このページでは、豊岡家(藤原氏北家・真夏流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
豊岡有尚~健資の系図
豊岡有尚(ありひさ)【1654-1682】
豊岡家の祖。
祖父 光慶→日野輝資~光慶の系図
父 弘資→日野弘資~永資の系図
子 新典侍→徳川綱吉~家継の系図
豊岡弘昌(ひろまさ)【1665-1692】
実は日野弘資(→日野弘資~永資の系図)の子。
豊岡資時〔養父:日野永資〕→日野資時~資平の系図
日野家を継いだ。
豊岡光全(みつたけ)【1711-1745】
従三位。実は外山光顕・外山光和(『外山家譜』)(→外山光顕~光輔の系図)の子。
豊岡尚資(なおすけ)【1739-1809】
権中納言。
子 光同【1780-?】
子 今小路斐子→鷹司政煕の系図
豊岡和資(かずすけ)【1764-1819】
参議。
妻 高丘敬季の娘
妻の父 高丘敬季→高丘季起~紀季の系図
子 直好【1798-?】
子 光度〔養父:広橋伊光〕→広橋伊光の系図
豊岡治資(はるすけ)【1789-1854】〔養子:八条隆祐の息子(→八条隆英~隆声の系図)〕
正三位。
妻 舟橋貞子
舟橋則賢(→舟橋則賢の系図)の娘。
子 町尻量衡〔養父:町尻量輔〕→町尻量原~量衡の系図
子 園池公宣〔養父:園池実達〕→園池実守~公静の系図
豊岡随資(あやすけ)【1814-1886】
正三位。
妻 綾小路俊子
綾小路有長(→綾小路俊宗~有良の系図)の娘。
子 穆子(あつこ)【1844-?】(『豊岡家譜』による。)
豊岡健資(すさすけ)【1846-1892】
妻 上冷泉学
上冷泉為理(→上冷泉為則~為紀の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。