このページでは、藤原氏北家・高藤流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤原高藤の系図
藤原高藤(たかふじ)【838-900】
内大臣。醍醐天皇の外祖父であったため、立太子の頃から急激な昇進を果たした。
妻 宮道列子(れっし)【?-907】
妻の父 宮道弥益(いやます)
山城国宇治郡郡司。居宅はのちに勧修寺になった。
子 定国→藤原定国の系図
子 定方→藤原定方の系図
子 胤子→宇多天皇の系図
孫 醍醐天皇→醍醐天皇・朱雀天皇の系図
孫 敦慶親王→斉世親王・敦慶親王の系図
孫 敦実親王→敦実親王の系図
子 満子(みつこ)【874-937】
醍醐朝・朱雀朝の尚侍。
妻 敬信
子 因香(よるか)
典侍。『古今和歌集』に歌が収められている。
藤原定国の系図
藤原定国(さだくに)【867-906】
大納言。
妻 安倍貞行(さだゆき)の娘
子 有雅
子の妻 紀淑光の娘
子の妻の父 紀淑光
参議。
孫 兼時/佐才
孫 嘉時
孫の妻 源師保の娘
孫の妻の父 源師保→源清平の系図
曾孫 定雅
定雅の子の夫 藤原長房→藤原長房の系図
定雅の子の夫 源頼資→源頼資の系図
曾孫 基宗/基業
曾孫 斉時・泰時〔養父:藤原有雅〕
孫 佐命/実時
妻 藤原有実の娘
妻の父 藤原有実→藤原良仁の系図
子 有好
孫の夫 藤原国光→藤原有頼~忠輔の系図
子 有年
孫の夫 藤原兼通→藤原兼通の系図
曾孫 正光→藤原朝光・正光の系図
子 和香子→醍醐天皇・朱雀天皇の系図
藤原定方の系図
藤原定方(さだかた)【873-932】
右大臣。紀貫之らを庇護したほか、自身の歌も『百人一首』に収められる。
妻 藤原山蔭の娘
妻の父 藤原山蔭→藤原山蔭の系図
子 朝忠(あさただ)【910-966】
父は藤原定国(→藤原定国の系図)とも。中納言。笙の名手。
子の妻 忠舒の娘
孫 理兼
孫の妻 教子
曾孫 致義
父は藤原惟孝(→藤原惟孝の系図)とも。
孫の妻 藤原雅正の娘
孫の妻の父 藤原雅正→藤原雅正の系図
曾孫 鎮禅
父は藤原惟孝(→藤原惟孝の系図)とも。
孫の夫 源重信→源重信の系図
子 朝成(あさひら)【917-974】
中納言。笙の名手。大食いで肥満であった。
孫 脩子→村上天皇の系図
孫の夫 藤原宣孝→藤原宣孝の系図
曾孫 隆佐→藤原隆佐の系図
子 朝頼・孫 為輔→藤原朝頼・為輔の系図
妻 是貞親王の娘
妻の父 是貞親王→是貞親王・源旧鑑・是恒・貞恒・是茂・香泉・友貞の系図
子 理実/理貫
孫 文貫
父は藤原定方とも。
子 能子→醍醐天皇・朱雀天皇の系図・藤原実頼の系図
子の夫 代明親王→代明親王の系図
孫 源重光→源重光の系図
子の夫 藤原兼輔・藤原庶正→藤原利基・兼輔の系図
子の夫 平随時→人康親王・本康親王・源光の系図
子の夫 藤原尹文→藤原尹文の系図
孫 永頼→藤原永頼の系図
子の夫 藤原師尹→藤原師尹の系図
孫 定時→藤原定時・実方の系図
孫 済時→藤原済時の系図
子の夫 藤原雅正→藤原雅正の系図
孫 為頼→藤原為頼・伊祐の系図
孫 為長→藤原為長~頼綱の系図
孫 為時→藤原為時~盛綱の系図
子の夫 源為善→源為善の系図
藤原朝頼・為輔の系図
藤原朝頼
祖父 高藤→藤原高藤の系図
父 定方→藤原定方の系図
祖父 藤原山蔭→藤原山蔭の系図
妻 藤原言行の娘
妻の父 藤原言行→藤原山蔭の系図
藤原為輔【920-986】
権中納言。
妻 藤原守義の娘
妻の父 藤原守義→藤原公利・守義の系図
子 惟孝→藤原惟孝の系図
孫 惟憲→藤原惟憲の系図
孫 泰通→藤原泰通の系図
子 説孝→藤原説孝の系図
孫 頼明→藤原頼明の系図
孫 定輔→藤原定輔~孝博の系図
子 宣孝→藤原宣孝の系図
孫 隆光→藤原隆光の系図
孫 隆佐→藤原隆佐の系図
子の夫 藤原佐理→藤原実頼の系図
藤原宣孝の系図
藤原宣孝(のぶたか)【?-1001】
祖父 朝頼・父 為輔→藤原朝頼・為輔の系図
祖父 藤原守義→藤原公利・守義の系図
妻 藤原顕猷の娘
妻の父 藤原顕猷→藤原有方の系図
子 隆光→藤原隆光の系図
孫 隆方→藤原隆方の系図
妻 平季明の娘
妻の父 平季明→式瞻王・興我王・忠望王の系図
子 頼宣
父は藤原隆光(→藤原隆光の系図)とも。
子の妻 平重義の娘
子の妻の父 平重義→平重義の系図
妻 藤原朝成の娘
妻の父 藤原朝成→藤原定方の系図
子 隆佐→藤原隆佐の系図
子 明懐(みょうかい)【988-1072】
興福寺別当。
妻 紫式部(むらさきしきぶ)
藤原為時(→藤原為時~盛綱の系図)の娘。『源氏物語』を著した。
子 賢子→高階成章の系図
子の夫 藤原道雅→藤原伊周の系図
藤原隆佐の系図
藤原隆佐【985-1074】
従三位。
祖父 為輔→藤原朝頼・為輔の系図
父 宣孝→藤原宣孝の系図
祖父 藤原朝成→藤原定方の系図
妻 藤原泰通の娘
妻の父 藤原泰通→藤原泰通の系図
子 宣実/季房
孫 信朝〔養父:高階為章(→高階為章の系図)〕
孫 静実〔養父:藤原実隆(→藤原実隆・季成の系図)〕
孫 行光〔養父:三条実行(→三条実行の系図)〕
曾孫 禅珍/行仁
孫の夫 藤原為房→藤原為房の系図
曾孫 朝隆→藤原朝隆の系図
曾孫 親隆→藤原親隆の系図
曾孫の夫 藤原邦綱→藤原盛国の系図
藤原隆光の系図
藤原隆光
祖父 為輔→藤原朝頼・為輔の系図
父 宣孝→藤原宣孝の系図
祖父 藤原顕猷→藤原有方の系図
妻 源国挙の娘
妻の父 源国挙→源通理・国盛の系図
子 隆方→藤原隆方の系図
孫 為房→藤原為房の系図
子 隆清/朝房
孫 光清/為兼
孫 隆忠→藤原隆経の系図
父は藤原隆経とも。
子の夫 藤原良経→藤原行成の系図
藤原隆方の系図
藤原隆方【?-1078】
祖父 宣孝→藤原宣孝の系図
父 隆光→藤原隆光の系図
祖父 源国挙→源通理・国盛の系図
妻 平行親の娘
妻の父 平行親→平行義の系図
子 為房→藤原為房の系図
孫 為隆→藤原為隆の系図
孫 顕隆→藤原顕隆の系図
孫 長隆→藤原長隆・顕時の系図
孫 朝隆→藤原朝隆の系図
孫 親隆→藤原親隆の系図
子 家実
子の妻 藤原惟綱の娘
子の妻の父 藤原惟綱→藤原頼成の系図
孫 為宣/実隆
孫の妻 大中臣輔清の娘
孫の妻の父 大中臣輔清→大中臣輔清の系図
孫の妻 菅原是綱の娘
孫の妻の父 菅原是綱→菅原是綱の系図
曾孫 資隆/盛方
孫の夫 源光国→源光国の系図
子 光子→藤原公実の系図
孫 西園寺通季→西園寺通季の系図
孫 徳大寺実能→徳大寺実能の系図
子の夫 康資王→康資王の系図
子の夫 藤原仲実→藤原仲実の系図
藤原為房の系図
藤原為房(ためふさ)【1049-1115】
参議。実務に長け、摂関家の家司や院の別当を務めた。
祖父 隆光→藤原隆光の系図
父 隆方→藤原隆方の系図
祖父 平行親→平行義の系図
妻 源頼国の娘
妻の父 源頼国→源頼国の系図
子 為隆→藤原為隆の系図
孫 憲方→藤原憲方の系図
孫 光房→藤原光房の系図
子 顕隆→藤原顕隆の系図
孫 顕頼→藤原顕頼の系図
孫 顕能→藤原顕能の系図
孫 顕長→藤原顕長の系図
子 重隆【?-1118】〔養子:藤原親隆(→藤原親隆の系図)〕
孫 顕方→藤原顕能の系図
実は藤原顕能の子。養父は藤原顕長(→藤原顕長の系図)とも。
子 長隆・孫 顕時→藤原長隆・顕時の系図
妻 藤原永業の娘
妻の父 藤原永業→藤原永信・永業の系図
妻 隆尊の娘
妻の父 隆尊→藤原隆佐の系図
子 朝隆→藤原朝隆の系図
孫 朝方→藤原朝方の系図
妻 源定俊の娘
妻の父 源定俊→源定俊の系図
孫 為長
路頭で餓死したとされる。
孫の夫 三条公教→三条公教の系図
子 寛信(かんしん)【1085-1153】
真言宗の僧で、勧修寺流の祖。東寺長者なども務めた。
子の夫 大炊御門経実→大炊御門経実の系図
子の夫 源師隆→源師忠の系図
子の夫 難波忠教→難波忠教の系図
藤原長隆・顕時の系図
藤原長隆
祖父 隆方→藤原隆方の系図
父 為房→藤原為房の系図
祖父 源頼国→源頼国の系図
妻 高階重仲の娘
妻の父 高階重仲→高階重仲の系図
藤原顕時【1110-1167】〔養子:信空(→信空の系図)〕
権中納言。中山中納言と号した。
妻 藤原有業の娘
妻の父 藤原有業→藤原行家の系図
子 行隆→藤原行隆の系図
妻 平忠盛の娘
妻の父 平忠盛→平忠盛の系図
子 盛方(もりかた)【1137-1178】
歌人。『万葉集抄』を著したとされる。
子 領子→平時信の系図
妻 藤原信輔の娘
妻の父 藤原信輔→藤原信輔の系図
子 盛隆/時光
孫 時長(ときなが)
『平家物語』の作者に擬せられる。
子 有隆/基房
孫 時輔/有時
子の夫 藤原是憲→藤原実兼・通憲の系図
藤原行隆の系図
藤原行隆(ゆきたか)【1130-1187】
祖父 長隆・父 顕時→藤原長隆・顕時の系図
祖父 藤原有業→藤原行家の系図
妻 藤原長信の娘
妻の父 藤原長信→藤原師信の系図
子 行長(ゆきなが)
九条兼実の家司。『平家物語』の作者ともされる。
子 行光/宗行(むねゆき)【1174-1221】〔養父:葉室宗頼(→藤原光頼~葉室資頼の系図)、養子:成淳、教守、宗性(→藤原為経・隆信の系図)〕
権中納言。後鳥羽院の院司などを務めた。承久の乱の後に出家するも、関東に送られて斬首された。
子の妻 藤原兼光の娘
子の妻の父 藤原兼光→藤原兼光の系図
孫 宗氏
実は藤原家長(→藤原家長の系図)の子。
曾孫 教守〔養父:藤原行光〕
曾孫の夫 資邦王→資邦王の系図
孫 宗嗣
実は葉室宗方(→藤原光頼~葉室資頼の系図)の子。
孫の夫 花山院忠経→花山院忠経の系図
孫の夫 業資王→業資王の系図
孫の夫 資宗王→資宗王の系図
孫 成淳〔養父:藤原行光〕
曾孫の夫 藤原光国→藤原光国の系図
子 覚顕/尊隆
子 信空(しんくう)【1146-1228】〔養父:藤原顕時(→藤原長隆・顕時の系図)〕
法然の弟子となった。
藤原朝隆の系図
藤原朝隆【1097-1159】〔養父:藤原為隆(→藤原為隆の系図)〕
権中納言。冷泉中納言と号した。
祖父 隆方→藤原隆方の系図
父 為房→藤原為房の系図
祖父 隆尊→藤原隆佐の系図
妻 藤原顕隆の娘
妻の父 藤原顕隆→藤原顕隆の系図
夫 藤原清隆→藤原清隆の系図
子 朝方→藤原朝方の系図
子 朝親/朝雅
孫 隆資/隆尋
孫の夫 九条光長→九条光長・長房の系図
子の夫 藤原光頼→藤原光頼~葉室資頼の系図
妻 藤原顕頼の娘
妻の父 藤原顕頼→藤原顕頼の系図
子 証朝〔養父:藤原朝方(→藤原朝方の系図)〕
子の夫 藤原光房→藤原光房の系図
藤原朝方の系図
藤原朝方(ともかた)【1135-1201】〔養子:証朝(→藤原朝隆の系図)、藤原朝時(→藤原令明の系図)〕
権大納言。鳥羽・後白河院政下で活躍した。堤大納言と号した。
祖父 為房→藤原為房の系図
父 朝隆→藤原朝隆の系図
祖父 藤原顕隆→藤原顕隆の系図
妻 藤原師綱の娘
妻の父 藤原師綱→藤原師綱の系図
子 朝定【1165-1183】
子の妻 水無瀬親信の娘
子の妻の父 水無瀬親信→水無瀬親信の系図
曾孫の夫 藤原信時→藤原親綱~師平の系図
子 朝経
子の妻 水無瀬親信の娘
子の妻の父 水無瀬親信→水無瀬親信の系図
子の妻の夫 山科教成→山科教成~資行の系図
孫 朝俊(ともとし)【?-1221】
父は藤原朝定とも。承久の乱で討ち死にした。
子の夫 川原実家→川原実家・公国の系図
藤原親隆の系図
藤原親隆(ちかたか)【1099-1165】〔養父:藤原重隆(→藤原為房の系図)〕
参議。
祖父 隆方→藤原隆方の系図
父 為房→藤原為房の系図
祖父 隆尊→藤原隆佐の系図
妻 藤原為隆の娘
妻の父 藤原為隆→藤原為隆の系図
孫 隆頼/為季
孫 為成〔養父:吉田経房(→吉田経房・定経の系図)〕
妻 源顕通の娘
妻の父 源顕通→源雅実・雅定の系図
妻 平知信の娘
妻の父 平知信→平範国~知信の系図
子 親雅→藤原親雅の系図
孫 親房→藤原親房の系図
妻 平時信の娘
妻の父 平時信→平時信の系図
子 全真〔養父:平清盛(→平清盛の系図)〕
子の夫 高倉家通→高倉重通・家通の系図
子の夫 藤原光頼→藤原光頼~葉室資頼の系図
子の夫 藤原成親→藤原成親の系図
藤原親雅の系図
藤原親雅(ちかまさ)【1145-1210】
参議。母は半物花摺、藤原知信(→藤原惟経~知信の系図)の娘とも。五条宰相と号した。
祖父 為房→藤原為房の系図
父 親隆→藤原親隆の系図
祖父 平知信→平範国~知信の系図
妻 藤原定隆の娘
妻の父 藤原定隆→藤原清隆の系図
子 親房→藤原親房の系図
子 親寛
父は藤原親房(→藤原親房の系図)とも。
子 教雅/定雅
子 幸子→西園寺実氏の系図
子の夫 藤原清長→藤原定長の系図
子の夫 藤原隆仲→藤原隆房の系図
子の夫 九条定高→九条定高の系図
藤原親房の系図
藤原親房(ちかふさ)
参議。母は平信業の娘とも。
祖父 親隆→藤原親隆の系図
父 親雅→藤原親雅の系図
祖父 藤原定隆→藤原清隆の系図
妻 成清の娘
妻の父 成清→成清の系図
子 顕雅(あきまさ)【1207-1281】
参議。
子の妻 平信繁の娘
子の妻の父 平信繁→平信繁の系図
孫 雅藤〔養子:顕誉〕
権中納言。
曾孫 教雅
父は藤原雅俊とも。
曾孫 雅俊【1269-1322】〔養父:藤原雅藤、養子:藤原雅任〕
参議。実は藤原定雄の子。
雅俊孫 親藤/雅賢
曾孫 雅任【1277-1329】〔養父:藤原雅俊〕
参議。
曾孫 民部卿局→亀山天皇の系図
曾孫 顕誉〔養父:藤原雅藤〕
曾孫の夫 万里小路季房→万里小路季房の系図
子 親賢/雅高
子の夫 実昭→大炊御門頼実の系図
藤原為隆の系図
藤原為隆(ためたか)【1070-1130】〔養子:藤原朝隆(→藤原朝隆の系図)〕
参議。日記は『永昌記』。
祖父 隆方→藤原隆方の系図
父 為房→藤原為房の系図
祖父 源頼国→源頼国の系図
妻 藤原有佐の娘
妻の父 藤原有佐→藤原有佐の系図
子 憲方→藤原憲方の系図
子 光房→藤原光房の系図
孫 吉田経房→吉田経房・定経の系図
孫 定長→藤原定長の系図
孫 九条光長→九条光長・長房の系図
妻 源基綱の娘
妻の父 源基綱→源経信の系図
子の夫 源顕雅→源顕房の系図
子の夫 平実親→平実親・範家の系図
子の夫 中御門宗能→中御門宗能の系図
子の夫 藤原俊経→藤原俊経・盛経の系図
子の夫 藤原親隆→藤原親隆の系図
子の夫 源俊隆→源師忠の系図
子の夫 藤原顕能→藤原顕能の系図
孫 隆静
父は藤原為隆とも。
藤原憲方の系図
藤原憲方【1106-1160】
祖父 為房→藤原為房の系図
父 為隆→藤原為隆の系図
祖父 藤原有佐→藤原有佐の系図
妻 藤原顕隆の娘
妻の父 藤原顕隆→藤原顕隆の系図
子 頼憲/顕方〔養父:藤原惟方(→藤原惟方の系図)〕
子の妻 藤原知通の娘
子の妻の父 藤原知通→藤原尹通の系図
子 憲実/定憲
子 小宰相局→平通盛の系図
子の夫 大炊御門経実→大炊御門経実の系図
子の夫 川原実家→川原実家・公国の系図
子の夫 三条公教→三条公教の系図
孫 滋野井実国→滋野井実国~実宣の系図
妻 源敦経の娘
妻の父 源敦経→源経信の系図
子 憲覚→源経信の系図
実は源敦経の子。
妻 藤原顕憲の娘
妻の父 藤原顕憲→藤原顕憲の系図
子の夫 藤原範保→藤原邦忠の系図
藤原光房の系図
藤原光房【1109-1154】
祖父 為房→藤原為房の系図
父 為隆→藤原為隆の系図
祖父 藤原有佐→藤原有佐の系図
妻 源有賢の娘
妻の父 源有賢→源有賢の系図
妻 藤原俊忠の娘
妻の父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
子 吉田経房・孫 定経→吉田経房・定経の系図
子 九条光長・孫 長房→九条光長・長房の系図
子の夫 中山忠親→中山忠親・兼宗の系図
妻 藤原為忠の娘
妻の父 藤原為忠→藤原為忠の系図
夫 難波忠基→難波忠基の系図
夫 難波教宗→難波教宗の系図
子 定長→藤原定長の系図
妻 平親宗の娘
妻の父 平親宗→平親宗・範国の系図
妻 藤原朝隆の娘
妻の父 藤原朝隆→藤原朝隆の系図
子 光綱【?-1194】
曾孫 経嗣
父は藤原経親とも。
子 隆遍〔養父:中山忠親(→中山忠親・兼宗の系図)〕
藤原定長の系図
藤原定長(さだなが)【1149-1195】
参議。後白河院の近臣として活躍した。
祖父 為隆→藤原為隆の系図
父 光房→藤原光房の系図
祖父 藤原為忠→藤原為忠の系図
妻 藤原能盛の娘
妻の父 藤原能盛→藤原能盛の系図
子 清長(きよなが)【1171-1214】
従三位。
子の妻 藤原親雅の娘
子の妻の父 藤原親雅→藤原親雅の系図
孫 清忠/清成
孫の夫 藤原宗房→藤原宗房の系図
子 重長/知長
孫 光成
実は平頼盛(→平頼盛の系図)の子。
妻 平信範の娘
妻の父 平信範→平信範・信基の系図
子 成長【1181-1233】
従三位。
子 定瑜/長瑜
九条光長・長房の系図
九条光長(みつなが)【1143-1195】
参議。九条三位と号した。
祖父 為隆→藤原為隆の系図
父 光房→藤原光房の系図
祖父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
妻 藤原俊経の娘
妻の父 藤原俊経→藤原俊経・盛経の系図
子 宣房〔養父:九条長房〕
孫 宣通
父は九条長房とも。
妻 藤原朝親の娘
妻の父 藤原朝親→藤原朝隆の系図
子 定高〔養父:九条長房〕→九条定高の系図
子 長範
子の妻 藤原光雅の娘
子の妻の父 藤原光雅→藤原光雅の系図
子の妻の夫 藤原隆房→藤原隆房の系図
孫 高覚
父は藤原宣房とも。
子の夫 葉室宗方→藤原光頼~葉室資頼の系図
子の夫 藤原忠季→中山忠親・兼宗の系図
子の夫 二条資家→二条資家の系図
九条長房(ながふさ)【1170-1243】〔養子:藤原清房(→藤原盛憲・清房の系図)〕
参議。出家して海住山寺の再興に尽力した。
妻 藤原俊盛の娘
妻の父 藤原俊盛→藤原顕盛の系図
子 定高→九条定高の系図
子 宣通
父は藤原宣房とも。
子 宣房
実は九条光長の子。
子の夫 高倉範茂→高倉範茂の系図
吉田経房・定経の系図
吉田経房(つねふさ)【1143-1200】〔養子:藤原有経(→藤原有佐の系図)、九条長房(→九条長房の系図)、吉田資経(→吉田資経の系図)、藤原為成(→藤原親隆の系図)〕
権大納言。議奏公卿の一人。日記は『吉記』。
祖父 為隆→藤原為隆の系図
父 光房→藤原光房の系図
祖父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
妻 平範家の娘
妻の父 平範家→平実親・範家の系図
妻 藤原顕憲の娘
妻の父 藤原顕憲→藤原顕憲の系図
子 時経/良経
子の夫 滋野井公時→滋野井実国~実宣の系図
子の夫 平時実→平時信の系図
妻 藤原成親の娘
妻の父 藤原成親→藤原成親の系図
夫 平維盛→平維盛の系図
吉田定経(さだつね)【1158-1231】
参議。順調に昇進を重ねていたなかで出家し、父経房から義絶された。
妻 平親範の娘
妻の父 平親範→平実親・範家の系図
子 資経→吉田資経の系図
妻 源定房の娘
妻の父 源定房→源定房の系図
子 経賢/経兼【1190-1246】
従三位。
子の妻 業忠の娘
孫 宗経/俊兼
従三位。
孫の妻 大中臣隆通の娘
孫の妻の父 大中臣隆通→大中臣隆通の系図
曾孫 為時/経雄
孫 経覚/房円
孫の夫 五辻雅継→五辻雅継の系図
孫の夫 正親町三条公貫→正親町三条公貫の系図
子 経親/良経
子 経子→藤原光親の系図
子の夫 水無瀬信成→水無瀬信成の系図