堀氏(清和源氏・義国流)・直重流の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、堀氏(清和源氏・義国流)・直重流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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堀氏・直重流(信濃国須坂藩主)の略系図

堀氏・直重流の略系図

1 直重堀直重~直佑の系図
1-A 直昭堀直昭~直喬の系図

5 直英堀直英~直郷の系図
9 直皓堀直皓~直明の系図

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堀直重~直佑の系図

堀直重~直佑の系図

  堀直重(なおしげ)【1584-1616】
 信濃国須坂藩主。

祖父 直純奥田氏種~直純の系図
 直政堀直政の系図

 直昭 直依堀直昭~直喬の系図
 直久(なおひさ)【1612-1633】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 直房(なおふさ)【1614-1634】
 母は『寛政重修諸家譜』による。


  堀直升(なおます)【1607-1637】
 須坂藩主。母は『華族系譜』による。
 堀直之の娘
妻の父 堀直之堀直之・直景の系図
子の夫 花房幸昌→花房幸昌の系図


  堀直輝(なおてる)/直朝(なおとも)【1631-1669】
 須坂藩主。
 酒井忠当の娘
 実は松平正綱(→松平正綱の系図)の娘。
妻の父 酒井忠当酒井忠勝~忠真・忠俊~忠盈の系図


  堀直佑(なおすけ)/直矩(なおのり)【1655-1721】
 須坂藩主。
 板倉重形の娘
妻の父 板倉重形板倉重形~勝清の系図
 直富(なおとみ)【1681-1702】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 直俊(なおとし)【1691-1752】
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 甲斐庄正恒〔養父:甲斐庄正永〕→甲斐庄正恒の系図
 直英 直寛堀直英~直郷の系図
 猪之助【?-1700】(『華族系譜』による。)
 奥田左門【?-1709】(『華族系譜』による。)
 テウ【?-1685】
 堀直英~直郷の系図
 イサ【?-1717】
子の夫 田中主殿(『華族系譜』による。)

堀直昭~直喬の系図

堀直昭~直喬の系図

  堀直昭(なおあき)/直上【1610-1652】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 直政堀直政の系図
 直重堀直重~直佑の系図

 大草高正の娘
妻の父 大草高正→大草高正の系図
 直治〔養父:堀直依、佐久間半之丞〕

子の夫 井戸宗弘(『華族系譜』による。)→井戸宗弘の系図


  堀直依(なおより)【?-1694】
 桑山貞寄の娘
妻の父 桑山貞寄→桑山貞寄の系図
 直持(なおもち)【?-1701】


  堀直治(なおはる)/智信/常政【?-1712】〔養父:佐久間半之丞〕
 実は堀直昭の子。


  堀直方(なおかた)/直親【1659-1747】
 実は沢村宇右衛門の子。


  堀直知(なおとも)/直生【1689-1758】
 大草高忠の娘
妻の父 大草高忠→大草高忠の系図
 稲垣昭倫→稲垣昭倫の系図

 直与(なおよし)【?-1748】
子の妻 堀直高の娘
子の妻の父 堀直高堀直政~直高の系図

 坂本貞時〔養父:坂本貞義〕→坂本貞時の系図
 直知の娘〔養父:沢村大九郎〕
 五七郎 直知の娘(『華族系譜』による。)


  堀直信(なおのぶ)【1727-1759】
 河野通長の娘
妻の父 河野通長河野通重~通成の系図
 松井保明〔養父:松井保喬〕→松井保明の系図

 河野直久〔養父:河野通孝〕→河野通重~通成の系図


  堀直安(なおやす)【1744-1797】
子の夫 石谷清豊→石谷清豊の系図


  堀直喬(なおもと)【1772-?】
 大草高方の娘
妻の父 大草高方→大草高方の系図

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堀直英~直郷の系図

堀直英~直郷の系図

  堀直英(なおひで)【1699-1767】
 須坂藩主。実は堀直利(→堀直寄~直為・直次・直定の系図)の子。

祖父 直輝 直佑堀直重~直佑の系図

 堀直【?-1730】
 堀直佑(→堀直重~直佑の系図)の娘。
 直孝(なおすけ)【1724-?】(以下、『華族系譜』による。)
 細井勝村〔養父:細井勝名〕→細井勝村の系図
 【?-1753】
 内藤政次~正友・正直~正器の系図
 【?-1765】

 直著〔養父:堀直喜〕→堀直著~之美の系図
 又四郎【?-1734】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 【?-1724】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 →立花長煕の系図

 ルン
 内藤正方〔養父:内藤正甫〕→内藤政次~正友・正直~正器の系図
 ハチ【?-1735】
 母は『華族系譜』による。
 安藤直利~直温の系図


  堀直寛(なおひろ)【1718-1777】
 須坂藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 三宅康徳の娘
妻の父 三宅康徳→三宅康徳の系図
 →平野長純の系図

 カヨ
 植村忠朝~泰通・忠元~千吉の系図

 ソノ
 市橋長恒〔養父:市橋長承〕→市橋長恒の系図
 【?-1750】
 母は『華族系譜』による。
 水野重矩~忠貞・忠英・忠護の系図・細井勝村の系図

 リノ
 直郷〔養父:堀直堅〕


  堀直堅(なおかた)【1739-1779】
 須坂藩主。母は『華族系譜』による。
 堀直尭の娘
妻の父 堀直尭堀直尭・直教の系図
 堅五郎【?-1769】
 母は『寛政重修諸家譜』による。


  堀直郷(なおさと)【1758-1784】
 須坂藩主。実は堀直寛の子。
 溝口直養の娘
 実は溝口直之(→溝口直之の系図)の娘。
妻の父 溝口直養→溝口直養の系図
 直皓 直興堀直皓~直明の系図

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堀直皓~直明の系図

堀直皓~直明の系図

  堀直皓(なおてる)/種幸(たねゆき)【1759-1814】
 須坂藩主。実は立花長煕(→立花長煕の系図)の子。心学講舎教倫舎を設立した。

祖父 直堅 直郷堀直英~直郷の系図
祖父 溝口直養→溝口直養の系図

 細川興晴の娘
妻の父 細川興晴細川興虎~興貫の系図

 黒田直亨の娘
妻の父 黒田直亨黒田直亨~直温の系図
 水野忠慎水野忠見~忠順の系図
 直丸【?-1805】
 母は『華族系譜』による。
 直格〔養父:堀直興〕
 春之進【?-1812】
 母は『華族系譜』による。
 隼之進【?-1812】
 母は『華族系譜』による。
 登和【?-1801】
 母は『華族系譜』による。
 千勢→本庄道貫の系図
 【1805-?】
 母は『華族系譜』による。
 【?-1812】
 母は『華族系譜』による。

 芳野
 →立花種善の系図


  堀直興(なおおき)【1793-1821】
 須坂藩主。
 立花種周の娘
妻の父 立花種周→立花種周の系図
 吉之助【?-1820】
 母は『華族系譜』による。
 益之進【?-1820】
 【?-1819】
 母は『華族系譜』による。


  堀直格(なおただ)【1806-1880】(以下、『華族系譜』による。)
 須坂藩主。実は堀直皓の子。『扶桑名画伝』を著した。
 西尾忠善の娘
妻の父 西尾忠善西尾忠移~忠篤の系図
 直尚/直章〔養父:水野貞勝〕
 直虎〔養父:堀直武〕
 本多忠誠~忠伸の系図
 →山名義済の系図

 内田千歳
 直徴〔養父:堀直倫〕
 水野勝前~勝寛の系図

 直正〔養父:堀譲三郎〕


  堀直武(なおたけ)【1830-1862】
 須坂藩主。
 西尾忠受の娘
 実は西尾忠宝(→西尾忠移~忠篤の系図)の娘。
妻の父 西尾忠受西尾忠移~忠篤の系図


  堀直虎(なおとら)【1836-1868】
 須坂藩主。実は堀直格の子。藩政改革を行い、洋式兵制を導入した。戊辰戦争では、江戸城中が主戦論と恭順論で割れるなか、自刃した。
 松平忠固の娘
妻の父 松平忠固松平忠順~忠礼の系図


  堀直明(なおあき)/直登(なおなる)【1839-1885】
 須坂藩主。実は堀直格の子。奥田姓に復した。
 山名喬
 山名義問(→山名義問の系図)の娘。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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