親綱→藤原親綱~師平の系図
子 為経→吉田為経の系図
孫 中御門経任→中御門経任の系図
孫 経長→吉田経長の系図
妻 高倉範季の娘
妻の父 高倉範季→高倉範季の系図
子 坊城経俊・孫 俊定→坊城経俊・俊定の系図
孫 中御門経継→中御門経継~宣豊の系図
子 高経【1218-1285】
正三位。
子 万里小路資通→万里小路資通~冬房の系図
子の夫 藤原親俊→藤原光雅の系図
吉田為経の系図
吉田為経(ためつね)【1210-1256】
中納言。
祖父 定経→吉田経房・定経の系図
父 資経→吉田資経の系図
祖父 藤原親綱→藤原親綱~師平の系図
妻 九条定高の娘
妻の父 九条定高→九条定高の系図
子 経藤【1239-?】
子の妻 坊城経俊の娘
子の妻の父 坊城経俊→坊城経俊・俊定の系図
孫 信海
父は守禅とも。
子 経長→吉田経長の系図
孫 甘露寺隆長→甘露寺隆長~兼長の系図
孫 清閑寺資房→清閑寺資房~共綱の系図
妻 平棟基の娘
妻の父 平棟基→平行範・棟範の系図
子 冷泉経頼【?-1293】
権中納言。
子の妻 盛晴の娘
子の妻の父 盛晴→盛晴の系図
孫 頼隆【?-1329】
参議。
孫の妻 中御門経継の娘
孫の妻の父 中御門経継→中御門経継~宣豊の系図
曾孫 経隆【?-1380】
参議。
孫 頼定
権中納言。
曾孫 定親
参議。
曾孫の妻 藤原光久の娘
曾孫の妻の父 藤原光久→藤原光家の系図
曾孫の子の夫 九条経教→九条房実~満教の系図
孫の夫 吉田経長→吉田経長の系図
子 中御門経任→中御門経任の系図
子 守禅/守聖
子の夫 正親町三条公貫→正親町三条公貫~公秀の系図
子の夫 滋野井実冬→滋野井公光~教国の系図
中御門経任の系図
中御門経任(つねとう)/経嗣【1233-1297】〔養子:藤原顕世(→藤原光俊の系図)〕
権大納言。後嵯峨院の近臣。中御門大納言と号した。
妻 藤原公雅の娘
妻の父 藤原公雅→西園寺公通の系図
子 為方【1255-1306】〔養子:藤原光方〕
権中納言。
子の妻 五辻仲貞の娘
子の妻の父 五辻仲貞→五辻仲貞~富仲の系図
孫 経禅/経助
孫の夫 花山院家定→花山院通雅~長定の系図
孫 為行【1276-1332】〔養子:中御門為治〕
権中納言。
為方孫 為治【1315-?】〔養父:中御門為行〕
権中納言。
為方孫 経成/経治
為方孫 光任(以下、『系図纂要』による。)
子 為俊【?-1289】
従三位。
孫 光方【1280-1322】〔養父:中御門為方〕
従三位。
曾孫 光任/光雄
子 経守【1263-1317】
権中納言。
子の妻 藤原経業の娘
子の妻の父 藤原経業→藤原信盛の系図
孫 光守(みつもり)
孫 経躬【1288-1326】
曾孫 為継
盗人に殺された。
子 経子→西園寺公衡~公宗の系図
吉田経長の系図
吉田経長(つねなが)【1239-1309】
権大納言。亀山天皇・後宇多天皇の近臣として活躍した。日記は『吉続記』。
祖父 資経→吉田資経の系図
父 為経→吉田為経の系図
祖父 九条定高→九条定高の系図
妻 葉室定嗣の娘
妻の父 葉室定嗣→藤原光親の系図
子 定房(さだふさ)【1274-1338】〔養子:清閑寺資房(→清閑寺資房~共綱の系図)〕
内大臣。後宇多天皇・後醍醐天皇に重用された。後の三房の一人。日記は『吉槐記』。
子の妻 四条隆顕の娘
子の妻の父 四条隆顕→四条隆親~隆宗の系図
孫 宗房(むねふさ)
南朝に仕え、大納言になった。
孫 守房
南朝で大納言になった。
孫の夫 大炊御門冬信→大炊御門信嗣~冬信の系図
子 甘露寺隆長・孫 藤長→甘露寺隆長~兼長の系図
子 冬方【1285-?】
権中納言。
曾孫 高光/定冬
妻 冷泉経頼の娘
妻の父 冷泉経頼→吉田為経の系図
子 清閑寺資房・孫 資定→清閑寺資房~共綱の系図
子の夫 大炊御門冬氏→大炊御門信嗣~冬信の系図
子の夫 御子左為藤→御子左為世の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。